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日蓮大聖人・池田大作

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2 「教養」という人間力  

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

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1  教養なき生は「虚偽の生」
 池田 大学を人間教育の場にしていくためには、強く求められていることは何か。それは、真の意味での「教養人」を輩出することに心を砕いていくことではないでしょうか。
 「教養(文化)」とは何か。オルテガの知見を借りるならば、「教養」とは、「生の難破を防ぐもの、無意味な悲劇に陥ることなく、過度に品格を落とすことなく、生きていくようにさせるところのもの」(『大学の使命』井上正訳、玉川出版部)といえます。
 「教養」とは、単なる精神の装飾品ではない。それは、「それぞれの時代における生きた諸理念の体系」であり、「生のプラン」であり、「生存の密林における道標」である、と。こうした指摘は、アリストテレスの「実践知」の思想を想起させてくれます。
 サドーヴニチィ 大切な問題提起です。
 池田 これに対して、教養なき人は、「未開である新しい野蛮人」であるとオルテガはいいます。「新しい野蛮人」とは、一見、専門家の風を装って博識ぶる、傲慢な政治家や学者などの謂でしょう。仏教ではそれを「才能ある畜生」と説いています。
 そうした意味では、教養(文化)こそ、人間が人間として生きていく上で不可欠の要素です。まさに、教養なき生は、「虚偽の生」であるといわねばなりません。大学における「一般教養」の重要性は、まさにこの点にあるといえましょう。こうした大学の教養の教育についてどう考えられますか。
2  平凡な市民として生きるモスクワ大学卒業生
 サドーヴニチィ 唐突に思われるかもしれませんが、池田博士もよくご存知の故D・S・リハチョフ氏が次のように述べていました。
 「我々は、民族の芸術の歴史を紹介しようとするとき、決まって一番いいものを見せようとするものだ。これは、なにも芸術の歴史に限らず、自国の文学を語るときも同じだし、町のガイドブックを作るときでさえも、常に一番誇りに出来る、代表的なものを紹介しようとするのであって、どうでもよい作品や文物を出したりはしない。
 あたりまえの無意識の行動だが、重要なポイントだ。我々がロシア文学を語ろうとするとき、ドストエフスキー、プーシキン、トルストイを抜きにしては始まらないが、マルコヴィチ、レイキン、アルツェバシェフ、ポタペンコをあげなくとも少しも遜色はないだろう」
 池田 マルコヴィチ、レイキン等というのは、どういう作家ですか。
 サドーヴニチィ 名作は残しておらず、一時の名声で早晩忘れられてしまった作家たちです。
 リハチョフ氏は続けて、「私は、ロシアの文化について語るとき、そのもっとも優れた部分だけを強調して、ロシアの文化が世界に与えた価値について述べる一方、その無意味な側面や有害な側面については一言も触れないかもしれない。だからといって、けっして私が愛国心におぼれたおおぼら吹きだとは思わないでほしい。そもそも文化は、いかなる文化であっても、その最良の、最高の部分を世界に与えることによって、それぞれの存在意義を持つものなのだ」と。
 少々長い引用をさせていただきましたが、私もまた、わがモスクワ大学について語るとき、おおよそリハチョフのいうように、その一番誇りとする部分を真っ先に紹介していることを、どうかご了承下さい。
 池田 どうぞ、どうぞ。モスクワ大学の輝かしい歴史と伝統から、創価大学関係者や読者の方々も、大いに学ぶべき点があると思います。
 サドーヴニチィ モスクワ大学は、創立以来250年の間に35万人以上の卒業生を社会に送り出してきました。一口に卒業生といっても、さまざまであり、したがって評価もさまざまです。
 モスクワ大学の場合、卒業生のほとんどは、社会的にはそれほど高い地位ではありません。学校の先生、医者、公務員、大学の教員、教授等になって、「平凡な市民」として生きています。そして、この民衆の真っ只中に身を置く平凡な姿が、卒業生の「集合写真」となって、モスクワ大学に対する人々の信頼を培い、民衆から愛される大学になっているのだと、私は深く確信しています。
 池田 すばらしいことです。大学といい学問といっても、民衆という基盤から遊離してしまえば、根無し草になってしまいます。モスクワ大学生も、総長ご自身がそうであるように、ほとんどが「平凡な市民」の家庭で育っていることでしょう。その「平凡な市民」として生きるということ、その出自を忘れず傲慢なエリート意識に染まらないことが、大切な教育の眼目ではないでしょうか。
 サドーヴニチィ その通りです。
 それと同時に、モスクワ大学の名誉を高め、その発展の「梃子」となってきた主な人々もまた卒業生であったといえます。母校を巣立った後、その天賦の才能と努力とによって、学術界その他多くの分野で名を馳せ、揺るがぬ地位を築いた卒業生たちの活躍は、そのまま母校の発展を支える力となってきました。
3  いかなる創立者、創立の精神をもつ大学か
 池田 まさしく、大学の評価は卒業生で決まるわけですね。そうした輝かしいモスクワ大学の歴史の中で総長が最も大切にしてきたことは何でしょうか。
 サドーヴニチィ 大学を支える要素はいくつかあると思われますが、その中でも、私が第一に指摘したいのは、大学がいかなる創立者、創立の精神をもって誕生したかという点です。
 モスクワ大学の場合、偉大な創立者に恵まれました。18世紀のロシアが生んだ偉大な二人の人物――啓蒙思想家であり学者であったミハイル・ロモノーソフ(1711―1765)と、エリザベータ女帝の片腕として活躍したI・I・シュヴァロフです。
 ロモノーソフの死後、シュヴァロフは、引き続き32年間にわたり、モスクワ大学の後見人として、その揺籃期を支え、自立を助けてくれました。シュヴァロフはまた、モスクワ大学に当時の学問の最高峰を成した人々を結集することに心を砕きました。彼自身の人徳が大であったことから、彼の要請を受けて、当時の多くの優れた教授たちがモスクワ大学で教鞭をとるようになり、その流れは今も変わらず続いています。
 池田 非常に大切なポイントだと思います。仏典に「源遠ければ流ながし」という言葉があります。これは、敷衍して捉えれば、創立の精神が深く、高邁であれば、そしてその精神がしっかりと継承されていけば、その大学なり、団体の発展は間違いない、ともいえるでしょう。
 その意味からも、私は、創価大学の創立者として、「英知を磨くは何のため君よそれを忘るるな」「労苦と使命の中にのみ人生の価値は生まれる」という創立の精神を常々強調してきました。これらの言葉は、構内のブロンズ像の台座に刻まれております。
 サドーヴニチィ ノルウェーの作家H・ヒュドモンドは、「一流の人物の周りには一流の人物が集まる。二流の人物の周りには三流の人物しか集まらない」といいました。
 その意味では、モスクワ大学がロシアの学術、教育、文化の最高峰を担う人々を学内に招聘して歴史を刻んできたことは、大変に重要だったといえます。一流の人物は、自身の姿を通し、また自らが歩んだ人生を通して、後に続く逸材を育ててくれるからです。
 池田 ゲーテも言っています。「きみがだれと付きあっているかを告げたまえ。そうすれば、きみがどういう人間であるかを言ってあげよう」(『箴言と省察』岩崎英二郎・関楠生訳、『ゲーテ全集』13所収、潮出版社)と。類は友を呼ぶということは、良い意味でも悪い意味でも道理です。
4  知の殿堂の要因は「庶民に開かれた学舎」
 サドーヴニチィ 第二にモスクワ大学が名実ともにわが国を代表する知性の殿堂と成り得た要因は、開学当初から、庶民の子弟に開かれた学舎でありつづけたことによると思っています。
 モスクワ大学に入学する資格、条件は、一貫して能力主義を採り、親の財産や社会的地位を問わないとしたのは、創立者のロモノーソフとシュヴァロフでした。
 当時、専制制度のロシアにおいて、このような基本理念を打ち立てることがいかに困難だったかは、想像に難くありません。また、大きく時代を先取りしたこの姿勢は、家父長制と階級制度にがんじがらめになっていたロシア社会が、民主化へと覚醒しゆく重要な第一歩を標すことを意味したともいえます。
 池田 重要な歴史の証言です。
 サドーヴニチィ いつの時代も、教育を受ける機会の均等は、ロシア社会にとって民主化の電源となってきました。
 ソビエト時代、特に1920年代から30年代、モスクワ大学の門戸は労働者、農民の子弟に広く開かれました。ただし、同時に、帝政時代の富裕層の子弟には難く閉じられてしまいました。時代が生んだ逆差別となってしまったのです。
 しかし、そのようなソビエト政権下の状況にあっても、モスクワ大学は、あえて、旧帝政時代のインテリゲンツィア(知識階級)を教員として迎え入れることにより、他大学と異なった真の平等の原則を貫く努力をしてきました。
 池田 その点では、日本でも同じ事情があります。大学に限らず、初等中等教育を含めた学校というシステムは、近代日本で平等や機会均等を建前とした、ほとんど唯一の組織であったということです。学校へ行けば、誰でも同じ机を並べ、同じ教材で授業を受ける――そういう平等な場は、他には存在しませんでした。もちろん、実質的にはさまざまな差別構造が存在したとしても、良心的な教師であればあるほど、差別構造、差別意識を乗り越えようと、努力してきました。また、生徒も努力次第、能力次第で、親の職業や身分には関係なく、自らの可能性を伸ばすことができました。
 もっとも、最近の調査によると、有名大学の入学者の親の収入には明らかな特徴があり、一定レベル以上の高収入の親をもつ子弟が大部分を占めているそうです。つまり、財産や収入による実質的な差別構造が見られるのです。こうした傾向は、好ましからざるものです。
 サドーヴニチィ そうですね。私は、そのような現代の抗し難い傾向を心から憂えます。ですから、私は、急激な市場化が進む我が国の中心的国立大学の総長として、学生への奨学金の確保を重要な使命と思って闘ってまいりました。
5  ”学問の要は物事の縁を知るにある”
 池田 総長のご貢献は、よく存じ上げています。
 先程の、「教養人」ということに関連して、日本の著名な宇宙物理学者として知られる名古屋大学の池内了教授は、大学教育のあり方を再考する時代にさしかかっていることに言及しつつ、高学歴社会であればこそ、大学が人間を育てるためには、学部教育を本来のリベラルアーツ(自由の学術)に、大学院教育を専門教育にすべきであるとの見解を示し、学生に一般教育を施すことの重要性を繰り返し指摘しています。
 未知の世界を切り開き、不確実な時代を確かなる足取りで歩みゆく教養人の輩出こそが、大学の使命でありましょう。その意味では、これからの大学は、一般教育の消滅ではなく、深化をはからねばなりません。もとより、大学の重要な使命のひとつは、いうまでもなく「研究」という点にあります。ただ、高学歴社会を迎えた今日、大学での専門教育は、むしろ大学院教育の整備、強化をはかることによって、充実を期する方向へとシフトしていくことが望ましいと考えますが、いかがでしょうか。
 サドーヴニチィ モスクワ大学は、ロシア社会の幅広い分野に多くの人材を輩出してきました。卒業生が、学術、教育界はもとより、国政の中枢に、経済界、産業界に、そして芸術、文化の世界にも、また細分化された最先端の基礎研究の分野でも活躍しています。その理由は、大学が学生に用意するカリキュラムが、一般教養に重きを置き、いわゆるリベラルアーツとされる百科事典的な広範な知識を与えようとするものだからでしょう。
 ただし、私がここでいう百科事典的というのは、たんによろずの知識を詰め込んであるという意味では毛頭ありません。百科事典というとよく引き合いに出される小話があるのですが、あるエンサイクロペジスト(百科全書派の学者)が同僚に「君は、ブロックハウズとエフロンの百科事典を研究しているそうだが、どの程度進んでいるかね」と尋ねたところ、同僚は、「順調に進んでいるよ、今『発狂寸前』という単語まで来たところだ」と答えたというものです。(笑い)
 大学教育が学生に与えようとする百科事典的に裾野の広い教養というのは、ルベラル・アーツであるべきです。つまり、一つの学問分野を学ぶとき、つねに関連する学問を視野に収めつつ、諸学問との関係、位置づけを問いながら、学問の全体像を把握させる教授法です。
 池田 重要なアドバイスです。近代日本の卓越した教育者であった福沢諭吉は、単なる”物知り”をこう難じています。
 「彼の物知りと云う人物は、物を知るのみにして物と物の縁を知らず、一に限りたる物事を知るのみにして其物事の此と彼の互いに関り合ひあるの道理を知らざる者なり。学問の要は唯物事の互に関り合ふ縁を知るに在るのみ。此物事の縁を知らざれば学問は何の役にも立たぬものなり」(慶應義塾編『福沢諭吉全集』4、岩波書店)と。
 こうした”物知り”の頭の中に、どんなに膨大な知識が詰め込まれていようと、それは教養、リベラル・アーツとは無縁でしょう。そうした知識が、役に立たないどころか百害あって一利なしになりかねないことは、この分野では専門的知識も豊富で有能な多くの若者が、奇怪で荒唐無稽なカルト宗教の迷路に入りこんでいってしまったという、近年の日本の悲しい現実が、いい証拠でしょう。
6  リベラル・アーツの底力が育んだ多士済々
 サドーヴニチィ ショッキングな事件でしたね。
 モスクワ大学はこのような方針のもと、人文学を専攻する学生も自然科学を専攻する学生も、双方の科目を重ねて、また交差させて学ばせます。その組み合わせ方や、関連づけ方は、時に奇妙にさえ見えるかもしれませんが、結果的には、学生が狭い分野に閉じ込められることなく、将来、学問と実社会の大海を自在に航海していくために大いに役立っていると自負しております。
 そのようなわけですから、我が大学の物理・数学部を卒業したアレクサンドル・ゲルツェン(1812―1870)が偉大なロシアの哲学者に成長したことも、同じく物理・数学部を卒業したパーヴェル・フロレンスキー(1882―1937)が聖職者の道を選び、神学者となったことにも、何の不思議もないのです。
 法学部の教授だったS・A・ムロムツェフ(1850―1910)は、ロシア帝国の初代下院議長に就任しましたし、法学者のG・E・リヴォフ(1861―1925)は、ニコライ二世が皇位を下り、共和制を宣言した直後の臨時政府の議長を務めています。
 また、同じく法学者だったレオニード・ソビノフ(1872―1934)はボリショイ劇場のテノール歌手として活躍しました。ソビノフは、「自分は法学者の中で一番歌が上手で、しかも歌手の中で一番法律に詳しい人間だ」と自分を紹介するのが好きでした。
 池田 本当に、多士済々ですね。
 貴大学が、分野を超えた全体人間を育んでこられたことが、よくわかります。
 サドーヴニチィ ただ、モスクワ大学の教授陣も卒業生も、ソビエト時代の政治・行政の分野での活躍は目立っておりません。そのかわり、ソビエト時代においても、学術と教育制度の発展に目覚ましい活躍を見せています。その証左として、我が国の科学アカデミー会員、準会員(全体で約900人ですが)の3割以上をモスクワ大学の教授が占めています。さらに、モスクワ大学が育てたS・I・ヴァヴィロフ(1891―1951)、A・N・ネスメヤノフ(1899―1980)、M・V・ケルディッシュ(1911―1978)の3人は、歴代の科学アカデミー総裁の重責を担いました。そして今日、ロシア科学アカデミーは、モスクワ大学の教授で、微積分・サイバネティクス数学部で学科長を務めているY・S・オシポフを総裁に据えています。
 これら全ての例が有力に裏づけているのは、リベラルアーツの底力です。これこそが、モスクワ大学の学生、大学院生が、母校を巣立ち、社会の荒波に立ち向かう時、あらゆる分野の様々な状況に対応することを可能たらしめる力なのだと自負しています。
 池田 お話をお聞きしながら、今から15年前(1988年)、アメリカの出版会にセンセーションを巻き起こした、シカゴ大学教授(当時)アラン・ブルーム氏の著書『アメリカン・マインドの終焉』を思い出しました。ご存知のように、それは政治哲学者による大学教育批判の書であり、なかでも、一般教養教育の衰弱に警鐘を鳴らしているのですが、そうした論調を、いわば“陰画”としながら、総長の“陽画”的論調を、再読してみたいと思います。
 ブルーム氏は、専攻科目があるだけで全体的な体系を欠く大学便覧を手にして当惑し、意気阻喪する新入生に擬して、こう語っています。
 「学生は、巡回見世物の客引きがそれぞれの見世物に彼を誘い込もうとして群がる中を進まねばならない。まだ心を決めていないこうした学生は、たいていの大学にとって困りものである。というのも、彼はこう言っているかのように思えるからだ。『僕は、全体としての人間だ。僕が全体として自己形成するのを助け、僕のほんとうの潜在能力を発揮させてほしい』。しかし大学には彼に返すことばがないのである」(菅野盾樹訳、みすず書房)と。
 こうした指摘は、先進国に多かれ少なかれ共通している今日的課題ではないでしょうか。それとも杞憂なのでしょうか。
7  挫折を乗り越える発条になるのが「教養」
 サドーヴニチィ 大学のコマーシャライゼーション(商業化)と深く関わっている問題です。
 この状況を楽観視する材料はあるかと問われれば、ダー(イエス)です。世界の大学はこれまでも幾度となく、同様の状況に置かれてきました。そしてその度に、大学は、真実を探究する学問の場を職業訓練場に変えてしまおうとする勢力を凌駕してきました。このような例はロシアの大学の歴史にもありました。特に、近年10年間のロシアでは、大学はまさにこのような試練の時期に置かれてきたといえるでしょう。
 その意味で、大学の専門課程、もしくは専門教育は、単に「プロフェッショナル」を養成するものではないといえます。仮に物理学部の卒業生が、物理に関係する研究所に就職したり、学校で物理の先生になった場合には、彼は、物理の「プロフェッショナル」、つまり専門家といえます。逆に物理学部を卒業しても、物理とはかけ離れた分野、たとえば経理部か何かで仕事をすることになれば、その人を物理の専門家とは呼びません。経理の教育をどこかで受けていなければ、経理の専門家とも呼べません。
 教育を受けなくとも、経験の積み重ねで専門家と呼ばれるようになる場合もありますし、多くの事務系の仕事は、特別な専門教育を必要としない場合が多いことも事実です。
 池田 万事、計算通りにいかないのが人生ですし、そこに人間の生き方の妙味もあります。挫折や試行錯誤があっても、それを乗り越えていく発条(バネ)になるのが「教養」であるともいえますね。それを培うのが、大学の一つの役割ともいえるでしょう。
 サドーヴニチィ 私が強調したいのは、大学で学んだ専門的学問が必ずしもその人の仕事に生かされないかもしれない。その意味で「プロ」として働くことはないかもしれない。たとえば数学を学んだ人間が国の行政で活躍する時、彼を「専門家」とは呼べないかもしれないが、「教養人」であることを否定する人はいないということなのです。
 大学は、人間がより人間らしく生きていく基本的力としての教養を授けることを使命としています。
 池田 まったく同感です。そこに大学の存在価値もあります。
 サドーヴニチィ そうでなければ、職業上専門を活かせない人は、大学に学ぶ意義を失ってしまうことになりかねません。
 人間にとって「教養」とは、いかなる環境に置かれても自分を見失わないための精神の灯台のようなものです。限定された場所だけでしか通用しない能力を「教養」とは呼びません。
 その意味で、大学は、人間に職業的専門家を目指す可能性を与えつつ、真の「教養」を培う、もっとも完成された機関だと思っています。
 池田 「教養」を「いかなる環境に置かれても自身を見失わないための精神の灯台」とは、言い得て妙です。それは、総体的な“人間力”とでもいうべきものです。
 職業に役立つ、専門的知識だけが目的なら、何も大学に足を運ぶ必要はない。パソコンやインターネットを駆使したり、別の方法でも修得が可能です。むしろ、その方が効果的かもしれない。
 大学で学ぶことの第一義的意義は、そこにではなく、社会で自分らしく生きていくための人間としての基本的な力を身につけることにあります。
 サドーヴニチィ おっしゃるとおりです。
 池田 私が対談集(『世界市民の対話』。本全集第14巻収録)を発刊した識者の一人に“アメリカの良心”といわれた、故ノーマン・カズンズ氏がいます。氏は、教育の本質について、こう述べています。
 「お粗末な教育の咎が最初に現れるのは、話や文字による自己表現の領域である。そのことは、大学の単位や学位をいくつ取ったかには、ほとんど関係ない。ある考えを人から人へ伝えるような言葉の使い方ができなければ、その人の教育は不完全なのである。適切な単語を寄せ集め、それを正しい順序に並べ、一々の単語の意味伝達の上で完全に役目を果たすようにすること――それが必須条件なのである。学校とは、この必須条件の安住の地を言うのである」(『人間の選択――自伝的覚え書き』松田鉄訳、角川書店)と。
 これは「教養」の異名でしょう。日本では昔から教育の基本を“読み、書き、そろばん”といってきましたが、これも自己表現の手段です。古人の知識を決して疎かにしてはならない。現代の荒れる学校社会の根因とされているのが“コミュニケーション不全”という病理だからです。
8  各国で異なる大学院の役割
 サドーヴニチィ 最後に、前章で少し話題になった、大学院について申し上げたいと思います。大学院の役割の位置づけについては、各国の特徴もあるかと思います。
 ロシアに関して言えば、現在の大学院は、「将来、大学の教師になるものを養成するために卒業後、大学に残しておく」という制度から発達したものです。このような大学院のあり方は、世界でもむしろ特殊なケースだと思われます。
 池田 他国にはみられないわけですね。
 サドーヴニチィ 私はこれまで、アメリカをはじめ数多くの国々の教育制度、高等教育の現状を視察する機会に恵まれてきましたが、先進諸国でも、発展途上国でも、ロシアの大学院制度と似かよった例には出会いませんでした。
 ロシアの大学院制度は、3年を基本として準博士号を取得させるものですが、それは、将来、研究者および大学の教師になるための準備をする期間とされています。
 したがって、大学院生は、院生になるとすぐに、積極的に教授の補佐をすることを求められます。補助教官のような立場で、学部生のリポート、卒業論文の指導をし、また1、2年生を対象にしたゼミや研究会を開催したりもします。さらに、権威ある教授の研究プロジェクトチームに加わって研究に携わることもいたします。
 池田 日本で、大学院と呼ばれる制度がはじめて登場するのは、1886年(明治19年)に公布された帝国大学令においてです。
 その2年後の1888年には、東京大学において、初の博士号が授与されています。
 ちなみに、アメリカで初めて博士号が授与されたのは、イエール大学で、1861年のことです。
 この帝国大学令において、大学院は、帝国大学の重要な制度として位置づけられ、教育は大学で、研究は大学院でという基本的な役割分担のシステムができあがりました。
 しかし、現実的には、戦前、とりわけ明治期においては、大学教員や研究者の主要な養成手段は、海外留学することでした。
 大学院の修業年数は、アメリカの場合、修士の学位取得までには、マスター・プログラムに入学して1~2年、博士号取得には、Ph.Dプログラムに入学して3年を必要とするのが一般的です。
 同様に、日本の大学院の場合も、修士課程(博士前期課程)は2年、博士課程(博士後期課程)は3年をかけて卒業します。
 サドーヴニチィ 大学院の充実はどの大学も課題と思います。
 池田 ロシアがそうであるように、アメリカでも、ティーチング・アシスタント(授業助手)やリサーチ・アシスタント(研究助手)として、大学院生を雇用する制度が確立されています。
 こうした制度は、日本でも定着しつつあり、創価大学においても、大学院生が、ティーチング・アシスタントとして教員をサポートするシステムが確立しつつあります。
 日本でも、修士課程の場合、学生の業績如何によっては、最短1年で終了することもでき、優秀な学生が早期に社会の各分野で活躍したり、博士後期課程に進学が可能なように、修業年限の面でも弾力化が図られるようになりました。
 最近では、単に大学の教員や研究者の養成だけを目的にするのではなく、大学院自体の活性化を推進していく意味で、その形態や教育方法も、多様になりつつあります。
 一例として、学部を持たない独立大学院や特定の学部に基礎を置かない独立研究科の設置を促進しようとする動きがあります。
 また、社会人の受け入れを積極的に推進していく上で、夜間の大学院や通信制の大学院を設置する大学も増加傾向にあります。
 モスクワ大学にはじめて通信教育の制度が設けられたのは、1927年のことであったとうかがっております。
 サドーヴニチィ ええ、そのとおりです。
 池田 創価大学も開学5年目の1976年(昭和51年)に通信教育部を開設しました。現在では、その規模、卒業率で日本一となっています。また、社会人が継続してより高度な教育を受ける機会を拡大し、また多方面で活躍し得る高度な能力と豊かな学識を有する人材を育成する観点から、通信制大学院の設置も検討しているところです。
 ともあれ、向学心の旺盛な学部生や社会人のために、よりいっそう、大学院の門戸を社会に開いていくことが重要であると考えます。
9  普遍的真理と人格形成を求める教養こそ根幹
 サドーヴニチィ モスクワ大学では、学部生が自分の専門分野を選択するのは3年生になるときです。さて、この3年次の始まりまでに学生たちは、自分の学部の学問分野をかなり広範に学び、自覚をもって具体的な専門、テーマを専攻するだけの充分な知識を得ていると言ってよいでしょう。
 ただし、今後について言えば、高度に発展をとげた現代の科学は、年をおってより多くの理論を学ぶことを要求してきておりますので、基礎的理論を習得するのにより長い時間を要するようになることも充分ありえます。その場合、学部2年次の終わりではなく、専攻を決めるのをもう少し後にずらす必要が生じてくるでしょう。将来、専攻を決めるのは4年次ということもありうると思っています。ちなみに、ロシアの大学教育は5年制になっています。一部、6年制の学部もあります。
 池田 それは、どういう理由からでしょうか。
 サドーヴニチィ とりもなおさず、学部をとおして普遍的真理と人格形成を求めるリベラル・アーツが大学教育の根幹を成していることと符合する流れだと考えます。
 我が国の大学院は、選択したテーマをさらに絞り込んで、狭い専門分野に特化させる過程ではありません。むしろ、学部で専攻したテーマ、分野の理解をより深め、学問する方法、研究の方法論を習得するべき3年間です。また、自身のテーマを中心に学問の裾野を広げ、学術的視野を大きくしていく貴重な時間でもあります。それなくして、将来の学問の大成は望むべくもありません。
 そのために、幅広い課題を要求する準博士号取得学科試験を幾つも受けさせる仕組みになっています。そして大学院を終えるにあたっては、学位論文を書き上げ、公開審査で、審査官からの鋭い質疑に応戦し、自分の主張、結論を論述しなくてはなりません。
 学問をする方法自体を学ぶ必要が実はある、ということを理解するプロセスです。学問をしたいと思うだけでは、不充分なのです。
 池田 今、総長は、普遍的真理と人格形成を求めるリベラル・アーツこそが大学教育の根幹であると述べられましたが、その点についても、私は全く同感です。重ねて申し上げれば、これからの大学に強く求められるのは、真の意味での教養人の輩出に心を砕いていくことです。そして、総長がご指摘のとおり、大学院において、院生は、研究の方法論をしっかりと習得し、確立すべきです。
10  教員の力量と情熱で大学は決まる
 池田 20世紀を代表する精神病理学者、哲学者でもあったヤスパースは、科学の根本性格として、(1)強制的な確実性(2)普遍的妥当性(3)方法的意識の3つをあげています。
 彼のいう強制的な確実性とは、科学的洞察が、あらゆる人にとって強制的なものとして経験されることをとおして、確証されることを意味しています。また、普遍的妥当性とは、科学的洞察の中にある一致性のことを指しています。
 そして、今ひとつ、彼は、科学における方法的意識の重要性をあげ、科学的知の本質は、一つの帰結へと導く方法というものを熟知しているところにあると述べています。
 科学的知の対極に位置するものは、方法をもたない思い込みであり、都合のよい信念に基づく問うことのない受け入れです。
 大学院の時代に、学問の方法論を身に染み込ませていくことは、学問の探究者としての根本条件であるといえます。
 この点、何か参考になることがありましたら。
 サドーヴニチィ モスクワ大学の大学院を語る際、もうひとつ注目してほしい点があります。それは、大学院生の数が多いにもかかわらず、その育成にはきわめて個人的な指導、教授の仕方を採用していることです。ちなみに、2001年度は3000人以上の大学院生がわが大学に学んでいますが、その一人ひとりの指導は極めて個人的に進められていきます。博士号をもつ教官が、まれには準博士号の場合もありますが、個々の院生の指導教官となって、学問の道をともに歩む労をとるのです。
 池田 やはり教員の力量と情熱ですね。教員で大学は決まります。
 サドーヴニチィ どの指導教官に師事するかを決めるのは大学院生自身です。学問の師匠を自ら選ぶ、ここがポイントだと思っています。実際には、学部生のときに学んだ学科で大学院に進む場合が大半ですから、大半の大学院生は、学部時代からの、いわば学問のいろはから手ほどきをしてくれた教授に引き続き師事していくようです。ただ、あくまで、本人が選択することになっております。
 池田 先ほど、モスクワ大学で多くの大学院生が学んでいるというお話がありましたが、日本の場合には、2000年度(平成12年度)で、大学院修士課程に在籍している大学院生は、約14万2000人、博士課程在籍者は、およそ6万2000人です。
 大学に在籍している学生のうち、およそ5%程度が修士課程に進学しているということになります。これらの大学院生の中で、女性が占める割合は、およそ4人に1人です。
 また、国公立の大学の修士課程に在籍している院生の割合は6割強ですが、博士課程になりますと、4人のうち3人が国公立の大学に在籍しているという計算になります。
 日本では、学部生は、私立大学生の占める割合が圧倒的に高いのですが、大学院の場合には、国公立の占める割合が高くなっています。
11  最高の研究者は同時に善き教師でもある
 池田 さて、総長がご指摘のように、大学院生が、その先生を指導教員に選ぶかということは、日本でも、学生にとって、大きな意味を持っていることは確かです。
 大学院は、研究者である教員と、学生との共同体の中で真理を探究するという課題を担っています。
 最高の研究者は、同時に善き教師でもあります。優れた研究者は、ときに、教授法の面で、不器用なところがあったとしても、学問の精神との接触を可能にしてくれるに違いありません。
 善き指導教員や優れた研究者は、彼ら自身の存在が、生きた学問にほかなりません。学生は、こうした指導教員との交わりをとおして、学問というものが、いかにして根源的に存在するのかということを学びとっていきます。
 「学問の師匠こそが、衝撃を弟子の中に呼び覚まし、弟子を学問の源泉へと導く」とは、前述のヤスパースの言葉です。彼はまた、「自ら研究する人だけが、本質的に教えることができる」とも述べています。
 研究に情熱を燃やす学生たちは、善き学問の師匠と出会い、教育されることを誰よりも強く欲しているのです。
 サドーヴニチィ 現在、ロシアでは、「大学院制度はすでに時代遅れとなった、修士課程で充分だ」という声が聞かれます。私は、この考えには賛成しかねます。大学院は、次世代の研究者、そして大学の教員を養成する機関でありつづけるべきです。少なくとも、我がモスクワ大学は、国内の他大学の範であるとの自覚のままに、従来どおり、大学院で磨かれた若き俊才たちを毎年教師に迎えつつ、力ある教授陣を確保していく方針を今後も堅持していくつもりです。

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