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日蓮大聖人・池田大作

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所感「教育のための社会」という指標 池田大作

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

前後
11  そうした不安感、空白感を取り除いていくためには、いたずらに新奇を追い求めるのではなく、まず自らの歴史や伝統文化のなかに、アイデンティティーの足場を探し、そこから新たな展望を見出していくことです。「借古説今」(古を借りて今を説く)、「温故知新」(古きをたずねて新しきを知る)といった、中国民族の知恵や歴史意識は、決して軽視されてはなりません。
 ゆえに私は、一例をあげれば、”活字離れ”が著しい若い人たちに対して、つとめて古典や古今の名作に取り組んでいくよう、訴えてやまないのです。その名に値する古典や名作との格闘(それは、テレビ観賞など受け身に終始する受動的な気楽さとは対蹠的な、能動的かつ意志的な精神の営みであります)は、単に知識が増えるなどといった次元ではなく、それによって自分が生まれ変わる、まったく新たな自分へと脱皮する、劇的な結果を伴うものです。人間の内面を陶冶しゆく、まさしく文化が有する最良の教育的効果といえましょう。
 その効果の及ぶところ、リハチョフ氏のいう「凱旋門」が必ずや待ち受けているにちがいありません。たしかに、いかなる古典や名作もその民族独自の伝統文化から生まれたものですが、同時に、ゲーテが「愛国的な芸術も、愛国的な学問も存在しない。芸術も学問も、高尚ですぐれたもののすべてと同じく、全世界に所属する」(『箴言と省察』岩崎英二郎・関楠生訳、『ゲーテ全集』13所収、潮出版社)と述べているように、どこかで人間というグローバルで普遍的な視座に回路を通じているのが、古典の古典たる、名作の名作たるゆえんだからであります。
 その意味からいって、文化とは、全人的教育を推進し、「教育のための社会」を構築しゆく、まぎれもない主役であると思うのです。

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