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日蓮大聖人・池田大作

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所感「教育のための社会」という指標 池田大作

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

前後
1  教育こそ人間根元の営み
 創価学会の牧口常三郎初代会長は、先見的にして卓越した教育者でした。牧口会長は、「子どもの幸福」を教育の目的として掲げ、学習の主体としての子どもの価値創造の能力をどう涵養していくかを機軸にした教育方法を唱導し、自ら率先垂範しました。これは、今日の目には常識のように映るかもしれませんが、当時の日本では、大変に斬新かつ勇気ある主張でした。
 明治以後の近代日本は、欧米先進国に追いつくため「殖産興業」や「富国強兵」のスローガンの下で、国力強化の道をひた走ってきました。そのため、教育もそれらの目的やスローガンを達成するための手段の地位に貶められがちだったからです。とくに、牧口会長がさかんに教師活動に従事していた頃は、軍国主義の暗雲がたれこめ、「お国」のために役に立つ「皇国少年」「軍国少年」をどう育成していくかに、あらゆる教育機関が総動員されつつある時代でした。
 そうした状況下で、とくに伝統的に”横並び”意識の強い日本で、教育の目的は「子どもの幸福」であると言い切ることが、どんなに勇気のいることであったか、想像に難くありません。牧口会長の教育観は、近代日本の教育観、児童観、人間観とは、まったくベクトルを異にし、鋭く対時せざるをえない構造的な特質を、原理的にはらんでいました。
 後年、牧口会長は、その教育観を深めゆくなかで法華経、日蓮仏法の門をたたき、その結果、神道と結託した軍部権力から目の敵にされるところとなり、二年間の投獄生活の末、獄中で殉教の生涯を閉じました。弾圧の直接のきっかけは宗教活動でしたが、牧口教育学説が教育こそ人間根元の営みであることを大前提とする限り、教育を何ものかの手段、枝葉末節とする国家主義、権力主義とは本質的に相容れず、弾圧は、そうした原理的な対峙、背反の、半ば必然的な帰結でもありました。
 教育を手段視することは、人間を手段視することであり、根元の営みが毀たれるということは、人間の尊厳が踏みにじられることに他ならないからです。
2  それゆえに、教育と権力の問題は、人間主義を標榜する後継の我々にとっても、つねに念頭から離れることのない課題であり続けているのです。私が、四半世紀以上も前から、立法、司法、行政の三権から教育権を独立させる「四権分立」構想を世に問うてきたのも、初代会長の遺志を継いでのものといってよいのです。
 サドーヴニチィ総長は、東京でお会いした際、永遠の課題であるトライアングルとして、この「国家と教育」、そして「国家と社会」「社会と教育」をあげておられました。それぞれが重要なテーマであり、相互に連関し合っていると思いますが、私なりに整理・要約して、ここでは「社会のための教育」なのか「教育のための社会」なのか、もっとはっきりいえば、教育は「手段」なのか「目的」なのかという観点から、アプローチしてみたいと思うのです。
 じつは、こうした発想は、私が何度かお会いし、意見を交わしたアメリカのコロンビア大学の宗教学部長サーマン博士とも大いに意気投合し、博士の言葉から示唆されたところでもあるのです。
 博士は、私どもアメリカの機関紙のインタビュアーから「社会における教育の役割」について問われたのに対し、その設問自体が誤りであり、むしろ「教育における社会の役割」を問うべきである、と指摘しています。「なぜなら、教育が、人間生命の目的であると私は見ているからです」と。
 これは卓見であります。学校教育に限らず、家庭や社会でのそれを含めた広い意味での人間教育は、人間の人格形成にとって必要欠くべからざるもので、教育なくして人間は人間たりえないといっても過言ではありません。サーマン博士の教育観は、釈尊の教えに依るところが多いと語っておりますが、私はそこに、自由な主体である人格は、他の手段とされてはならず、それ自身が目的であるとした、カントの人格哲学にも似た香気が感じられてなりません。
3  よくいわれるように、西洋において教育という言葉が使われたのは、紀元前五世紀あたりのギリシャが最初になるでしょうか。東洋においてもほぼ同じ時期の、二千三百年ほど前に活躍した中国の思想家・孟子が「天下の英才を得て之を教育するは三の楽しみなり」と表現したのが始まりのようです。
 もちろん教えたり、育てたりという行為はそれぞれになされていたわけです。それが、”子どもを善くしよう”という思いに立った「教え、かつ育てる」営みとして「教育」の言葉でいい表されるようになった歴史的経緯は先に紹介したとおりですが、教育ということに関連して、時代をずっと下った二十世紀において、オランダの教育学者ランゲフェルトが「人間は教育し、教育され、教育を必要とする生物である。そして、このこと自体が、人間像のもっとも基本的な特徴の一つである」(寺下明『教育原理』ミネルヴァ書房。ランゲフェルト『教育の人間学的考察』和田修二訳、未来社、参照)といった言葉が思い起こされます。サーマン博士がいうように教育が人間生命の目的であり、ランゲフェルトがいうように人間が本質的に教育を必要とする存在であるとするならば、教育という営みは、人間が誕生して以来、つねに人間とともにあったというべきでしょう。
 その意味では、教育こそが人間の最も根元的な営みであり、人間は教育を離れてはありえない存在なのです。したがって、教育は社会の一部分でもなければ、社会から派生したものでもないと位置づけざるをえません。さらにいえば、人間は何のために生まれたのか、何のために生きるのか、それは、広い意味での人間教育によって生命の可能性を極限まで開き顕していくためということでしょう。人間とは、単に「生きる」のではなく、生きる意味を問い続け「善く生きる」という本源的な欲望を持った存在であり、それゆえに絶えず新たな自分というものに向かって向上しようとする生物であるといっていいかもしれません。
4  このような人間観に立つ時、少なくとも次の二つの着眼点が欠かせないと思います。
 一つは「師弟」という人間関係です。もとより学校における教師と児童・生徒といった関係よりももっと広義の、そしてもっと深い意味合いが込められています。
 仏典には「如我等無異(我が如く等しくして異なること無からしめん)」(法華経130㌻)と説かれています。一切衆生を自分と同じ境涯にまで高めていきたいという仏の誓願――すなわち、師と弟子との、生命と生命との、時には火の出るような打ち合いと切薩琢磨を通して人間形成、人格的完成を目指していくことを意味しています。私は、ここにこそ、師弟の心が脈動しているのであり、現代社会がともすれば忘れがちな、人間教育の根本精神があると信じております。
 もう一つは、教聞に限らず、誰もが教育の担い手たりうるという点です。
 「教師はまず自分が勉強しなければいけない」と繰り返し強調されていた牧口初代会長は、好んで「まことに日に新たに、日日に新たに、又日に新たなれ」(『大学・中庸』金谷治訳注、岩波文庫)を口にし、自ら、毎日を新しい出発ととらえて自己教育を重ねました。今SGIが進める「人間革命」運動も絶えざる生命革新運動にほかなりませんが、私は人間として成長している人であれば、立場や境遇がどうあれ、他の人々にいい意味の教育的触発を与えていくと思っております。
5  世界的に知られる貴国の民衆詩人プーシキン――ゴーゴリやトルストイらと並んで、若き日に私も徹底して読んだものですが――の詩才を育てたのも、農奴であった一老婦人の人間性の輝きでした。プーシキンは、この老婦人を「おかあさん」と呼んで、心からの信頼を寄せた。そして、この「おかあさん」から聞いた民衆の言葉による民衆の物語が、世界中の人々の心を揺さぶってやまないプーシキンの作品の源泉となっています。
 そのことに思いを致すならば、誰もが触発し合い、互いの人間的な成長を支え合えるような、言い換えれば、万人がそれぞれの人間性を最大限に輝かせていける教育が十全になされるような社会こそが、ロシアや日本はもとより、どこの国においても創出されていくべきではないでしょうか。
6  多様性――生命輝く創造社会
 二十世紀は、教育の世界に限らず、画一性、一様性の色調を、濃密に帯びていました。「画一」で「一様」な枠に入らぬものを力ずくで排除しようとする非寛容の時代、多様性が逼塞させられざるをえない時代でした。
 そのことは、二十世紀が「イズム」というものがおびただしく出没した時代であるという点に象徴されています。ファシズムやナチズム、コミュニズムやスターリニズム、リベラリズムやマッカーシズムと、枚挙にいとまがなく、それらが符牒として飛び交う様子は、まさに跳梁跋扈さながらでありました。そこから生ずる弊害は、本来、多種多様であるはずの人間あるいは人間群を「イズム」で等し並みにくくり、画一かつ一様な価値観に染め上げようとする点にあります。留意すべきは、それらの「イズム」が、例外なく、異なる意見を受け入れようとしない排除の論理、非寛容な性格を有していたということです。本来、そうであってはならないはずのリベラリズムでさえ、そうした性格から免れてはいません。
 W・リップマンは、大衆社会や情報化社会が陥りがちなそうした画一性、一様性志向を、「ステレオタイプ」(固定観念)に呪縛される人間の弱点として犀利な分析を加えました。いわく「自分たちの意見は、自分たちのステレオタイプを通して見た一部の経験にすぎない、と認める習慣が身につかなければ、われわれは対立者に対して真に寛容にはなれない」(『世論』掛川トミ子訳、岩波文庫)と。
 やや、話が広がりすぎました。教育という面でいえば、第二次世界大戦後の日本の教育界で支配的であった価値観は、大まかにいえば、一流大学を出て、一流企業や一流官庁に就職することを第一義とし、それに準じて、その最高価値を有するブランドを獲得するための手段として幼児教育や初等・中等教育も位置づけられてきました。学校も家庭も社会も、あげてその一点にエネルギーを集中し、成果を求めてきました。そこから、単なる成績の良否のみで子どもの全人格が判断されるかのような「偏差値信仰」などという風潮を生み出してしまったわけです。
7  バブル経済が崩壊し、日本社会の構造的腐敗が次々に明るみに出てくるにつれ、そうした権威は失墜し、さすがに最近は、そうした風潮も弱まってきていることも事実です。しかし、画一主義や一様性志向に代わり得る選択肢、価値観は、いまだ提起されておらず、教育界は、暗中模索を繰り返している現状です。
 それゆえに、私は、創造性、多様性ということが、時代の要請となってきていることを強調したい。多様な個性が、それぞれに持ち味を発揮し、ハーモニーを奏でつつ、創造的生命が、ダイナミックに脈動しゆく世界とそ教育の目指すものと信じるからです。
 諸経典中の王といわれる「法華経」では、そうした世界が、大地と草木の譬えを借りてイメージ化されております。すなわち、山川草木、大小あらゆる種類の多様な植物が、同じ雨によって潤わされた同一の大地に、うっそうと生い繁り、それぞれが個性豊かに爛漫と咲き誇る、生命のアルカディア(理想郷)である――と。
 世の中のすべての出来事には意味があり、人間誰しも、その人ならではのかけがえのない使命、個性を持つ。それを顕現しゆくことは、その人の権利であると同時に義務である――これが仏教の知見です。
 仏教に限りません。ゲーテは「バイブル」の言葉に依りながら「茨から葡萄を、そして、薊から無花果を狩ろうと望んではいけない。それさえしなければ、あとはすべてしごく立派である」(エッカーマン『ゲーテとの対話』神保光太郎訳、角川文庫)として、人為的な画一化によって、生命を鋳型にはめこんでしまうことへの警鐘を鳴らしました。
 フランスの哲学者ベルクソンは、講演の中で、「ありとあらゆる人間がどんなときにでも追求しうる創造にこそ、人間の生命の存在理由がある」として、誰もが有している可能性の開花に挑戦しなければ、生ける屍に等しいことを訴えています(「意識と生命」池辺義教訳、澤瀉久敬責任編集『世界の名著53 ベルクゾン』所収、中央公論社)。
 また、イギリスの哲学者ホワイトヘッドは、第一次世界大戦後の灰燼の中で学窓を巣立っていこうとする少年たちに「あらゆる成長の不可欠の源泉が諸君自らの内部にあるという事実」をつかめ(『教育の目標』杉本正二訳編、万流社)と、温かい励ましのメッセージを送っております。
 人間の生命は、それ自体において、個性と尊厳性の輝きを放っていなければならず(教育のための社会)、強引に何らかの鋳型にはめこむ(社会のための教育)ようなことがあってはならない。それには、人間生命の創造とりわけ多様性に、十分留意していかねばならないと考えます。
8  人間性を陶冶しゆく文化
 人間教育――つまり人格形成や人間性の陶冶という点にスポットを当てる時、文化の果たす役割という課題を、決して無視することはできません。我々は、ともすれば文化というと、文学や音楽、絵画や建築などの華やかな世界を想起しがちです。しかし、文化という言葉の合意はもっと広く、人と接する際のマナーや言葉遣いといった風俗・習慣次元をも包み込む人間の生き方そのもの、伝統的に受け継がれてきた生活様式の総体を指しているといってよい。
 そうしたことを前提にアプローチを試みてみると、モンテーニュが『エセー』の中でしきりに強調しているように、人間性を陶冶しながら、人間社会を秩序づけていく上での文化の存在意義はじつに大きく、不可欠であります。
 それに関連して、現代ロシアの良心といわれた故D・S・リハチョフ氏の、すばらしい青少年へのメッセージを紹介しておきたいと思います。若干長くなりますが……。
 「文化環境が人間の教育に大きな役割を果たすという事実には、疑問の余地がない。
 例は、身近なところにもある。戦後、レニングラードにもどってきたのは戦前の住民の二〇パーセントにも達しなかった。にもかかわらず、あらたにレニングラードにやってきた人びとは、レニングラードっ子が正当にも誇っている、見るからに『レニングラード的な』ふるまいぶりをすみやかに身につけた。ひとは、文化環境のなかでわれ知らずしてはぐくまれるものなのである。その歴史や過去によって、そだてられるわけだ。過去は、世界へと窓を開いてくれる。窓だけではなく、扉、さらには門、凱旋門さえも。偉大なロシア文学の詩人や小説家が暮らしていたところに暮らし、偉大な批評家や哲学者が生活していたところで生活し、ロシア文学の名作に反映されている感動を日々味わい、記念館などを訪れる――こうして、精神的にしだいに豊かになっていく」(『ロシアからの手紙――ペレストロイカを支える英知』桑野隆訳、平凡社)
9  私も訪れましたが、モスクワやレニングラード(現サンクトペテルプルク)では、市内のあちこちに、そうした文人や芸術家の像が建っていたり、彼らにゆかりのある家が大切に保存されていたり、あるいは地名となっていたりして、共産主義イデオロギーとは関係なく、ロシアの人々の文化愛好、芸術志向のほどがしのばれます。
 リハチョフ氏の言葉は、人々が文化環境への関心が薄いことへの警鐘として発せられたものですが、日本でも事情は同じです
 明治以降の日本の歩みは、政治、経済、軍事面で急速に進む近代化と、日本の伝統文化との適応異常の歴史であったといっても過言ではありません。とくに、第二次世界大戦後は、柔道や剣道のような日本古来の武道にまで目くじらを立てるアメリカの占領政策と、民衆に塗炭の苦しみを強い、日本を滅亡へとかりたてた軍国主義とその精神風土への嫌悪が相まって、”日本的なるもの””伝統的なるもの”は、押しなべて悪者扱いされ、後進性の熔印を押され続けていました。そして、専ら経済成長を第一義として、アメリカを手本とする物質的豊かさへの道を、ひた走ってきたのです。そうした流れにあって、伝統文化が破壊され、逼塞させられてしまうことは、当然の帰結でしょう。
 ヨーロッパの都市を旅していると、大きな建物の内装をリフォームすることは許されても、歴史を重ねて年ふりた外装に手を加えることを厳しく禁じている例に、よく出合います。古い町並みを保存し、伝統を断絶させまいとする意志の表れでしょうが、日本の為政者たちは、こうした文化感覚という点で、あまりに無神経、無配慮であったといわざるをえません。
 このことは、国家予算に占める文化関係予算の比率が、日本の場合、ヨーロッパ先進諸国に比べて圧倒的に低いということからも、うかがい知れましょう。さすがにここ十数年来、経済大国化の先が見え出し、先の先には得体の知れない闇しかないという事態に直面し、人々の関心は、心の中の「アイデンティティ・クライシス」(主体性の危機自分であることの心もとなさ)へと向き始めました。主婦層を主な受講者とする各地の「カルチャー・センター」の類では、往時の欧米志向に代わって、日本の歴史や文化、日本古来の文物などへの関心が、急速に高まってきているようです。
10  ちなみに日本では、国内、国外を問わず”旅行ブームが続いております。国外はさておき、留意すべきは、少人数でも気楽に出かけられる国内の小旅行で、一番人気が集まるのが「自然」(リハチヨフ氏のいう「自然環境」です)や「伝統文化」(同じく「文化環境」です)の興趣が心ゆくまで味わえるところであるという点です。とりわけ京都や奈良、鎌倉、日光など「自然」と「伝統文化」がミックスされたところが、お目当てのスポットで、シーズンになると、文字どおり”門前市をなす”盛況を呈しております。
 いうまでもなく「自然」といい「文化環境」といい、経済成長一辺倒の近代化路線の下では、無視あるいは軽視され、二義的三義的な価値、ランクしか与えられてこなかった分野です。”猛烈社員”として夜に昼を継いで働き続ける夫、家事・育児の一切を背にがんばる妻、その両親の下でひたすら”いい子”の鋳型を要求される子どもたち――そうした”理想的”な家庭像、人間像が大揺らぎに揺らぎ、精神土壌の地殻変動に見舞われている今日、心の空白を埋めようと模索する人々のアイデンティティー(主体性)探しの旅が、おもむくところ「自然」と「伝統文化」に向かっているという事実は、きわめて示唆的です。
 「自然=空間」と「伝統文化・歴史=時間」から切り離された人間とは、もはや生きがいや世界観とは無縁の孤独な「断片」(D・H・ローレンス)にすぎず、そうした状態に、人間は耐えられるはずはないからです。
 それにしても「過去は、世界へと窓を開いてくれる。窓だけではなく、扉、さらには門、凱旋門さえも」というリハチョフ氏の言葉は、過去を大切にすることによってしか、未来への展望は開けないことをずばり言い当てており、さすがといわざるをえません。伝統文化に親愛することによって、人間性は陶冶され、生命空間はそれだけ豊かになり、日々新たなる自己充足と自己拡大の勝ちどきをあげることが可能となるからです。
 伝統文化とは、決して現在と切り離された過去のものではありません。それと意識しなくても、身体の一部のように自分自身に血肉化しているものであり、それを断絶してしまうと、自分が自分でなくなるような不安感、空白感に襲われざるをえない。広く先進諸国における文明論的課題となっている、ポスト・モダン(近代以降)の「アイデンティティー・クライシス」が、まさに、それであります。
11  そうした不安感、空白感を取り除いていくためには、いたずらに新奇を追い求めるのではなく、まず自らの歴史や伝統文化のなかに、アイデンティティーの足場を探し、そこから新たな展望を見出していくことです。「借古説今」(古を借りて今を説く)、「温故知新」(古きをたずねて新しきを知る)といった、中国民族の知恵や歴史意識は、決して軽視されてはなりません。
 ゆえに私は、一例をあげれば、”活字離れ”が著しい若い人たちに対して、つとめて古典や古今の名作に取り組んでいくよう、訴えてやまないのです。その名に値する古典や名作との格闘(それは、テレビ観賞など受け身に終始する受動的な気楽さとは対蹠的な、能動的かつ意志的な精神の営みであります)は、単に知識が増えるなどといった次元ではなく、それによって自分が生まれ変わる、まったく新たな自分へと脱皮する、劇的な結果を伴うものです。人間の内面を陶冶しゆく、まさしく文化が有する最良の教育的効果といえましょう。
 その効果の及ぶところ、リハチョフ氏のいう「凱旋門」が必ずや待ち受けているにちがいありません。たしかに、いかなる古典や名作もその民族独自の伝統文化から生まれたものですが、同時に、ゲーテが「愛国的な芸術も、愛国的な学問も存在しない。芸術も学問も、高尚ですぐれたもののすべてと同じく、全世界に所属する」(『箴言と省察』岩崎英二郎・関楠生訳、『ゲーテ全集』13所収、潮出版社)と述べているように、どこかで人間というグローバルで普遍的な視座に回路を通じているのが、古典の古典たる、名作の名作たるゆえんだからであります。
 その意味からいって、文化とは、全人的教育を推進し、「教育のための社会」を構築しゆく、まぎれもない主役であると思うのです。

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