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日蓮大聖人・池田大作

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3 グローバリゼーションの時代  

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

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1  「今」へのアインシュタインの関心
 サドーヴニチィ 唐突のようですが、「伝統と近代化」の問題を、数学の言葉に置きかえる事が可能だとすれば、わたしは、「両者の関係は、数学的証明に使われる必要条件と十分条件の関係と同じである」とでも表現するところでしょう。
 伝統の存在は、あらゆる事を始める際の必要条件といえるでしょう(スタート地点と呼んでもかまいませんが)。ただし、物事が何らかの新しい進展を見せるためには、伝統だけでは十分ではありません。
 ここで十分条件を満たしうるのは、近代化です。
 池田 「近代化」という言葉を使うかどうかは別にして、人間が生きるということは、何らかの形での進歩発展を意味しています。どんなに停滞しているように見えても、進化がすべて止まるなどということはありえない。その意味ではすべてが変化変化の連続です。
 サドーヴニチィ ここで「近代化」のテーゼをさらに展開してしまう以前に、私は、「現代」とは何かを可能な限り明確にしておきたいと思います。
 再び、学問上の解釈を見てみましょう。アインシュタインが「今」という問題に大いなる関心を寄せていたことは、私たち現代の学者にも語り継がれています。
 彼は、「人間にとって『今』の感触は、過去や未来を感じるのとは本質的に異なったものだ」ということを説明しています。この「今」なるものは、何らかの物理的理論からは生まれ得ないし、さらにいえば、自然科学そのものの範疇を超えているものです。なぜか? それは、人間が、一人一人個別の過去、現在、未来を生きているからです。ゆえに、かの偉大なる物理学者は、「今」という概念を合理的科学の領域の外に持ち出したのです。
 池田 アインシュタインが「今」に関心を寄せていたというのは、大変興味深い話ですね。
 というのも、仏法でも「今」を強調し、そこに意味論的構造を見出しているからです。仏典には「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」と説かれています。
 これは、過去、現在、未来が機械論的に因果の連鎖をなしていくという意味ではまったくなく、「今」「現在」がすべてであるという、いわば実存的決断をいっているのです。
 あえて簡潔にいえば、過去の因は、すべて「今」「現在」の中に受け継がれており、それを受けて現在の意識、行動のいかんによって、未来の果は決定づけられる。ゆえに、過去も未来も「今」「現在」の中に包み込まれ、意味論的構造を形成しているという視座です。
2  「現在」とは何か
 サドーヴニチィ 人文科学の分野では、とくに社会学(政治学も針め)、歴史学には、「時間」の意味、本質を説明する方法がいくつも存在しています。
 A・ジノヴィェフは、自身の理論社会学のなかで、「『現在』とは何か」という問いに対する答えが各人の主観的観点に左右されるということを指摘しています。実社会で行動する人間にとっては、「現在とは、長さを持たない瞬間」ではない。「過去と未来の間の境界線にすぎない」というものでもない。彼にとって、現在とは、長さのある時間、インターバル(期間)であり、彼は自分の行動を、この期間内で、計画し、完結しようとしているのです。
 したがってこのインターバルの中に居る間、彼の時間は静止していて、過去に流れ去っていくことはない。そして、この「現在」は、遠い過去の何らかの出来事をも含んでいることがあります。たとえば、伝統的な何かをです。その場合、歴史はあたかも速度を落として、ゆっくり進んでいるかに見えます。
 池田 その「現在」とは、生活実感によってとらえられる”リアリティー”(現実性)ということなのでしょう。生きることの感触そのものと言い換えてもよい。前に論じた、中国的発想や仏教的発想に共通する「循環」的な考え方、歴史観はどちらかといえば、これに近いのではないでしょうか。
 サドーヴニチィ そのとおりです。
 ですから、ある人にとっての「現在」は、将来起こるであろう何らかの事象を包含しているということが、少なくとも仮定として成り立ちます。このような人にとって、歴史は加速しているといえます。
 池田 到達すべき目標が決まっていれば、到達するのが早ければ早いほどよい。スピードアップするわけですね。その典型が、神の再臨による「千年王国」(ミレニアム)を目標とするキリスト教的な時間のとらえ方を背景に、十九世紀に発展した進歩主義的な歴史観であり、その一変形ともいうべきマルクス主義的な歴史観である、と。
 サドーヴニチィ ええ。A・ジノヴィェフは、「自己の存在を時間的存在とはまったくとらえていない人々もおり、彼等の人生はただ無限に延びた現在でしかない」とも述べています。
 「無限に延びた現在でしかない人生」ということは、換言すれば「過去を振り返り、未来への意志を働かせることがない人生」とも表現できるでしょう。それでは、時計の時間は流れているようでも、人間が意志をもって作る「歴史的時間」は停止しているといわざるをえません。
 そしてじつは、人類の大半は、この歴史創造への意志を欠いている場合がむしろ多く、未来への志向性を持つ社会は、かえって稀なのです。
 池田 中国の場合などは、”堯舜”といった過去の理想的な時代があって、時代を経るにつれ社会は堕落してくるという、進歩主義とは逆の下降史観があり、それが、「循環」的な時間観、歴史観に裏打ちされながら、(共産主義という理想、到達点を設定する)マルキシズムには本来なじまない、永久革命的な志向を生んでいる、との指摘もなされています。といっても、そこで「歴史的時間が停止している」というのは必ずしも正確ではなく、「東洋的停滞」(へーゲル)、「非歴史的民族」(マルクス)等と臆断された社会も、キリスト教的発想とは別種の「歴史的時間」が流れていたことは、否定できません。
 サドーヴニチィ ジノヴィェフは、未来への志向性を持つ社会は、かえって稀としています。そのような例は、第二次世界大戦以前のソビエト連邦と二十世紀後半の西側世界に求めることができるでしょう。
 「グローバリゼーション」という概念は、まさに西側諸国が歴史を加速しようとしている試みを端的にあらわしているといえます。ただし、この試みは、じつは、つじつまが合っていないのです。というのも、キリスト教を依処とする西側世界にとっては、厳密にいえば、より良い社会という未来を目指すこと自体がナンセンスのはずなのです。なぜなら、死後の永遠の世界を受け入れることによって、未来という問題は、すでに解決されてしまっているからです。
 池田 たしかに「時間」と「永遠」、「カエサルのもの」(世俗的な権威)と「神のもの」とを対立させることによって、キリスト教社会において、よい政治というものが原理的にありえなくなってしまったと嘆いたのは、『社会契約論』におけるルソーでした。
 しかし、それは一面の真実であって、一回性の生という生死観がもたらす死への恐怖が逆に生への強い執着を生むように、終末意識が一つの発条となって、「時間」の次元に目的意識や歴史意識を生んでいったという、逆説的真実も忘れてはならないでしょう。
 サドーヴニチィ たしかにそこには、逆説的なプロセスがあったことは、歴史的事実です。
 池田 それとは別に、私は、「今」にスポットを当てたアインシュタインに対してと同じ意味で、N・ベルジャーエフの時間観に興味をもっています。ベルジャーエフは、物理的・宇宙的時間や歴史的時間を「堕ちた時間」であるとして、それらの水平的な流れに垂直に交差する「実存的時間」を強調しています。
 「これは深処の時間である。いかなる数学的計算にも順応することがない。それは永遠の現在、超時間的時間である。実存的時間の一瞬間は他の二つの時間(堕ちた時間)の長年月が有する以上の意義、充実、持続を有する。それは体験された歓喜と苦悩の強さによって測定される。人間がこの実存的時間の中にひたりうるのは、創造の悦惚の瞬間と、死の瞬間においてである」(『ベルジャーエフ著作集』1、水上英廣訳、白水社)と。
 プリゴジンは、科学と矛盾を犯すと難ずるかもしれませんが、私は、科学的知見が、はたしてこのような宗教的体験の深処にまで及ぶことができるのかどうか、疑問を禁じ得ません。
 また、よしんば合理的な説明がなされたとしても、「おれはちっとも賢くはなっていない」(『ゲーテ全集』2、大山定一訳、人文書院)との書斎のファウストの嘆きを再び繰り返す羽目に陥るのではないか、との危惧が念頭から去らないのです。
3  大胆な問題提起「統計的年表」
 サドーヴニチィ ところで、世界史の年表について新しい取り組みをしている、ロシアの科学アカデミー会員A・フォメンコの学説および学派をめぐっては、ここ十年来、ロシア国内、国外ともに白熱した論争が繰り広げられています。
 A・フォメンコは、古代の出来事の年代は、学者や世論が信じているほど確かなものではない、と主張します。彼の学派は、数学的統計法を使って新編年表を作成しました。そして、十六世紀の著名な歴史学者・スカリゲルの編年法に基礎を置く従来の年表は、歴史をかなり「老いて」見せていると指摘しています。彼等の新年表に依れば、古代の日付を少なくとも三百年は「若返らせる」べきであると。
 このA・フォメンコの「統計的年表」と従来の年表とは、西暦十三世紀から二十世紀についてほぼ一致していますが、それ以前の時代に遡るとかなりのずれが出ています。
 池田 論争の経緯については、審らかにしませんが、ずいぶん大胆な問題提起のようですね。
 サドーヴニチィ そのとおりです。この論争の詳細は別として、着目したいのは次の点です。
 フォメンコ説を否定する学者たちの主な論拠は、正確な日付を確定することの、およそ困難な「伝統」に訴えるところが大なのです。ところが、異なる文化を背景としたそれぞれの伝統を対比、照合させることは原則的に不可能と思われますし、ましてや、多様な文化、伝統を、一つの文化、一つの伝統の下に統合、整理し、年表を編むことは初めから無理です。
 池田 そんな強引なことができるはずがないし、もしやろうとすれば、害をもたらすだけです。
 サドーヴニチィ 私が、なぜそのようなことを申し上げるかといえば、人々は二年あまり前、二つの世紀の狭間にいて、世紀と千年紀が同時に交替する瞬間を、神秘化し、固唾をのんで見守りました。しかし、どうしてその瞬間が今だとわかるのでしょうか。千年前、二千年前、そしてそれ以上前の出来事はすべて、神話と伝説のなかに沈んでいます。物的に確認できるものは何もないのです。
 したがって、暦上の切り替えの瞬間は、ファントムでもなければ、奇怪な現象、幻影や幽霊の出番ではありません。単純に、暦上の時計で三桁目の数字の針を「1」から「2」に動かすだけのことです。その瞬間に特別な何かがあるわけではなく、神秘的なことは何もありません。暦に神秘性を添えているのは、それぞれの社会の伝統です。
 池田 現在はゼロからの出発ではなく、特定の歴史や伝統を否応なく背負わされている――ベルジャーエフのいう「歴史的時間」のもたらす作用が、そこに働いています。
 サドーヴニチィ その「歴史的時間」と次元を異にするのが、物理的時間です。これは、人間社会の在り方とはある意味で無関係に存在する無機質な時間です。科学の世界は、この物理的、機械的時間をベースに成り立っていることになります。
 しかし、機械的時間は、無機質であるがゆえに節目というものが無く、したがって無感動です。ですから、多くの人々は、出来事や変化に富んだ暦をより親しく思うものです。そこに、伝統が育まれ、息づいていくゆえんもあると思われます。
 池田 そうした現実の生活感覚を決して軽んじてはならないと思います。深層心理学の知見は、我々の生命は、集団的無意識の深層次元では、時間的にも空間的にも、驚くほどの広がりをもっていることを掘り当てています。人々の生活感覚には、むやみに伝統を切り捨てるということは、自らの生命に傷をつけることに他ならないという、健全な生命感覚が働いているからです。
4  将来の文化と伝統のあり方
 サドーヴニチィ よく理解できます。
 そこで、将来の文化と伝統のあり方についてお考えを聞かせてください。
 いつか遠い未来に、文化と伝統が現在のような多様性をすっかり失って、万国に共通の画一的な文化、伝統といったものが地球上に起こるということは可能性としてあると思われますか。この問いは決して思いつきや好奇心からのものではありません。「グローバリゼーション」というコンセプトは、まさに文化、伝統の画一化を目指し、その可能性を信じるがゆえに生まれたのですから。
 池田 文化や伝統のあり方について、私の考えをコプト風に申し上げれば”多様性の調和”とくくることができます。
 人間が、他人という”鏡”を通して己を知ることができるように、文化や伝統も、異なる文化や伝統に接し、その”鏡”に映し出されることによってのみ自己客観化、自己相対化が可能となります。かつては、自分たちの文化や伝統に閉じこもって仲間内だけの営みを続けていくことも可能でしたが、グローバリゼーションの時代にあっては、不可能です。
 サドーヴニチィ かつてのラッダイツ運動(打ち壊し運動)の失敗が示しているように、そうした流れそのものを逆行させることはだれにもできません。
 池田 ええ、たしかに、トインビー博士も検証しているように、異文化同士の接触が平和裡にスムーズになされるとは限らず、むしろ逆の場合が多いことも事実でしょう。
 しかし、過去は過去として、これからは、他を”鏡”とした自己客観化、自己相対化作業は、寸時も怠つてはならない鉄則です。人間と同様に文化や伝統もそれによって独りよがりの幼児性、未熟と訣別し、成熟していくことができるからです。
 オルテガ・イ・ガセットが「文明とは、何よりもまず、共存への意志である。人間は自分以外の人に対して意を用いない度合いに従って、それだけ未開であり、野蛮であるのだ」(『大衆の反逆』神吉敬三訳、筑摩書房)と述べているように、現在進行中のグローバリゼーションが、おぼろげながらも地球文明的な輪郭を描けるような方向に進もうとする、ならば、この鉄則を踏まえる以外にありません。そこにのみ”多様性の調和”の世界が開けてくることを、私は信じております。
5  メガポリスにおける伝統の適応
 サドーヴニチィ 現在私たちが受け継いでいる伝統の多くは、人間社会がいまだ村落共同体だった時期に出来あがったものです。一方、二十一世紀には、人口の大部分がメガポリスに住むようになると予測されています。農村的性格を持つ伝統は、はたしてメガポリスに適応するでしょうか。
 池田 たしかに、むずかしい問題をはらんでいます。現在でも、携帯電話や電子メル一つ取り上げてみても、その急速な普及は、社会のあり方を変え、人間関係のあり方にも、大きく光と影を投げかけています。さらに、ネット犯罪の急増など”機械力”に”人間力”が圧倒されてしまっている症例は、日本にもあとを絶ちません。
 サドーヴニチィ おっしゃるとおり伝統とは、人間関係のあり方といっても過言ではありません。そして、都市の人間関係は農村のそれとは趣を異にしています。さらに、中小の都市とメガポリスはまた違っています。
 都市の増大化、肥大化傾向は、現代の特徴の一つであり、おそらく今後も続いていくでしょう。国連の試算によれば、今世紀の終わりには、地球上では、都市人口が約六〇パーセントに達します。また人口五百万都市が約三十を数え、その内で最大のメキシコシティでは人口二千四百万から二千六百万になると、予測されています。
 東京はすでにメガポリスですが、日本の伝統で昔のままで東京に残っているものがありますか。あるとすれば、どんな伝統ですか。それとも昔のままではなく、伝統を模倣したイミテーションになってしまっているのでしょうか。
 池田 近代的な高層ビルが林立し、ネオンが輝き、目抜き通りには自動車があふれ、地上にも地下にもきらびやかな商店街が櫛比しっぴする東京でも、伝統はいたる所に残っています。もちろん、そっくり昔のままではありませんが――。
 衣食住一つ取り上げてみても、洋服の利便性が生活のほとんどを覆っている現在も、和服は根強い人気を保っています。とくに女性は、正月や成人式、結婚式、パーティーなど折節に和服を身にまといます。住宅にしても、和洋折衷様式が増えているとはいえ、洋風のみの日本人住宅は、あまりありません。畳の感触、障子やふすまは、日本人の生活様式と切っても切り離せないのです。また、いくら食文化の洋食化が進んでも、すし、さしみ、てんぷらは、いわば日本のシンボルです。日常生活に、おいても、豆腐、納豆、のり、みそ汁、しよう油などは、日本人の食卓に欠かせません。
 どの国においても、こうした文化や伝統の継続性はあると思います。
 伝統を完全に断ち切られるということは、その生命の一部を断ち切られるようなものです。それは、無意識のうちにも生命の痛み、一種の空白感、欠落感を残します。
 サドーヴニチィ わかりました。巨大都市が陸上に存在している場合には、農村の伝統を都市に持ち込むことも、不可能ではないでしょう。
 それでは、海上を浮遊するタイプのメガポリスではどうでしょうか。未来学者の多くが、人口爆発の時代に地球人を救う唯一の方法は、人々を海洋に移住させることだと考えています。3000年末までには、人々は、火星ならずとも、海洋を居住空間にすることになり、全人口の90パーセントが海上都市に暮らすことになるだろうという仮説も存在しています。もっと飛躍した未来学者たちは、海底こそが未来の人間にとって最も快適な居住空間になるだろうと考えています。
 池田 どうでしょうか。私はそうした未来図を描く前に、人間社会の憎しみをいかに克服していくかという課題を真剣に考えていかない限り、進歩もないし、「快適な居住空間」も絵空事にすぎないように思われますが。
 サドーヴニチィ ええ、もっとも、これらは遠い将来のことです。(笑い)
6  寒々とした都市の近未来図
 サドーヴニチィ さて、現代人の居住空間はどうでしようか。
 ここで、ドイツの研究者フエリックス・パトゥリの著書『二十一世紀の建築家たち』から引用させてください。少し長いですが――。
 「世界の大半の都市は悪性腫瘍の発達を想起させる。ガン細胞は突如として急激に無秩序に全方向に増幅し始める。この『腫蕩』の周辺部は、あたかもきのこが群生するように、さらに広がりつつ成長を続けるが、その中心部は『腐食』し、衰退し始める。お日様も新鮮なそよ風も知らない廃れた古びた街には、スラム街が生まれ、そこの住人たちは、やりどころのない孤独の中に暮らしていて、街が衰退するのを加速させている。こうして都市の只中に、顔の無い、臭気を漂わせた、奇怪に病んだ街が登場する。この街の常連は、窒息させんばかりのスモッグである。
 『腫瘍』の一番外側の周辺に限っては、まだ生活の温かさが残されている。ここでは、まだ、立派な一軒家にプール付きの住宅地が見られ、緑に染め上げられていく草原と巨木にも出会える。しかし、『腫瘍』は拡大しつづけている。牧歌的平穏な暮らしに変わって、ここにもけたたましく高速道路と空港がやってきて、毒性排煙を巻き上げる工場が立ち並んでいく。そして、油膜でぎらぎらしている波が、からつぼのプラスチックボトルと錆びたブリキの缶を岸辺に打ち寄せるのに似て、現代都市の繁殖型『腫瘍』は、その中心からさらにさらに遠方に、住宅地区という灰色の大きな『貯蔵用建物』を『吐き出す』のだ。昨日まで郊外の住人だった人々も、他の都会人たちの例外にもれず、車の合間を縫って通りを歩く日々を送らなければならなくなる。彼等は、いったいいつになったら、また再び郊外の住人に戻って自然の懐に抱かれて暮らすことが出来るのだろうか。成長する都市は容赦無く自然の地形を噛み砕いていく。そうやってニューヨークと、ロンドン、パリ、そして東京が出来あがったのだ。もうじき、今はまだ世界の巨大都市に名を連ねていないその他多数の都市も、同様に成長していくだろうもっとも、灰色の顔無し巨人というかなり疑わしい役割を引き受けたいという街は、おそらくどこにもないだろう」
 池田 寒々とした光景の近未来図ですね。そんな状態に追い込まれたら、たしかに、人々は海上へと逃げ出したくなるでしょう。(笑い)
 海上都市構想については、わが国でも論じられたことがあります。フローティング工法を駆使したものです。
 それによると、海上都市を作る場合の最大の問題は波ですから、波の影響を受ける範囲を海面上、海面下それぞれ十三メートルに設定し、そのゾーンのさらに下の海中にフローティングの基礎を作る。そして海面上の波の及ばないところに人工土地を作り、細い柱で海中の基礎と結び合わせる。これによって、陸上よりも安定した人工の空間が作れる、というのです。この海上都市の特徴は、第一に地震や津波などの災害に対して強いこと、第二に、拡張や移動、再編が自由にできることなどにあるとされていました。
 こうした構想が語られていたのは、1970年代の初めで、三十年近くも前のことです。
7  巨大都市における教育のあり方
 サドーヴニチィ 『成長の限界――ローマ・クラプ「人類の危機」リポート』が出されたのが一九七二年ですから、経済成長の行方は手放しで楽観できるものではないという警鐘が鳴らされ始めたころですね。
 池田 そのとおりです。私は、建設の世界についてはまったくの門外漢ですが、その後、こうした構想の進展あるいは実現化の話をほとんど耳にしないところから推察すると、おそらく、文字どおり海のものとも山のものともつかない段階にあるのでは、ないでしようか。
 ただ、当初から、海上都市のようなきわめて人工的な環境計画を進めていく場合、海という自然環境にどう対応していくか、どう共生していくかというアプローチが弱すぎるのではないか、という議論がありました。その後の環境問題の深刻化を考え合わせると、この自然との共生という点はいっそう、困難になっている気がします。
 サドーヴニチィ いずれにせよ、「伝統と近代化」の観点からすると、「巨大都市における教育はいかにあるべきか」という課題は、決して遠い将来のことではなく、すでに今日実感を伴った問題となっています。
 そのあるべき姿を断定することはできませんが、ただし、一種の「都市の本能」なるものを発達させることは必然と思われます。つまり、ただ生活するのではなく、自然のない、そして箱型集合住宅に住む隣人同士が古いの顔を知らずに「大都市で生活する」ための本能です。
 したがって、そこでの教育方法も、何か特殊な、これまで類例のない方法になるべきでしょう。いうなれば「限定空間」に育つ子どもたちのための教育論です。
 なぜなら、大都市の人間は、この都市空間から一生涯、外に出ることなく生きていくのですから。それも、出たくないとか、出ないように強制されているからではなく、出て行く必要がないからなのです。すべては「手近な」ところにあり、あらゆる必要が、自分の建物の、自分の階で満たせるからなのです……。
 このような生活のどれもこれもが、いかにも奇妙な感じがします。しかし、「第一グローバル革命」を喧伝し、指導する人々が描いている青写真は、まさしくこのようなものです。
 池田 そのように、徹底して自然を排除していく方向性は、はたして不可避なのでしょうか。私は、そうは思いません。
 その種のグローバリゼーションには、重大な”アキレス腱”があります。それは、すべてを人間の意のままにしてしまうという欲望の拡大がもたらす危険性に、あきれるほど無警戒な点です。それは自然を破壊するばかりか、人間の存在をも脅かすでしょう。
 仏教では、「依正不二」といって、人間と自然は密接不可分であるという法理があります。自然を排除するのではなく、自然との共存、共生のなかにしか、地球文明を構築しゆく道はないのです。
8  教育における復元力に期待
 サドーヴニチィ よく理解できます。
 おもしろいことに、私は、いまだ、技術や技術革新を母体として生まれた伝統というものを見たことがありません。おそらく、そういう伝統はないのでしよう。なぜなら、技術は、思い出のなかに何も残さずにどんどん革新していってこそ、先端技術なのでしょうから。反対に、伝統は、まさしく思い出そのものです。
 二十世紀は綿々として人工構造( artifacts )を作ることに没頭してきた時代ともいえます。この人工構造に「伝統」というカテゴリーを用いることは可能でしょうか。それとも、(一人の人間の一生とい単位の)短時間で変化していく世界では、このカテゴリーは無用の長物になっていくのでしょうか。
 池田 一昨年(2000年)の夏、エールフランスの超高速旅客機コンコルドの墜落と、ロシアの攻撃型原子力潜水艦クルスクの沈没事故がありました。ともに、百人を超える犠牲者を出した痛ましい、しかも人為的な事故でした。
 あのとき、日本のある経済閣僚が、「超高速旅客機コンコルドやミサイル搭載型原子力潜水艦は、二十世紀後半の冷戦時代に、人類の英知を結集して開発した先端技術であった。それが今、二十世紀とともに過去の遺物と化そうとしている」といっていたことを思い出しました。
 もちろん、ハードな技術も当然必要ですが、それだけで文化や伝統は生まれません。これからは、ソフトな側面――伝統の継承、自然との共生、弱者への配慮等に、もっともっと目を向けていかなければならないと思います。
 サドーヴニチィ それが、時代の必然的要請であることは、私も痛感します。都会っ子のロシア人が、週末を郊外のダーチヤ(別荘)で過ごすのを理想としているのも、豊かな自然環境をぬきにしては考えられません。
 池田 自然に帰れといっても、もはや自然は多分に人工的自然であること、進歩を捨てて自然そのものに帰ることはできないであろうことなどを踏まえたうえで、私は、アメリカ先住民の一指導者が、前世紀の末に、時のアメリカ大統領にあてた手紙の一節に耳を傾けるべきだと訴えておきたい。
 ちなみにこの手紙は、二十世紀を代表するバイオリニストであり、私も東京で親しく語り合ったことのあるY・メニューイン氏が、好んで引用していたものの一部です。
 「白人の都市には、静かな場所がありません。秋の葉音や見虫の羽音をきく場所がないのです。たぶんわたしが野蛮人でわからないために、騒々しい話し声が耳を辱しめるのでしょう。そしてもしも人間がヨタカの美しい鳴き声や、夜になると池の周囲でおこなわれるカエルの議論を聞くことができなければ、生活はどうなるでしょうか? インディアンは、池の水面をさっと吹いてゆく風のかすかな音や、真昼の雨に清められたり松のかおりを発散したりする、風そのもののにおいのほうを好むのです。空気はインディアンにとって貴重なものですが、それはすべてのもの――動物と樹々と人間自身――が同じように呼吸しているからです。白人は、自分が呼吸している空気に気づいていないようです。死んで何日もたつた人間のように、彼は自分の悪臭に無感覚なのです」(R・ダニエルズ編『出会いへの旅 メニューインは語る』和田旦訳、みすず書房)
 サドーヴニチィ 大事な感性ですね。
 伝統、精神的価値観、民族的固有の文化を守っていこうという観点からすると、グローバリゼーションのこれまでの進展の仕方を見る限り、その行く末を楽観するわけにはいかないようです。
 著名なアメリカの未来学者アルビン・トフラーは、「現代の西側文明は、全体を部分に分け、極微の成分に分解するという芸術の最高峰に達した。我々は、この芸当で非凡な才能を発揮し、あまり上手に分解して、元の全体に戻すことをしばしば忘れてしまっている」と書いています。
 これは、伝統についてもいえることです。国もしかり、民衆、民族もしかり、すべてが部分化、孤立化していくと、いわゆる伝統そのものが消滅してしまうという恐れは十分にありえるからです。
 伝統の危機、伝統的なるものの危機とは、それらが時代の価値観やモラルにそぐわなくなったことより、むしろ、現代社会が全体性、統合性を嫌って個と部分を好むことにあるのではないでしょうか。
 池田 おっしゃることに大賛成です。二十世紀の量子力学界の泰斗といわれたW・ハイゼンベルクに「私の生涯の偉大な出会いと対話」という、プラトンの”対話編”を思わせるような自叙伝があります(邦訳は山崎和夫訳、みすず書房刊)
 彼は、そのタイトルを『部分と全体』と銘打っています。内容は当然のこと、タイトルから推察されるように、「個」と「部分」に偏りがちな現代の社会、思想界や教育界にどう「全体性」と「統合性」を回復させるかが、この偉大な科学者にして哲学者の生涯のテーマでした。
 サドーヴニチィ 池田博士、私には、内に秘めた予感があります。
 今後さらに、国家、人心の欧米化と部分化が進んでいくにつれて、伝統は、(素粒子のように)これ以上分けられないところに行きつくでしょう。そうすると、伝統は形を変化させて、精神活動の不可分の要素を成す思考と意味の世界で再生産され続けていくであろう、と思うのです。
 池田 私は、一九八四年、「教育の目指すべき道――私の所感」(本全集第1巻収録)と題する提言をしました。そのなかで、教育理念の三本柱として①全体性、②創造性、③国際性をあげました。そうした志向性こそが、新たな文明的、人類史的課題に他ならないからです。
 人間が人間である限り、そうした復元力は働くであろうし、また、そうさせていかなければならない。その意味では、私も、楽観主義者です。
 もっと掘り下げてお話ししたいのですが、時間がきましたので、ここでいっぺん終了させていただきます。この対談をさらに継続させ、私どもの共通のテーマである”大学の未来像”等を論じていきたいと思います。
 サドーヴニチィ ええ、大賛成です。ぜひとも続けましょう。未来のために、青年のために。ますます池田博士との対談に大きな意義を私は感じています。
 私たちの対談が、ロシア、日本の多くの人々に読まれる日が来ることを願っております。その日まで、さらに継続して取り組んでいきましょう。

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