Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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1 「地球文明」――多民族の共生と平和…  

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

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2  世界を席巻した西欧主導の近代化
 池田 さて、ここからは、二十一世紀の課題として三番目に設定したテーマに話題を転じたいと思います。それは、地球上のすべての国々が、それぞれの立場で、その波にさらされ、対応を迫られている、「伝統と近代化の架橋」という避けて通れぬ課題です。
 なぜ不可避かといえば、現在、近代化に懸命に取り組んでいる途上国にとっては、まさに当面している課題でしょうし、また、民主主義や市場経済、科学技術などの面で一応の近代化を成し遂げた先進諸国にとっても、伝統と訣別することなく、近代化の成果をどう継承・発展させていくかは、そのままポスト・モダン(近代以降)の文明の様式や方向性に直結していくからです。
 サドーヴニチィ それに関連して、私はインドで「グローバル時代の新秩序」と題された大きな会議に参加いたしました。最初の報告者がZ・ブレジンスキーで、その後が私ということになっていました。
 プレジンスキーは、世界の新秩序構築におけるグローバル化の圧倒的勝利を予測しました。私のほうは、むしろ伝統の重要性、すなわち各民族の精神性、文化、教育が果たす役目の重要性を強調いたしました。そして、会議は、このグローバリゼションと伝統継承という二つのテーゼをめぐって種々論議することとなりました。
 池田 ここ数百年の近代化の流れを主導してきたのは、いうまでもなく欧米とくに西欧です。
 トインビー博士の『世界と西欧』と題する著書があります。この標題について博士は、こういっております。
 「――今日までに四、五百年間続けられてきた世界と西欧の交渉では、それによって何かの価値がある体験をしたのは西欧ではなくて、世界の方だということなのである。西欧が世界のために衝撃を受けたのではなくて、世界の方が西欧のために、それもひどい衝撃を受けたのだった。それでこの本の題では、世界をさきに置いたのだった」(吉田健一訳、社会思想社)
 サドーヴニチィ その本は、私も興味深く読みました。
 池田 博士は、ロシア、イスラム圏、インド、極東地域などが、西欧主導の近代文明とどう接触し、対応していったかを論じています。
 そこでは、近代化の波は、それぞれの地域によってさまざまな紆余曲折はあっても、総じて有無をいわせぬ潮流となって世界を席巻した、あるいはしつつあるというマクロ的な時代認識が示されています。
 つまり、近代文明は、あらがいようのない均質的かつ普遍的な世界化の性向を、いわば”力学”として内蔵させているため、だれもその”力学”の影響下から逃れることはできない。それゆえ、それをどう受けとめ、どう対応していくかというかたちに、他の文明の選択肢はし、ぼられてこざるをえない――これが「世界と西欧」という構図の合意です。
 歴史的経緯に照らして、正しい指摘であると思いますが、いかがですか。
 サドーヴニチィ 二つの側面が考えられます。
 一つは、歴史的側面といって差し支えないと思います。たしかに、地球上の文明の発達は、長い間ヨーロッパを一定の中心として進んできたという事実は否めません。
 科学、文化、その他多くのものが、さらにいえば近代における人類文明そのものの発達が、ヨーロッパを中心に展開されてきました。それ以外の世界は、いうなれば、その文明の成り行きを見物し、追随してきた。その意味で、「ヨーロッパ以外の世界」という一つのカテゴリーにまとめられてしまう、ということでしょう。
3  文明の中心がシフトする可能性
 池田 おっしゃるとおりです。トインビー博士が指摘する「均質的かつ普遍的な世界化の性向」を典型的に体現しているのが、近代化の強力な駆動力であった科学技術であることは論をまちません。地域性や民族性、伝統の相異などにはおかまいなく、科学技術特有の”力学”は、利便と効率を追い求めて、ひたすらに直進し続けてきました。それが、人間の「快(安)楽志向」と相まって、物質的繁栄と同時にエゴイズムの際限のない肥大化をもたらしていったのです。
 P・ヴァレリーの精妙な言葉を借りれば、「『ヨーロッパ精神』の君臨するいたるところに、欲望の最大限、仕事の最大限、資本の最大限、生産能率の最大限、野心の最大限、権力の最大限、外的自然変改の最大限、交渉と交易の最大限が現れているのが見られる」(「ヨーロッパ人」渡辺一夫・佐々木明訳、『ヴァレリー全集』11所収、筑摩書房)のです。
 サドーヴニチィ いわんとすることは、よくわかります。
 しかし、その「『ヨーロッパ精神』の君臨」が、これからも続きうるかといえば、疑問でしょう。
 池田 ええ。たしかに最近では、科学技術の独走もしくは暴走にブレーキをかけ、よき方向へと制御していこうという動きが顕著になってきました。
 地球環境の悪化は、大量生産・大量消費・大量廃棄をサイクルとする二十世紀型の工業文明を踏襲していては、人類の生存さえ危ぶまれることを警告しています。とりわけバイオエシックス(生命倫理)をめぐる諸々の問題などは、人間の側に何らかの秩序感覚や規範意識が確立されていなければ、人間社会そのものが成り立っていかなくなるという差し迫った危機を暴き出しています。
 サドーヴニチィ そこで、もう一つの側面にスボットを当てる必要が出てくるのではないでしょうか。すなわち、人類文明は発達し続けるものである、という点です。今後、文明の中心が、地球の別の地域にシフトしないとだれがいえるでしょうか。
 先ほども申し上げたように、私は、インドでさまざまな友人と意見交換をしましたインドは十億を超える人口を擁し、そのうち三億人はインテリ層といわれています。
 中国はどうでしょうか。今度私は、中国に出かける予定ですが、中国は、独自の文明の一大拠点です。では、日本はどうか。日本はその独自性を広く世界に知らしめています。
 また、少し角度は違いますが、グローバリゼーションの過程にあって、ヨーロッパとアメリカの間に巨大な対立を見て取るのは、私一人ではありません。
 ですから、より精密な望遠鏡を通して世界を見てみれば、その構造は一概に論じられるほど単純ではないといえます。
 池田 近代史だけを取り上げれば、たしかにトインビー博士のいうとおりかもしれませんが、より長い歴史のスパンでいうと、より複雑だということです。
 サドーヴニチィ そうです。世界の多様性を証明するのに好都合の数学の問題があるので、ご紹介しましょう。
 地球儀のような球体と四色の色鉛筆を用意し、球体の上に、自由に地図を描くととにします。さて、どのように複雑な地図を描いたとしても、赤、青緑、白の四色を使えば、それぞれの国を塗り分けることができるでしょうか。ただし、隣り合う二つの国は同色になってはいけません。
 この数学の課題は意外に難題で、一世紀以上の間、解けないままになっていました。つい最近、コンピュータを使って、ようやく解くことができたのですが、この一事をもってしでも、世界の色分けがそう単純な問題ではないことがわかります。
 池田 なるほど。興味深い事例です
 サドーヴニチィ むろん現実の世界の色分けには、四色よりもっと多くの色が必要のはずです。たとえば、同系色の国が隣り合っている、つまり、共通の伝統をもちつつ、隣接する別々の国であるというケースなど、いくらでもありますから。
4  歴史や伝統が培った人類普遍の英知
 池田 そこで、必然的にクローズアップされてくるのが、伝統と近代化をどう架橋させるかという課題ですなぜなら、秩序感覚や規範意識というものは、超歴史的で抽象的なものではなく、その国家、民族、あるいは文明の、歴史や伝統のなかから生まれてくる以外にないからです。
 この課題は、近代化の他の側面である民主主義や市場経済の分野では、いっそう焦眉の急を告げています。それらにあっては、「均質的かつ普遍的な世界化への性向」の”力学”は、科学技術に比べて、人文科学領域と自然科学領域の性格からして当然のこととはいえ、格段に弱いからです。
 たしかに旧ソ連や東欧の社会主義体制が崩壊し、中国も独自の社会主義市場経済へと踏み込むなど、資本主義や市場経済の”独り勝ち”がいわれています。そして、グローバリズムの時代の、ある種の”グローバル・スタンダード(世界標準)”にも似た地位、普遍的な正当性を獲得しつつあるかの感さえあります。
 しかし、世界の国々が等し並みに規制を緩和、撤廃し、自由競争原理に基づく市場経済に身を委ねれば、それがそのまま新しい世界秩序の形成につながるなどという楽観論にくみする人は、だれ一人いないでしょう。
 サドーヴニチィ 賛成です。私がインドの会議でプレジンスキーの立論に対して、民族独自の伝統や精神性を強調したのも、そのためです。その点をないがしろにすると、とんでもないリアクションに見舞われかねません。
 池田 市場経済や民主主義を金科玉条とすること自体、IMFなどの迷彩服に身を包んだ、欧米とくにアメリカの覇権主義の、ソフィスティケイト(巧妙)な現れであるという見方さえ、他の地域では根強い。
 ゴルバチョフ元ソ連大統領も、私との対談の末尾で「一極集中の世界、一国による世界の主導権というものは、たとえそれがいかに崇高な動機から出たものであったとしても民主化がもたらす恩恵に対する取締反応を呼び起こします」(『二十一世紀の精神の教訓』。本全集第105巻収録)と警告を発しておりました。
 サドーヴニチィ 私は、市場経済に象徴されるような損得の勘定とはまったく無関係な生き方をした人を存じ上げています。ロシアの偉大な数学者メンショフです。
 彼は、学問の他は何も要らない、それ以外のものが必要だなどとは思いもつかないような人でした。共同アパートの一室に住み、長持を寝台代わりにして寝ていました。その長持の中には書物がぎっしり詰まっていました。自分の収入は、いつもお決まりの人参料理を彼のために作ってくれるアパートの隣人に、そっくりそのまま渡してしまう。
 といっても、彼は、頭がおかしかったのでは決してありません。大学では、学課長の職責にあり、学生に講義をし、ユーモアを解する、まことに正常な人物でした。ただ、彼にとっては、学問がすべてだったのです。それゆえに、彼の精神には、何か得をしようというような考え自体が存在していなかったかのようです。ワイシャツ一枚、背広一着しかなくて、背広は、ボタン代わりに安全ピンで前を留めていました。彼は、そんことは気にも留めず、学問に自らを捧げ、そしてそれによって深く満たされた日々を生きていたのです。
 池田 学問に徹していた姿が、よくわかります。メンショフ博士の人柄が彷彿とします。
 サドーヴニチィ 極端な例といってしまえばそれまでかもしれませんが、私が申し上げたかったのは、人間は、他者の損の上に自分の得を追求しても、本当の幸福を享受することはできない。おそらく、人は、損得を超えた、何らかの目的、理想のようなものをもって生きることが必要なのではないでしょうか。
 池田 私も常々「他人の不幸の上に自らの幸福を築くことはするまい」と、青年たちに語ってきました。
 人間は、真実の充実と満足の人生を生きるためには、小さな自分自身のエゴを超えていくことが、不可欠でしょう。
 サドーヴニチィ これまで人類が培ってきた伝統的な英知は、そうした方向性をきちんと見据えていたと思います。そうした普遍的な知恵までも近代化の波にさらされてしまってはならないでしょう。
5  「共に生きる」心が内発的な近代化のカギ
 池田 だからこそ、伝統と近代化のできるだけ軋轢のない融合、架橋作業が、急務となってくるのではないでしょうか。
 私は、その架橋作業に際しでも、先に触れた「内発性」と「共生」という二つの点の重要性を、改めて確認しておきたいと思うのです。
 第一に「内発性」についていえば、本来、異なる文明の接触に伴う社会の変動というものは、平和的な触発つまり対話による合意と納得というソフト・パワーを機軸に、無理なく、内発的かつ漸進的になされるべきです。
 しかし、植民地主義などの荒々しい波の及ぶところ、西欧以外の地域では、多かれ少なかれ、外発的な近代化に対して急進的な対応を余儀なくされました。そのため、自らの伝統との間に、何らかのかたちで軋轢や断絶が生じ、近代化への適応異常が起こることは、なかば宿命づけられていたといってよいでありましょう。
 近代化の”優等生”といわれた日本でも、事情は同じです。明治時代の文豪・夏目激石は、日本の近代化を「外発的開化」と称し、欧米に追いつこうと必死になっていた当時の日本を、”牛”の大きさに肩を並べようと腹を膨らませている”蛙”になぞらえました。その結果、軍国主義日本の「腹」が無残に破裂してしまったことは、ご存じのとおりです。
 サドーヴニチィ ロシアでも、ピョートル大帝による西欧化政策などは、ずいぶん強引なものでした。メレシコアスキーは、ピョートルを”ロシアの鍛冶屋”と名づけました。
 池田 ピョートルの改革については、賛否両論があるでしょうが、それはさておき、近代化の延長に位置づけられる現代のグローバリゼーション――民主主義や市場経済の要請に対しても、性急な対応は禁物であり、それぞれの伝統や民族性を十分に考慮しつつ、無理なく内発的に進めていくべきでしょう。
 サドーヴニチィ 内発という視点の重要性については、私が重ねて賛意を表してきたところです。
 池田 その内発のためにも、私は、「共生」感覚が必要とされると思うのです。
 大殺戮時代の”負の遺産”がいわれることの多い二十世紀ですが、その特筆されるべき”正の遺産”として「文化相対主義」の流れを挙げることができるでしょう。欧米流の近代化を物差しにして「文明」と「野蛮」を立て分けるのではなく、どんなに野蛮に見える文化にも独自の個性と価値があり、文化同士に価値の優劣をつけることは間違いである、という知見であります。
 まさに「共生」に通底している文化感覚であり、とらえ方であるといえます。
 たしかに、民主主義や市民意識、市場経済下での自由競争などは、グローバリゼーションの時代の指標として、ある種の普遍性をもっているかもしれない。しかい、その根底には「共生」感覚――他を容れる寛容さ、他と同苦する感受性(シモーヌ・ヴェイユのいう「胸を痛める心」〔前掲『デラシヌマン』〕)がなければなりません。
 サドーヴニチィ よく理解できます。ですから、池田博士と創価大学でお会いした際、ただの「知識人間」ではなく、「心のある人間」を育でなければならない、と申し上げたのです
 池田 よく覚えております。
 かつて、アジアの経済危機の際、IMFとの合意書にサインするアジアの首脳を、IMFの専務理事が腕組みをして見下ろしている写真が、多くの人々のひんしゅくを買いました。”優れた兄”が”劣った弟”を教導するかのような臭気がふんぷんとしていたからです。
 何らかの誤解があったにせよ、内に巣くう「優劣」感覚は「共生」感覚とは対極に位置しているもので、グローバリゼーション、伝統と近代化の架橋作業の、大きな阻害要因となってしまうことを、私は憂うるのです。
6  急進的な変革は社会に歪みをもたらす
 サドーヴニチィ 池田博士が鋭い観点で取り上げられた伝統と近代化の問題は、まさに今日的な焦眉の課題です。去ったばかりの二十世紀の末の出来事がそれを有力に裏づけています。我々は、モスクワ大学にあって教育に携わる立場上、とりわけ真っ向からこの問題に直面しているともいえます。
 なぜなら、わが国の歴史を全面的に見直すべきだとする考え方、勢力が、政界をはじめ社会全般に広がっており、その圧力の最中で現実に学生を教育し続けなければならないからです。歴史の見直しを是とする人々は、ソビエト時代にとどまらず、古代ルーシも含めた全面改定を志向しています。そして、問題が極度にクローズアップされるときの常で、時評、酷評、うたい文句が飛び交うなか、まじめな学術的意見は、隅のほうに追いやられてしまっています。
 その結果、センセーショナルな歴史観がもてはやされ、虚構と空想が、まるで真実の歴史的事実であるかのように発表され、それらを基に、歴史の改訂、いな改竄がなされています。
 ここで私が「全面的見直し」という言葉を使ったのは、ロシア民族の生活の奥深くに横たわっている伝統の心臓部を全面的に否定しでかかろうとするやり方を指しています。
 池田 日本のことわざに「急がば回れ」あるいは「急いては事を仕損ずる」等とありますが、そこには、長い時間をかけて培われてきた経験則が蓄えられています。およそ人間にかかわる出来事は、理に走り、性急に事を運ぼうとすると、必ず失敗するか、どこかに歪みを生じてしまうものです。「善いことというものは、カタツムリの速度で動く」(坂本徳松『ガンジー』旺文社)といったマハトマ・ガンジーの炯眼は、そのことを鋭く見抜いていました。
 その意味からも、私は、急進主義というものに、根底的在不信感をもっています。左右を問わず、急進主義には、理に走る――つまり理性の過信、知性の思い上がりといった傾向性が”母斑”のように刻印されているものです。
 サドーヴニチィ 社会主義の時代、ぺレストロイカ以降を問わず、ロシアでも、多分にそうした傾向が見られました。
 池田 急進主義者の主張は、”社会発展の法則や方向性は、すべて人間の理性で計測可能である。したがって、理想社会の青写真を描き出し、目標が設定されたら、理性の説くところを肯じようとしない分からず屋、石頭、などは多少切り捨てても、しゃにむに突き進む。目標がはっきりしているなら、到達するに早ければ早いほどよいからだ”というものです。
 こうした傾向性は、あらゆる急進主義につきまとう慣性のようです。そして、歴史の「全面的な見直し」というのもそうでしょう。
 もちろん、過去の歴史からさまざまな教訓を汲みとることは必要です。社会の健全な発展というものは、そうした過去を背負いつつ、目標よりもむしろ過程を大切にしながら、漸進的になされる以外にないからです。
7  多様な解釈が可能な「伝統」と「近代化」
 サドーヴニチィ 大切な視点ですね。ここで、問題の本質に踏み込む前に、「伝統」と「近代化」の概念を確認する作業に立ち返ってみたいと思うのですが。
 辞書には、「伝統」とは、古くから知られていること、一つの世代から次の世代に伝えられたこと、前の世代から受け継いだもの(思想、視点、趣向、行動形式など)と説明されています。また、ロシア語の「伝統」の語源であるラテン語の traditio は「伝達」、「叙述」の意味をもっています。実際、伝統は、日常生活の行動秩序として伝えられる形式や、口承または文字によって伝えられる物語、伝説、などの形をとります。
 そして大事な点は、いずれかの伝統がいつから始まったか、時間的な起点は確認されていないことです。また、伝統は、遠い昔からのもので、基本的には善い事柄で、それゆえ保存され、今の人たちも踏襲すべきとされる点です。
 池田 仮に、互いに眉をひそめたくなるような伝統、習慣があったとしても、それは異文化からの観点で、当事者にとっては、さほどの違和感はないのかもしれない――そうした複眼の視線を忘れてはならないでしょう。その意味でも文化相対主義の立場が重要です。
 サドーヴニチィ 「近代化」(フランス語では*moderniser*という言葉は、「現代的にする」「現代の要請に合わせ、必要な改善を加えて変える」、たとえば「古い機械を新しい技術の機械と交換する」などの意味があります。また「モダニズム」という言葉は、今から約百年ほど前から、芸術、後に建築の分野で使用されるようになりました。つまり、当初はどちらかというと美的スタイルを表現する概念でした。このモダニズムを母にして生まれたのが、ヨーロッパ芸術の新しい潮流(前衛派、象徴派、その他)です。
 後に二十世紀の後半に入ってからは、「近代化」は、宗教界の世界観の近代化という意味でも使われています。この場合、これまで宗教が教義上譲れないとしてきた世界観に関して、近代科学によって実証された事実、見識との整合性をもたせるため、宗教界からの一定の譲歩をしたことを意味します。その最も象徴的な例は、カトリック教会にみられるでしよう。ローマ法王は、教会の天動説を守るために行われたガリレオ裁判について、近年になってようやく、教会の非を認め、公式にガリレオの名誉回復を宣言するにいたりました。
 また、二十世紀半ば以降、「近代化」は、多くの場合、「科学技術」とほぼ同義語として使われてきたともいえます。
 現今では、「近代化」は、さらに広い意味をもつにいたり、西側の伝統と西側の価値観を基礎とする世界のグローバルな変革全体を指すようになっています。それゆえに、最近では、「近代化」という代わりに、「グローバリゼーション」と表現される場合が多くなっています。
 池田 封建的なるものと訣別し、そこからどう脱皮するかを共通課題としつつも、その内容はじつに多岐にわたっている、ということですね。
 サドーヴニチィ そうです。このように、「伝統」と「近代化」は多様な解釈が可能であり、政治、宗教、芸術、経済、道徳、家庭等々、それぞれの次元で異なる意味をもっています。
 同様のことが、教育の分野でもいえます。伝統と近代化がはらむ問題の震源を探ると、まさに教育にたどり着くといえないでしょうか。
 ただし、この永遠の課題は、学生と教授陣がつねに入れ替わっていくなかで、教育に特有の方法でたえず解決が図られているともいえます。
8  物理的時間と異なる独自の「内的時間」
 たしかに、モダニズムにまで話を広げてしまうと多岐にわたるのですが、私が申し上げているのは、文明史的な一つのメガ・トレンド(巨大な潮流)――すなわち、過去数百年にわたって世界的に拡張された、科学技術を駆動力とする欧米主導の近代文明にほかなりません。とくに、それが濃密に帯びている一様性、非人称性というととにスポットを当ててみたいのです。
 よい意味でも(主として物質面での多大な恩恵、利便性)、悪い意味でも(戦争や環境破壊、欲望の肥大化)、この一様性、非人称性こそ、近代科学技術文明のグローバル化をうながした一大特徴であり、そこから、その地域、民族ならではの伝統を形成する多様性、人称性の世界との軋轢が生じてくるのも、なかば宿命づけられているといってよいでしょう。
 軋轢から生じるきしみ音に耳をふさいでいるばかりでは非生産的であり、何とかして、きしみ音をなくすか、和音へ転じるかの舵取りを迫られているのが、”ミレニアム”の時を生きる我々の使命です。
 何らかの形で、平和的な”地球文明”といったものを構想することは、カントやルソー、サン・ピエールの時代とは比較にならぬほど、差し迫った課題なのですから。
 サドーヴニチィ 尊敬する池田博士、あなたは、「近代文明の普遍的な世界化の性向から逃れることのできない他の文明は、それをどう受けとめ、どう対応していくかという選択肢にしぼられざるをえない」と指摘されました。
 ここであなたは、伝統を「時間」の概念でとらえるもう一つの大切な視点を取り上げられているのだと拝察します
 私たちは、「伝統」と「近代化」について考えるとき、それぞれの概念が何らかの地理的広がりに関係していることと同時に、「時間」的現象であることを直感的に感じています。そして、やはり直感的に、「伝統」と「近代化」がそれぞれ別のあり方で「時間」と関係していると思っています。しかも、年代順の別というよりは、むしろより根本的に異質の二つの「時間」なのだと。つまり、伝統と近代化は、独自の内容をもつ別々の「時間」と相関しているということです。
 池田 「近代文明が濃密に帯びている一様性、非人称性」と申し上げましたが、そこから類推される時間のイメージは、たしかに物理的時間――一日が二十四時間、一年が三百六十五日という、均質でだれにも当てはまるような物理的時間のイメージに近いですね。
 サドーヴニチィ ええ。それに対して、私個人は、一つ一つの伝統は、それ独自の内的時間をもっていると考えています。我々は、「伝統の復活」とか「伝統に立ち返る」といったことを口にします。時には、今までになかった何か「新しいもの」ができることを指して、「伝統が生まれる」という表現も使います。
 ただし、いわゆる新規のものを伝統という範疇に納める場合、その中身をよく吟味してみると、新規であるかに見えても、じつは以前から生活のなかに存在していたものが衣を変え、趣向を新たにしたにすぎないということが往々にしてあります。ことわざにも、「あらゆる新しいものは、大いに古くて忘れられていたものが戻ってきたにすぎない」とあるくらいです。
 池田 東洋にも、同じようなことわざがあります。たとえば「温故知新」(故きをたずねて新しきを知る)あるいは「借古説今」(古を借りて今を説く)等とあります。いずれも古を尊び、古をもって現代のはんとするという趣旨であり、伝統のなかに、現代の歪みを正す知恵を見出しています。そのことは、「史書」が「鏡もの」と呼ばれていることからも明らかです。つまり、歴史は、現代の姿、理非曲直を映し出す鏡と位置づけられているのです。
 その次元の時間のイメージは物理的時間とは明らかに異質です。

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