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日蓮大聖人・池田大作

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2 新生ロシアの挑戦――カオスからコス…  

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

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2  「凶器と化した言論」による人権侵害
 サドーヴニチィ では、一見絶対性をもつかにみえる出版の自由はどうでしょうか。
 出版が自由化されれば万民を潤すかに思われていました。そしてわが国では、新しい雑誌、新聞、チラシ、印刷物等が百花繚乱の様を呈して創刊されました。初めはそれを良いことだと喜んでみたものの、ほどなくして、ロシアの社会は、そのなかに悪も含まれていることに気がつきました。
 たとえば、ある具体的人物についてまったくの嘘と誹謗中傷が事実のごとくに書かれる。それはその個人を著しく傷つけ、おとしめる悲劇です。
 そうなると、報道に何らかの制約がなければならず、報道と言論の自由を実質的に制限する「報道のルール」が必要です。今日、テレビは実在する人物のプライバシーを何の躊躇もなく放映してしまい、それを阻止する手だては皆無という状況です。ですから、何が善に資し、何が悪に資するかを見極めるべきです。
 池田 問題は、その善悪を見極める”眼”を、だれがもつべきかということでしょう。第一義的には、もちろん民衆がその”具眼の士”であれば、それにこしたことはありません。質の悪い本が売れなければ、それで終わりですから。
 しかし、現実問題として、まず言論の世界にたずさわる人こそ、そうした”眼”を養っていかなければならない。言論界の内部から、自主規制の力が働かない限り、言論は、公器どころか、人権など、おかまいなしの凶器と化し、人々の顰蹙を買い、あげくの果ては、権力による介入、規制という最悪の結果を招いてしまいます。
 サドーヴニチィ おっしゃるとおりです。ドストエアスキーは、すでに百二十年前に明確にそのことを指摘しています。文豪は「報道は、紙上で喧嘩を売るのに長けたあらゆる卑劣漢に、きちんとした社会では発言など決して許されないような人間に、発言する機会を与えている。いんちきな人間にとって、出版界は『喧嘩沙汰ならいくらでも歓迎です。ご尊敬をもって、お迎えします』といって受け入れてくれる、絶好の隠れ家だ」と言いきっています。
 池田 ドストエアスキーの言う「紙上で喧嘩を売るのに長けたあらゆる卑劣漢」や「きちんとした社会では発言など決して許されないような人間」の跳梁は、日本でも同様です。拝金主義にとりつかれ、言論の自由、報道の自由という大義名分の陰に隠れて、黒いもやのように社会を覆っています。
 ところで、鳴り物入りで登場したぺレストロイカやグラスノスチのもたらしたものが、自由というよりもアナーキーな混乱状態であったという事実には、その旗手であったゴルバチョフ氏とは旧知の間柄だけに、私も心を痛めていました。
 現在は、だいぶ是正されてきているようですが、ペレストロイカが始まって数年たったころ、”モスクワでは今、詩人の受難時代が始まっている”いった報道が、日本にも流れたことがあります。言論が自由化されたとたん”グレシャムの法則”(悪貨は良貨を駆逐する)よろしく、興味本位を売り物にする本が大量に出回り、優れた詩人や文学者の著作が、店頭から奥のほうへと追いやられてしまった、というのです。
 サドーヴニチィ たしかに、一時は、そうした現象が顕著にみられました。最近は落ち着いてきましたが。
 池田 また、経済分野の混乱も、しばしばマスコミ紙誌をにぎわしました。急激な市場経済化は、固有財産の獲得合戦に始まるノー・ルールの競争のなかから、ニュー・リッチやマフィアなどに富を集中させ、年金生活者などの貧困層は、最低限度の生活費にも事欠いている――と。そのような急激な自由化による貧富の拡大、富の偏在化といった課題も出てきましたね。
 サドーヴニチィ だからルールが必要なのですが、社会主義の時代は、そのルールが上からトップ・ダウンで決められていたので、なかなか市場経済のルールになじみにくいのです。
 池田 ルールなき社会は、混乱に陥るだけです。大事なことは、そのルールが、外から押しつけられたものなのか、人々が自発的に作り出したものなのか、ということです。自発的なものでない限り、ルールは、社会で円滑に機能せず、ルール違反、ルール破りは、あとを絶たないでしょう。
 総長の、おっしゃるとおり、そうした”諸刃の剣”としての自由、自由の背理をえぐり出した点で、ドストエアスキーの右に出る人はいないでしょう。
 名作『悪霊』が不気味に描き出しているものは、無制限の自由(以前、私が「際限なき欲望」と呼んだものです)は、そのおもむく先に、無制限の専制を呼び寄せてしまうであろうという、自由の背理であり、逆説です。そこには、二十世紀の全体主義の出現を予言するかのような数々の鋭い洞察がちりばめられています。
3  民主主義の真髄にある宗教性、精神性
 サドーヴニチィ 「自由」を享受するためには、社会全体が成熟しなければならず、まだそれには時間がかかるといわざるをえません。
 自由の本家本元の西側社会では、はたして自由を実現する個々の可能性と客観的な制限とでは、どちらが実際大きいのでしょうか。私は、そのような観点で西側社会を評価した研究者がいるかどうかは知りませんが、いずれにしても、自由な社会と自由な人間は、自由とは何かを正確に認識し、自己を啓発しなければならない。これは、社会にとっても個人にとっても、巨大な努力を要する作業だと、私は申し上げたい。
 私は、「自由」の概念は、人間にとって偉大な成果であると考えます。しかし、今のところ、理想的な自由社会や、理想的に自由な組織は実現していないように思われます。同様に、各個人に、おいても、理想的に自由な自己を確立しえていないと思います。
 池田 私が「内発」ということを強調するのも、まさにそこなのです。人間であれ社会であれ、真の意味での成熟というととは、内発的にしかなされないのであって、外発的なものであっては、どこかに無理や歪みを生じてしまうものです。もとより、理想的な自由社会はあくまでもユートピアでしょう。現実には比較相対で論じるしかないのですが、それでもこの「内発」か「外発」かという相違は、決して無視するととはできません。
 日本の民主主義にしても、日本の社会で内発的に成熟してきたというよりも、第二次世界大戦での敗戦という外発的要因によって与えられたものです。そうした事情を、当時流行していた言葉をもじって「配給された『自由』」(河上徹太郎『日本近代文学評論選 昭和篇』千葉俊二・坪内祐三編、岩波書店)と皮肉った人がいました。ここでは詳しくは論じませんが、そのような出発時における無理や歪みは、半世紀以上も経過した今日においても、なお克服されずに残っているのです。自由を放縦やわがままとはき違えているのは、日本もまったく同じです。
 サドーヴニチィ 「自由」と「平等」の概念は密接に関係しあっています。「完全に自由」で「完全に平等」の社会を想起してみた場合、ある人が指導者になりたい、そして別の人も指導者になりたい、しかし席は一つだけしかない、という具合に、事実上の矛盾を抱え込むわけです。実際、平等は、公正な社会制度を作るための根本理念の一つとされています。kおの理念を現実たらしめてこそ、社会を構成するすべての人が全人格的に自己実現するための環境、条件が整備されることになります。
 池田 私は、「平等」という理念の根源には、高等宗教のはらんでいる精神性が貫かれていると信じています。すべての人間が平等に”仏性”という尊極の生命の当体であると説く仏教であれ、あるいは神の下での平等を説くキリスト教であれ、そうした透徹した平等観に立脚しなければ、人間に根強く巣食う差別意識を超えていくことはできないからです。
 ホイットマンが「民主主義の真髄には、結局のところ宗教的要素がある」「新旧を問わず、あらゆる宗教的信念がそこにある」(『民主主義の展望』佐渡谷重信訳、講談社)述べているように、人間の宗教性、精神性が欠落するところ、自由や平等の理念も、形骸化を免れることはできません。
 サドーヴニチィ歴史的にみれば、周知のように、原始社会には存在しなかった不平等の問題は、奴隷制度の登場に伴って起きたものです。そこでは、奴隷は、合法的に売買できる所有物であり、労働のための生きた道具と見なされました。平等は、奴隷以外の自由人のみが共有しうる概念であり、しかも、きわめて相対的な価値でした。
 資本主義に至って、すべての人間の「法の下の平等」が宣言されます。しかし、この平等は、今日なお単に形式的、法的性格をもつにとどまっています。なぜなら、人々の社会的立場には、依然、差異が残されたままだからです。社会の事実上の不平等は変わっていません。
 池田 二十世紀、社会主義の壮大な実験は、その形式的、法的「平等」を内実化しようとするものでした。「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」ユートピアを目指して――。しかし、残念ながら、それがどのような結果に終わったかは、改めて指摘するまでもありません。
4  「結果の平等」のいきすぎが生んだ弊害
5  サドーヴニチィ そうした経緯からみても、「平等」の定義そのものが一定ではなく、各社会の歴史発展
 段階とともに変貌してきており、今後も変わっていくでありましょう。
 いずれにせよ、平等について語る場合は、一定の具体的事象に即して論じるのが妥当です。すべての人間の完全かつ絶対的平等を宣言することほど、ばかげたことはありません。
 その理由は至極簡単です。自然界には、一人として他のだれかと完全に同じ人間はいないからです。つまり、肉体的、精神的に完壁にイコールではありえない。双子でさえ多くの点で違いをもって生まれることが知られている。また、体力に長けた才能をもつ者もいれば、知能がより優れている人もいる。性格的に善良だったり、心根が卑しかったりもする
 そうなると、人間の平等については、すべての人間の公約数の範囲内で語ることが、賢明で公正だということになるのではないでしょうか。
 池田 それが健全な常識というものです。イデオロギーであれ理論であれ、常識と乖離してはいけません。
 サドーヴニチィ その公約数とは第一に「我々は人間である」という点です。だれもが、自意識をもち、人格をもち、一つの社会の構成員です。彼らの自己実現の可能性、生存の可能性、そして種の保存の可能性は、ひとえに彼らの社会的立場に左右されるところとなります。まさにこの点において、平等の権利が、完全な平等が保障されるべきです。
 池田 おっしゃるとおりです。ただ、社会の公正さを保つために「機会の平等」は当然必要ですが、「結果の平等」はむずかしい。個人であれ集団であれ、良い意味での競争がなくなれば、緊張感を欠き、惰性に陥ってしまうものです。
 中国の文化大革命の際、極端な平等主義的イデオロギーが鼓吹され、人間に優劣の順位をつけるような試験は無意味だとして、すべてに白紙の答案を出した青年がヒーロー扱いされたと伝えられています。これなども、一種のマキシマミズム(極端主義)といってよいでしょう。
 わが国でも、こうした考えが想像以上に根強いのです。子どもたちを平等に扱おうとするあまり、すべての生徒に同じ成績をつけたこともありました。また運動会で順位をつけるのをやめたりといった事例が、ときどき聞かれます。
 サドーヴニチィ 一人として同じ人間がいない以上、明らかに偏った考え方であり、おっしゃるとおり、マキシマミズムといってよいでしょう。わが国でも、かつて、ある種のマキシマミズムが、さかんにもてはやされた時代がありました。
 池田 肝心なことは、成績や身体能力の優劣が、人間の価値を決める第一義的要因ではない、ということが、教えるほうにも学ぶほうにも徹底されていかねばならないということです。そうすれば、懸念されるような悪弊はもたらされないはずです。
 子どもたちも、いずれは多かれ少なかれ競争社会の荒波にさらされていきます。むしろ試験なら試験を”鍛え”のチャンスと受け止めるぐらいの強さを身につけていくべきでしょう
 話は広がりますが、「結果の平等」に目がいきすぎると、どういう弊害が生ずるか――それは、二十世紀の社会主義の壮大な実験からロシアの人々が、身にしみて痛感されていることではないでしょうか。ペレストロイカ時代、貴国の科学アカデミー上級研究員(当時)が、日本語で出版した本のなかで、ソ連市民の共産主義アレルギーに触れながら、こう書いていました。
 「ただ、手放しで喜べるわけにもいかない。共産主義に対するアレルギーと共存するかたちで、市民のあいだでは悪平等に対する愛着心、無知と無気力、なまけ癖などがしっかりと植えつけられ、自立と個人の努力といった精神が抹殺されてしまった。これは、一般大衆のレベルにおいては、現在のペレストロイカの最大の足かせにもなっている」(S・ブラギンスキー、V・シュヴィドコー『ソ連経済の歴史的転換はなるか』講談社)
 サドーヴニチィ そうした傾向は、たしかに二十世紀社会主義の負の遺産です。
 私の理解では、理想的自由が存在しないのと同様に、抽象的、理想的、普遍的平等もまったく存在せず、本質的に存在しえません。双方とも、何らかの具体的環境条件の必要から生まれてくる概念です。そして、いうまでもなく、とれらの概念は、具体的にその社会が内包する特殊性と切り離して考えることはできません。すべての人々が自分のおかれた社会に満足し、居心地が良いと感じることは稀です。
 しかしながら、「完全に平等な社会」の青写真を描いた思想家、政治家たちの発想は、決して卑しいものではなかったのです。これは、わが国の旧社会主義社会にも、あてはまります。
 池田 おっしゃることは、よくわかります。たしかに、”正の遺産”のほうにも目を向けなければ、フェアではありません。
 また、動機が純粋なものでなければ、最高峰の頭脳と理想主義的な精神をもった人々が、なぜあのように陸続と社会主義の旗の下に馳せ参じたのか、説明がつきません。
6  自制心の育成に主眼をおいた日本の教育
 サドーヴニチィ 私は、わが国の最近の歴史を十把一絡げに全面的に否定するつもりは毛頭ありません。それは、愚かきわまりないことで、私は、そのようなやり方に賛同することはできません。
 池田会長は、ソビエト時代にわが国が達成した学術、文化面での成果について、正確に認識しておられます。ソビエト型のモデルは、大半の国民にとって生活の多くの面で平等を確保しました。
 同時に、その否定的側面も無視できません。たとえば、この平等の理念のために「自由」と「成長」を一定の方法で制限しました。さらには、国家公務員と党職員というカテゴリーの集団ができあがり、職権と立場を不正に利用して、さまざまな特権を享受していました。庶民は、彼らを「その他大勢よりもより平等な人たち」と皮肉を込めて呼んだものです。
 池田 いわゆる”ノーメンクラトゥーラ(赤い貴族)といわれた特権階級を生み出してしまったことは、平等を旨としてきた社会主義の最大の皮肉であり、悲劇であった、と私も思います。
 サドーヴニチィ 興味深いのは、いわゆるぺレストロイカ時代の初期、新しい社会になり、皆が自由になったとき、できないこと、不可能なことが以前より多くなったことです。以前より実際上の不自由を感じるようになったのです。失業者があらわれ、食料が不足し、物乞いをする人が生まれ、病院には薬がなく、一時は、亡くなった人を埋葬するにも事欠くほどでした。これは、自由の裏に出た歪みです。
 池田 ペレストロイカによってもたらされた自由化、市場経済化から、民心が急速に離れていったゆえんですね。
 サドーヴニチィ 自由と平等のバランスを取りきれた社会は、いまだかつてなかったと思われます。
 この点では、西側の社会も決してお手本とはいえません。彼らの社会体制は、先天的に大きな不平等を生み、それによって住民の大半が自由に制約を受ける結果となる必然性をはらんでいます。
 池田 ですから、自由と平等との架橋作業が必要となってくるのです。
 サドーヴニチィ 同感です。
 話は変わりますが、先日、モスクワ大学に研修に来た百人の学生の前でスピーチをした際、私は次のような例を引きました。日本の大学の入学式では、一万人の学生が、学長や教授たちの話を、二時間の間、咳一つたてず、しんとして聞いている。かたやモスクワ大学の場合はというと、総長の言葉の一言一言に物言いがついて、会場中、熱気に包まれた反応にあふれかえります。
 池田 光景が目に浮かぶようです。
 サドーヴニチィ いったいとの違いは何なのだろうとの疑問が湧きます。私は、教育哲学の違いなのでは、と考えてみました。日本の教育は、自制心を育てることに主眼がおかれていると思います。日本の若者は、早い時期から周囲の状況に自分を慣らせようと努力しているようです。これは、大学も含めた日本の教育全体の伝統と、日本の伝統そのものを踏襲している結果ではないでしょうか。
 池田 最近は、だいぶ崩れていますが、たしかに、そうした伝統はあったと思います。明治の初めに来日して、大森員塚の発見者として知られるアメリカ人のE・モースは、日本の子どもたちの行儀のよさ、しつけのよさに感嘆しています。(「日本その日その日」石川欣一訳、平凡社)
 サドーヴニチィ わが国の学生の行動は、わが国の教育のあり方、伝統のなかから形成されていることになります。その差異は、内面的自己統制力の違いでしょう。この内面的自己統制力が教育のみの成せる業かどうかは確信がありませんが、日本人はこの資質をもっているからこそ、たとえば精密で丁寧な作業に秀でており、その結果、高度な技術製品を生産しているのだと思います。これなどは、教育哲学が実生活にいかに反映されるかを如実に物語っている例です。
7  日本社会に根深い「世間」という集団意識
 池田 ”ルースキー(ロシア的)・アナーキズムという言葉を、よく耳にします。無統制だが活気にあふれた混沌――善悪は別にして、そこにはロシアという国の民族性というか、大きな魅力があります。
 日本の教育はそれと反対の側面があります。そうした秩序感覚すなわち自制心、内面的自己統制力を育んでいるのは、個人主義的伝統に根ざす自律の精神とは異なり、日本独特の集団主義によるところが大きいのです。
 この集団主義を特徴つけているのは、仲間意識の一様性、少数意見の排除、外に向かっての閉鎖性などがあげられると思いますが、学校であれ会社であれ、各種の団体であれ、日本人の集まるところ、この集団主義的色彩を濃厚に帯びております。そして、日本人の意識や行動様式を決定づける第一義的な要因は、個人の意見や判断よりも、集団への帰属意識、つまり仲間うちの”眼”です。
 個人よりも先に集団がある――といってもこの集団は、国際社会まで遠望する開放系ではなく、あくまで、仲間うちにとどまる閉鎖系の域を出ません。
 サドーヴニチィ ロシア人の場合、他人の”眼”、他人の都合などおかまいなしに、一方的に自己主張する傾向があります。
 池田 一長一短かもしれません。日本のこうした集団主義を、著名な歴史学者の阿部謹也氏は「世間」という、まととに適切な言葉を使って解明しています(『学問と「世間』、岩波新書、参照)私は、翻訳の世界はつまびらかではないのですが、おそらく「世間」に相当する適切なロシア語はないのではないかと思います。一方、阿部氏も指摘しているように、「世間」にまつわる日本のことわざや言い回しの類は、おびただしく伝承されているのに比べて、「社会」にまつわるそれは、皆無といってよいのです。「世間」という集団は、それほど日本人の意識の深層に根ざしているのです。問題を起こした会社の役員などが、必ず口にする言葉――「世間をお騒がせして申し訳ありません」――は、帰属意識がいかに強いかの証左です。
 サドーヴニチィ なるほど。興味深いご指摘です。
 池田 こうした集団主義が、日本人の個性を、影の薄いものにしているのです。個人を立てるよりも他人の眼、世間の眼を気にする、意見を押し通して摩擦を生むよりも、和を尊ぶ――おとなしくて”お行儀”がよいわけです。
 よく、国際会議の場での日本人の行状が、三つ”S”、すなわち「微笑(スマイル)」「沈黙(サイレンス)」「居眠り(スリープ)」(笑い)などと皮肉られるのも、語学の問題に加えて、個人の意見を強く押し通すことを嫌う日本人の意識構造、秩序感覚によるところが多いのです。しかし、こうした日本人の特性は、今後マイナスと出る場合のほうが多いと思います。とくに国際化の流れのなかで、他国の人々と交流し、相互理解を深めていくには、自分の考えをもち、はっきり主張していかなければ、一歩もことは進まないからです。
 文化国際主義の時代にあって「沈黙は金」という日本のことわざは、美徳でも何でもありません。
 サドーヴニチィ わが国の教育が優れているか劣っているかは、私には判断しかねます。ただ、いずれの教育も、国民的メンタリティー、民族文化を反映させていることは確かでしょう。
 重要なことは、これらの民族的、文化的特徴を知ったうえで、それぞれが独自の教育制度を創り出すことです。教育の方法論は違っても、その目的は共通です。自由、平等、公正、豊かさ、富、等々です。
 池田 そうですね。日本の場合、近代化の後発国ということもあって、戦前はドイツの、戦後はアメリカの教育制度の影響を強く受けてきました。最近は、高等教育のみならず、初等・中等教育も含めて、教育再建が国民的課題としてスポット・ライトが当てられていますが、それらを踏まえて、日本の伝統に根ざした教育制度のあり方を、再考すべき時期に来ているように思います。
8  国際化の潮流と新しい「孤立主義」
 サドーヴニチィ さて次に、「自由」と「平等」について、学術的立場から、より分析的にアプローチしてみたいと思います。
 私の理解が正しければ、尊敬する池田博士は、自由と平等を、拮抗、対立する社会的概念ととらえておられる。そしてこの、本質において二律背反する概念を止揚するものが、内発性と寛容性であると述べられております。
 私たちは本対談で教育の問題に取り組もうとしているわけですが、実際、自由と平等の関係性は、教育の理論面、応用面において、ともに重要な意味をもつものです。
 池田 おっしゃるとおりです。重要な視点です。
 サドーヴニチィ 自由と平等の問題の歴史的側面については、数え切れない量の出版物や学術論文が綿々と論じてきたところですので、ここではあえて踏み込まないことにします。私は、この問題の今日的側面に、より関心を抱いています。
 今まさにニ十世紀が幕を閉じ、二十一世紀が開幕しました。唐突な終わり方です。近代、現代史を通して、こんなあっけない世紀の終わりと始まりは、いまだかつてなかったように思われます。人類の二十世紀から二十一世紀への移行は、西欧文明が圧倒的となり、それがたとえだれかにとって気に入ろうと入るまいと、その価値観が世界を独占したのと時を同じくしました。西欧文明にいまだ完全には同調できない地域でさえ、西欧化に取って代われる、発展のための現実的選択肢を持ち合わせていません。西欧の価値観に太刀打ちできる、まともな競争相手は、個別の国としても国家集団としても、存在していません。
 池田 たしかに西欧、欧米的な価値観が、支配的な時流となっているという現実は、だれも否定できません。
 サドーヴニチィ したがって、自由と平等の本質について語るととも、はたまたそれらの相関関係を弁証することも、西欧型以外の選択肢がないという現代世界の実情を踏まえた論議でない限り、有効たりえません。
 そこで私は、問題分析の出発点として第一の命題を次のように立てます。世界のグローバリゼーション、なかんずく西欧化は、自由と平等の概念に対してパラダイム(思考の枠組み)の変化をもたらすプロセスである。
 命題の第二は、グローバリゼーションがもたらす自由と平等の規範的変化を考えるうえでは、精神・文化面をそのプロセスから一応切り離す必要がある。なぜか? それは、自由と平等の本質は倫理観のみで規定できるものではないからです。
 第三の最後の命題は、教育と大学は、いかにグローバル主義者の圧力が強まっても、過去の時代同様、民族の精神性と文化の主要な中心地であり続け、そのような文化が集約され、発信されていく拠点であり続ける。同時に、大学こそが、西側の技術と国内の科学的成果とが交流し、融合する場となる、というものです。
 池田 グローバリゼーションという言葉が広く使われ始めたのは、1980年代の半ばのようですが、以来、学問的につねに問題にされてきたのは、グローバリゼーションにおける”普遍性”と”土俗性”をどう考えるかという視点です。
 三年前(一九九八年)、前国連事務総長のブトロス=ガリ博士と東京で会談しましたが、博士が、普遍性と土俗性をどう融合させていくかに腐心しておられたのが印象的でした。博士は、金融をはじめ環境、疫病など、国境を超え、ますますグローバル化しゆく諸課題を前にして、こう語っていました。
 「『国際的な問題』に取り組まなければ、『国内の問題』も解決できない――そういう時代なのです。ですから、人々が自国のことだけでなく、国際情勢に、もっと関心を持つべきです。しかし実際は、多くの人々が、心の底の本音では、国際化の潮流に直面して『不安』を感じているのです。その不安感から、自分たちの小さな”村(地域国家)”や”伝統”の中へ引きこもり、外国人とつき合おうとしない傾向が出てきている。新しい『孤立主義』です」(「聖教新聞」1998年7月30日付)と。
 グローバリゼーションの抱える問題の本質を鋭くえぐった指摘であると思います。

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