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日蓮大聖人・池田大作

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1 新世紀の実験――人間革命から社会革…  

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

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2  民衆の交流こそ信頼関係の基盤
 池田 話は変わりますが、今夏から、観光で短期間のロシア訪問については、二都市一州に限り、特定の条件を満たせば、空港などで査証を即時に発給できるようになり、事前のビザ取得は必要なくなる、という画期的なニュースがありました。
 これまでロシアに入国するには、観光客も領事館でビザの申請が必要で、一定の日数と時間がかかっていました。この新しい制度の導入は”開かれたロシア”というイメージを世界に伝えるうえでも大いに歓迎すべきことです。ロシアが一歩近くなった、と感じる人も多いのではないでしょうか。
 サドーヴニチィ ええ、そう、なってほしいものです。将来、二都市一州だけでなく、他の地域にまで拡大・発展し、ロ日間でも、多国間でも自由な往来ができるようになれば、すばらしいと思います。
 池田 国家間の政治レベルでの交流が大事であることはもちろんですが、それだけでは、どうしても制約を受けてしまいます。相互理解、信頼関係といっても、すべては人間と人間の交流から始まるからです。
 一人一人の人間の交流は、いわば点であるかもしれません。しかし、それはやがて点から線へ、線から面へと広がるものです。その民衆と民衆の幅広い交流こそ、経済、文化、教育等の交流を発展させ、国家間の相互信頼関係を築いていく基盤ではないでしようか。
 サドーヴニチィ その民衆の交流、”民間外交”ともいうべき人間と人間の交流を深く念頭に置いて、第二次世界大戦後の冷戦の時代から、運動を展開してきたのがSGIであることを、私は存じ上げております。
 池田 深いご理解、感謝します。政治、経済、文化、教育といったものは、”民衆の大海”に浮かぶ船のようなものだと思います。大海が豊かでないと、船は進まない。
 四半世紀以上前、私がソ連に行こうとしたときに、「宗教者が共産主義の固にどうして行くのか」との非難の声がありました。
 私は「そとに同じ人間がいるから行くのです」と非難を振り払って行動しました。その信念は今もまったく変わりません。
 サドーヴニチィ 私はとくに、ロ日間の交流の確立と強化に対する創価学会の貢献、なかんずく池田博士の先見の明を強調したいと思います。
 現在、ロ日の首脳間で幅広い実り多き対話が繰り広げられるようになりました。その土壌ができたのは、いうまでもなく、創価学会とその会長であられた貴殿の功績が大であることは間違いありません。
3  社会主義の壮大な実験は失敗だったのか
 池田 二十一世紀の大きな課題となるであろう「知識」と「知恵」の架橋作業について、前章で語り合ってきました。
 本章からは、もう一つの避けて通ることのできない課題と目されている「自由」と「平等」の架橋作業について考察してみたいと思います。
 サドーヴニチィ やりましょう。語り合うことが重要です。そこから新しい発見が必ず生まれるからです。
 池田 二十世紀――ひょっとすると「人類史上」といってよいかもしれません――最大の社会的実験が、社会主義の興亡であったことは言をまたないでしょう。隆盛時には世界人口の半分近くにまで達した規模の大きさといい、科学の装いをこらしたユートピア構想の華麗さといい、それは、壮大なる人類史的実験と呼ぶにふさわしいものでした。
 社会主義という言葉は、資本主義の矛盾が深刻化した1930年代――当時”赤い30年代”という言葉が流行しました――などには、多くの優れた知性や、正義感の旺盛な若者たちを魅了し、未来社会を志向する希望の星として、輝きを放っていました。
 それは、社会主義が、社会の不正や不公平を正し、人間だれしも平等であるという理想を志向していたからにほかなりません。
 サドーヴニチィ たしかに、それはソビエト連邦が担ってきた歴史的、客観的事実として、だれも否定することはできません。
 池田 しかし、その実験の結果はどうであったか――客観的評価を下すには、もう少し時間が必要でしよう。私は、アメリカのカーター大統領の特別補佐官であったブレジンスキー氏のように、ソ連邦七十年の歩みを「大いなる失敗」と一刀両断にしてしまうことには、若干のためらいを覚えざるをえません。
 資本主義が社会主義に勝利したとする見方が欧米にはありますが、社会主義にも貢献と成果があります。これについて、どのように、お考えですか?
 サドーヴニチィ たしかにそういう見方は正確ではないし、どちらが勝利した、敗北したという論議にしても、生産的ではないと思います。その前に、資本主義とか社会主義という呼び方は、社会で実際に起こっていることを反映させた、それもかなり大雑把に反映させた「用語」でしかないのではないでしようか。
 これは私一人の考えではなく、さまざまな国際フォーラムの権威ある採択文書等にしばしば明記されている視点です。したがって、現実にあるものに何々主義という呼び方をあてはめて物事をうんぬんすることは、不正確のそしりを免れないという点を、初めに述べておきたいと思います。
 池田 大切なご意見です。たしかに、安易なレッテル貼りは慎むべきです。
 そのうえで、一九九一年のあっけないソ連邦の解体、また”ドミノ現象”のような東欧社会主義体制の崩壊という事実があります。
 とくに、一党独裁やテロを許したボルシェピズムの失敗は、だれの目にも明らかでしょう。ゴルバチョフ政権下の一九九年に、スタニスラフ・ゴウォルーヒン監督によって製作され、映画やテレビで数百万人が観たというドキュメンタリー『我々が失ったロシア』があります。そこでも「ボルシェビキが一九一七年に自国民に対して仕掛けた戦争、つまり内戦、粛清、飢餓、集団化が、六千六百万人もの犠牲者を出した」と語られています。
 あの歴史的実験が行われた大地の下には、あまりにも多くの人柱が埋まっています。しかも、だれも、今もって、その正確な数がわからないというのは、途方もない悲劇というしかありません。
 サドーヴニチィ 対独戦争の戦死者を含めれば、ロシア人は、必ずといってよいほど、近親者が犠牲になっています。ボルシェビズムに限ったことではありませんが、いかなる大義名分であろうとも、「戦争と革命の世紀」を暗く彩るそれらの犠牲を正当化できませんし、また、しではなりません。
4  「勝利」にはほど遠い資本主義の内実
 池田 しかし、ボルシェピズムをはじめとする一党独裁型の社会主義の失敗は、社会主義そのものの失敗を意味しているわけではありません。それが、反対重力となって、「自由」に名を借りた資本主義の暴走への抑止効果を発揮し、資本主義社会における労働運動や社会改良運動の発展に大きな影響力をもったという側面を無視することは、決してフェアとはいえません。
 もし、社会主義勢力という「脅威」がなかったら、利潤追求に血道をあげる「資本の論理」は、「人間の倫理」を足蹴にしながら、ほしいままに猛威をふるい続けていたことでしょう。
 サドーヴニチィ ロシアでも、そのような意見がありました。
 ともかく、どのような生活様式、経済活動の形態を選択するかは国によってさまざまですが、大事なことは、どのような制度、方法をとった場合でも、それらの国家体制が、真に人々のために使われているかどうかではないでしょうか。自国はもちろんのこと、他国の人々も含めて、より良い生活をつくるために資しているかどうかです。どの制度かではなく、何のための制度かが、すなわち制度を運用する目的が大事なのです。
 池田 そのとおりです。その「目的」を、恩師である戸田城聖創価学会第二代会長は、「個人の幸福と社会の繁栄との一致」と、きわめて平易に定義しました。そこに、政治というものの善し悪しを決定づける本質があるとして、制度のあり方に執着することの誤りを指摘したのです。米ソ両国が”冷戦”にしのぎを削っていたころのことです。
 サドーヴニチィ アメリカには、アメリカ人の理解する国家の制度、資本主義があるでしょうし、それが彼らにとってどんなに良いものであっても、だからといって、それが他の国にとっても最善の結果をもたらすものだと言いきることは、だれにもできません。
 私は、各国が、それぞれの伝統と国民性に配慮しつつ、その国らしい独自の道を歩んでしかるべきだと思っています。そして自国に合った方法で、民衆の幸福を築くという根本目的を達成していくべきです。
 池田 思師は、その国の現状を見据えた、そうした政治のあり方を、端的に「政治は技術である」と表現していました。
 そのうえで私が社会主義に関して強調したいのは、そのエートス(道徳的気風)であり、多くの社会主義者の良心のありかでもあった「平等」や「公正」などの理念なのです。ことわざにいう「沐浴の水と一緒に子どもまで捨ててしまう」ではありませんが、それらは、二十世紀の社会主義衰退とともに、葬り去られてよいものでは決してなく、社会主義の”正の遺産”として、二十一世紀へと受け継いでいかなければならない、普遍的徳目であるからです。
 サドーヴニチィ 私もそうした視点が不可欠だと思います。
 池田 ソ連や東欧の社会主義体制が崩壊したころ、それが、一つの”歴史の終わり”であり、自由主義の社会主義に対する勝利であるなどという、何とも浅薄な論議が横行したことがありました。それに対し、私は、いろいろなところで、こう論じました。――そうした短絡的かつ粗雑なとらえ方からは、何も生まれないだろう。自由主義の勝利などといったところで、社会体制上の比較優位をいうにすぎない。喧伝される「自由」にしても、少しでもその現実を点検してみれば、およそ勝利というにはほど遠い貧寒な内実しか有していない、と。
 それが、現代のグローバリゼーションを考察する際に、重要な点ではないでしょうか。
 サドーヴニチィ グローバリゼーションの流れは今も進んでいて、それも主としてアメリカの旗のもとに進んでいるという事実があります。このような国際的潮流を無視することはどの国もできませんから、各国にあっては、グローバルな世界から良いものを選別的に取り入れていく必要があるでしょう。ですから、自国の伝統、特性と、世界の最新の成果を上手に組み合わせることができて初めて、その国が発展を遂げていくことになると考えます。
 池田 的確なお考えです。幻想は必ず幻滅をもたらします。旧ソ連や東欧の人々の”西側的なものの価値”へのあこがれや熱中が、一時を過ぎると急速に冷めていったことからも明らかなように、「自由」といっても、その内実は、過酷な競争原理に貫かれた、厳しく、ある意味では身もふたもないものであり、いたる所で拝金主義の腐臭がただようなかでの限定的な、不承不承の選択にすぎない場合が大多数なのです。
 一九九六年のアメリカの大統領選挙の際、雑誌「ニューズ・ウィーク」(一九九六年二月二十一日付 日本版)が特集のなかで、「うまくいっているのに、誰もが不満をもっている。それが私たちの時代のパラドックスだ」と述べているのが、「勝利」したはずの覇者アメリカの、いつわらざる実態なのでしょう。
 かつて『歴史の終わり』(渡部昇一訳、三笠書房)で、自由主義の社会主義に対する”勝利”を宣言したフランシス・フクヤマ氏が、近著を『大崩壊の時代』(鈴木主税訳、早川書房)と銘打っていることから、その辺の事情をうかがい知ることができます。
5  「自由」と「平等」の両立という重い宿題
 サドーヴニチィ 私たちが理解していた「社会主義」なるものは、「生存の権利を保障する」という概念に近いものでした。ですから、人々が平等に教育を受け、配分を受け、すべての福祉を享受する可能性を追求するという課題を、概念そのもののなかに内包していることになります。
 この思想は永遠なもので、おっしゃるとおり、それを葬ってしまうことはできません。その思想が発達しようとするとき、自由な競争の結果として強者が生き残るという考え方との聞に摩擦が起こるのは、むしろ自然なことといえます。そして、私は、その二つの思想間の「対話」は終わっていないとみています。
 池田博士が「自由」と「平等」の架橋作業というテーゼを提起しておられるのも、その「対話」の必要性を強く自覚しておられるからではないでしょうか。
 池田 そのとおりです。フランスの人権宣言に「人は生まれながらにして自由かつ平等である」とうたわれているように、自由と平等とは、近代の民主主義社会を構成するうえで、欠かすことのできない大支住であります。
 しかし、ともすると、この二つは二律背反関係にあることが多く、二つ同時に並び立つのが、なかなか困難であるということも、歴史の現実であるといわざるをえません。自由の保障に専心すると平等が損なわれ、平等に配慮しすぎると自由が制限される――あちら立てれば、こちら立たずを繰り返してきたのが、近代史のいつわらざる歩みでした。
 二十世紀の社会主義の実験に引き寄せていえば、十九世紀の自由放任のもとで猛威をふるった「資本の論理」に”待った”をかけ、根こそぎにし、あたう限り公正にして平等な富の分配がなされる差別なき社会、という青写真にのっとって、人為的かつ計画的に作り上げようとしたものといえましょう。
 サドーヴニチィ それは、人間の良心の自然な発露でした。だからご指摘のように、たとえば、1930年代に、あれほど”世界の良心”を引きつけたのです。
 池田 しかし、その実験は、極端な自由の抑圧を招き寄せ、挫折してしまいました。今世紀における自由と平等との架橋作業は、あれほど多くの良心を動員したにもかかわらず、惨めな失敗に終わってしまいました。
 だからといって、社会主義的政策を少しずつ取り入れることによって変貌を遂げてきた資本主義、自由主義の側から、この架橋作業が成されたかといえば、先に述べたように、明らかに”ノー”であります。自由と平等の二律背反の超克という近代史の重い課題は、まさに、我々が二十一世紀へと引き継いでいくべき、宿題であると思うのです。
 サドーヴニチィ そうですね。そのためには、初めに、資本主義世界が何をもって「自由」としているのかを、分析してみる必要があるでしょう。
 ロシアは、ここ数年というきわめて短期間の国づくりに際し、資本主義的自由を十分に味わったといえるかもしれません。それは、お金を支払って宣伝してもらうといういわゆる報道の「自由」。さまざまな社会勢力がロビー作りに奔走し、特定の人々の利益を法律で保護してしまう「自由」、といったら言い過ぎでしょうか。
 いずれにしても、私は、それをもって自由の本義とすることに抵抗を覚えます。自由は、もっとずっと広々としたもので、もっと違った次元のものだと思うのです。
 池田 当然です。そのような「自由」を放置しておけば、弱肉強食のすさんだ社会を招き寄せてしまいます。
 ここで、私は、自由と平等との架橋作業を可能ならしめるであろう大切なポイントとして「内発性」ということにスポットを当ててみたいと思います。
 二十世紀の前半、社会主義運動が世界的に盛り上がった背景として、唯物論のテーゼが大きな説得力をもっていました。すなわち、資本主義の行き詰まりが示しているのは、政治や法律面での自由や平等は形式的なものにすぎず、経済的側面からの裏付けがなされていなければ、人々に自由や平等の実質的な保障をすることはできないという、イデオロギーによる動機づけであります。
 そのため、社会民主主義とは一線を画し、マルクス・レーニン主義に依る多くの社会主義国では、経済的側面からの裏づけ――私有財産制の廃止、土地や生産手段の国有化などの施策が、強引かつ性急にとられていったわけです。
 サドーヴニチィ それが、社会の諸矛盾を解決するための、一番の近道であると、早合点されてしまったのでしょう。
 池田 ええ。そこで、自由と平等との架橋作業は、人々の内面的な合意や納得などおかまいなしに、時には容赦なき暴力を使って、徹頭徹尾、人間の「外」から「外発的」になされたといえます。
 たとえば、パステルナークは、こうしたボルシェビキの流儀を「腕ずくで歓心は買えぬ」というロシアのことわざを引いて徹底的に批判して(『ドクトル・ジバゴ 第Ⅱ部』江川卓訳、時事通信社)、弾圧されました。
 外的条件さえ整えれば、自由や平等は、半ば自動的に内実化されるかのような、今日からみれば考えられないような楽観というか錯覚にさえ、多くの人々がとらわれていました。しかし、歴史の淘汰作用が容赦なく暴き出したように、錯覚はあくまで錯覚であり、ユートピアは、所詮、それ以上のものではありませんでした。
6  社会の変革に不可欠な人間の内面的変革
 池田 私は、この辺で発想を転換し、人間の内面的な変革を第一義とする「内発性」をキー・ワードにして、自由と平等との架橋作業を試みる段階にきていると訴えたいのです。
 自由といっても、内面的な鍛えを欠けば、容易に勝手気ままな放縦へと堕してしまうでしょうし、平等といっても、人間の内なる差別意識が超えられていなければ、新たな差別社会を生み出してしまうにちがいない。
 これは、ある意味では常識といえるでしょう。とすれば、二十世紀とは、常識が常識として自覚されないほど、イデオロギーやユートピアに悪酔いしていた時代であるともいえそうです。
 サドーヴニチィ 池田博士の発想に、私は、深く敬服いたします。また、賛同いたします。人間は、自らの内面を磨き、内なる世界を豊かにすることによって、成長し、新たな自己に脱皮していける――と。まさにそれは人間の人間たる本質を言い当てていると思います。つまり、人間の遺伝子は、自分を取り巻く環境世界を認識、学習し、それによって自己自身の成長を図ろうとするように組織されています。
 たしかに、科学的には、この遺伝子に異常をきたしている、いくつかの例外があることも認めざるをえません。したがって、犯罪が、単に社会的条件によって生まれるのではなく、一部、アプリオリ(先験的)に遺伝子プログラムの要素が絡み、それによって引き起とされているものがあるということは事実です。
 池田 ドストエアスキーの小説などを読んでいると、時々、そのように考えざるをえないような”悪人”が登場してきます。
 サドーヴニチィ しかし、それらを考慮してもなお、人間の行動は、外部の環境に大きく影響され、同時に人間自身が主体的に自らの行動に責任をもたざるをえません。外部環境が、人間を創るうえで重要な要素であることは否めませんが、しかし、外部環境といっても、神が作ったわけではなく、じつは人間自身が作りだしているものです。
 したがって、ここでは、次のような弁証法が成り立ちます。「人間はつねに自己完成を目指して生きるべきである。なぜなら、そうして初めて、人間は、個人にあってもより良く生きることが可能になり、その人間が作る社会も良くなっていくことが可能に、なるからだ」と。
 池田博士のおっしゃる「内発性」というファクターが重要性をもっゆえんも、ここにあります。
 池田 それが、人間としての常識だと思うのです。一九三六年、アンドレ・ジッドが、今からみればあまりに適切であるにもかかわらず、当時はごうごうたる非難を浴びた『ソヴェト旅行記』を著した際、その洞察の根拠となっていたのも、社会の健全性を測る尺度は、制度ではなく、万人共有の内なる「ユマニテ」「ヒューマニテイ」である、という常識でした。
 サドーヴニチィ 私たちの人生は、外的要因と内面世界の発達との相互作用のうえに成り立っています。そして、人間が内発性をもつためには、環境に左右されない内的確信を強くもつことが不可欠と思
 われます。
 私には、ロシア正教会の聖職についている友人が多くおりますが、彼らと接していると、そのことを強く感じます。彼らの多くは、神への信仰に支えられた内面世界を自身の内に築いており、その意味で、世間の出来事を達観する境涯に達しているのでしょう。彼らは、その内なる境涯で自律し、他の人々をも感化しています。そのような生き方は、心からの尊敬の念を呼び起こさずにはおかないものです。
 池田 その意味では、真実の宗教は、人間が人間であることの骨格部分を形成するものですね。それゆえ、私はゴルバチョフ元ソ連大統領との対談集に「宗教――人間の紋章」という一章を設け、語り合いました。(「二十世紀の精神の教訓」。本全集第105巻収録)
 さすがにマハトマ・ガンジーの炯眼は、だれもが社会主義運動の先行きを楽観視していたその興隆期に、早くも、社会主義の成功のためには、人間性を開花させる「内発性」「内発的要因」が不可欠であることを鋭く見抜いていました。
 「社会主義は水晶のように純粋である。したがって、社会主義達成のためには水晶のような手段が必要となる。(中略)インドにおいても世界においても、社会主義社会を築くことができるのは、純粋な心の持主で、誠実にして非暴力的な社会主義者のみである」(K・クリパラーニー編『《ガンジー語録》抵抗するな・屈服するな』古賀勝郎訳、朝日新聞社)と。
 ガンジーの予見の正しさは、その後の社会主義の興亡の歴史が、あまりにも雄弁に証明しているところでしょう。
 社会主義に限らず、自由主義社会に、おいても、二十世紀は、あまりにも人間や社会の「外面」にこだわり、「外面のみの変革」に偏りすぎていました。
 そのために、戦争と暴力が荒れ狂う大殺戮時代を現出してしまいました。その轍を踏まないためにも、二十一世紀には「内発性」という言葉を、社会発展の要にすえたい。それでこそ、自由と平等との架橋作業という人類史的課題を、大きく前進させることができるでしょう。
7  自由とは何か、それをどう実現するか
 サドーヴニチィ 「自由」と「平等」ということは、大変に大きな、人類の文明史的な課題です。ここで私は、このテーマを二つの次元に分けて論じ合いたいと考えます。
 初めに、日常生活のなかで私たちが「自由」と「平等」をどのように受けとめ、対処しているか、つまり、生活感覚でとらえる自由と平等のあり方です。次に、この問題をより厳密に分析するうえで、少々学術的アプローチを試みてみたいと思います。
 池田 そうですね。生活感覚、日常感覚というのは大事です。
 サドーヴニチィ 日常感覚でとらえている「自由」は、人類の形成そのものに関与した概念です。自由というとき、私たちは、自分の関心事と目的に沿って行動する能力を思い浮かべます。ただし、何らかの行動をするとき、私たちは、必然的に、外部環境について自分がもっている知識を拠りどころとし、自分の行動が環境にもたらす変化を考慮しています。それと同時に私たちは、周囲の人々や社会全体の利害にも注意を払っています。
 かくして、自身の関心事と目的にしたがって行動しつつも、個々人は、ある場合は、社会に利益をもたらし、またある場合は不利益をもたらしていきます。それゆえに、人間の行動はつねに制約を受けています。トマス・ホップズは「自由人とは、望む行動に障害なき人である」と定義しましたが、これは違うと思います。現実世界にあって私たちはつねに障害に囲まれており、その行動は不自由なものだからです。
 池田 哲学者の言葉は、時に人々の意表をつくものです。先ほど、常識について触れましたが、ホップズの言葉の場合も、常識的に考えれば、そうした「自由人」など存在するはずがないにもかかわらず、「快」を善とし、「不快」を悪とする彼の功利主義の倫理学説に立っと、そうした人間観の仮説も、一応成り立ってしまいます。しかし、常識という”鏡”を、学問は絶対に手放してはならないでしょう。
 サドーヴニチィ たとえば、ある人が川辺に立っているとしましょう。川幅は広く、流れが速い。そして対岸に、とても美しい場所が見えているとします。彼は、川を横切って美しい向こう岸に行ってみたい。しかし、彼は、川を泳ぎ渡る能力がないので、その望みをかなえるという自由はないことになります。これは、常識ですね。
 このように、「自由」と「制約」はそもそも拮抗し、相反する概念であるといえます。エルヴェシウスはこの点をとらえて、「我々が鷲のように空を飛べないこと、鯨のように水中に生きられないことをもって不自由と名づけるのは愚かしい」と指摘しています。
 池田 よくわかります。
 フランスのルソーが『社会契約論』を「人間は自由なものとして生まれた、しかもいたるところで鎖につながれている」(桑原武夫・前川貞次郎訳、岩波文庫)と書き起こしたように、本来、自由は、人間であることの不可欠のファクターであり、その自由をどう実現するかは、思想面、現実面で人間の重要な営みであり続けました。
 ホップズの政治思想にしても、そうした自由観に立って、「自然権」を行使していくと、必然的に「万人の万人に対する戦い」をもたらしてしまうため、その調停役としての理性の出番となり、「自然法」によって、主権に制限を加えていく――その意味では「自由」と「制約」とが相拮抗する大きな枠組みのなかでの思素であったわけです。
 結果として、絶対君主制の擁護になってしまった点で、多くの批判を浴びざるをえなかった、としてもです。
 日本の俳句に「名月を取ってくれろと 泣く子かな」(小林一茶)とありますが、そうした子どもじみた欲求は、真実の自由とはかけ離れたものです。
8  際限なき欲望の肥大化は混乱をもたらす
 サドーヴニチィ 人類は、行動環境を選択する可能性を持ち合わせていません。我々は生まれながらにして、何らかの自然の摂理と社会発展の必然的法則のなかに置かれています。その抗し難い大前提を無視して行動しても、そのような行動が功を奏することは期待できません。
 池田 仏教では、それを内面的に掘り下げて「宿命」と呼んでいます。運命といってもよいでしょう。男(女)に生まれること、日本人(ロシア人)に生まれること、どのような家庭に生まれるか等々は、おっしゃるとおり、自由勝手に選択できません。
 サドーヴニチィ たしかに、自由を求めるのは、人間細胞の一つ一つに本来的に備わった欲求であると考えます。つまり、自分で思考し、それを表現し、他の人と交流する自由を欲しています。
 しかし、ここでも制約が起こってきます。たとえば、人間は遠く距離を隔てた人と交流することができませんでした。また、人間は何を考えても自由ですが、客観的条件が人の視野を狭めているので、実際は、人は目の前の現実と困難について考えるように仕向けられています。
 その格好の例は、親が子どもをしつけるとき、「夢ばかり追いかけていないで、もっと役に立つこと、自分ができそうなことを考えなさい」と教える場合にみられます。
 池田 それは万国共通かもしれませんね。(笑い)
 サドーヴニチィ このような例が示すととろは、人間が享受している自由は、目的の選択においても、目的達成の手段の選択においても、限られた可能性のなかからの選択にすぎないという点で、つねに相対的自由でしかありえないということです。
 したがって、人間の自由度はつねに変化にさらされており、それぞれの時代において、社会の生産力、自然科学、人文科学の知識の水準、さらには社会・政治体制、社会の成熟度に大きく左右されるものです。
 池田 自由がつねに相対的であるということと、自由が人間であることの絶対条件であることとは、少しも矛盾しません。むしろ、相対的であるところに、自由の自由たるゆえんがあります。
 それには、絶対的自由というものを想定してみればよいのです。人間の欲望は、時に自由という装いをこらしながら、際限なく広がっていくものです。
 古来、その肥大化への最後の障壁として立ちはだかつてきたのが、死でした。生あるものは必ず死ぬ――秦の始皇帝が、不老不死の薬を求めて八方に手を回したという故事が示しているように、いかなる権力者といえども、この障壁だけは越えることができませんでした。その自己の有限性の自覚が、宗教の出発点であったことも、宗教史が明らかに示しているところです。
 ところが、絶対的自由主義者は、この障壁をも越えようとします。先に話題になったクローン人間などは、その典型といえます。自分の遺伝子やコピーを残したいというのは、死をも自由にしたいという不死願望の一つの変形ではないでしょうか。
 サドーヴニチィ 何もかも自分の思いどおりにしたいという点では、前にもいったように、『エフゲーニー・オネーギン』を書けるようなコンピューターを作りたいということと同質ですね。
 池田 同質です。プラトンの『ゴルギアス』のなかで、ソクラテスは「自分の思う通りのことをしていても、それでもって大きな力があるということにはならないし、また、自分の望んでいることをしているということにもならない」(『ゴルギアス』加来彰俊訳、岩波文庫)と逆説的に語っています。
 絶対的自由主義者のように、何でも思いどおりになるということが、人間の本当の欲求にかなっているのか、それが人間に、真の充足感、幸福感をもたらすのか――よくよく考え直してみなければならないことです。
 地球環境という客観的条件の面から考えても、人間が、今日の先進国並みの生活様式を維持し続けようとすれば、この有限の球体(地球)が養うことのできる人口は、どんなに多く見つもっても、十億人が限度といわれています。
 人類として、共に生き、共に栄えゆくことを念頭におかずに、人々が勝手に「思いどおり」にしようとすれば、世界は、人間の顔をした欲望の権化たちが、争闘を繰り返す修羅場と化してしまいます。にもかかわらず、人々は、目先の利害や損得にとらわれて、なかなか、そのような展望をもとうとしません。
 サドーヴニチィ 人間の欲望には、際限がありません。
 池田 欲望の肥大化は、とうてい、自然の摂理にかなったものとはならないでしょう。というよりも、人間の尊厳にかけて、あってはならないところまで広がってしまう。
 もし、こうした欲望が野放しにされたら、人間社会が大混乱に陥ることは、見易い道理です。というよりも、人間が人間でなくなるといったほうがよいかもしれません。私が、相対的であるところに、自由の自由たるゆえんがある、といったのも、そのためなのです。

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