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日蓮大聖人・池田大作

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3 「多様性の調和」へ知恵の教育  

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

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2  戦争の悲惨さをいかに語り伝えるか
 サドーヴニチィ サンクトぺテルブルクは、街全体がユネスコの世界文化遺産に指定された、美しい都市であり、私の好きな街でもあります。池田博士も、サンクトベテルブルクを訪問されたことがありましたね。
 池田 ええ。当時の呼称はレニングラードでしたが、一九七四年、ロシア初訪問のときに訪れました。九月中旬の”黄金の秋”でした。短い滞在でしたが、世界の三大美術館の一つであるエルミタジュ美術館には、圧倒されました。「夏の宮殿」も訪問しました。大変美しい街ですね。
 サドーヴニチィ そういえば、昨年(2000年)五月には、このサンクトペテルブルクの地で、池田博士の「自然との対話」写真展が開催され、大変に好評であった、と聞きました。九四年には、池田博士自らが出席され、モスクワ大学の文化宮殿でも開催していただきましたが、すばらしい写真の数々で、心和み、美の世界へと誘われました。写真集も頂戴しましたが、いつ拝見しても感動を覚えます。
 池田 私も、あのときのご厚情は忘れません。
 ところで、サンクトペテルブルクの人々は、第二次世界大戦のときに、九百日以上もナチス・ドイツ軍に占領されたにもかかわらず、忍耐強く抗戦し、ついに勝利した。その歴史をだれもが誇りとしていますね。
 サドーヴニチィ そのとおりです。第二次世界大戦は二十世紀の歴史のなかで、最も不幸な出来事の一つであったと思います。二十一世紀が始まった現在、このような不幸な戦争を再び繰り返してはいけない、と改めて全人類が肝に銘じなければならないと思います。
 池田 同感です。「レニングラードの攻防戦」で犠牲になった無名の市民が埋葬されているピスカリョフ墓地も、私は訪問しました。その入り口に展示されていた「ターニャの日記」は、この戦争がいかに悲惨であり、破壊的であり、筆舌に尽くしがたい残酷なものであったかを物語っておりました。
 私は、日本の青年たちへのスピーチや講演等でも「レニングラードの攻防戦」のことを、何度も紹介させていただきました。
 サドーヴニチィ 池田博士が戦争の悲惨さを世界に訴え、青年を教育、指導され、先頭に立って、反戦平和の行動を展開しておられることを高く評価しております。
 池田 戦争ほど悲惨なものはない、戦争ほど残酷なものはない。その戦争をこの地球上から廃絶しなければならない、というのが私どもの行動の原点でもあります。ですから、私にとっても忘れられない、思い出深い歴史の街です。
 サドーヴニチィ 平和への思いは、私たちもまったく同じです。
 池田 最近、第二次世界大戦を題材にした「スターリングラド」という映画が日本でも上映され、若者の聞に評判をよんだようです。
 スターリングラドも悲惨在戦闘の舞台となり、多くの人が犠牲となりました。絶対にこのような悲劇を繰り返してはならない。断じて、二十一世紀は生命の世紀、人間主義の世紀にしていかなければならない。総長は、第二次世界大戦については、どのような思い出がありますか。
 サドーヴニチィ 戦争のとき、私は、まだ三歳か四歳でした。それでも、私たちの村に空襲があったときのことは記憶しています。母と一緒に逃げ惑い、危険を避けて、何もない草原に逃げたのを憶えています。戦争と革命の世紀といわれた二十世紀を生きてきた先輩として、二十一世紀を生きる後輩に対して、重大な責任があると思います。
3  全体的な人格形成に不可欠なコスモス感覚
 池田 さて、このへんで本題の「知識と知恵を結ぶ橋」に入りたいと思います。
 サドーヴニチィ このテーマは大学教育に関わるものには、ますます重大になっています。
 池田 以前、ノーベル化学賞を受賞したベルギーの科学者プリゴジン博士のことが話題になりました。じつは十年近く前(一九九二年九月)、日本のあるシンクタンクが博士を招き、「生命論パラダイム(思考の枠組み)の時代」というシンポジウムを開催したことがあります。その報告によると、プリゴジン博士は、大要、次のように述べられたそうです。(『生命論パラダイムの時代」日本総合研究所編、第三文明社、参照)
 近代人は、人間に認識可能な”法則によって支配された世界”と、人間の自由と責任によって取り仕切られる”不確実性の支配する世界”とに引き裂かれてきた。この矛盾を乗り越えるために、近代人は、もっぱら”法則によって支配された世界”の解明にのみ力を費やしてきた。それが、近代の科学技術文明の空前の発達をもたらしたが、それは同時に、我々の住む世界がはらんでいる生命論的な豊かさを見失う過程でもあった、と。
 そこで、博士は、現代こそ両者の間に「新しい統一」を目指す時代であると力説して、多大な感銘を与えました。ある意味では、当然のことでしょう。両者のバランスがとれてこそ、人格の円満な完成も、人間社会の健全な発達もあるのですから。
 サドーヴニチィ おっしゃるとおりです。”法則によって支配された世界とは科学性のことであり、”不確実性の支配する世界”とは芸術性、文学性の分野ともいえるでしょう。じつは、両者を両立させることは、モスクワ大学の一貫した伝統でもあります。それは、モスクワ大学独特のものです。
 池田 総長ご自身が、その伝統を体現しておられる方です。卓越した数学者であると同時に、文学にも造詣が深いトルストイ、プーシキン、レールモントフ、現代ではショーロホフ、アイトマートフらの作品を愛読されていると聞いております。
 サドーヴニチィ いつの時代にあっても、モスクワ大学は(科学性や芸術性、文学性を統合した)ロシアの文化の中心でした。レールモントフも、ツルゲーネフも、モスクワ大学に学びました。プーシキンは、モスクワ大学を訪問しています。レフ・トルストイも、ある時期、籍を置いていました。また、優れた宗教哲学者たちが、モスクワ大学付属の寄宿学校を卒業しています。
 このモスクワ大学から、世界の文化に貢献する幾多の人物が出ました。いわば”永遠の人物”を輩出しているのです。
 創立者のロモノーソフ自身、偉大な科学者――化学者であり物理学者――であると同時に、詩人です。また、ロシア語文法やロシア民族についての著作も残しています。
 池田 専門分野にのみ通じているのではなく、パランスのとれた教養人、つまり”全体人間”であったわけですね。
 そうした”全体人間”の人格形成に欠かすことのできないものが、コスモス(宇宙的)感覚でした。この感覚ほど現代人から縁遠くなってしまったものもありません。
 ヨーロッパ思想の二つの源流が、ギリシャ哲学とキリスト教にあることはいうまでもありませんが、いずれの自然観、宇宙観にあっても、宇宙は人間の知覚の対象として有限の球体であり、森羅万象が意味論的連関を構成している有機体でした。
 アリストテレスの宇宙観は、地球を中心に月下の世界、七つの遊星、恒星天が意味論的にあるいは価値序列的に連関していました。その点では、ダンテが『神曲』で展開した”地獄界”や”浄罪界””天堂界”と連なる宇宙と同じ構造を示しています。
 もとより、プリゴジン博士のいうように、至高天に居住する神の存在という重要な一点に、おいては、古代の自然観、宇宙観とは異なっていましたが――。
 サドーヴニチィ ええ、そうですね。
 池田 したがって、その意味論的、価値序列的な連関のなかで、つねに己の位置を確認することが可能であった。換言すれば、善や悪、苦しみや楽しみ、幸福や不幸などの運命の転変の節々に、人々は、その関わってくる意味を感じとることができたわけです。
 すなわち、古代や中世の人々にとって、大宇宙はコスモス感覚そのものでした。
 近世以降の機械論的自然観、宇宙観は、善悪は別として古代や中世のコスモスから”意味”や”価値””目的”などの人間的要素をはぎとり、自然や宇宙を、人間の主観や価値判断から独立した客観的存在であると位置づけました。いわゆるヨーロッパ近代哲学の機軸を成す”主客対立”の二元論であり、その代表的人物が、デカルトでありカントであったことも周知の事実です。
 サドーヴニチィ それをプリゴジン博士は、端的に、カントによる科学と知恵、科学と真理の切断、といっているわけです。
 池田 そうした機械論が描き出す自然像、宇宙像は、客観的存在それ自体としては完結しているかもしれないが、人間との意味論的連関を断ち切られているという点からみれば、コスモスというよりもカオス(混沌)です。中世から近世、近代への移行が、一つの世界観からもう一つの世界観へというより、世界観なき時代への移行であるといわれるゆえんです。
 たしかに、今日の”IT革命”へといたる近代科学やテクノロジーの発展は、多くの負の遺産を伴いながらも、人類に巨大な物質的恩恵をもたらし、機械論的アプローチの威力をまざまざとみせつけてきました。
 同時に、生命科学や環境問題の現状は、この世界観なき時代の代替世界観ともいうべき機械論的アプローチの”アキレスの踵”のごとき課題を浮き彫りにしているようです。つまり”欲望の制御”がそれであり、この点に関しては、機械論は無防備といっても過言ではない。
 七年前(一九九四年)のモスクワ大学での講演で、私が、トルストイの『アンナ・カレーニナ』に言及し、文豪の自画像ともいうべきコンスタンチン・レーヴィンの宇宙観に言及したのも、その点を踏まえてのことでした。
 サドーヴニチィ 「人間――大いなるコスモス」(本全集第2巻収録)と題する講演は、われわれロシア人にとっても新鮮でした。当時を顧みても、コスモス感覚、コスモロジーの復興ということが、池田博士の一貫したテーマであることが、改めて確認できます。
 池田 もとよりロシアの方々には、いわずもがなですが、生きる意味が見つからず、精神的危機にあったレーヴインは、「神のために、心のために生きる」という一農民の言葉に接する。彼は科学や単なる知識からは得られなかった、生きる意味についての答えにやっとたどりついた思いがした。そして高い空を見上げながら、天体の無限の広がりについての科学的知識を十分承知しつつも、知覚が捉えた、頭上に広がる青々と盛り上がる円天井に想いを馳せ、宇宙と人生、人間との調和を見出し、生きる意味と喜びに包まれる自分を感じるのです。
 ちなみに、トーマス・マンは「レーヴインは十九世紀のイデーに親しむことができなかった人間である」(『アンナ・カレーニナ論』大山定一訳、『筑摩世界文学体系』41所収、筑摩書房)として、次のように評しています。
 「もはや人生の意義にかかわらぬペシミスティック(悲観的)な十九世紀の科学とは、別のものがある。すでに十九世紀の科学を越えた、さらにそれ以上の高いものがある。科学とはちがう、科学以上の『精神的なもの』『意義』がある――すなわち、人間の理性を超越する神聖な『善』への義務がある」(同前)
4  人間の未来の科学的予測は不可能
 サドーヴニチィ プリゴジン博士も同じような感想を述べるかもしれません。
 私のほうからは、哲学的思索から少し離れますが、未来を予知し、未来を創造する力、または、原因から結果を引き出す力という観点で、知識と知恵の違いを若干、考察してみたいと思います。
 予知や予測を可能にするのは、過去に蓄積された経験です。経験は、人間の知恵へと昇華されて、人生をより良いものとするための意志力として働きます。
 一方、知識は、そのような働きをもっていません。一つの知識は、それを土台として、次の発見を促し、それが新たな知識として集積されていくわけですが、その際、この新たな知識となる発見が人類に何をもたらすかは、だれにもわかりません。その意味で、人生を向上させるという意志が働く余地はないと言わざるをえません。ましてや、一つの知識がどのような発見、発明をもたらすかを予測することは至難の業です。先に触れましたが、ルーズベルト大統領が技術の未来を予測するよう科学者チームに依頼して、その報告が、じつは何も予測しえなかったエピソードに端的に表れているとおりです。
 私が学術的、まして技術的な長期の予測に懐疑的なのも、こういう理由からなのです。二十一世紀における科学の発展は、どれだけ予測機能が向上するかにかかっていると思います。そこに科学的方法が開発されていくでしょう。もちろん、そのためには新しい、より完全な科学的手段が必要となるでしょう。
 池田 お話をうかがっていて、ニーチェ思想の骨格を成す”近代科学の発達によって神は死に、人間は動物並みになった”という根本命題を思い出しました。
 それは、「自由」という人間であることの根本条件に関わってきます。人間にとって未来とは、希望と不安が背中合わせになった、原理的に予測不可能な世界です。プリゴジン博士も、日本で「進化の未来は予測できない」との名言を残しています。そこを取り仕切るのは、いつにかかって、自由や責任という人間の内発的な精神性です。「法則」や「決定論」にとだわって自由や責任に背を向けることは、未来を拒否することにほかならず、その結果、絶望という「死にいたる病」(キルケゴール)に冒され、人間であること自体の否定にまで行き着いてしまいます。
 希望と不安が背中合わせになった未来は、人間特有のものであって、動物にはありません。動物にあるのは、過去と現在です。どんなに未来を志向しているようにみえても、動物における未来とは、過去の裏返しにすぎず、自由の介在する余地がないという点で決定論的であり予測可能です。人間の未来とは、似て非なるものです。
 もし、かりに科学の予測機能が完壁なものとなり、未来が百パーセント予測可能になったとすれば、それは、動物の未来と本質的に同じものであり、ニーチェの逆説は、にわかに不気味な現実性を帯びてきます。
 その意味からも、科学的な長期の予測には懐疑的であるとする総長の見識は、科学者である前に人間であるという健全なる良心の発露、帰結として敬意を表します。
5  科学と非科学的知識、政治との調和
 サドーヴニチィ 現実性という点から考えれば、予測機能うんぬんということは、どちらかといえば、枝葉の問題です。大事なのは、科学(理論的知識)と非科学的知識(常識、経験的知識、神話、伝説)、政治(権力と市場を益する知識の実用的利用)との距離をどれだけ縮め、調和をとるかです。
 科学と非科学的知識、政治が二十世紀のようにばらばらのままでいると、人類の未来はさらに先の見えないものとなり、増え続けるリスクにますます取り囲まれてしまうでしょう。
 池田 重大な問題です。
 サドーヴニチィ そもそも科学と、仏教をはじめとする世界宗教には、無限という概念を受け入れるという共通点があると思います。もっとも、科学でいう無限と、宗教的な無限は異なりますが、それでもどちらの分野にも「無限」という概念が存在するととでは共通しています。
 ところが政治ではそれがありません。政治の分野では「有限」の概念、なかんずく権力、権力者の客観的な有限性がすべてを支配しています。しかし、
 権力者はだれもが有限性を認めようとしません。したがって権力をできるだけ長く握っているためなら、どんな手段であっても「良い」とみなされるのです。そういった手段がいたるところで使われています。少なくとも人類のこれまでの歴史をみると、それを否定するような例はあまりありません。
 池田 科学であれ非科学的知識であれ、政治の従僕に甘んじてしまうといいことはありません。二十世紀を”政治が運命となった時代”(脇圭平『知識人と政治』岩波新書、参照)といったのは、ナチスのイデオローグであったカール・シュミットです。たしかに、二十世紀におけるナショナリズムの発展、大衆民主主義など社会の変容をみれば、政治の比重が増すのは当然でしよう。しかし、過度の肥大化は、悲劇を生むだけです。ナチスはもとより、貴国のスターリニズム下のルイセンコ、戦前の神国日本のファシズム下でも、同様の事例が数多くみられました。ともかく政治は、科学や非科学的知識の分野には、あまり口出ししないほうがよいのです。
 サドーヴニチィ そのようです。(笑い)
 池田 中国古代の名君として知られる堯帝に”鼓腹撃壌”の故事があります。鼓腹とはおなかをたたくこと、撃壌とは木ごま遊びのことです。
 ――ある日、自分の政治がうまくいっているのかどうか不安になった堯帝が、おしのびで”視察”に出かけた。郊外にやってくると一人の白髪の老爺が、楽しそうに木ごま遊びに興じながら、おなかをたたいて拍子をとって歌っていた。
  日出でてはたら
  日入りていこ
  井を掘りて飲み
  田を耕して食う
  帝力我に何かあらんや!(後藤基巳他編『中国故事物語』河出書房新社)
 「帝力我に何かあらんや!」――天子様など、わしのくらしにゃ、あってもなくても、同じことさ――庶民が、政治になど気をつかわずに生活を楽しんでいるのを見て、堯帝は、自分の政治に自信をもった。
 素朴なエピソードですが、私は、ここに政治の要諦があると思っております。
 とはいえ、現代は、名君の時代とは政治の規模もまったく違うのですから、政治が肥大化したり、権力者の恣意がまかり通らぬよう、心して監視の目を光らせていかねばならない。それには、一にもニにも、民衆が賢明になる以外にないでしょう。
6  人間としての根幹に関わる「言語」の重み
 サドーヴニチィ ここで、これまでのところをまとめながら、もう一度、「人間の知恵とは何か」という問題に戻ってみたいと思います。
 知恵とは、知識や教養、情報と違い、過去の世代の生活体験を受け入れ、習得する能力ではないかと思います。それなくしては、科学や文化の発展もありえない、つまり、文明の発展もありえません。しかし、過去の経験を生命のかよわぬ絶対的原理として受け入れることはできません。創造的、批判的に消化していかなければなりません。科学の発展の道はそこにしかないのです。
 池田 道理です。
 サドーヴニチィ 知恵を広めるために最も重要な手段となっているのが学校であり、大学でありましょう。学校・大学の教科書は、過去の世代の経験を凝縮し、それを反映してこそ本当の教科書といえます。
 一般的に自然科学の教科書は、文字どおり過去から積み上げられた理論と知識を、偏見なく凝縮させているといえます。しかし、教科書といえども筆者の主観、主張を前提とする人文科学においては、過去の精神遺産をすべて反映させているものは逆にまれな例となってしまいます。人文科学にとってはこの主観が重要な要素であり、まさにそれがゆえに、政治と政治が行使する権力もまた、永遠性、不変性をもつにはいたらないのです。
 あらゆる権力はいつか滅びることを自覚するゆえに、為政者は自らの名を歴史に留めることに躍起になるのでしょう。ただし、歴史は勝者によってつづられてきました。その意味で、勝者の歴史は、いずれ敗者となったときに変わってしまうととを自覚せねばなりません。
 池田 日本でも、第二次世界大戦の敗戦後、価値観が一変してしまったため、今までの教科書が使えなくなった。しかし、戦後の混乱のなかで新しい教科書が間に合わず、仕方がなく、古い教科書の都合が悪いところを、墨で塗りつぶして使用せざるをえませんでした。まさに教育が政治に翻弄される悲劇です。
 私は、あまりつまびらかにしませんが、社会主義イデオロギーが独占的地位を失った、ぺレストロイカ以降のロシアでも、価値観の空白があったと聞いています。
 私が対談集を編んだ作家のアリベルト・リハーノフ氏も、そうした価値観の空白というものが、青少年の精神にどのような暗い影を落としているかを、大変憂慮していました。
 サドーヴニチィ 「知識」と「知恵」の違いを、もう一つあげてみたいと思います。
 学問的知識というものは、国際的に共通のものであり、すべての国、民族に通用するものです。
 一方、知恵は逆にきわめて民族的在性格が濃いのではないでしょうか。それは格言やことわざ、民話などに反映されていることが多く、おもに精神的、倫理的で価値基準に関するものが多いと思います。
 表面的にみて同じような状況、生活体験に対する考え方も民族によってかなり異なる場合があります。良心、義務、名誉、誠実さ、祖国、真実、信仰、希望、愛、といった言葉はどの民族にもありますが、その言葉のもつ中身はかなり違っていたり、時としてまったく逆の内容を含んでいたりします。
 池田 よく理解できます。日本に、おいても、外国の文化や習慣、また価値観との差異が、しばしば問題になります。
 サドーヴニチィ こういった相違はどのように説明できるでしょうか。二つの観点があると思います。第一に、知恵とは、人生について、あるいは生活の意味について語るものですが、その人生、生活は民族によってさまざまです。
 第二に、人生について語るときに使われる、それぞれの民族言語のもつ響きが違います。母国語は内なる音楽として響いても、他民族の言語だと違和感を覚えることがよくあります。
 「どの民族に属するかを決めるのは、名前でも宗教でもなく、祖先から受け継いだ血そのものでもない。考えるときに使う言語によって決まるのである」
 こういったのは『ロシア語詳解辞典』を作ったウラジーミル・ダーリです。二十世紀末時点で、地球上で使用されている言語は二千七百九十六言語、国の数は約二百にのぼります。
 池田 この事実は、軽視されてはなりません。先に、人間の”ホモ・ファーベル”(工作人)的側面に触れましたが、それ以上に”ホモ・ロクエンス”(言語人)といわれるように、言葉をもっということは、人間であることの根幹に関わっています。言葉を奪われるということは、人間の魂の死を意味するといっても過言ではありません。
 ナチスの急速な台頭のなか、亡命を余儀なくされた”世界市民”S・ツヴアイクは、亡命先のブラジルで、失意と傷心のなか自殺に追いこまれてしまう際、遺書にこうつづっています。
 「私自身のことばを話す世界が、私にとっては消滅したも同然となり、私の精神的な故郷であるヨーロッパが、みずからを否定し去った……」(「昨日の世界」2、原田義人訳、『ツヴァイク全集』20所収、みすず書房)
 まさに、生き生きとした言語空間というものが、いかに人間が生きていくために不可欠のものであるかを示してあまりあります。
7  知恵と知識に関する日ロのことわざ
 サドーヴニチィ 池田博士、今回の対談に際して、私は東洋のことわざ集を何冊か見てみました。そして気がついたのは、それらのことわざを国別、民族別でなく、そこに込められた知恵の内容別に区分してみると、共通点よりも相違点のほうが目につくということです。
 東洋のフォークロア(民間伝承)では、へビが知恵の象徴となることが多いようです。西洋の伝統では、へピはやはり知恵があるとされますが、同時に狡猾さや悪意の象徴でもあります。ロシアのことわざで、知恵者としてよく登場するのは、カラス、あるいは熊です。日本の格言では、「カラスが鵜の真似」など、カラスは逆に愚かさのシンボルのようですね。
 幾世紀もの詩の伝統をもつ極東の国々では、孤独な「雁」の姿が、悲しみや永遠の別離、はるか遠くを思う悲嘆の心を象徴するものというイメージが定着しているようです。
 ロシアの持情詩で、憂愁や悲哀、悲嘆、孤独を象徴するものとして、「泣き柳(しだれ柳のこと)」や「孤独なかしの木」「か細き白樺」といった表現がよく登場します。
 池田 たしかに、そのような相違がみられるのは、興味深い現象です。
 サドーヴニチィ ここで、日本とロシアのことわざ、格言のなかから知恵と知識に関するものをいくつかあげてみたいと思います。それぞれの民族性を最もよく表していると私が感じたものです。
  《知恵に関する日本のことわざ・格言》
   ・仁者は憂えず
   ・灯台下暗し
  《知識に関する日本のことわざ・格言》
   ・才能は遺伝せず
   ・門前の小僧習わぬ経を読む
   ・論語読みの論語知らず
   ・名は体を表す
 池田 驚きました。よくご存じですね。(笑い)
 サドーヴニチィ ロシアの場合は、たとえば次のようなものです
  《知恵に関するロシアのことわざ・格言》
   ・知恵とは、実生活に応用できる永遠の真理に関する知識である(L・トルストイ)
   ・親切な馬鹿は、敵よりこわい(I・A・クルィローフ)
  《知識に関するロシアのことわざ・格言》
   ・余計な知識をつめこむよりも、むしろ知識が足りないほうがまだましだ(L・トルストイ)
   ・”とがった針”で心に刻みとまれた知識は価値がある
   ・生命のかよわぬ知識は無価値である(V・ロザノフ)
   ・混乱をきたした社会が知識に背を向け、無学に救いを求める時代がある(M・サルティコフ=シチェドリン)
   ・すべてがわかり、知っているのは馬鹿といかさま師だけである(A・チェーホフ)
 こういったことわざ・格言は、学問的にみて民族的アイデンティティーがはっきり表れており、「我々(うち)」と「彼ら(よそ)」という感覚がよく出ていると思います。「我々」というのは同じ民族に属する人々のことで、「彼ら」というのは、「我々」とは違う民族に属する人のととです。「我々」と「彼ら」との距離は、即、文化のへだたりを表しているのではないでしょうか。
 池田 たしかに、それは物事の一つの側面です。それとともに、もう一つの側面、つまり「へだたり」に対する「親近性」の側面も見落としてはならないでしょう。
8  文化的な違いを超えて「多様性の調和」
 サドーヴニチィ 池田博士、あなたが指摘されたように、現代のメガ・トレンドとなったグローパリゼーションのなかで、それぞれの個性と歴史をもつ多様な異文化が「接近」していくと、お考えですか?
 もし「接近」するとしたら、それは具体的には何をもたらすと考えられますか? あらゆる民族が同じ信仰をもって、世界共通の同じ言葉を話すようになる? あるいは、たとえばアングロサクソンという一つの文化が他の多くの文化の優位に立って、文化を統合してしまう役割を果たすようなことになるのか。文化の接近が、優位なものによる劣等なものの駆逐をもたらすとしたら、ついには、グローバリゼーションの勢いは、あらゆる民族、人種を混合させたあげくに、みんなが同じ肌の色、同じ身長、おまけに性別までなくすといった結果を招くのでは?
 極論かもしれませんが。
 池田 「同じ肌の色」「同じ身長」「向性化」となると、もはや小説『一九八四年』で、全体主義のもたらす不気味な逆ユートピアの世界を描き出したジョージ・オーウェルさえ想像すらしなかった悪夢です。その点はさておき、あなたの提起された問題を考える際、キー・ワードとなってくるのが「多様性の調和」であると思います。
 たしかに、格言などをみれば、あなたが種々あげられたように、民族的アイデンティティーを色濃く反映したものもあります。事物や動植物のイメージにしても、たとえば、闘牛場がいつも満員になるスペインと、大通りを人間が牛をよけて通るインドでは、牛のイメージは、ずいぶん違うでしょう。また、太陽といっても、機会あらば陽光を肌に浴びることを欲している北国の人々と、灼熱の太陽からどう身を守るかが念頭から離れない砂漠地域の人々とでは、イメージは180度異なると思います。文化交流にあたって考慮しなければならない大切な点です。
 しかし、私は、そうした文化や習俗の違いに固執しすぎるのも考えものだと思います。民族固有のアイデンティティーを尊重しつつも、なおかつそこに、多様性の花咲く調和の世界を築き上げる道はないのでしょうか。ハンチントン氏のいう「文明の衝突」は、人類史に宿命づけられているのでしょうか。
 サドーヴニチィ 「文明の衝突」といえば、七年前(一九九四年)、池田博士がモスクワ大学での二回目の講演をされたときのことを思い出します。コメンテターをつとめたパーニン哲学部長は、講演内容には「文明の衝突」という時流の予測をくつがえす哲学、理論的根拠が含まれている――と。
 池田 過分のコメントで恐縮しました。
 私は「衝突」が宿命づけられているとは思いません。仕事の性質上、折に触れて世界の名言、格言の類に目を通すのですが、なかには違和感を覚えるものもないではありませんが、共感を覚えるもののほうが圧倒的に多い。これは、賢人、偉人の残した選りすぐられた歳言の類だけではなく、フォークロアの領域でも、同じようにいえることです。また多少の違和感を覚えても、何度か時間をかけて接触していくうちに、違和感や抵抗感は薄れていきます。
 何よりも、ロシアのアイデンティティーに深く根ざしたトルストイやドストエアスキーをはじめとするロシア文学が、日本で翻訳され始めてから百年あまり、多くの読者を獲得し、連綿と読み継がれている事実は注目すべきでしょう。
 「およそ人間的なものに深い根底をおかぬような国民文学は、無味乾燥である」(「ゲーテ格言集」大山定一訳、『ゲーテ全集』11所収、人文書院)とのゲーテの言葉もあるように、よき文学には、いかなる民族に属しようと、人間である限り必ず共有しているはずの普遍的な精神の水脈に連なる何かが、必ずあるはずなのです。それを「ユマニテ」(アンドレ・ジッド)、「胸を痛める心」(シモーヌ・ヴェイユ[「デラシヌマン」大木健訳、『疎外される人間』所収、平凡社])、「あまねきディスンシィ(品位、寛大さ)」(ジョージ・オーウェル)等と言ってもよいし、あるいは、カントの有名な定言命法「汝の人格の中にも他のすべての人格の中にもある人間性を、汝がいつも同時に目的として用い、決して単に手段としてのみ用いない、というようなふうに行為せよ」(「人倫の形而上学の基礎づけ」野田又夫訳、『世界の名著』32所収、中央公論社)を当ててもよいでしよう。
 サドーヴニチィ いずれも、ヒューマニズムの”核”をなすものですね。
 池田 ええ。それらを”核”にして形成された普遍的な精神性、倫理性の回路がグローバルに張りめぐらされれば、それは、多様な文化や習俗が、他を排することなく共存共栄していくための土壌となっていくにちがいない。「多様性の調和」であります。
 私が「知恵の全体性」と申し上げているのも、そうした普遍的な精神性、倫理性を志向しているのであって、今進行中のグローバリゼーションを誤った方向に進ませないためにも、焦眉の急務であると、私は確信しております。また、それは、知識と知恵の架橋作業を推進しゆく正道とはいえないでしょうか。
9  規範からの逸脱を止める内発的な精神性
 サドーヴニチィ よくいわれることですが、現代社会では、自己中心的に生きること、ウソをついて平気でいること、好き勝手に生きることがあたりまえになってしまったようです。かつては、そのような生き方を潔しとはせず、社会の病ととらえたものでした。道徳性を著しく欠く人がかつては少数で、その人たちが病んでいるとされていたのに対して、現代は、道徳性をもつ人が少数派となった感を否めません。
 そうだとすると、過去において奇形だったものが現代の正常者となり、過去における非道徳が時代を経て標準になってしまったことになります。グローバリゼーションというのは、まさにそのような状況を認知してしまう働きをするのではないでしょうか。
 たとえば麻薬公認の状況をみてもよくわかると思います。一部の国ではいわゆる「軽い麻薬」はすでに公認されています。オランダなどがそうです。アメリカではなんとジョージ・ソロスがそういった麻薬の公認を主張しています。「麻薬文化」が「新世界文化」としての様相をますます帯びてきています。
 池田 ソロス氏は、自分の創設した慈善団体を「オープン・ソサエティ」財団と名づけていますが、その目指すところは、人間の本能や欲望ができるだけ規制されない、その意味で自由の保障された社会、を意味しているようです。(浜田和幸『ヘッジファンド』文春新潮、参照)
 ドストエアスキーの『悪霊』の主人公たちのセリフを聞いているようで(もとより、ドストエアスキーが付与している無神論の思想的な深淵などとは無縁ですが)、自由の逸脱、自由と放縦とのはき違えであり、快楽と幸福とを混同しているとの感を深くします。ソロス氏が積極的に進めている「麻薬の合法化」や「安楽死是認」のキャンペーンは、表向きのスローガンだけでは割り切れない、警戒すべき側面を有していることを、見逃すべきではありません。
 サドーヴニチィ 新しいグローバル社会の標準的価値基準として定着しつつあるものの別の例として、従来の概念におさまらない性の概念が、一部の国で公認となりつつあることがあげられるでしょう。
 このように、「危険な知識」というべきものが社会に蓄積されつつありますが、そのもとになっているのが科学であり、非科学的知識です。こういった危険な知識がいろいろな経路をたどって少しずつ合法化され、それが社会の規範になりつつあります。以前はほんの一部でしかみられなかった規範からの逸脱が、大衆的なものとなって蔓延しつつあるのです。このような状況について、ジャン=ポール・サルトルはこういっています。
 「ここは盗人の国である。ここでは盗みをはたらいても、何か特別のことをしたのではない、ここの規範を破るどころか、従ったことになる。私は悪を作り出しているのでもなく、平穏を破っているのでもない。スキャンダルはここでは考えられない。盗みをしながら、それが盗みにならないのである」
 これは規範の逸脱を前提とする新たな道徳規範体系が生まれてきていることを意味するのではないでしょうか。もし、そうであるとすれば――事実に照らしてみるとそうとしか思われませんが――「内発性に根ざした寛容」をもってして、世界が「逸脱」してしまわないようにすることは可能なのでしょうか。
 池田 私は、今日の文明史が”引き返し不能の点”(ポイント・オプ・ノー・リターン)を超えたとは必ずしも思っていません。しかし、おっしゃるような「逸脱」が随所に顔をのぞかせ、不気味な黒雲のようなものが、社会に漂っていることも事実です。
 総長の懸念されている「麻薬文化」など、その典型でしょう。心の空虚を、麻薬という「外発」的な毒をもってまぎらわそうとするのですから。
 私は、一つの大きな原因は、現代社会が情報化の波のなかであまりにもバーチャル・リアリティー(仮想現実)に囲まれすぎていて、人間らしさが失われ、リアリティー(現実)とのつながりが希薄になってしまった点にあると思っています。いわゆるコミュニケーション不全です。主客対立の構造をもつ機械論的自然観は、人間と自然とのコミュニケーション不全をもたらします。その不全は、人間も自然の一員であることの当然の帰結として、人間同士のコミュニケーションにもはね返ってきます。かくて、表面上はかつてない繁栄を謳歌しているかにみえる現代社会のいたるところから、コミュニケーション不全から発するきしみ音が聞こえてきます。
 テクノロジーの発達によるコミュニケーションの進展は便利なものですが、生の現実(リアリティー)とのコミュニケーションを補完することはできても、代替は不可能です。「内発」的な精神性は、あくまで人間や自然との直のコミュニケーションを土壌にして成り立つものだからです。
 サドーヴニチィ その点はよく理解できます
 池田 プラトンは「書簡」のなかで、巧みに述べています。
 「そもそもそれ(=肝心の事柄)は、ほかの学問のようには、言葉で表現されえないものであって、むしろ、(教える者と学ぶ者とが)生活を共同しながら、その問題の事柄を直接に取り上げて、数多く話し合いを重ねてゆくうちに、そこから、いわば飛び火によって点ぜられた燈火のように、突発的に学ぶ者の魂のうちに生じ、以後は、生じたそれ自体がそれみずからを養い育ててゆくという、そういう性質のものなのである」(「書簡集」長坂公一訳、『世界古典文学全集』15所収、筑摩書房)
 昨秋(2000年)、日本に総長二付をお迎えして種々語り合った際、同行されていた、私も旧知のヤゴジン・ロシア国際大学総長が「教授は知識を与えるだけでなく、自分の行動、自分の全存在を通して教えなければなりません。そこで、どんな優秀な教授でも、四人を超える研究生の面倒をみることはできないといわれています」と語っておられました。
 四人という数字は理想論でしょうが、まさに、プラトンの言葉を裏書きする卓見であると感じ入りました。
 そうした「内発」的な精神性、プラトンのいう「肝心の事柄」を触発させゆくためにも、とめどもなく押し寄せるバーチャル・リアリティーによる幻惑から、自然や人間との直のコミュニケーションをどう保全するかということが、いわば文明論的課題となってくるのです。
 サドーヴニチィ もう一つ、人間が動物世界から独立したのも、生物学的逸脱の、おかげであることを考えれば、「逸脱」を止めることができるかどうかということは、単なる問いのための問いではありません。そもそも、文明史そのものが進歩したのも、一般的基準を飛び越えた人々のおかげです。
 この章の結びにあたって、あるスペインのことわざをあげたいと思います。
 「神ょ、我に出来うる変革を成し遂げるだけの力を与えたまえ。変革しあたわざるものをあきらめる忍耐の力を与えたまえ。そして、前者と後者を区別するための知恵を与えたまえ」
 池田 重ねて留意すべきは”科学の進歩によって、人間は動物並みになった”というニーチェの逆説です。先に触れたジヤカル氏は、すべての行動の指針として、「やらないほうがましなことがある」とのアインシュタインの言葉をあげています。(前掲書『世界を知るためのささやかな哲学』)
 近代文明は、傲慢さと訣別し、節度と慎みを身につけなければ、カタストロフィー(破局)を迎えてしまいます。

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