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日蓮大聖人・池田大作

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2 無限の宇宙をめぐる信仰と知性  

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

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9  人間精神を腐蝕させるハイテク兵器
 サドーヴニチィ その意味では、生物進化への干渉だけが、複雑な未来の文明に立ちはだかる未知の問題ではありません。それに劣らず予測のむずかしいのが、情報化の問題です。
 「情報化社会」への移行期といわれる二十世紀末に、おいては、池田博士もいわれたように、国家が経済力増強のために知識を利用するようになりました。知識は今や、秘すべきものとなってしまいました。いわゆる「ノウハウ」や企業秘密、国家機密です。そういったものは、他の国が利用して優勢に立たないよう、厳重に防護されています。もちろん、いい意味での競争原理が働く場合もあります。しかし、ここで私が言おうとしているのは別の観点です。知識が他国に害を及ぼすために利用される、しかも、それが武力をともなう場合もあるということを問題にしているのです。
 近年をふり返るだけでも、近代的な知識を駆使したハイテク兵器をもっ国々が、よってたかつて他の独立国家に対する殺戮をしかけるために、その武器を使用するという例を、私たちは目の当たりにしているのです。しかも、そういった行動は「人道的干渉」という名称まで、すでについています。
 池田 ロシアの立場は、私も承知しています。ハイテク兵器による攻撃は、味方の人的被害は皆無に近いにもかかわらず、敵方には甚大な被害を与え、またその惨状(たとえば死にゆく者、傷つく者の苦悶)に直接に接しないという点で、きわめて非人間的だと思います。もちろん、兵器に人間的、非人間的の区別などありませんが、それにしても不気味で、勝者の人間精神をも腐蝕させ、破壊してしまう。そうした状況は、離人症や人情不感症などの心の病の温床となってしまいます。
 サドーヴニチィ 「知識と道徳性」の問題について、ロシアのすぐれた歴史学者V・O・クリュチェフスキーの言葉がよく事の本質を言いあてているのではないかと思います。
 「学問と知識を混同することがままある。これはとんでもない誤解である。学問は知識にとどまるものではなく、意識そのもの、つまり、知識を用いる力である」
 これはもう、「知恵」の領域に近づいているといえるでしょう。
 池田 なんのために知識を使うのかを、はっきりさせないといけないということですね。そこに知識を使いこなす知恵が必要となるわけです。
 サドーヴニチィ ええ、そのとおりです。このクリュチェアスキーの考えの根拠もそこにあるのです。このような問題提起とアプローチは、「科学的実証主義」として知られています。科学的実証主義というのは、「真理」と「人生に有益なもの」との間に境界線を設けようとする考え方です。
 私は、この科学的実証主義の研究がどのように進んでいるのか、専門外なので詳しくは知らないのですが、本質的には、「学問すること」は、「人間にとって必要で有益な知識」の母体には、必ずしもならないという主張であると理解しています。
 例を挙げてみましょう。学術会合でよくあることですが、議論が過熱してくると学者たちは、それほど重要でもなく、なんの現実的価値もない問題に熱中してしまうのです。たとえば、量子力学の解釈や、宇宙の膨張論と静止論では、どちらのモデルがより科学的に証明できるか、といった議論です。科学的実証主義の見地からすれば、このような議論は、とりあえずは無用の議論です。
 池田 諸学をすべて渉猟してきたにもかかわらず、「おれはちっとも賢くはなっていない」(『ゲーテ全集』2、大山定一訳、人文書院)――ゲー1テ描くところのファウスト博士の慨嘆は、決して”今は昔”のことではない。
 サドーヴニチィ そうなんです。ただ、そういってしまうと、学問そのものが成り立たなくなってしまいます。そもそも古代ギリシャ・ローマでは、「学問的な理論」(哲学すること)と「実用的な知識、技術」とは、明確に一線を画す別々のものだった事実もあるわけですから。
 ノーベル化学賞受賞者のイリヤ・プリゴジン博士はこういっています。
 「古代人にとって、自然は知恵の源だった。中世における自然は、神を想起させた。近世になって自然は何も意味をなさなくなり、カントは科学と知恵、科学と真理を完全に切り離して考える必要があると結論した。この分断はもう二百年間続いている。今やそれに終止符を打っときが来た」
 I・プリゴジンがいうように、たしかに科学と知恵、より正確には(私の意見では)科学的知識と人間の知恵とは切り離されたままになっています。
 池田 プリゴジン氏は、古代や中世に存在していたホーリスティック(全体的)な自然観、宇宙観を、現代科学の最先端から再構築していこうとする壮大な営為に挑戦しておられる方ですね。私は、氏の「この新しい状況は、科学と他の文化的な人間の営みの間に新しい橋渡しをもたらすことになろう」(『存在から発展へ』小出昭一郎・安孫子誠也他訳、みすず書房)との言葉に、満腔の賛意を表します。それは、知識と知恵の架橋作業に挑戦している我々の試みと、深い次元で志を一にしているからです。

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