Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

1 ロシアの教育とプーチン大統領  

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

前後
9  サドーヴニチィ ロシア語に限らず、世界全般に共通することだと思いますが、「知識」というと「日常的」知識と「学問的」知識があります。日常的な知識とは、いわゆる常識のことだといえるでしょう。学問的知識とは、論理的な根拠があり、証明可能で、ある決まった結果を必ず導くものです。
 一方、「知恵」という言葉には、深い道理に根ざしていて、善意に満ちた、真実の「何か」という響きがあります。
 私たちがここで取り上げた「知識」と「知恵」は、こうしてみると、その違いは、とても微妙ではあるけれども、じつは大きな違いがあることがわかります。
 おそらく、いずこの社会であっても、物知りな人イコール賢明な人(知恵のある人)ではない、という見方がなされてきたのではないでしょうか。この二つの概念は、もともと根本的に違うものであり、その点、池田博士と同じ意見です。
 池田 そのとおりです。根本的に違ったものを混同してしまったところに、二十世紀の悲劇を招いてしまった大きな要因があるのです。
 サドーヴニチィ 人間はつねに知識を求めてきました。それは知識のなかに、自己の成長や幸福、安全な暮らしへの道しるべを見出していたからです。人間は何か新しいことを知ろうと模索するなかで、新たな経験をします。そしてそれを実生活のうえに活かしながら、さらにその先はどうなるのかという興味にかられます。つねに新しい事実を知ろうとする衝動は、人間の頭脳に備わった自然な性質です。
 人間は心のなかのどこかで、あるいは意識していないかもしれませんが、知識を求める行為は、自分の身を守ることと、つねに結びついていました。なぜなら、人間は、災害や自然現象、あるいは他の生き物に対しては、無防備だったからです。そのため、自然に関する知識をできるだけ身につけなければなりませんでした。
 また、知識は豊かな暮らしとも結びついていました。知識や経験は、快適さと富をもたらしてくれるからです。たとえば、火は暖をあたえ、美味しい料理を作るのに欠かせない、かまど(家庭)の守り手であることを人間は知っていました。
 池田 ”ホモ・ファーベル”(工作人)といわれるように、古来、「道具をもつこと」が「言葉をもつこと」と並んで人間であることの大きな条件とされてきたゆえんですね。
 サドーヴニチィ ちなみに火を通して、人間の知的成長の過程を追ってみるのも興味深いのではないでしようか。
 ――ある時ふと、人間は「火とは何なのだろう」という疑問をもった。そして炎を見つめ、その美しさ、多様な姿を見ながら、いったい、この火とは何なのかと考え続けていった――。
 この疑問は何百万年も前からあったにもかかわらず、いまだに完壁な学問的な答えはありません。これは火に限ったことではありません。たとえば球電をとってみても、自然科学がここまで発展した現在もなお、不可思議な自然現象として謎のままです。
 池田 お話をうかがっていると、総長が体現しておられる”哲人”的側面――それは、先述のボーアやハイゼンベルクが濃密に体現していたものです――が躍如としてくるようです。

1
9