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1 ロシアの教育とプーチン大統領  

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

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1  「教育の世紀」を展望して
 池田 二十一世紀は、「教育の世紀」です。私も、かねてより、教育こそ、わが人生の最後の仕事であると心に期してきました。
 その意味からも、サーヴニチィ総長という、ロシアのみならず世界の教育界の最先端で働いておられる方と、対談の機会をもちえたことは、最高の喜びです。私にとって、二十一世紀になって始める最初の対談でもありますので、新世紀を担って立つ青年たち、学生たちに、つねに思いを馳せながら、全力で取り組んでいきたいと思います。
 サドーヴニチィ こちらこそ、よろしくお願いいたします。池田会長と語り合うのは、いつも私の大きな楽しみです。
 先日(2001年3月16日)、中国の広東省社会科学院「名誉教授」称号の受賞で、池田会長が受けられた名誉博士、名誉教授が百になったとうかがいました。本当におめでとうございます。私の知る限りでは、名誉学位を百の大学、学術・研究機関から贈られている人は、ほかにいないと思います。池田博士のこれまでの平和、文化、教育に対するたゆまぬご貢献、ご行動のたまものであると、高く評価いたします。
 二十六年前(一九七五年)、池田会長に第一号の名誉博士をお贈りしたのは、わがモスクワ大学でありました私は当時はまだ教授でしたが、今、モスクワ大学の総長として、わが大学の先見の明に、心から誇りを感じております。
 池田 ありがとうございます。過分のお言葉、恐縮です。
 サドーヴニチィ また、モスクワ大学は、池田会長を「名誉博士」に続いて「名誉教授」に、お迎えしたいのです。名誉博士号を受けた人は、たくさんおられますが、わが大学で「名誉博士」と「名誉教授」という二つの栄誉を”一人”に受けていただくのは、池田会長が初めてだと思います。ご都合のよいときに、いつでも授与式を行わさせていただきたいと思います。(2002年6月8日に授与)
 池田 大変に光栄なことです。
 サドーヴニチィ 世界の英知の代表である池田会長とともに、この対談をもって、二十一世紀を拓いていく――そのくらいの決意で取り組んでいきたいと思っています。
 「教育こそ第一である」とする池田会長の思想は、これまでの人類の経験に照らしてみても、まったく正しいと思います。
2  事故への真剣な対応がリーダーの責務
 池田 総長こそ、高名な大数学者であり、世界の学術界に大きな影響力を持たれていることはよく存じ上げております。
 そこでこの対談ですが、いきなり文明論的なテーマから入るのではなく、まず最近の時事的な話題から入っていきたいと思うのですが。
 サドーヴニチィ それにしましでも、今回のハワイ、オアフ島沖のアメリカの原子力潜水艦グリーンビルと日本の水産高校の実習船”えひめ丸”の衝突事故(2001年2月10日)に対して、心からのお見舞いを申し上げます。昨年(2000年)夏、わが国も同じ原子力潜水艦クルスクの事故を経験したばかりですから、とても他人事と思えないくらい心を痛めております。
 池田 本当に、痛ましい事故が起こってしまいました。えひめ丸の高校生を含めた九人の方々が依然、行方不明(のちに八人の死亡確認、一人が不明)であり、重傷者も出ました。日米が協力して、今後の対応に全力を尽くしてほしいと皆が願っています。
 貴国もプーチン大統領の就任直後、原子力潜水艦クルスクの事故や、オスタンキノ・テレビ塔の火災が相次ぎ、心配されました。そのときのことについて、何か参考になるようなことがあれば、お話しいただけませんでしょうか。
 サドーヴニチィ 潜水艦クルスクの惨事は、明らかに、偶発的事故だったと思われます。同様の潜水艦の事故は、過去にもありました。ロシアだけでなく他の国の潜水艦でも起こっています。また、(海上ではなく)整備工場等で事故が起きる場合もあります。
 複雑な機械、設備、工場の運転においては、人間の操作の如何にかかわらず、こうした不測の大事故が起きる可能性があり、そのような事故のケースを「技術起源説」で説明しようとする学説も存在しているくらいです。
 クルスクの事故も、残念ながら、このケースに当てはまると考えます。私は、事故直後(事故当日)、大統領の側にいましたので、彼が刻々と入ってくる情報にいかに真剣に対応していったかを目の当たりにしました。
 池田 重大な証言です。
 サドーヴニチィ 周辺では、ああすべきだ、こうすべきだと当てにならない忠告をしてくる者も多くおりましたが、見るところ、大統領は終始一貫、事故の収束を念頭に置き、そのためにあらゆる可能な手を打っていかれたと思います。
 池田 事故の原因は究明されたのでしょうか。
 サドーヴニチィ 事故原因は、いまだ不明です。わかっていることは、船首部にあった弾薬が何らかの理由で爆発し、それによって深刻なダメージを受けた船体が、その直後に浸水し沈んだ、ということです。結論からいえば、わが国は、遺族のために、できる限りを尽くしたと思っています。遺族への補償金が支払われるという措置が取られたのも、これまでに例のなかったことです。大統領自らが、遺族と会見し、五、六時間かけて、彼らの質問や苦情をすべて丁寧に聞きました。
 この大惨事が起こったときのマスコミの対応について、一言述べさせていただきたいと思います。いくつかの報道機関や政治家たちは、この惨事を格好の材料にして、売らんがため、また人気取りのために、大騒ぎしました。そのような喧騒は、往々にして無責任なものです。
 池田 わかります。
 最終的には、潜水艦は引き揚げられる可能性はあるでしょうか。
 サドーヴニチィ 政府がとった対応がすべて正しかった、100パーセント的を射ていたとはいえないかもしれませんが、少なくとも、政府が誠実に最大の努力を払ったことを、私は知っています。今も、政府は、潜水艦の引き揚げという課題に取り組んでいます。
 それに対して、四方八方から物知り顔のあらゆる意見、提案が飛んできます。その九割方は技術的にみてナンセンスなものですが。いずれにせよ現在、潜水チームが準備をしています。作業が進めば、我々もこの大事故の謎に迫ることがより可能になることでしょう。また潜水艦の引き揚げの努力も継続して行われています。(2OO0年10月、引き揚げ成功)
 池田 ともあれ、このような事故にあっては、再発防止のための真相究明とともに、被害者や遺族の方々に誠意ある対応をすることが望まれています。何よりも尊い人の生命にかかわる問題ですので、マスコミを含めて責任ある態度が大切と思います。
 サドーヴニチィ 本当にそうだと思います。
3  父親との触れ合いが育んだ学問への興味
 池田 ところで、貴国のプーチン大統領に関しては、最初は、無名に近く、政治的手腕などもまったく未知数でしたが、着実に実績を残してこられたと思います。
 大統領就任以来ほぼ一年、治安対策や、経済面での相対的な安定を背景に、高い支持率を保ち続けているようです。来日されたときも、得意の柔道着姿や夫人の和服姿を披露するなど、粋なパフォーマンスを見せておられました。
 プーチン大統領の人となりについて、総長は、どのような印象を持っておられますか。
 サドーヴニチィ 大統領の人気は相変わらず高く、一連の出来事も、予想されたことですが、影響を与えていません。大統領が辛労を尽くしていることも国民は知っていますから。
 私は、偉大な大統領に成長すると信じています。とくに、大統領がレニングラード大学(現・サンクトペテルブルク大学)を卒業している――つまり、申し分のない教育を受けた人であるということが、私が支持する大きな理由です。
 同時に、リーダーとして必要な資質を十分に備えた人物だと思います。
 私は、これまでに二回、大統領の公式訪問に随行しました。一回はインド訪問の二日間、次はカザフスタン共和国訪問で、これも二日間です。
 彼は、ダイナミックで、同時に思慮深い人物です。そして、日を重ねるごとに経験と知識と知恵を蓄えてきていると思います。
 池田 そうですか。ここ十年ばかり、時代の激流に翻弄され続けてきたロシアの民衆の拠りどころというか、民心の安定のためにも、大統領に、ぜひ、優れたリーダーシップをとり続けてほしいと思います。
 話題を転じて、今、日本では、教育問題が、当面する最大のテーマとして浮上してきています。とくに初等・中等教育の場で、いじめや不登校などの問題行動が続発し、事態は深刻の度を増しております。私も、昨年(2000年)から今年にかけて、問題の所在、対応の仕方を私なりに二度ほど「教育提言」というかたちで世に問いました。
 学校教育の問題はのちに論ずるとして、子どもたちの世界にしのびよる”闇”に目を向けるとき、避けて通れないのが、学校教育以前の家庭教育の問題です。
 サドーヴニチィ 私も、一番大事なのは家庭教育だと思います。しかも、それは、子どもが生まれてから始まるのではなく、両親が”子どもをもとう”と思った瞬間から始まっています。
 年齢としてはまず五歳までが大事です。そのころまでに、命あるものに対して「すばらしいなあ」とか「きれいだなあ」と感じる心が発達してきますから。たとえば、むやみに花を摘もうとする子どもに「摘んじゃ、かわいそうだ」と教えていくといったことが大事だと思います。
 池田 ルソーが原初の社会感情とした「憐憫」ですね。
 ところで、お父さまとお母さまは、どのように総長を育てられましたか。ご両親について一番印象に残っていることは何ですか。
 サドーヴニチィ 私は、ごく平凡な庶民の家庭に育ちました。両親は教育を受けていなかったので、読み書きはできませんでしたが、その分、子どもたちには教育を受けさせたいという強い思いを抱いていたようでした。
 私が数学者になったのは、父の、おかげだと思っています。小学校の一、二年生のころ、学校から帰ると、父はよく私に、学校で何を習ってきたか、どんな問題が出されたか、と尋ねたものでした。それで、私は、点と点を使って、直線、最短距離、平行といった算数の基本概念を問う問題を父に話しました。父は、無学で読み書きができなかったにもかかわらず、こういう問題を順序だてて解くのが上手で、自分なりに立てた論理的な思考方法を、私にヒントとして与えてくれました。
 池田 お父さまとのそうした触れ合いのなかで、興味が湧いてきたのでしょうね。
 サドーヴニチィ また、なんといっても農村育ちですから、子どもは家族の手伝いが第一でした。
 私に与えられた仕事は、ヤギの世話でした。ヤギに草を食べさせに行くとき、私は、いつも「数学」の本を小脇に抱えていました。それがあって数学者になれたんだと思います。(笑い)
 池田 お父さまや、お母さま、または学校の先生に叱られたことはありますか。多くの子どもたちから「ぜひ、聞いてみてほしい」という声があったものですから。(笑い)
 サドーヴニチィ 父は、とても厳しい人でした。私が悪いことをすれば、ムチでピシッとたたかれる――そういうこともありました。
 父は、大工で、八十五歳で亡くなりました。
 池田 ご長寿でしたね。
 サドーヴニチィ ですから、私にとって、そういう父の一番の印象は、平凡な庶民こそが、教育の果たす役目を一番正確に理解しているということです。
 下手に文明にかぶれて人格をダメにしてしまっている人間よりも、まじめに働いて生きている庶民のほうが、人間性が豊かで、人間的な価値というものを心得ているというのは、多くの場合に共通していえることかもしれませんね。
4  知識を知恵と錯覚する現代人の迷妄
 池田 すばらしいご発言です。お父さまは、大変な”知恵”のある方であられたのですね。
 ゴルバチョフ元大統領も、少年時代、イデオロギーの嵐が吹きあれ、人々がそれに縛られて、人間的な発想ができなくなっているとき、田舎の祖父の「人間にとって一番大事なものは、自由で柔らかい履物だ」との知恵の言葉が強く記憶に焼きついていると、私との対談のなかで語っていました。
 二十世紀は、知識面では際限もなく広がり、細分化したけれども、知恵という面はあまりにもおろそかにされてきました。
 昨年(2000年)末は、世紀末ということもあって、二十世紀を総括する言葉がおびただしく飛び交いましたが、それらは、ほとんどといってよいほど、マイナス・イメージのものでした。知恵の衰退を物語っているといえます。
 二十一世紀に人類が取り組むべき文明論的な課題として、私は三点をあげたいと思います。すなわち、拮抗し、対立し、背反しているかにみえるそれぞれの要素――①知識と知恵、②自由と平等、③伝統と近代化――の間に、どう橋を架け、融合させていくかという、三つの架橋作業です。それらについて、総長と語り合いたいと思うのです。
 サドーヴニチィ 賛成です。
 池田 第一に、知識と知恵の架橋作業を取り上げてみたい。私の恩師である戸田城聖創価学会第二代会長は、「知識を知恵と錯覚しているのが、現代人の最大の迷妄である」と喝破しておりました。また、優れた教育者でもあった、牧口常三郎初代会長も、真理と価値との混同を、厳しく戒めておりました。
 たしかに、フランシス・ベーコンのいうように「知は力」かもしれない。しかし、それは、即知恵を意味しません。それどころか、悪用された知識が、反価値となり、どのような害悪をまきちらすかは、精轍に計算し尽くされたナチスのホロコーストに象徴されるように、二十世紀の人々が、骨身にしみて味わったところです。
 サドーヴニチィ おっしゃるとおり、知識そのものに人格はありません。それが悪となるか善となるかは、人間の使い方しだいです。
 池田 カーター元米大統領の特別補佐官であったプレジンスキー氏の試算によると、二十世紀の人為的殺人の数は、一億六千七百万人にの、ぼるといいます(『アウト・オブ・コントロール』鈴木主税訳、草思社)。科学技術の発達による知識の普及、情報化社会の飛躍的な進展のみられた二十世紀が、人類史上、未曾有の大殺戮時代であったという巨大なパラドックス(逆説)は、何を物語っているのでしょうか。
 私は、その根底に、知識がそのまま知恵であるかのごとき錯覚、真理と価値との混同が横たわっていると思います。知識といい真理といっても、それらが何のために存在するのかという目的意識や価値意識と切り離されて独り歩きしてしまえば、破壊や殺戮をほしいままにするモンスター(怪物)の具と化してしまう。
 「知性は、方法や道具にたいしては、鋭い鑑識眼をもってはいますが、目的や価値にかんしては盲目です」(「人間の生存の目標」市井三郎訳、『晩年に想う』所収、講談社)とのアインシュタインの言葉は、近代の学問や科学のあり方、方向性を手放しに肯定することへの、鋭い警鐘となっているのではないでしょうか。
 サドーヴニチィ 学問、つまり知識は、なんらかの学術的結論を出すための手段を選択し、なければいけないような場合には、非常に有力であります。すなわち、学者であればだれでも、研究方法を知っています。方法論と専門分野に習熟しているのです。しかしながら、その研究がもたらす学術的成果がいかなるものに、なるかは予知不能です。さらにわからないのは、その学術的成果がのちにどのような展開をしていくかであります。
 最近、「メタファーとしての学問」と題する講演をしました。そのなかで、私は、学問が将来どのように発展していくかを予測することは、じつに困難な、おまけに報われない仕事だと述べました。その例として、未来技術がどうなるかを予測するようにとの課題を与えられたアメリカのある専門家チームの話をしました。
 1930年代半ばのことでしたが、F・D・ルーズベルト大統領の依頼で行ったとの専門家たちの予測結果は、じつに意外なものです。というのも、彼らは、のちに登場したさまざまな技術製品をどれも言い当てることができなかったのです。彼らは、ジェット機の開発も、ボールペンやテレビの登場さえも予測しえていません。要は、学問は方法論において有能だが、未来について述べよとの問いに対しては盲目に等しいということを申し上げたかったのです。つまり、アインシュタインがいわんとするところと、まったく同じことです。
5  真の幸福は他者との「共生」のなかに
 池田 もとより人間が人間である限り、つまり、人間が生きがいを求める動物である限り、無意識のうちにも目的や価値を意識しなくては生きていけません。その意味では、すでに目的意識や価値意識の次元で、現代人の眼は、迷妄の雲に覆われているようです。一言にしていえば「幸福」と「快(安)楽」とをはき違えているということです。科学技術文明の発達は、人類に多大な価値的恩恵をもたらした反面、「パンドラの箱」よろしく、人間の快(安)楽志向という欲望を解き放ちました。
 快(安)楽志向そのものは、人間だれしも有しているもので、必ずしも悪ではありません。しかし、欲望の際限のない肥大化というレールの上をひた走っていると、ちょうどソクラテスが、快楽主義者カリクレスを「人が疥癬にかかって、かゆくてたまらず、思うぞんぶんいくらでも掻くことができるので、掻きつづけながら一生をすごすとしたら、これもまた幸福に生きることだと言えるのかね?」(『ゴルギアス』藤沢令夫訳、田中美知太郎責任編集『世界の名著』6所収、中央公論社)と痛烈に論破しているように、快楽が、そのまま幸福であるかのごとき錯覚を生みます。そこでは、幸福とは、もっぱら自らのエゴイズムの充足の異名にすぎず、真の幸福は、他者や自然との「共生」の上にのみ成り立つものだという大切な視点が、欠落してしまいます。
 つまり、ソクラテス以来の「善く生きる」という命題は、「快く生きる」「安楽に生きる」という、
 低次元の快楽主義、エゴイズムへと矮小化されてしまうのです。
 トルストイが『アンナ・カレニナ』の終章で、主人公レーヴィンの口を借りて、人間を矮小化させる現代文明の病理を鋭く批判しているのも、「共生」感覚の喪失ということと、通底しているのではないでしょうか。
 サドーヴニチィ ここでは、池田博士は、人間の幸福とは何かという哲学上の命題を論じられているわけですが、私は、博士の言葉に共鳴いたします。幸福とは何かとの問いに対する答えは、事実上、現在もなお、出されていません。幸福という概念は、人間が経験する多くの事柄が幾重にも染め重ねられて生じる深い概念であることは、疑う余地がありません。
 これに関して、私は、アメリカの作家、O・へンリーの小説を思い浮かべます。主人公は、アメリカの大きな街のクリーニング店で働いている若者です。一日中立ちづめで働き、来る日も来る日も同じ仕事をこなし、若者は一日が終わるとぐったりと疲れて家に帰る。しかし、彼には、喜びと幸福に浸る秘訣がありました。夜遅く帰宅すると、彼は靴を脱ぎ、金属製のベッドに横になり、立ち疲れてほてった足をベッドの金属にもたせ掛けるのです。そして、ひんやりとした金属が足の裏を冷やしてくれる心地よさに、彼はこの上ない満足を感じるのでした。そのようなある日、子どもに恵まれなかった大金持ちがこの若者を大いに気に入り、後継ぎになってもらいたいといってきました。若者は、例によってベッドの上で考えました。大金持ちになれば、いろいろおもしろそうだ、だが待てよ、そうなれば、もうクリーニング店で働くこともなくなり、深夜、家に帰って今みたいにベッドで足を冷やす快感を味わうこともなくなってしまう。若者は、こう考えて、金持ちの話を断った、というストーリーでした。
 池田 O・へンリー描くところの若者は、なかなかの哲学者です。”樽の哲学者”として有名なシノぺのディオゲネスそのままですね。
 ――当時、権勢並ぶ者のなかったアレクサンドロス大玉が、ディオゲネスの住居である樽を訪れ、「何かほしいものはないか」と聞くと「何もいらないが、日の当たるように、そこをどいてくれ」と。
 サドーヴニチィ 実際のところ、幸福の内実にはさまざまな要因が織り込まれて、一言でこれが幸福だと決めるのはむずかしい。
 ただし、真実の幸福ということになると、私は、人間のなかに湧き起こってくる無数の感情の調和が取れている状態ではないか、と思っています。そして、真の幸福感を人間にもたらす主要な要素は、おっしゃるとおり、他者への思いやり、人のために役立つこと、自らの信念に生きること等をあげるべきでしょう。総じては、真の幸福は、他者のために行動するなかに生まれるものではないでしょうか。
 池田 まったく同感です。仏法では、菩薩の利他の精神を、理想の生き方であるとしています。仏典に「喜とは自他共に喜ぶ事なり」とあるとおり、自分だけの喜び、幸福などありません。
 他者や自然、大宇宙との一体感、「共生」感覚を育み、生きとし生けるものすべてに「意味」を見出していくものこそ、知恵にほかなりません。そして、この知恵こそが、個々の存在や知識を、意味の連環のなかへと結合させていくのであり、二十世紀にようやく爛熟期迎えたかに見える近代文明に、最も欠落しているのも、この知恵であると思うのです。ヨーロッパの精神史に即して、近代が、中世的な世界観に代わる新たな世界観の時代ではなく、「世界観なき時代」であるといわれるのも、ゆえなきことではありません。二十世紀、ロシアの卓越した哲学者ニコライ・ベルジャーエフが、しきりに「新しき中世」ということを唱導していたのも、近代文明の行く末に、偉大なる意味体系の復活を志向していたからにほかならないでしょう。
 同じようなモチーフから、私は、十年ほど前に世に問うた『教育所感』(「教育の目指すべき道――私の所感」本全集第1巻収録)で、「知識の個別性」と「知恵の全体性」をどう融合させるか、というかたちで、問題提起したことがあります。
 サドーヴニチィ たしかに、それは容易ならぬ課題です。「知識」について、学者は思い上がってはいけません。
6  関係性を重視する「縁起」の思想
 池田 思うに、このことは、人類永遠の課題でもあるようです。いくつかの証言をあげてみましょう。
 詩聖タゴールは歌いました。
 「わたしは感じる――すべての星々がわたしの
 うちでかがやくのを。
 世界はわたしの生の中へなだれ入る――一つの潮の流れのように。
 花々がわたしの身の内に咲く。
 陸と水とのあらゆる若さがわたしの心の中で薫香のように立ちのぼる。そしてあらゆるものの息が、わたしの思想を吹いて奏でる――一つの横笛を奏でるように」(『タゴル詩選』3、片山敏彦訳、アポロン社)
 また、詩人ウィリアム・ブレイクは詠みました。
 「一粒の砂に世界を観じ、
 一輪の花に天界を見る。
 掌中に無限をおさめ、
 一刻に永遠をつかむ」(「無垢の予兆」別宮貞徳訳、ピーター・ミルワード『英語の名句・名言』所収、講談社)
 さらに、ゲーテは『ファウスト』で語っております。
 「あらゆるものが一個の全体を織りなしている。
 一つ一つがたがいに生きてはたらいている」(『ゲーテ全集』2、大山定一訳、人文書院)
 仏典(華厳経)にも、美しい譬えが記されております。
 ――宮殿には、無数の「宝石」で飾られた美しい網が掛けられている。その網には、結び目の一つ一つに「宝石」が取りつけられており、いずれの「宝石」にも他のすべての「宝石」の姿が互いに映し出され、ともに輝きあって荘厳な美しさをたたえている――。
 個のなかに全体を見出す、生き生きとした感性。宇宙の森羅万象が互いに関連し、依存し合いながら、絶妙在ハーモニーを奏でていると見る知見。私がモスクワ大学での二度目の講演(一九九四年五月十七日、「人間――大いなるコスモス」本全集第2巻収録)で申し上げた仏法の「縁起」――”縁りて起こる”とあるように、個別性よりも関係性を重視する――の思想を示す美しい譬喩であり、知恵であります。
 話は、やや飛躍するかもしれませんが、この「縁起」の思想は、現代物理学の最先端であるニールス・ボーアの「相補性」理論、ヴェルナー・ハイゼんベルグの「不確定性原理」などとも、十分整合しゆく達見であると私は見ております。
 私たちが今、最も必要としているのは、こうした「知恵の全体性」ともいうべき、生命観、人間観、宇宙観であり、それと「知識の個別性」をどう融合させていくかということではないでしょうか。
 サドーヴニチィ モスクワ大学での講演における”縁起”への言及は、興味深く持聴しました。学者としても大いに想像力を喚起させられるお話ですね。
 アフリカの、あるユネスコセンターに碑文が掛けられています。その文章を文字どおり訳すと、こんなふうに書いてあるのです。「地上のすべての命有るものは、人間と同様に存在の権利を持っている」と。
 このように書かれてしまうと、「それじゃあ、ぺストや炭痘、エイズ等の恐ろしい病原菌はどうか、それらも生存の権利を有していると認めなければいけないのか?」と尋ねたくなるのが学者の常です。(笑い)
 じつは、この問いに対する学者たちの答えは、皆一致して、「イエス」なのです。何ゆえか? 人間は、自分に有益な物に好感を抱くように生まれついています。たとえば、人間に有用で無害な動物などです。そして、人間は、自分に害を与える存在を無意識のうちに排除しようとします。しかし、人間にとって厄介な生き物、刺したり、噛んだり、病気をもたらす害虫、菌の類も、自然界のなかでは、人間と同様の存在の権利を持っていることを認めざるをえません。その上に自然の摂理はバランスを保っているのですから。
 池田 表面的には対立し、敵対しあっているように見えても、徹頭徹尾、対立関係、敵対関係にあるのではなく、それは、究極における結びつきのの現れであるとするのが、仏法の知見です。
 東洋哲学万般に通じた日本のある碩学が、おもしろい言い方をしていました。”コップが存在する”のではなく、”存在がコップする”のであると。これにならっていえば、”人間が存在し、病原菌が存在する”のではなく、”存在が人間し、病原菌する”ということになります。
 とはいえ、あらかじめ万物一体の予定調和が担保されているというようなスタティック(静的)なものではなく、その関係は、対立、また闘争を通じての調和というダイナミック(動的)な弁証法的構造を有している。人間が病原菌を根絶しようとして戦うことを決して排除しない、ということです。
 ただし、唯物弁証法と決定的に違う点は、対立や闘争を第一義としないところにあります。
 サドーヴニチィ よく理解できます。
7  人間を人間たらしめる知恵、人格の輝き
 サドーヴニチィ さて、このあたりで、少し角度を変えたアプローチに移ってみたいと思います。池田博士、あなたは、「知識」と「知恵」の意味について、二つの概念の関係性について、またそれらが現代の文化に与えている影響について、そして、人間の生活のなかでその二つの概念がどのような位置を占めるべきかについて、一連の問題提起をされました。私の理解するところでは、この二つの概念は互いに関連し制約しあっているものではありません。たとえば、「知恵」については触れずに「知識」とは何かを論じることは、十分に可能です。「知識」は、合理的な概念に重点がおかれ、量的、質的に評価できます。
 それに対して、「知恵」は、道徳的、精神的、経験的概念に近いと考えます。したがって、「知恵」を測ることはできません。たとえば二人の「知恵ある人」を比較することは可能かもしれませんが、かなり相対的・暫定的な評価にならざるをえません。知恵を測る尺度が存在しない以上、賢人を一定の尺度で測りくらべることもできません。
 池田 ええ。釈尊とソクラテスのどちらが偉大な”人類の教師”であったかなど、論ずるのも愚かなことです。
 サドーヴニチィ また、「知性の発達」がただ単に「個々の知識の連続的な蓄積であり、その合計」であるとも思いません。ヘラクレイトスも「知識の豊富さが聡明さを意味するわけではない」といっています。それと同時に、「心の発達」が人間の現実的な活動とは関係なく、「知恵の精神的現象」だけに由来するというふうにも考えにくいと思います。
 私は、「知恵」についてのレオナルド・ダ・ヴィンチの解釈に共感を抱きます。彼は、「知恵は経験の娘である」と書いています。
 また、「知恵の人になる可能性は万人にあたえられている」と指摘したうえで、次のようにも述べています。いわく、「老いによってものを補うに足るものを青年のときにたくわえておきなさい。老年期の糧は知恵であることを理解するならば、青年は、老いて糧なきことのないように、今を行動すべきである」と。
 池田 レオナルドについては、かつて、イタリアのボローニャ大学での講演「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」(一九九四年六月一日。本全集第2巻収録)で論及したことがあります。そこで引用した「性急は愚かさの母である」(下村寅太郎『レオナルド・ダ・ヴィンチ』勁草書房)という言葉なども、経験の蓄積を重んずるという点で、総長のあげられた箴言と波長を一にしているといえましょう。
 サドーヴニチィ しかし、多くの人が「賢人」と呼ばれるようにならないのはなぜなのでしょうか。おそらく、ほとんどの人々は、自分の将来、つまり老いたときの自分について考えることがあまりに少ないからなのでしょう。よくいわれることですが、大半の場合、人は「青春を燃やし尽くして」しまうものです。だからこそ、大学の重大な使命は、青年が、青春を浪費してしまわないように手助けすることにあると考えます。
 池田 朱子のいうとおり「少年老い易く学成り難し……」ですね。
 サドーヴニチィ たいていの人は、自分の両親を「賢い」という言葉で形容します。「知識」という点では十分な教育を受けておらず、読み書きができないような両親の場合でも同様です。
 池田 農業や家内工業が主たる生業であった時代と違い、”職”と”住”とが分離されている近代社会にあっては、親から子、大人から子どもへの知恵の継承もなかなかスムーズにいかないようです。
 とくに、「IT(情報技術)革命」に象徴される情報化社会の急テンポの進展に、多くの大人たちは、少々困惑気味です。なにしろ、パソコンに対する習熟度などの面では、子どもたちのほうが格段に早く、わが国でも、小中学校の教師たちが、休みを利用して、校長を先頭に、パソコンの扱い方の特訓を受けるなどの事例も現れています。
 サドーヴニチィ ロシアでも、似たような状況は散見されます。年配者ほど、機械を扱うのを苦手にしているようです。
 池田 とはいえ、そうした表面的な変移とは異なる次元で、人生には、生きて知らねばならぬこと、そうすることによってしか体得できぬ知恵というものが必ずあるはずであり、古来、それが人間を人間たらしめてきました。その意味では「知恵は経験の娘である」というレオナルドの言葉は、不朽の輝きを放っています。経験を通して得られる知恵の継承、共有なくしては、家庭であれ学校であれ、コミュニケーション不全に陥り、崩壊してしまいます。日本では、その崩壊のきざしがいろいろなところに見られ、大きな社会問題になりつつあります。
 すなわち、親や教師が、子どもの教育に、ともすれば自信を失いがちなのです。自らの生き方に照らして、生きて知らねばならぬ大切なことが人生にはある、と自信をもって言い切ることのできる人が、少なくなりつつあるのです。
 子どもたちの問題行動を数多く手がけている著名な精神科医が、おもしろいことを言っておりました。「私には絶対、息子に負けないことがある。息子がどんなに努力しても、絶対に負けないのです。何かご存じですか。私のほうが年上だということです。息子がいくら徹夜して頑張ったところで、私の年齢を絶対抜くととはできません。もう、そのぐらいしか、守るところはないんじゃないでしょうか」と。
 「そのぐらいしか」とは言葉のあやで、そこにこそ、人格の精髄があり、知恵の源泉が蓄えられているのです。
 レオナルドの言葉と響き合っており、そうした謙虚さこそ、自信の源泉であるといえましょう。
8  豊かさを生んだ「道具」としての知識
9  サドーヴニチィ ロシア語に限らず、世界全般に共通することだと思いますが、「知識」というと「日常的」知識と「学問的」知識があります。日常的な知識とは、いわゆる常識のことだといえるでしょう。学問的知識とは、論理的な根拠があり、証明可能で、ある決まった結果を必ず導くものです。
 一方、「知恵」という言葉には、深い道理に根ざしていて、善意に満ちた、真実の「何か」という響きがあります。
 私たちがここで取り上げた「知識」と「知恵」は、こうしてみると、その違いは、とても微妙ではあるけれども、じつは大きな違いがあることがわかります。
 おそらく、いずこの社会であっても、物知りな人イコール賢明な人(知恵のある人)ではない、という見方がなされてきたのではないでしょうか。この二つの概念は、もともと根本的に違うものであり、その点、池田博士と同じ意見です。
 池田 そのとおりです。根本的に違ったものを混同してしまったところに、二十世紀の悲劇を招いてしまった大きな要因があるのです。
 サドーヴニチィ 人間はつねに知識を求めてきました。それは知識のなかに、自己の成長や幸福、安全な暮らしへの道しるべを見出していたからです。人間は何か新しいことを知ろうと模索するなかで、新たな経験をします。そしてそれを実生活のうえに活かしながら、さらにその先はどうなるのかという興味にかられます。つねに新しい事実を知ろうとする衝動は、人間の頭脳に備わった自然な性質です。
 人間は心のなかのどこかで、あるいは意識していないかもしれませんが、知識を求める行為は、自分の身を守ることと、つねに結びついていました。なぜなら、人間は、災害や自然現象、あるいは他の生き物に対しては、無防備だったからです。そのため、自然に関する知識をできるだけ身につけなければなりませんでした。
 また、知識は豊かな暮らしとも結びついていました。知識や経験は、快適さと富をもたらしてくれるからです。たとえば、火は暖をあたえ、美味しい料理を作るのに欠かせない、かまど(家庭)の守り手であることを人間は知っていました。
 池田 ”ホモ・ファーベル”(工作人)といわれるように、古来、「道具をもつこと」が「言葉をもつこと」と並んで人間であることの大きな条件とされてきたゆえんですね。
 サドーヴニチィ ちなみに火を通して、人間の知的成長の過程を追ってみるのも興味深いのではないでしようか。
 ――ある時ふと、人間は「火とは何なのだろう」という疑問をもった。そして炎を見つめ、その美しさ、多様な姿を見ながら、いったい、この火とは何なのかと考え続けていった――。
 この疑問は何百万年も前からあったにもかかわらず、いまだに完壁な学問的な答えはありません。これは火に限ったことではありません。たとえば球電をとってみても、自然科学がここまで発展した現在もなお、不可思議な自然現象として謎のままです。
 池田 お話をうかがっていると、総長が体現しておられる”哲人”的側面――それは、先述のボーアやハイゼンベルクが濃密に体現していたものです――が躍如としてくるようです。

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