Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

5 尊敬の心が築く「宝の橋」  

「希望の世紀へ 宝の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

前後
5  日本も「文化大思の国」
  今の話は、残念ながら、確かに思い当たることがありますしかし、「本気で韓国人の友だちをつくる」という意気込みについては、創価大学の学生の皆さんは真剣ですね。
 二〇〇一年の夏、すでに総長を退任していたにもかかわらず、済州大学に語学研修で来られていた創価大学の方々から声をかけられたことは、今も忘れられない思い出です。
 この時、私は、創大生の皆さんに、「池田先生はなぜ、韓国のことを『文化大恩の国』とおっしゃってくださるのだろうか」と質問してみました。
 それは私自身への質問でもありました。
 学生のなかで、実感として分かって、論理的に即答できる人はいませんでした。しかし、それは、質問した私も一緒でした。
 じつは私もまた、池田会長から初めてこの言葉をうかがった時から、ずっと考え続けてきたような気がしていたのです。
 池田 それは恐縮です。
 これまで申し上げたとおり、歴史的事実の上から、あるいは精神性の流れの上から、あるいは仏教伝来など私どもが信奉する日蓮大聖人の仏法の指標から、「文化大恩の国」と率直に表現させていただきました。
 日本は絶対に、それを忘れてはならない。
  それはそうなのですがいち早くそのように「模範解答」を出されると、話が終わってしまいます(笑い)。
 私自身は、概略的に見て、韓国が日本に与えた文化的影響とというのは、「一般的なもの」で、特別なもののようには思えなかったのです。
 隣国同士の文化交流による影響は「お互いさま」であって、日本から韓国に与えた文化的影響も否定されるものではありません。
 さらには、有形の物質文化の伝播は立証しやすいものですが、文化はそれだけではなく、無形の精神文化の伝播も考えなければならず、その意味では、両国がどのように影響し合ったかは定かではありません。
 そもそも、これまで話題に上ったとおり、古代では「国家」という概念もなかったにちがいなく、今の韓国南部と九州北部のそれぞれの沿岸は、頻繁な往来があったものと思われます。
 つまり、同じ「仲間」であり、どちらかが「恩人」という感じではないと思うのです。
 特に済州島の場合、以前にもお話ししたように、開国神話では始祖が日本から妻を娶ったと残っていますし、農耕文化が日本からもたらされたという解釈もあるほどです。済州島から見れば、日本から文化的な恩恵を受けている面もあると思うのです。
 ところが、池田会長は、どんな場所でも、どんな時も、韓国のほうを「文化大恩の国」とおっしゃっています。
 池田 あまりにも温かいお言葉です。
 私も済州大学の一学生になって、博士の講義を受けさせていただいているような心情になりました。
 「貴国の文化大恩を、日本は未来永遠に忘れてはならない」ーーこのことを、私は青年たちに、いやまして強く言い残していきたいと決心しております。
  私は、考えに考えました。
 ーー池田会長という日本の代表的な知性は、わが国に対し過分なまでに感謝の心を示しておられる。
 これに対して、韓国人は日本の植民地政策当時のことがよほど忘れられないのか日本への文化的な恩義に感謝する者は少ないのが現実ではないだろうか。
 しかし、真の知性の人であるならば、自分自身を客観的に理解し、客観化できるものである。
 そして、憎らしい相手を怨む前に、歴史の客観的状況に対し前もって対処できなかった自分自身を反省することこそが、自分自身の主体的人間像を確立するのである。
 自分自身に損害を与えた相手であればこそ、感謝し、愛すことができる心構えをもつことが、より聖人に近い生き方であろう。
 なぜなら、人類の社会において、善も悪も、生活の上で接せざるをえない不可避なことであり、人間が克服すべき生命史の縁である。それを克服するために、憎悪の感情によるよりも、感謝と愛情によるほうが、人間の本性にふさわしい「価値創造的」な人間関係を形成することは、明らかであるーーと。
 池田 あまりにも寛大なお心で包んでいただき、ただただ感謝申し上げるのみです。今のお話は、私の胸の奥深くに刻まれ、一生涯、離れることはないでしょう。
 韓国の最高峰の英知の博士が、これほどまでに深遠なご境涯で、日本を信じ、接してくださっていることを、私たちは広く深く知っていかなければなりません。
  池田会長が、韓国のことを「文化大恩の国」と讃えてくださったからこそ、日本人のみならず、私たちもまた、相手の国の人に感謝できる「価値創造の人間」へと成長する方途に、気づくことができたのです。
 また池田会長は、日本人だとか韓国人だとかに関係なく、全人類が、そのような人間になることを、切に願っているというのが、私の「結論」となったのです。
 このような有意義な対談の機会を与えていただき、本当にありがとうございました。
 私の「第三の人生」は、池田会長によって大きく開かせていただきました。
 池田 私のほうこそ、二十一世紀の閉幕に、超博士と語り合えたことは、永遠に不滅の黄金の歴史であります。本当にありがとうございます。心の底から、御礼申し上げます。
 信念の大教育者・趙博士から学ぶべきことは、この対談で触れた事柄以外にも、まだまだ、たくさんあります。
 今後も、韓国と日本の未来を見つめ、青年の道を開くために、いつまでも対話を続けていきましょう。
 済州島の無限の可能性と平和思想の潜在力を、世界が期待し見つめております。
 私も、博士と同じ情熱を燃え上がらせて、韓日友好と世界平和のために、尽力させていいただきたいと思います。
 趙博士、長い間、本当に、ありがとうございました。

1
5