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日蓮大聖人・池田大作

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5 尊敬の心が築く「宝の橋」  

「希望の世紀へ 宝の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

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1  八割の両国民が「よい方向に」と
 池田 興味深い世論調査の結果が、七月(二〇〇二年)上旬に発表されました。
 日韓両国の関係が今より「よい方向に進む」と答えた人は、サッカーのワールドカップの大成功を受けて、両国ともに、実に八割(七九パーセント)にも達したようです
 朝日新聞社と韓国・東亜日報社が共同で行なってきた調査で、一九九六年十一月から始まって、これが第五回でした。
 「よい方向に進む」は、五回の調査中で、最も高い比率になっています。
  両国ともに八割、というのが注目すべき点ですね。これまでに比べて大きく前進したのではないでしょうか。
 池田 そうですね。二〇〇一年十一月(第四回)の調査では、同じ質問に対して、
 日本は六四パーセントの人が肯定的な回答をしましたが、韓国では四八パーセントにとどまり、半数に達しませんでした。
 「よい方向に進むとは思わない」という人が五二パーセントを占め、否定的な回答のほうが多かったのです。実際の世論も、この調査に近い状況だったのではないでしょうか。
 当時は、日本の「歴史教科書の問題」や、首相の「靖国神社参拝」など、両国の友好に逆行する事態が続いていたからです。
  確かに、そうでした。
 わずか八カ月ほどで、韓国国内で「よい方向に進む」と感じている人が、五割弱から八割へと大きくふえたことは、すばらしいことだと思います。
 メディアを通じて、「等身大の両国民」の表情や息づかいまでもが、双方に伝わったことも一因でしょう。一韓国人として、とてもうれしい結果です。
 ほかに、興味深い結果はあったのでしょうか。
 池田 ええ。「韓国(または日本)の人や文化を以前よりも身近に感じるようになった」と答えた人の数が、両国ともに半数を超えたことでしょうか。日本で五三パーセント、韓国で五四パーセントであり、ほぽ同率です。
 両国民の過半数の人が「身近になった」と感じているのですから、その一点をとっても、今回のワールドカップは、やはり「大成功」だったと言えるのではないでしょうか。
  確かに大きな成功だったと思います。
 しかも、両国の人びとが、お互いの健闘を讃え合ったり、応援したりするなかでの「民衆の手による成功」だったことが、非常に重要な点です。
 両国に計り知れない自信を与えた根底に、この事実があると思います。「上から下に押しつけた」ものでは、ここまで盛り上がることはなかったでしょう。
 池田 そうですね。だからこそ、「民衆の草の根の交流」や「文化・教育の交流」が、ますます重要になってくるはずです。
 創価学会として、これまでも、「韓国文化親善交流団」などを通じて、幾百人の人たちが韓国に渡り、交流を温めてきました。
 また創価大学でも、趙博士をはじめ諸先生に見守っていただきながら、「ハングル文化研究会」など、多くの留学生、語学研修生が、貴国の方々との絆を強くしています。
 ワールドカップの成功をさらに実りあるものにするためにも、今後とも「民衆次元の文化・教育交流」を、たゆみなく推進していきたいと思っております。
  そうですね。
 ワールドカップの成功や一過的なものに終わらせず、両国の友好の流れをさらに強めていかねばならないと、私も思います。
2  韓日友好を世界平和のモデルに
 池田 私たちの対談も、終わりに近づきました。
 そこで、これまでのテーマを総括的に振り返りながら、話を進めていきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  ええ、分かりました。
 それにしても、本当に、池田会長とは語り尽くせません。日ごろ思索していたことが、池田会長に触れることで、新しい生命を得たように、言葉となって出てきます。
 池田会長との語らいでは、言いたいことを全部出しきってしまいたい。それはむしろ、私の使命でもあると思っています。
 池田 こちらこそ、趙博士の対談にかける情熱に、心を打たれてきました。
 そこで、趨博士に、両国の未来の展望について、おうかがいしたいと思います
 現在、韓国と日本の間に横たわっている問題は、一面では、二十世紀の人類全体が残してきた問題の縮図と言えます。
 「歴史教科書の問題」「従軍慰安婦の問題」「在日韓国・朝鮮人の人権問題」などは、次の世代に持ち越してはならない課題です。今こそ、解決への手を打っていかねばなりません。
 問題の根底には、人間が本然的に持ち合わせている「差別意識」、あるいは「マイノリティー(少数派)への優越感」などが含まれております。
 それらは今なお戦火を交える世界各地の紛争にも、共通した底流ではないかと思います。
 ともあれ、人権尊重、経済発展、安全保障、南北融和など現実の上で、すぐさま協力して推進しなければならない課題は、山積しております。
 その意味で、「韓日友好」とは、単に二国間の関係性を指すものではなく、その帰結がそのまま「アジアの安定と世界平和へのモデル」となり、「世界市民の在り方」への大いなる示唆となることは、間違いありません。
 両国のこれからの歩みを、世界が注目しているからです。
  同感です。いずれも難しい問題ですが、両国が力を合わせて挑戦することが、どれだけ世界的にも意味があることなのか、心していく必要があります。
 池田 日本人は、もっと「韓日友好」に真剣に取り組まねばならないと、私はつねづね痛感し、また行動してまいりました。
 まず、両国間の問題に対する認識を、一変させなくてはならない。「知らないままでいること」は、悪に通じます。どんなに善良な人であっても、「無知」の上での善意は、相手を傷つけてしまう場合もある。
 日本人は、大切なかけがえのない隣人である韓国の方々のことをもっと学ぶべきです。
 また、両国で何が問題になっているかを、知らなければなりません。
 隣国の心を踏みにじる言動の査みを、謙虚に自覚し反省していかねばなりません。日本人はあまりにも、無関心であり、無認識すぎる。
 韓日友好への意識が、かつてないほどに高まっている今だからこそ、あえて私は訴えたいのです。
3  今こそ愛情による教育を!
  ありがとうございます。
 このことは以前にも述べさせていただいたことですが、社会や自然をより平和で豊穣にさせていく原動力は、結局、人間の内面にある「慈悲」と「愛」であると思います。
 本物の慈悲と愛ーー相手の心の琴線に触れる慈悲と愛こそが必要です。
 それらは、理性の力を錬磨します。
 また、相手の細胞の生命力を回復させ、”芽”を出させ、成長への変化を起こさせます。
 教育を通じた思惟過程の発達が、人間の本性を発達させ、発達した人間の本性が、さらに別の人間を質的に変化させ開花させていく教育をなすようになるーー。
 これは広い意味で、池田会長が訴える「人間革命」と同義ですね。
 池田 深いご理解、恐縮です。
 博士のおっしゃるように、教育は方法を論じる前に、「人間性」が要です。人間への「愛情」を根本にしていくことから出発すべきものです。
 「教育は子どもの幸福のためにある」とする私どもの牧口初代会長の視点も、そこにあります。
 ますます重要性を増している「教育の使命」を、どのように、お考えになりますか。
  それは、さまざまな面から論じられると思います。
 そのうちの一つとして、自分自身を客観化できる人間をつくることがあげられます。
 「客観化」とはすなわち、社会における「横の関係性」と、歴史における「縦の関係性」を保って、成長していくことです。
 本物の教育は、人間を、社会的・歴史的に、創造的な対応能力を発揮できる知識人へと成長させるのです
 池田 なるほど。そのとおりですね。
 敷衍して言えば、地域社会の中で、友と語らい切嵯琢磨しながら成長していくことは「横の関係性」。そして、崇高な人間教育の師弟の流れのなかで、わが人生の座標を定め、正しき道を生き抜くことは「縦の関係性」に相当すると言ってよいでしょう。
 とともに、教育と双壁をなして大切なのが「文化の尊重」です。
  同感です。文化はつねに、異文化との交流によって、発展し、進化していきます。さまざまな文化が複雑に関係し合って、「多様性」を生み出しています。
 「異文化と交流する」ということは、文化を異にする他民族に接触するということになります。
 そして「他民族と接触する方法」は、大きく分けて「平和的な方法」と「戦争による方法」があります。
 それがどちらの方法で行なわれるかは、客観的に見れば、国の政策、時代の潮流、伝来した文化の価値観などによって、変わってくるでしょう。
 一つ言えることは、いずれにしても文化は進化せざるをえず、そのためには異文化との交流が必要であり、葛藤と変容が不可避な現象であると認識して、多様な異文化を尊重し、その上で自分たちの文化を進化させることが最も望ましいということです。
 池田 すばらしいご意見です。
 文化は、必ずや「平和の文化」へと進化しなくてはならない。そして、「文化の尊重」が「文化の進化」をもたらすということですね。博士の言葉に、深い哲学性を感じます。
 それができない時、つまり、歴史的な関係性を無視して、自分たちの民族のエゴを最も醜い形で押しつけた時に、多くの戦争が起きています。
  そうですね。
 二十世紀には、国際世論が形成されたり、国連の安全保障理事会、国際司法裁判所などの国際機関が多く設けられたりしましたが、特に冷戦構造のもとでは、人間はイデオロギー体制を貫徹させるために、常に戦争という方法で、すべての問題を解決しようとしました。
 二十一世紀は、人間の本性に適さないイデオロギーはずいぶん減り、人類社会から消えつつあると言えます。
 これは次第に、「異文化との接触による葛藤」が戦争の原因となることが減りつつあることを意味していると思います。
 池田 よく分かります。
 しかし現実には、異文化との接触が過去よりも、さらに閉鎖的・独善的な方法によっている場合もあります。時にはそれが原因となって、悲劇的な結末をもたらすことさえある。
 韓国と日本のある面でのぎこちなさも、お互いの文化への理解不足が、原因の一つと言わざるをえません。
  異文化との接触では、やはりお互いの文化の長所と短所をよく分析し、理解すべきであり、さらには両文化の進化のために協力し合うべきでしょう。
 文化の進化としては、直線的に「進歩」し続けるものから、「革命」を意味するものまで、さまざまな形態がありますが、言うまでもなく、人類社会の繁栄と福祉と平和のための手段とならねばなりません。
 そのために高揚すべき価値観こそ、人間愛と生命愛であると思います。
 なぜなら、異文化と接触した時には、一般的にその「違和感」が「優劣の意識」を生みつつ、二つの方向に表れますね。
 自己の文化よりも、相手の文化のほうが優れていると感じれば、「好奇心」「驚嘆」「畏敬」「心酔」などの開放的・接近的な態度に。
 一方で、自己の文化よりも、相手の文化のほうが劣っていると感じれば、「関心の喪失」「軽蔑」「自己過信」などの閉鎖的・消極的な態度が見られるようになる。
 こうした文化摩擦を調整するのは、実は大変、難しいことです。
 池田 そのとおりですね。心から納得できるご指摘です。
4  相手の文化へ好意ある関心を
  結局、人間愛と生命愛を説く教育によって、「相手の文化を理解し、好意ある関心を示し、常に自己の文化と異文化を客観化して分析し、調整しうる人間」を育成していくしかないと考えます。
 そのためには、「教育の目的」が、全人類的でなければならないばかりか、全国民の一般的な意識が、全人類的な観点で開放されていくような、国際的な文化政策を拡進しなければならないと思います。
 池田 まことに深い洞察です。そこに、文化と教育とが、深く連関し合ってくる必然性があります。
 特に、国民の意識が人類的な観点に向かうような教育が、日本には緊要であると痛感します。
 また、お話にあった、両国文化の発展のために「協力し合う」という考え方は、これまでの両国間には、あまり見られなかったのではないでしょうか
 しかし、ワールドカップをきっかけに、音楽・映画・芸術の分野を中心に、ずいぶん多くの交流の場が生まれ、「協力し合う」姿が増えてきたのも、うれしい事実です。
 要するに、「交流」といっても「会って理解し合う」ことが大事です。
  そうですね。「理解し合わない交流」は、「交流」ではなくて「形式」です。
 池田 韓国にも、日本にも、友人の多い在日韓国人の方が、「日本人が何人か集まって、韓国や韓国人について話をすると、だいたい大きく二つの意見に分かれる」と言っておられました。
 それは、「身近に韓国人の友だちがいるか、または韓国文化に触れる環境にいるか」「あるいは、そうでないか」で分かれるというのです。
 これは、日本人の性質を考えても、容易に想像がつく状況です。
 「目に見え、耳で聞き、直に触れたものならば、なんとか信じられるが、そうでない事柄には、親近感を持てない」という面が、日本人には強いのだと思います。
  なるほど、よく分かります。
 池田 日本人のこうした傾向は、以前からも見られました。
 あの、悲惨な戦時中の「鬼畜米英」といったスローガンも、端的な一例でしょう。
 自分の知らない相手は、「人間」であっても「鬼」や「畜生」に思い込まされる。そして、その架空の「鬼畜」に対して、憎悪をつのらせ、「一億玉砕」などと「潔く」死んでいくことに、何の疑問も持たなくなってしまう。
 私は、九歳の夏、露天の夜店で、カミソリを売る、背の高い西洋人を目の当たりにした思い出があります。ニコニコしながら、片言の日本語で「ワタシ、ニッポン、ダイスキデス」と語っていました。
 それは、「鬼」でも「畜生」でもなく、「人間」そのものの姿でした。
 現在、観光シーズンなどには、若い人たちを中心に、一日一万人以上が両国を仔き来する時代になりました。
 日本人の若者が韓国を「訪問する」ことは、それ自体、すばらしいことです。観光やグルメを楽しむことも、当然、いいでしょう。
 ただ、韓国の方々とよき出会いを刻み、よき友情を結ぶという心をもって訪問してこそ、自分の人生により深い意義を持つ旅になるのではないでしょうか。
 もちろん、これは何も韓国に限ったことではありません。
 世界のどこに行ったとしても、誠実に心の交流を広げていかなければ、何のために日本を飛び出したのか分からないし、もったいない。
 開かれた友情の心があれば、日本人が、再び悪弊に陥ることを防げるでしょう。
5  日本も「文化大思の国」
  今の話は、残念ながら、確かに思い当たることがありますしかし、「本気で韓国人の友だちをつくる」という意気込みについては、創価大学の学生の皆さんは真剣ですね。
 二〇〇一年の夏、すでに総長を退任していたにもかかわらず、済州大学に語学研修で来られていた創価大学の方々から声をかけられたことは、今も忘れられない思い出です。
 この時、私は、創大生の皆さんに、「池田先生はなぜ、韓国のことを『文化大恩の国』とおっしゃってくださるのだろうか」と質問してみました。
 それは私自身への質問でもありました。
 学生のなかで、実感として分かって、論理的に即答できる人はいませんでした。しかし、それは、質問した私も一緒でした。
 じつは私もまた、池田会長から初めてこの言葉をうかがった時から、ずっと考え続けてきたような気がしていたのです。
 池田 それは恐縮です。
 これまで申し上げたとおり、歴史的事実の上から、あるいは精神性の流れの上から、あるいは仏教伝来など私どもが信奉する日蓮大聖人の仏法の指標から、「文化大恩の国」と率直に表現させていただきました。
 日本は絶対に、それを忘れてはならない。
  それはそうなのですがいち早くそのように「模範解答」を出されると、話が終わってしまいます(笑い)。
 私自身は、概略的に見て、韓国が日本に与えた文化的影響とというのは、「一般的なもの」で、特別なもののようには思えなかったのです。
 隣国同士の文化交流による影響は「お互いさま」であって、日本から韓国に与えた文化的影響も否定されるものではありません。
 さらには、有形の物質文化の伝播は立証しやすいものですが、文化はそれだけではなく、無形の精神文化の伝播も考えなければならず、その意味では、両国がどのように影響し合ったかは定かではありません。
 そもそも、これまで話題に上ったとおり、古代では「国家」という概念もなかったにちがいなく、今の韓国南部と九州北部のそれぞれの沿岸は、頻繁な往来があったものと思われます。
 つまり、同じ「仲間」であり、どちらかが「恩人」という感じではないと思うのです。
 特に済州島の場合、以前にもお話ししたように、開国神話では始祖が日本から妻を娶ったと残っていますし、農耕文化が日本からもたらされたという解釈もあるほどです。済州島から見れば、日本から文化的な恩恵を受けている面もあると思うのです。
 ところが、池田会長は、どんな場所でも、どんな時も、韓国のほうを「文化大恩の国」とおっしゃっています。
 池田 あまりにも温かいお言葉です。
 私も済州大学の一学生になって、博士の講義を受けさせていただいているような心情になりました。
 「貴国の文化大恩を、日本は未来永遠に忘れてはならない」ーーこのことを、私は青年たちに、いやまして強く言い残していきたいと決心しております。
  私は、考えに考えました。
 ーー池田会長という日本の代表的な知性は、わが国に対し過分なまでに感謝の心を示しておられる。
 これに対して、韓国人は日本の植民地政策当時のことがよほど忘れられないのか日本への文化的な恩義に感謝する者は少ないのが現実ではないだろうか。
 しかし、真の知性の人であるならば、自分自身を客観的に理解し、客観化できるものである。
 そして、憎らしい相手を怨む前に、歴史の客観的状況に対し前もって対処できなかった自分自身を反省することこそが、自分自身の主体的人間像を確立するのである。
 自分自身に損害を与えた相手であればこそ、感謝し、愛すことができる心構えをもつことが、より聖人に近い生き方であろう。
 なぜなら、人類の社会において、善も悪も、生活の上で接せざるをえない不可避なことであり、人間が克服すべき生命史の縁である。それを克服するために、憎悪の感情によるよりも、感謝と愛情によるほうが、人間の本性にふさわしい「価値創造的」な人間関係を形成することは、明らかであるーーと。
 池田 あまりにも寛大なお心で包んでいただき、ただただ感謝申し上げるのみです。今のお話は、私の胸の奥深くに刻まれ、一生涯、離れることはないでしょう。
 韓国の最高峰の英知の博士が、これほどまでに深遠なご境涯で、日本を信じ、接してくださっていることを、私たちは広く深く知っていかなければなりません。
  池田会長が、韓国のことを「文化大恩の国」と讃えてくださったからこそ、日本人のみならず、私たちもまた、相手の国の人に感謝できる「価値創造の人間」へと成長する方途に、気づくことができたのです。
 また池田会長は、日本人だとか韓国人だとかに関係なく、全人類が、そのような人間になることを、切に願っているというのが、私の「結論」となったのです。
 このような有意義な対談の機会を与えていただき、本当にありがとうございました。
 私の「第三の人生」は、池田会長によって大きく開かせていただきました。
 池田 私のほうこそ、二十一世紀の閉幕に、超博士と語り合えたことは、永遠に不滅の黄金の歴史であります。本当にありがとうございます。心の底から、御礼申し上げます。
 信念の大教育者・趙博士から学ぶべきことは、この対談で触れた事柄以外にも、まだまだ、たくさんあります。
 今後も、韓国と日本の未来を見つめ、青年の道を開くために、いつまでも対話を続けていきましょう。
 済州島の無限の可能性と平和思想の潜在力を、世界が期待し見つめております。
 私も、博士と同じ情熱を燃え上がらせて、韓日友好と世界平和のために、尽力させていいただきたいと思います。
 趙博士、長い間、本当に、ありがとうございました。

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