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日蓮大聖人・池田大作

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3 「歴史の真実」を語り継ぐ心  

「希望の世紀へ 宝の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

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5  独立運動の闘士ーー安重根アンジュングン安昌浩アンチャンホ
  こうした日本の動きに対し、各地で義兵闘争が広がり、一九〇九年十月には、安重根義士がハルピン駅で伊藤博文を暗殺する事件が起きました。
 池田 貴国では、安重根は独立の義士として崇敬されてきました一方、日本では伊藤博文は初代総理大臣として千円札紙幣の肖像に選ばれていたこともあるーーここに、貴国と日本の歴史観の違いが象徴的に出ていると思います。
 私は青年時代、安重根についての本を読んで、鮮烈な印象を受けたことを覚えていますが、博士はどう評価されますか。
  未完に終わった「東洋平和論」をはじめ、優れた思想をもっていた安重根義士が、危地にあった祖国を救うための最後の手段として暴力に訴えるほかなかったというのは、時代の悲劇と言わざるをえません。
 以前も申し上げたとおり、同時代にあって、「興士団フンサダン」などの結成を通じて民衆教育によって国を興そうとした安昌浩先生の生き方に、私は強く共感します。
 私自身が教育者ということもあるのでしょうが、安昌浩先生は、私が模範とする人物です。
 池田 安昌浩先生といえば、生前の伊藤博文が独立運動の中核を担う安先生を懐柔しようとして、一蹴されたエピソードが伝えられていますね。(前掲「至誠、天を動かす」)
 韓国の再建に助力したいと申し出た伊藤に対し、安先生は、”韓国を助ける一番の方法は、韓国人自身の手で改革を進めることである”と断言された。
 そして、「明治維新をアメリカ人がきてやらせたとしたらあなたはどう思うか。私は明治維新は成就しなかったと信じる」と鋭く切り返しました。
 また、この時、安先生は「日本が列強諸国の敵となり東洋の諸民族の敵となることを自分は憂うる」との諌言をされた。日本の未来を予見した言葉でした。
 後に、中国の孫文も、逝去の前年(一九二四年)に日本を訪れ、「西方覇道の手先となるのか、それとも東方王道の干城(=守り人)となるのか」との警告を行いました。日本の為政者は、こうしたアジアの賢人たちの言葉に、最後まで耳を傾けることをしなかった。
 その結果、軍国主義の道を突き進んだ日本が、どれだけアジアの人びとに塗炭の苦しみを与え、亡国への末路をたどったかーー。
 この過ちを正そうとして立ち上がった、牧口初代会長と戸田第二代会長が投獄され、牧口会長が獄中で生涯を閉じたことは、以前、ご紹介したとおりです。
 この愚かで悲惨な歴史を、二度と繰り返してはならないという決心で、私どもは行動していたのです。
  池田会長をはじめ、SGIの皆さんが取り組まれている平和運動に、私も深く共鳴します。過去の歴史は過去の歴史として、未来を見据えた建設的な行動が重要だと考えています。
 二十一世紀の人類の勝利のために、互いに尊重し合いながら平和のための連帯を強めていくーー時代をこの方向へ、韓国と日本の国民が手を取り合って、世界を先導していくべきだと思うのです。
 池田 博士の寛大なお心に胸を打たれました私もまったく同感です。
 しかし日本人は、博士のような韓国の方々の寛恕に、甘えていてはならないと思います。「過去の歴史」から、目を背けることは許されないのです。
 アジアの平和を強く願われていた師の戸田第二代会長は、近代の日本の行動は、「その国の繁栄を共にしようとした」ものではなく、自らの侵略的精神に発していたものであると厳しく批判していました。
 そして、日本という一国の繁栄だけでなく、日本の民衆が、韓国の民衆や中国の民衆とともに手を取り合って、「平和」と「幸福」の道を切り開いていかねばならないと力説していたのです。
 私は、この師の心を”わが心”として行動してきました。博士との対談を通じて、その心を青年たちに託したいと願っています。

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