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日蓮大聖人・池田大作

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4 韓国の宝 済州大学の挑戦  

「希望の世紀へ 宝の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

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2  まず自分から改革に率先
  はい。その年の九月に就任し、二〇〇一年二月まで、三年半、務めさせていただきました。
 通常、総長の任期は四年あるのですが、私がそれより若干早く退官対象となる年齢を迎えるため、”半年分”短くなったのです。
 しかし、その足りない”半年分”を補うために、毎日、午前八時に出勤し、午後八時まで働くことを、自らに課しました。その結果、足りないはずの”半年分”の三倍にあたる”一年半”の仕事を上積みすることができました。
 池田 後世への重要な手本ですね。
  また、少しでも大学の施設を有効に活用したいと考え、それまで歴代の総長が休息のために使用していた、教授たちの研究室よりも狭い部屋に、総長の執務室を変更しました。
 総長公邸も、自分が住むのではなく、大学の迎賓館として開放し学術会議への参加や、第外から講義のために来学する教授の宿舎として利用することにしました。
 私は、大学のモットーとして「析しい人間主義」を掲げ、改革に取り組んだのですが、まず最初に、自分自身に関わる所から改革したのです。
 池田「かいより始めよ」ですね。リーダーの模範です。どんな組織や団体も、長が自らに厳しく、責任感があり、よい意味での緊張感がある所は、どこまでも伸び、発展するものです。
 私ども創価学会も、牧口初代会長、戸田第代会長以来、そのよき伝統を貫いてきたからこそ、世界的に発展することができたと思っております。
 私も、この両会長の精神を受け継ぎ、「会員第一」「会員奉仕」に徹してきたつもりです。
  分かります。私も「学生第一」「学生奉仕」を、大学運営の鉄則にしてきましたから。
 総長に就任した頃、韓国は経済危機に陥っており、大学財政も厳しい時期が続きました。
 一九九七年末の通貨危機に伴い、IMF(国際通貨基金)から援助を受け、社会全体が「IMF時代」とも呼ばれる”冬の時代”に突入したのです。
 失業者は百万人を越え、物価の値上がりも激しかった。私は、そうした時代の荒波の中で、大学運営の難しい舵取りを担うことになりました。
 池田 大変な中でのスタートだったのですね。
 しかし、博士は莞爾と使命の道を歩み通された。その心境を、学生たちへ激励を込めて語られたスピーチに、私は胸打たれました。
 「国家と民族が危機に直面している時に、国家と民族の運命を担っている皆さんの将来も、大学の運命のように危機に直面していると言える。
 しかし、危機なくして好機はなく、危機こそ『転禍為福(禍転じて福となす)』の最大のチャンスになることを肝に銘じていただきたい」と。
  そうでした。私自身、浪費をなくすために、率先垂範しなければならないと考え、総長秘書の人数を減らしたり、ソウルなどへの出張の時にもハイヤーなど使わず、すべて公共交通機関を使うように心がけました。
 もちろん、そうした努力だけでは限度があるので、大学の研究環境を充実させるための「発展基金」を募るべく、東奔西走しました。
 教授たちにも呼びかけた結果、彼らが困難な生計の中、捻出してくれたお金が集まり、何とか一つの土台ができました。その後、卒業生たちや在日の同胞の方々、海外の篤志の方々からも募金が寄せられるようになり、韓国の他の諸大学よりも多い基金を確保することができたのです。
 また、予算の節約を推進する中で、毎年、多くの余剰金を次年度に繰り越す、黒字予算の体制を確立することができました。
 苦しい日々が続きましたが奮闘した甲斐あって、優秀な学生が育ち、多くの卒業生たちが各界の第一線で活躍しております。学生の未来を預かる人間として、これほどの喜びはありません。
3  学生とともに悩み、ともに泣いた教員時代
 池田 博士の真剣な思いが、皆の心に響いたからこそだと思います。感服しました。
 貴国の民族独立運動の父である、安昌浩アンチャンホ先生の言葉に、「百回話すことよりも一回示すことがもっと有効でしょう。『務実力行』する一人の人が「務実力行」を話す百人よりももっと強い感化力があります」(李光沫『至誠、天を動かす』、具末謨訳、現代書林)とあります。
 博士の行動は、まさに、それに値するのではないでしょうか。
  過分なお言葉に、恐縮します。私は、ただ、自分の職務を果たそうとしただけです。
 かりに成功と呼べるものがあるとするならば、私自身というよりも、わが大学のすべての学生と教職員が一丸となって、忍耐と協調の精神をもって頑張り抜いた賜物であると思います。成功よりも、その粋こそが、わが大学の”宝”です。
 また、安昌浩先生は、教育によって国を興そうとした先駆者であり、私が深く敬愛する人物でもあります。
 私の卒業したソウル大学法学部の学生は、官僚や法律家の方面に進む人が多いのですが、私は、教育こそが「社会の発展」と「世界の平和」に貢献できるものと信じて、この道を選びました。
 微力ではありますが、教育を通じて、一人でも多くの有為の人材を育てることができればと願う日々です。
 池田 博士の深い信念が伝わってくるお話です。優れた教育者でもあった牧口初代会長は、「教育の成果は、理論にあらず、形式にあらず、此等を活用すべき教育者自体にかかっている」(『牧口常三郎全集』8)と強調していました。
 「教師こそ、最大の教育環境」というのが、創価教育のモットーでもあり、私の教育の生命線は、そのつまるところ、その一点にあると考えます。
  まったく同感です。
 以前、お話ししたように、経済的に苦しい学生には財政的援助を個人的に行なってきましたし、学生たちが民主化運動のために立ち上がった時には、ともに悩み、ともに泣いた経験もあります。
 その時の卒業生は、今も毎年集まっては、私を呼んでくれます。教育者冥利につきます。
 池田 麗しい粋です。
 博士は以前、あるインタビューに答えて自らの教育哲学についてこう語っておられますね。
 「勉強のできる人は、もっとできるようにそして、よくできない人は、できるようにしたい。特に、できない人をできるようにするほうに重きを置いている。済州大学では、学生の優劣を分け隔てせず、良質の教育をするために努力している」と。
 教育者であった牧口、戸田両会長も、「どんな劣等生も、必ず優等生にしてみせる!」と情熱を燃やしました。この子どもを一筋に思いやる「情熱」と「愛情」こそが、創価教育の魂なのです。
4  「愛情」を注ぎ「自信」を与える
  私は、中学校や高校で教えたこともあり、その紘験から見ると、勉強ができる子にはいばらせないように、「もっと上がある」ことを示し、「自分は、もっと、しっかりしないと」と思わせることが大事だと思います。
 また「できない子」、には、自分自身に愛情をもたせ、「やればできる」という自信をもたせることです。そのためには、まじ第一に彼らが「愛情」を受けないといけません。親からも、学校の先生からもです。
 私は、この「愛情」を、教育のモットーとしてきました。学生や生徒たちが自発的に努力できるよう、心を配るようにしてきたのです。
 とも涙を流すような深い愛情で接し、学生に「向上していこう」という精神的動機を与えることが重要だと、私は考えるのです。これは、私が実行してきたことというより、”そうありたい”ありたいという願望を込めた言葉ではありますが。
 池田 いえ、博士は、それを体現してこられた方です。行動の裏付けがなければ決して発することのできない、深い深い含蓄のあるお言葉です。
 そのほかに、博士が教育者として、心がけてこられたことはありますか。
  そうですね。いろいろありますが、とくに総長在任中は、学生や教職員が不慮の病気や事故で亡くならないように祈ってきました。
 残念ながら、職員二人と学生一人が他界しましたが、総長職を離れた今も、そうしたことが起こらないように、祈り続けています。
 池田 その、お気持ちは、痛いほど分かります。
 私も創大や学園の創立者として、そのことを、ずっと念じ続けてきました。そうした報告を聞くと、胸が張り裂けるような思いがします。
 私の創った学校に集ってきてくださった、大切な方々です。その尊い志を永遠に留める思いで、大学のキャンパスなどに、そうした方々の名前を冠した木を植樹させていただくこともあります。
 ところで博士は、総長時代、新しい分野に対応する学部の充実にも、力を入れてこられたそうですね。
  はい。二〇〇〇年度には、従来の「食品・化学工学科」という学科に「清浄(クリーン)」という名前を加え、「食品・清浄(クリーン)化学工学科」と改称しました。
 「学生たちに環境事業を担うパイオニアになってもらいたい」という願いを込めました。「理論の探究とともに、社会に環境問題への思潮を創出し、開拓していってもらいたい」と。
 環境問題にかかわる市民団体はふえていますが、環境問題への関心は、まだまだ少ない。社会的にも、教育においてもです。
 済州大学の学生は、これから、もっと環境汚染の問題に関心をもち、汚染防止のために頑張ってほしいーーそんな思いで学科の名前を変えたのです。
5  精魂こめた塔は崩れない
 池田 最先端ですね。環境問題は二十一世紀の焦点です。日本も、本気で取り組むべきです。
 また、貴大学では、「起業家」(新しい事業を興す人材)を育成するための「創業保育センター」を開設したとうかがいました。
  はい。このセンターは、コンピューターのソフトの開発や環境汚染の土地調査などを進めていくものです。韓国では、ソウル大学に次ぐ取り組みになります。
 ここでは、高度情報社会をリードする「創造性」を養うことを目指しています。
 総長時代、私は大学のさらなる発展のために、多くのプロジェクトや改革に意欲的に取り組んできました。もちろん、すべてが任期中に果たせたわけではなく、定着したものもあれば、まだ準備段階にすぎないものもあります。
 教育の質的向上を図るための「学事運営効率化推進委員会」の規定づくりと、教職員の福祉制度の新設ができたことはうれしく思っています。
 ささやかな成果ですが、将来のための何らかの礎ができたのではないかと思います。
 国内外のトップレベルの他大学とくらべれば、微々たる前進かもしれませんが、失望せず、休まず、根気強く改革を進める以外にないと、私は確信しています。
 池田 教育が実るには、長い時間がかかるものです。たとえ、その収穫を見ることができなくとも、博士が言われるように、社会の発展の”滋養”となり、平和な時代をつくる”源泉”となっていくことは間違いありません。
 私の好きな貴国のことわざに、「精魂こめた塔が崩れるものか」(孔泰瑢編『韓国の故事ことわざ辞典』角川書店)という言葉があります。博士が、情熱のすべてを注ぎこまれた済州大学は、韓国のみならず、平和を願う世界の人びとにとってかけがえのない”宝”となっています。
  私のことはともかく、済州大学への温かな励ましとして受け止めさせていただきます。
 先ほど、話題になった「創造性」についてですが、私は、この「創造性」も、「人間性」を育む教育が前提になくして本当の開花はないと考えています。
 韓国でも、中高生の教育において、高い学歴を求め、大学に入るための技術を身につける教育がなされています。しかし、それだけでは、”人間をつくる”
 力の源は、理性や知性ではなく「感情」であり「感性」にあるからです。
 どんな人も愛していけるーーそうなって初めて、本当の「創造力」が湧いてくるのではないでしょうか。
 総長在任中に、学生たちを伴い、ハンセン病の患者さんたちのための施設を訪れ、奉仕活動を続けてきたのも、学生一人ひとりの「人間性」を磨きたいと考えたからでした。
 教育は、自らの栄達のためだけにあるのではない。他者への奉仕、公益のための人生に捧げてこそ、真の価値を発揮するのではないでしょうか。
 私は思うのです。この世で、一番警戒しなければならない敵は「自分自身」であり、一番の恩師になるのも「自分自身」であり、と。
 池田 時代の先端を見据えつつも、教育の原点を厳として踏み外さないーー博士の深い見識を感じます。
 もう二五年も前になるでしょうか、今は亡きフランスの文人政治家アンドレ・マルロー氏と、親しく語り合う機会がありました。
 『人間の条作』など、危機の時代と呼ばれた一九三〇年代に次々と作品を世に問い、大戦中はレジスタンスを組織して戦った氏が、淡いグリーンの目を輝かせながら語った言葉は、今も鮮明に覚えています。
 「われわれの世代にとって、もっとも重大な問題、最大の関心事とは、自分自身のことなのです」「要は、自分は一個の人間として何ができるか、何ごとに対して行動できるかということが大事のはずです」(『人間革命と人間の条件』本全集第4巻収録)と。
 ”行動する作家”の真骨頂を見る思いがしたものですが、教育に限らず、本当の意味で価値ある人生を歩むための要諦があると思います。
 私はマルロー氏と同じ慧眼を感じます。
6  悪を見逃さぬ「本物の獅子」を育成
  とんでないことです。
 私こそ、池田会長の二回にわたる「教育提言」(二〇〇〇年九月と二〇〇一年一月に『発表)を拝見して、その深い思想性に感銘を受けました。
 その中で会長は、人間の価値創造を「目的」とする教育は、いかなるものの「手段」になってもいけない。人間を「目的」とするからには、教育をすべてに優先させねばならないと主張されていますね。
 私は、これを、人類社会の根本を打ち立てようという高貴な絶対真理を標榜された教訓として、世界の人々が受け入れるべきものと考えます。
 今日の教育は、真の人間の育成をとおして、個人の幸福と人類社会の幸福をなすことを顧みていません。むしろ国家主義や経済第一主義を追求する、利己主義的な政治家による手段や道具と化しています。
 道具的な人間を量産することばかりに目が向けられ、それが、まるで”強い教育熱”の証左であるかのように捉えられていることに、教育をめぐる問題の深刻さを感じるのです。
 池田 私が、危倶しているのも、その点です。
 教育の矮小化は、人間の矮小化につながります。人間をつくる教育は、人間同様、広大なものであらねばなりません。
 戦献の軍国主義下の日本で、「皇国少年」「軍国少年」の育成に教育機関が総動員されていた頃、創価教育学の父である牧口初代会長は、時流に抗して、「子どもの幸福」を第一義に据えるべきだと訴えました。
 そして、「此の目的観の明確なる理解の上に築かれる教育こそやがては全人類がつ矛盾と懐疑を克服するものであり、人類のが永遠の勝利を意味するものである」(『牧口常三郎全集』8)と宣言していたのです。
  すばらしい先見性ですね。牧口会長が志向された教育のスケールの大きさを感じます。
 先ほども申しましたが、二十世紀の産業社会、情報化社会が残した最大の罪悪は、人間性を破壊し、人間を手段化・道具化したことにあります。
 その意味で、私が今、一番心配しているのは、英語やコンピューターに関する知識や技能の修得に、教育現場が熱を上げるあまり、自然や社会環境の中で人間の価値を大切にし、価値創造的な人間を育むことが二の次、三の次にされている傾向が見られることです。
 牧口会長が主張されたような、社会の構造的な矛盾を是正し、改善する「主体的な人間」を育てることは、なおざりになっている気がします。
 この点、池田会長が教育提言の中で、いじめの問題に言及し、悪に無関心であることに強い警告を発しておられることに、共感を覚えます。
 池田 ありがとうございます。私は、教育改革といっても、子どもたちが一番苦しんでいる問題に真正面から取り組まなければ意味がないと考え、「いじめ」の問題を取り上げたのです。
 悪や不正義を前にして、見て見ぬ振りをしない「本物の獅子」を育てたいーー私は、創価学園を訪れるたびに、そうした思いを込めて学園生たちに接してきました。
  とても大切なことだと思います。
 残念なことに、韓国でも、会長が懸念されるような見て見ぬ振りをする人間が、大人の間でも子どもの間でもふえている気がします。
 たとえて言うならば、道端で子どもが車に当てられて泣いているのに、誰も病院に連れていくことなく、その場をそしらぬ顔で通りすぎていくような風潮がまま見られるのです。
 だからこそ、教育に「人間愛」を復権させなければなりません。ですから私はいつも、学生たちに、こう訴えてきました。「知識以前に、人間として立派に成長していけるかどうが大切である。いくら知識があっても、人間として駄目であれば、使いものにならない」と。
 池田 若者たちの心は鋭敏です。社会に歪みがあれば、それがそのまま、彼らの心にも影を落としてしまいます。だからこそ、まず大人が襟を正、範を示すことから始めなければなりません。
 日本では、政治家や官僚たちが、汚職をしたり、腐敗したりするなど、時代や社会をリードしていかねばならない立場の人間が、モラル・ハザード(倫理の崩壊)うぃ引き起こしています。由々しきことです。
7  無名の庶民の幸福こそ大学教育の出発点
  韓国でも、個人的な利己主義や集団的な利己主義によって、金融秩序や法秩序を撹乱させ、善良な多くの人びとを苦しめている例が見られます。
 私は、思うのです。指導者たるもの、上に立てば立つほど苦労をしなければならない、と。
 そうでなければ、本当に苦労している人の心など、分かるはずがありません。痛みが分からないから観念になってしまう。一部の指導者たちが政治や経済の舵取りを誤るのも、苦労している人びとの心を理僻していないからではないでしょうか。
 池田 まったく同感です。そうした風潮を改めるためにも、指導者革命が必要です。そして、未来の指導者を育てる「教育」、なかんずく「大学教育」のあり方が焦点となってくると思います。
 以前(一九九六年六月)、アメリカのデンバー大学を訪れたことがありますが、その時、同大学の創立者であるジョン・エバンズ先生の言葉を聞いて、わが意を得たりとの思いがしました。
 それは、「善なるもののために、知性と人格をつくる機関を創立すれば、それは機能し続け、未来永遠、世代から世代へと影響を蓄積してゆくだろう。そうすればわれわれは、国家と人類に対し、最高にして、最も崇高な奉仕をしたことになるであろう」と。
 創価大学や創価学園の創立に込めた私の思いも、まったく同じものでした。
 創価大学が開学した時、私は、一対のブロンズ像を贈りました。その台座には、
 「英知を磨くは何のため君よそれを忘るるな」
 「労苦と使命の中にのみ人生の価値は生まれる」との言葉が刻まれています。
 社会のため、そして何よりも無名の庶民の幸福のために、何を学び何を為すべきか。その一点に対する思索と努力だけは、永遠に忘れないでほしいとの願いを込めたものです。
  すばらしい指針ですね。池田会長の深いお心に、わが大学も続いていきたいと思います。その会長に、「名誉博士号」をお贈りできたことは、時を経るごとに、わが大学を輝かせていくものと思います。
 私は、池田会長と創価大学のことについて詳しく知れば知るほど、尊敬の念とともに、その崇高な思想性に強く惹かれるようになりました。
 なかでも私が感銘を受けたのが、「生も歓喜、死も歓喜」という会長の言葉でした。その言葉に触れた時、心がとても大きく広がったのです。
 いつ死んでもよい。死をも歓喜と思えるほど、愛を込めた生を全うすることこそ、生死の境界を超えた永遠の生死なのではないか、と。
 池田 恐縮です。ハーバード大学での二度目の講演(一九九三年九月、「二十一世紀文明と大乗仏教」)で論じました。
 まさしく趙博士のごとく、毀誉褒貶など眼中にない「正義の人生」には生死を超えた信念の真髄が光っております。
 私はこの対談をとおして、博士の尊い人生を永遠に歴史に宣揚させていただこうと考えています。
 韓国の方との対談集は今回が初めてですが、尊敬する博士のような方との交友を深めながら、揺るぎない友好の道を開いていきたいのです。
 十六世紀の貴国の大教育者で、日本にも多大な影響を及ほされた李退渓イテゲの詩に、こんな一節がありますね。
  「青山は、なにゆえに、永遠に青々として、
   流水はどうして、昼夜ともなく流れてやまぬのか。
   我らも、流水のように学びをやめることなく、
   青山のように若やいで生きよう」と。
 この詩のように、韓日友好の平和の大河を共々につくりあげていきたい。
 そして、次代を担う青年たちに、友好の心を伝え、流れをさらに広げていってほしいと念願しています。

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