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日蓮大聖人・池田大作

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「民音」四十周年の栄光 音楽で民衆を結べ 世界を包め

2003.12.24 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

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1  「科学万能の現代では、理性、合理性が重んじられる反面、心と精神性の問題が忘れられがちです。だからこそ、人びとの心に働きかけ、精神の力を高め養ってくれる音楽の役割は、今後、ますます大きくなることでしょう」
 かつて私が講演を行った、フランス学士院芸術アカデミーのランドアスキー終身事務総長の言葉である。
 音楽は鼓膜を相手にしているのではない。
 その奥の心に呼びかけ、誰もが持っている「魂の琴線」に共鳴と友情のハーモニーを響かせる。
 その音律は、ある時は生きる勇気を、ある時は平和の祈りを、また、ある時には人間の誇りを呼び覚ます。そういう徳の力が、音楽にはあるのだ。
 音楽で人間を結びたい!
 そして世界に、文化と平和の虹の調べを奏でたい!
 これが、私の若き日からの夢であった。
 ご自身も音楽家であられるランドアスキー氏が、私の心情をくみ、こう言われた。
 「名誉会長の音楽への愛が、すばらしい音楽団体である『民音』創立の淵源となったのですね」
2  本年十月、わが民音(民主音楽協会)(い) は、創立四十周年の佳節を、晴れやかに迎えることができた。
 信濃町の壮麗な民音文化センターでは、四十年の文化貢献の歩みを紹介する「特別展」も行われ、感嘆と賞讃の声が大きく広がっている。
 創立以来、民音が開催してきた公演は、オーケストラ、室内楽、オペラ、パレエ、ポップス、タンゴ、民族舞踊など、六万回を遥かに超える。
 世界各国との音楽交流も、この八月、モロッコからの来日公演により、九十カ国・地域に拡大した。民音の”指揮者コンクール”
 等への評価も極めて高い。
 今日までの民音の文化貢献に対し、過日、ポーランド文化省から「文化大臣功労章」が贈られた。嬉しい限りだ。
 こうした栄誉も、民音を愛し、陰に陽に支えてくださった庶民の力の結晶である。
 全国の民音推進委員の皆様に、そして百二十万人の賛助会員の皆様に、私は創立者として、深く感謝申し上げたい。
3  「文学にしろ、音楽にしろ、一流のものに触れよ」とは、わが師・戸田先生が常に言われていた指導であった。
 私も青春時代、手回しの蓄音機で聴いたベートーベンの名曲に、どれほど心を励まされ、苦闘の日々を生き抜く力を得たことだろう。
 しかし、クラシック音楽や舞台公演は、私が会長に就佳した一九六〇年(昭和三十五年)ごろでも、一般の庶民感覚からは、高価で縁遠い存在であった。
 一般の庶民感覚からは、高価で縁遠い存在であった。
 民衆の時代だ。芸術は一部の特権階級のための、閉ざされたものでは決してない。
 人類共通の宝である最高の音楽を、民衆の手に届くものにしたい──との願いが民音創立の原点にある。その道を開くために、私も必死で動き、戦った。
 「民音や学会に呼べるわけがない」などと嘲笑さえ浴びながら、創立時からの夢であった、オペラの至宝「ミラノ・スカラ座」の絢澗たる日本公演も、文化交流の発展のために実現した。
 初交渉から十六年後の一九八一年(昭和五十六年)のことである。
 当時のバディー総裁が、「スカラ座の建物の壁だけを残して全部、日本に運んできた」と言われた”大引っ越し公演”の壮挙であった。
4  民音では、海外からの招聘公演も、より多くの方々に鑑賞していただこうと、大都市圏だけでなく、地方都市でも積極的に開催してきた。
 また、一九七三年(昭和四十八年)の五月、北海道から始まった「学校コンサート」は、これまで全国の約三千五百三十校で行われ、鑑賞した生徒・児童は百十六万人を超えた。
 子どもたちは、初めて聴く生のオーケストラやアーティストの演奏に目を輝かせる。力強い楽器のリズムに、自然と体が動き出す。
 聴覚などが不自由な子どもたちもいる。音は聞こえなくとも、演奏者の身振りや楽器が発する振動、風圧で音楽を感じるのだという。
 離島での学校コンサートに出演された高名な女性バイオリン奏者は、最高峰のバイオリンの名器を持参された。
 潮風が楽器を傷めないかと心配する声に、「楽しみに待っていてくれる子どもたちに、最高のバイオリンの音色を聴いてもらいたい」と毅然と答えられたという。
 多忙な公演の合間を縫い、学校コンサートを行ってくださる外国のアーティストも多い。本物に触れる喜びは、最高の教育となる。
 学校コンサートがきっかけで、音楽の道を志したお子さんもおられるそうだ。
 民衆は大地だ。その未来は青少年の胸にある。
 この民衆の大地に、平和の音楽が鳴り響く時、社会も、世界も、どんなに善美の光に包まれゆくことか。
5  創立三年の一九六六年(昭和四十一年)、「世界バレエ・シリーズ」の第一回として民音が招聘したのは、ソ連のノボシビルスク・バレエ団であった。
 当時は、厳しい東西冷戦の時代である。政治次元の対立ばかりが喧伝され、国民の間にも、ソ連は”怖い”というイメージが根強かった。
 それだけに、美しき”文化の親善大使”の来日は、人間と人間の共鳴を広げ、友好の花々を咲かせたのである。
 文化交流とは、まさに相互理解の懸け橋であり、平和の先駆けである。
 「遥かなる平和の道」を主題に、中国、トルコ、ソ連のウズベク共和国(当時)の三カ国、そして日本の音楽家が共演した、「シルクロード音楽の旅」シリーズの第四回公演の時のことである。
 その実現までの道程は険しかった。「中ソ対立」が影を落としていたからだ。
 だが、そこに住むのは人間だ。どうして、わかり合えないはずがあろうか!
 民音のスタッフは”文化は国家間の対立を乗り越えられる”と信じ、粘り強く交渉を続けていった。この民音がめざす文化交流への熱意が伝わった時、中ソ両国からOKのサインが出たのである。
 一九八五年(昭和六十年)、全国二十六都市三十回の公演を大成功に終えた代表団を、私は信濃町の聖教新聞社で歓迎した。
 それぞれの国の団長が、異口同音に語っておられた。
 ”今回のの日本公演が、必ずや将来の平和と友好の道を、さらに深めていくに違いありません”──その言葉に、私は文化の勝利の凱歌を聞く思いがした。
 中ソが劇的に和解したのは、四年後のことである。
 音楽には壁がない。国境を超え、言語や人種、民族の差異も超えて、心と心を結び、平和の調べを奏でる。民音が九十カ国・地域にわたる文化交流を行ってきた理由も、この一点にある。
 この人類を結ぶ文化交流の大道を、私は「精神のシルクロード」と呼びたい。
 新たな歴史を開いているのだ。私たちは、いかなる批判も、迫害も恐れない。
 「私としては、迫害者はみな詐欺師か馬鹿者であると信じています」(「書簡集」上、原好男訳、『ルソー全集』13所収、白水社)
 フランスの思想家ルソーは、幾たびとなく続きゆく非難・中傷の迫害のなかで、こう言い切った。
6  二十世紀最高峰のバイオリン奏者メニューイン氏、国立モスクワ児童音楽劇場のサーツさん、タンゴの巨匠、。フグリエー氏とモーレス氏、ハンブルク・バレエのノイマイヤー監督……私が、友情を結んできた音楽家・舞台芸術家の方々は、皆、人間を共感と感動で結ぶために戦っておられた。
 その「精神の戦士」「芸術の騎士」の方々が、私どもの民音の運動を愛し、賞讃してくださる。熱い共戦のエールを送ってくださる。
 「美しい行いを心からほめることは、いわば、自分もその美しい行いにたずさわることだ」(『箴言と考察』内藤濯訳、岩波文庫)とは、十七世紀フランスの文人ラ・ロシュフコーの有名な箴言である。
 文化で世界を結べ! わが民音の前進とともに、壮大な「精神のシルクロード」が開かれつつあると感じるのは、私一人ではあるまい。
 ドイツの有名な詩人であるシラーは訴えた。
 「希望は老年と共に消えはしないし」(神保光太郎編訳『ドイツ詩集』白鳳社)
 人間世紀の旭日は、煌々と昇り始めた。尊き文化と平和の行進には、常に若々しい希望が輝き続ける。
 イギリスの詩人シェリーは、「悪人は善をうけいれることは出来ない」(『縛を解かれたプロミーシューズ』石川重俊訳、岩波文庫)と書いた。
 我らの前進には、邪悪な人間はいられないられない。人間の善と美の、あまりにも麗しき連帯であるからだ。

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