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日蓮大聖人・池田大作

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世界を照らす希望島 沖縄は「広宣流布」の太陽

2003.10.29 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

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1  ――革命を成功させるには、青年の熱情と支持によらなければならない。(『宋慶齢選集』仁木ふみ子訳、ドスメ出版、参照)
 これは、中国革命の父・孫文の大確信であった。
 そしてまた、中国の大詩人・白楽天は、歴史に輝き続ける偉大な言葉を残した。
 「行いの正しき者は、かえって人の讒謗(=誹謗)を被りやすい」〈「直躬ちょっきゅう媒蘖ばいげつせられ易し」〉(佐久節訳註『白楽天全詩集』3、日本図書センター)
2  沖縄の「本門」の幕は上がった!
 いざや前進! 威風も堂々と、庶民と庶民の平和の大行進は始まった。
 明年の二〇〇四年は、常に嵐のなか、毅然と勝利の歴史を綴ってきた沖縄に、元初の妙法の一粒種が誕生してから、ちょうど半世紀になる。
 この半世紀の大躍進を遂行した、激闘の沖縄の歴史は、永遠に残るであろう。悲惨と苦痛の歴史の宿命を背負ってきた沖縄も、天晴れ、地晴れ、厳然と、勝利と勝利の歴史を、日本中に示し始めた。本当に嬉しいことだ。素晴らしいことだ。
 ともあれ、沖縄の広宣流布五十周年の大前進は、晴れやかに開幕したのだ!
 文豪ゲーテは、「時間がわたしの財産だ。わたしの耕地は時間だ」(手塚富雄『いきいきと生きよ』講談社)と歌った。
 「時」というのは、まことに不思議なものである。同じ一年であっても、十年、二十年に匹敵する重みと尊さを持つ場合がある。
 一カ月が、いな一週間が、いな今日一日が、そしてまた、この一瞬間の戦いが、わが人生を転換させ、壮大なる歴史を変える起爆力を持つこともある。
 この法則を知るものが、仏法の賢者である。ともかく勝つことだ。
 永遠に人間は、幸福か不幸か、どちらかである。民族も同じである。国も同じである。事業も同じである。人生も、歴史も、同じである。
 勝つところに幸福がある。負ければ不幸である。
 勝利は誇り高く、楽しい。敗北は人びとから睥睨され、苦悩の日々を送る。
 ゆえに、断じて勝てと、仏法の真髄は厳然と教える。
 勝つための信仰だ。
 勝つための広宣流布だ。
 勝つための人間革命だ。
 勝つための人生だ。
3  日本列島のなかで、光り輝き始めた沖縄は、日本中の注目の的であった。
 あの大激戦の悲惨極まる残酷の嵐が吹き荒れた沖縄は、今や真実の平和と、真実の幸福の宝島となってきた。常に「この沖縄を見よ!」と、胸を張って戦っておられる。
 日本はおろか、世界中の人びとの手本となり、希望となりゆく、新しき人間の大舞台となっている。
 沖縄の勝利、そして沖縄の平和は、まず日本の広宣流布が必ずできるであろうとの、不滅のモデルとなってきた。
 だからこそ、私は、世界の広宣流布の使命をもった第三代会長として、沖縄を訪問させていただく機会を、最大に意義ある儀式として臨んできた。
 最初の訪問は、会長に就任して二カ月後、日蓮大聖人が「立正安国論」を提出されて七百年のその日、七月十六日(一九六〇年)であった。
 そして、沖縄支部結成は、私が権力の魔性との闘争の歴史を刻みに刻み、大関西に「常勝の魂」を燃え上がらせた七月十七日であった。
 さらにまた、小説『人間革命』を書き始めたのも、那覇の沖縄本部であった。執筆の開始から、明年は四十周年でもある。
 そのテーマは、わが沖縄の同志の尊き決心でもあると、私は確信する。
 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」と。
4  一九五四年(昭和二十九年)、この沖縄の広宣流布は、たった「一人」の青年から始まった。
 広宣流布は、常に、「一人立つ精神」から始まる。これは、三世永遠に変わらぬ法則であり、人間世界の絶対なる真実の歩みである。ゆえに、決然と「一人立つ人間」がいれば、必ずや正義の旗は翻り、勝利の波がわき起こるのだ。
 第二次世界大戦中、フランスが、ナチス・ドイツに占領された時に、ド・ゴール将軍は一人、猛然と叫んだ。
 「私がフランスだ。私は戦いをつづける」(G・ボヌール『ド・ゴール』宗左近訳、角川文庫)
 この不屈の魂に燃えゆく英雄の如く、わが沖縄広布の先駆者たちも、「私が創価学会だ!」と叫び、米軍機の轟音が耳をつんざく街々で、青い珊瑚礁の島で、サトウキビ畑の村で、断固として正義の師子吼を放った。
 「この島の広宣流布は私が成し遂げる!」
 この法華経の行者に、経文通り、御書の通りに、悪口が襲った。石が投げられ、塩や水をかけられた。
 だが、誰一人として、逃げるものはいなかった。ここで勝つしか、仏法の正義の旗を高々と掲げ、守りゆく道はないことを知っているからだ。
 沖縄の皆様にとって、その自分自身の勝利と、郷土の繁栄と平和は、切っても切り離すことはできなかった。一人ひとりが、自分にとっての「立正安国」を、常に自問自答しなければならなかった。ゆえに真剣であった。ゆえに必死であった。
 なぜ沖縄に創価学会の信仰が広まったのか――日本の宗教社会学の第一人者であられた故・安齋伸先生は、現地に飛んで調査された。自分の足で島々を歩かれた結論は明快だった。
 それは、学会員が、「カトリックの宣教師たちが、道なき道や草むらを、ハブの脅威をものともせず、踏み分け、小舟を漕いで村々に渡り宣教したように、いな、それ以上の苦労に耐えて」島の人びとの幸福に尽くしてきたからだと指摘されたのであった。
 安齋先生は言われた。
 「案内してくださった学会員の壮年のやさしい思いやりや友好的な態度、誠実な行動が、今でも印象に残っております」
 誠実ほど強いものはない。鍛え上げられた人格の磁石ほど強いものはない。
5  百五十年から二百年前、船で琉球王国を訪れた西洋の人びとは、沖縄人の印象深い実像を書き残している。
 「琉球の人々は、ためらうことなく異国人に援助の手をさしのべ、これに対する見返りなど夢にも考えていないらしい」「ほんとに心やさしい人々だ」「琉球人は友好的で信頼のおける民族だ」(ラブ・オーシュリ、上原正稔編著『青い目が見た大琉球』ニライ社)
 沖縄には、遭難船の乗員を助けた逸話も数多い。
 十九世紀の半ばには、三百八十人もの中国人の労働者が石垣島に上陸した。米国に送られる途中、奴隷扱いに抵抗して船を奪ったものの、沖合で座礁してしまったのだ。
 この事件に、米国等は武装兵を上陸させて追跡したが、島民は労働者を助け、追っ手に殺された人びとも丁重に葬ったのであった。
 それらの墓は風雨に崩れたが、現在、人道的な事跡を伝える慰霊碑として、新たな「唐人墓」が建設されている。
 苦しんでいる人を放っておけない――この沖縄の温かな人間主義は、「チムグルサン(相手の立場に立って苦しみを共有する)」という同苦の心に、「イチャリバチョーデー(行き会えば皆兄弟)」という開かれた心に、今も脈々と息づいている。
 そして、それは、自然のうちに、仏法の精神と深く深く響き合っているのだ。
 沖縄には、人と人を隔てる偏狭な、あの暗い壁はない。国境や時代をも超越して輝く「地球市民の精神」がある。戦乱と暴力に満ちた世界を癒す、「平和の文化」の大地がある。
 来月には、沖縄で「グローバリゼーション・フォーラム2003」が開催される。有識者たちによって、新しい世界秩序の構築を議論する会議だ。
 ここには、私の友人であるゴルバチョフ元ソ連大統領も出席の予定である。
 世界から沖縄に集い、沖縄から学び、沖縄で世界の未来を考える時代になった。
 まさに沖縄は、「世界の希望」の宝島となってきた。宿命の地図は、今や劇的に組み替えられてきているのだ!
6  日蓮大聖人は、「たねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」と仰せである。
 妙法とは、尊極の「平和の種」であり、「幸福の種」であり、「勝利の種」である。
 我らは、その「よき種」を愛する郷土に植え、友情と信頼の花を爛漫と咲かせていく使命があるのだ。
 反対に、人間を不幸にする「邪悪の種」「堕落の種」等々は、厳しく取り除いていかねばならない。決然と戦っていかねばならないのだ。
 仏法は勝負である。断じて善が勝つために、信仰はあるのだ。
 二〇〇〇年の二月、忘れもしない「世界青年平和大文化総会」が、沖縄で楽しく、にぎやかに開催された。あの日あの時、歓喜の絢爛たるカチャーシーを、共に舞いに舞いながら、私たちは悠然と決意を新たにした。
 沖縄から、二十一世紀の平和の太陽よ昇れ! そのためにも、民衆が断じて勝つのだ!
 ちょうど四十年前、公民権運動の指導者キング博士は、あらゆる困難に屈することなく、「私には夢がある!」と烈々と叫んだ。
 今、私たちにも「大いなる夢」がある! 沖縄を「日本で最初の広宣流布の地帯」に!
 我らは、両手を高々とあげながら、全世界に誇る「団結」「異体同心」の大スクラムで、無限に輝く勝利の勝鬨をあげるのだ!
 孫文の夫人である宋慶齢は言った。
 「全身全霊 人民の利益のためにたたかう人は、疲れを知りません。何時も未来を光明あるものとみなしています」(『宋慶齢選集』仁木ふみ子訳、ドスメ出版)

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