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日蓮大聖人・池田大作

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鉄桶の団結 大埼玉の勝関よ永遠なれ

2003.9.17 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

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1  「理想の実現に向かって進むには、人には見えない困難があります。だれも知らないところで辛苦を重ねねばならない」(『敦煌の光彩』。本全集第17巻収録)とは、敦煌の守り人として有名な常書鴻画伯の深い言葉であった。
 私が幾たびとなく人生と芸術を語り合った、大切な中国の友人であり、ご存命なら来年で百歳であられた。
 過日、夫人の李承仙さんのご逝去の報に接し、直ちに弔電を送った。心よりご冥福をお祈り申し上げたい。
 画伯と私の対話は、『敦煌の光彩』という対談集に結実した。本年、この書が、中国語教育の最高峰の学府として著名な、北京語言大学の教科書に収録された。
 また同大学からは、先般、「名誉教授」称号の授章決定の通知をいただいた。まことに光栄の至りである。
 私との対談集を”魂の最高の良薬である”と、晩年、病床の枕元に置かれていた常書鴻博士も、きっと喜んでくださっているにちがいない。
2  常画伯は、たびたび来日されていたが、なかでも印象深い思い出は何であったか。
 それは、実に、一九八五年(昭和六十年)九月に行われた、埼玉青年平和文化祭であったと言われた。対談集の序文にも、その感動を綴られている。
 「(埼玉の文化祭で)池田先生が全力で育成されている青年たちの団結、友愛、元気溌剌として前進する精神、そして青年たちの慈父のような先生の親しみにあふれた感情に触れた。その情景は今も鮮明であり、私を感動させてやまない」(同前)
 私のことはともかく、画伯は、敦煌の至宝が「静の美」であれば、との青年たちの躍動する姿は「動の美」であるとも絶讃されていた。
 全員の栄光と栄冠へ、若き埼玉の陣列は懸命だった。
 一人ひとりが、持てる青春の力を最高潮に発揮しゆく躍動美は、神々しいほどであった。
 その生き生きとした、わが使命の戦いのなかに、人間と人間の調和の美がある。
 強靭な魂が連動しゆく団結の勝利の瞳は、天使の如く、天女の如く光っていた。
3  埼玉といえば、「鉄桶の団結」が合言葉である。
 それは全同志が認める高貴な伝統だ。
 一九七三年(昭和四十八年)の九月十二日、私は、埼玉の幹部総会に出席するため、勇んで上尾の運動公園体育館に駆けつけた。
 日蓮大聖人が竜の口の法難に遭われた、仏法上、甚深の意義あるこの日、埼玉の広宣流布の英雄たちは、「新たな歴史を創ろう!」「模範の地域を築こう!」と、意気軒昂の出発をしたのである。
 あの日、正法と正義と平和を願う会場の壇上には、皆の胸が張り裂けんばかりの誓いが掲げられていた。それは、「鉄桶の団結」であった。堂々たる大文字であった。
 悪口雑言が何だ! 紛動され、あとになって悔いるな!
 卑劣な中傷批判が何だ! 言い騒いだ連中は、あとになって必ず悔恨するだろう。
 我らの団結は、尊貴な広宣流布に戦いゆく、慈悲と正義の勇者の団結だ。
 ──この誓願の魂の強き結合がある限り、大埼玉には永遠に停滞も衰亡もない。
 わが大埼玉の使命の存在は、大東京を、そして大首都圏をも、完勝へと力強く回転させていく牽引力になっている。
 一段と新しい人材に光をあて、新しい力が活躍できるように、皆が信仰の心を合わせていく時、わが埼玉は永久に豊かな、さらに常勝の大城となっていくにちがいない。
 そこには、無残な傷を負う者など、一人もいない。
 平和のために貢献せよ!
 人類のために貢献せよ!
 そのために、仏法広布のために貢献せよ!
 世の人の褒め言葉がなくても三世永遠の仏天は最大に賞讃してくれる。
 いな、後世の人類が、必ずや讃嘆し尊敬することは、絶対に間違いないのだ。
 法華経の如く、大聖人の御聖訓の如くに!
4  この五年前(一九六八年)のことである。
 この時、すでに私は、埼玉の同志に「団結の要諦」を強く訴えていた。それは、キツネの如く校賢い幾人かの悪党の嚢動があることを知っていたからだ。
 その会場も、上尾の運動公園体育館であった。
 「”一人立つ”ということと、団結とは、一見違うように思えるが、実は全く同じものである。自分が責任をもって一人立つところに、団結は自ずから築かれていくのだ」
 恩師戸田前会長の指針も、その原理は同じであった。
 「一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」と。
 使命ある賢人となりて一人立ち、勝利の道を築くことが、広布の方程式だ。自らが全権大使となって、現実社会に打って出ることだ。
 「私が創価学会だ」「私が地域の学会の代表だ」と胸を張り、悠然と正義を語り、勝ち抜いていくことだ。
 日蓮大聖人は、心にかけていた弟子たちについて、厳しく戒めて言われた。
 「おのおのは、しっかりした日蓮の味方である。ところが、私が頭を砕くほど真剣に祈っているのに、今まで明らかな現証がないのは、この中に心の翻る人がいると思われるのである」(御書一二二五ページ、通解)
 師弟の心、同志の心が合わなければ、戦いは勝てない。断じて「心の翻る人」となってはならない。退転する気はなくとも、心が落ちてしまえば敗北であるからだ。
 この御聖訓は、「どうせ無理だろう」「自分がやらなくても誰かがやるだろう」などという、惰弱な諦めや他人任せの卑劣さと無責任な一念を問責された、厳しき御遺言である。
 わが学会は、この御聖訓通りに、何があっても、心を翻すことなく、堂々と歩んできたのだ。反対に退転し、数々の悪事を為しゆく連中を、この御聖訓に照らして、断じて許してはならない。
 それらの乱行の議員や幹部に対しては、大聖人の仰せ通り、悪党に騙されぬように、また悪党に撹乱されぬように、命懸けで監視の目を光らせていくことだ。そして、必ず追放していくことだ。これが、戸田先生の遺言であった。
5  若き日、私は、青年部の室長、文京支部の支部長代理の役職とともに、学会の渉外部長として、あらゆる外交戦の責任を担っていた。
 一九五五年(昭和三十年)の二月、ある大手新聞社の埼玉版に、学会の批判記事が出た。
 何の裏付けもない事実無根の作り話が、紙面を覆っていた。
 会員数や役職名など基本的な事柄さえ間違いだらけで、「いつ」「どこで」「誰が」といった具体性が全くない。偏見と憶測に基づく悪意の中傷であった。
 今までも、俗悪週刊誌等のデマ記事で、どれほど多くの人びとが傷つき、汚名を着せられてきたことか。これを他人事として冷笑する社会は、断じて健全とはいえぬ。
 民衆の幸福のための真剣にして無償の行動さえ、「信じられない」「うさん臭い」等と歪んで見るのが、日本の浅ましき島国根性である。
 ともあれ、日本のいずこであろうが、陰険な中傷記事によって、いかに真面目な人びとが苦しんできたかと思えば、絶対に許すことはできなかった。
 私は即座に抗議の声をあげた。関係者に対し、あまりに杜撰な報道姿勢を糾した。
 倣慢で強圧的な態度の社の幹部もいた。だが、最後は埼玉の支局が非を認め、訂正を約したのである。
 本部に戻り、戸田先生にご報告すると、相好を崩され、「よくやった」と一言。その師の会心の笑顔は、今もわが胸から消えない。
6  イタリアの詩人ダンテは、峻烈に書き残した。
 地獄において──「裏切者はみな未来永劫にわたり/阿責にさいなまれている」(『神曲』地獄篇、平川祐弘訳、河出書房新社)
 多くの罪業を重ねた無法者が、永遠に後悔の苦しみを味わうことを、我らは知っているのだ。
 「我を忘れて自分の仕事に完全に没頭することのできる働きびとアルバイターは、最も幸福である」(『幸福論』1、草間平作訳、岩波文庫)
 これは、スイスの哲人ヒルティの言葉であった。
 この手に勝利をつかむ最後の瞬間まで、広宣流布という大偉業に汗を流しゅく人は、最高の幸福者だ。最高の勇者だ。最高の勝利者だ。
 その執念の戦いによって、永遠にわたる栄光と勝利の太陽は、あなたの頭上に燦然と輝いていくことであろう。
 おお、埼玉よ!
 おお、信念の大指導者の連なりゆく人材の埼玉よ!
 諸天善神が、そしてまた、正義の大王が頷き喜び、埼玉の広布の闘争の、勇気と慈愛と富みゆく者の行列をば、微笑みと賞讃をもって迎え送ることであろう。
 最後に、私がトインビー博士とも語り合った、イギリスの大哲学者ホワイトヘッドの言葉を、わが埼玉の友に贈りたい。
 ──歴史とは、努力のドラマである。(『ホワイトヘッド著作集』14、村形明子訳、松籟社、参照)
 大埼玉、万歳!
 大埼玉の勝鬨よ、永遠なれ!

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