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日蓮大聖人・池田大作

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起稿10周年 我は書く 命の続く限り

2003.8.8 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

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1  正しく教育され、修練された人格は光る。さらに、信仰の確実さによって鍛えられた人生は、最も有能にして勝利者の光を放っていくものだ。
 強靱な鋼の魂を持った私の生命は、既に気づいていた。この堅忍の努力と持久力を持った、惜しみなき創価の同志の君の活力は敗北を知らない、と。
 君よ! 絶え間なき逆風と嵐の中を、決して船酔いせずに、よくぞここまで、私と共に戦い、勝ち抜いてくれた。その凱歌を、諸天善神もまた賞讃してくれているだろう。
 今は共に新鮮な空気を吸いながら、次の戦闘の準備をしている友に栄光あれ! と私は叫びたい。そして、わが友に勝利あれ! と叫びたいのだ。
 この八月六日で、私が小説『新・人間革命』の執筆を開始してより、ここに十周年となった。
 一九九三年(平成五年)のその朝、私は、戸田先生ゆかりの長野で、最初の原稿を綴り始めた。世界で初めて広島に、あの恐るべき原爆が投下されて、四十八年に当たる日であった。私は深き祈りと誓いを込めて、ペンを揮った。
 「平和ほど、尊きものはない。
 平和ほど、幸福なものはない。
 平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」
 聖教新聞への連載は、その年の十一月十八日に始まってより、現在まで、二千五百四十余回を数える。前の小説『人間革命』は千五百九回で完結しているので、既に千回以上も上回っている。
 読者の皆様方の温かいご声援に、心から御礼申し上げたい。
 また、素晴らしい挿絵を寄せてくださっている内田健一郎画伯に感謝は尽きない。
 今の「大河」の章が第十四巻第四章であり、完結まで優に三十巻になる予定である。
 道は、ようやく半ばに来た感を覚える。
 現在、私の連載は「わが忘れ得ぬ尊き同志たちよ」もある。「地球紀行」や「人生は素晴らしい」等々もある。著名な経済学者のガルブレイス博士や、ゴルバチョフ元ソ連大統領をはじめ、世界の識者との対談も、博士たちの強い要望があって進めている。
 今、書かずして、いつ書くのか!
 これが、私の心情である。
 私の胸には、言論の闘争の決意がたぎっている。
 広宣流布の大道は、今つくるしかないからだ。
 その深く広い広宣の軌道を永遠ならしめるために、今こそ厳然と書き残しておくことが、後世の法戦の先手となることを知っているからだ。
2  現在、人説が描く時代は、昭和四十五年――。
 会長就任十周年の五月三日からの新生の旅立ちである。
 当時の学会は、"言論問題"の嵐の渦中にあった。しかも、私は、前年の暮れに体調を崩し、しばらく、大きな会合以外の出席を控えねばならない状態が続いていた。
 そのような苦難の環境のなかで、私は、口述で小説『人間革命』第六巻の執筆に取り組んだ。この巻は、一九五二年(昭和二十七年)の"立宗七百年祭"から始まり、そこで起こった重大事件の顛末を描いている。
 あの忌まわしき戦争中に、臆病にも軍部政府に迎合し、「神本仏迹論」の邪義を唱えた僧に対して、正義の憤りに燃える青年部の有志が謝罪を要求した。すると、権威の塊である宗門は戸田会長の大講頭罷免、登山の停止などを決議した。皆が驚き、耳を疑った。
 この正義の学会への理不尽な迫害の事実、そして腐敗・堕落した宗門の歴史の事実を、私は将来のために記し残すことを決意したのだ。
 その昭和四十五年の当時、私は万年筆を握るのも辛く、発熱した額に濡れタオルをあてながら、後世の同志のためにと、懸命に口述を続けていった。
3  後年、権威の宗門は、正義の学会への圧迫を、厳しく強めていった。
 それは、信じられないほどの陰謀を孕んでいた。
 全国の寺院、僧侶が、純粋なる信徒であり、宗門を外護してきた学会員に対して暴言を吐き、陰湿な嫌がらせを公然と始めたのである。
 私は悩んだ。苦しんだ。幹部も、いったい、どうしてこうなったか、意味がわからず、悩んだ。
 ――この第一次の宗門事件のさなかのことである。
 当時、会長を辞めて名誉会長になった私が会合に出席したり、聖教新聞に出ることも、何かいけないような暗い空気がつくられていった。
 これは、宗門の中枢と黒い野心を持った退転者とが陰で結合して、かの学会介入、そして撹乱の陰謀を、大々的に始めたからであった。
 要するに、学会潰しを狙う悪党たちの連合であった。週刊誌等を利用したり、その他、あらゆる方法を用いて、連日、私への中傷を繰り返したのであった。
 小説『人間革命』も、しばらく休載されていた。
 多くの会員からは、「聖教新聞を読んでも、戦う気概がどこにもない。勇気と希望の源泉にもならない」との不安と、力の抜けた新聞紙上への嘆きが寄せられた。
 一九八〇年(昭和五十五年)の七月二十六日、箱根の研修道場にいた私は、聖教新聞の記者に決意を語った。
 「今の状況では、同志は勇気も希望も見いだせないでいる。いろいろ考えてみたが、結局、『人間革命』の第十一巻の連載を、今、開始すべきではないかと思う。どうだろうか」
 記者は一瞬、口ごもった。そして、今、私が連載を再開すれば、また、権力を持った宗門の格好の攻撃材料になりかねないと言うのであった。
 「そんな非難は、私が一身に受ければよい。私の身がどうなろうが、大切なのは学会員だ。苦しんでいる学会員を、どうやって励ましていくべきか。それが根本ではないか!」
 翌二十七日、私は場所を八王子に移し、午後五時過ぎから、『人間革命』の執筆を開始した。
 原稿は、口述を書き留めてもらった。この時も、体調を崩し、熱があり、ペンを持つことができなかったからだ。
 「さあ、今から『人間革命』を書こう! 少しでも同志のためになるならば……。私は断じて負けない! 広宣流布のためだ」
 これが「転機」の章である。昭和三十一年の七月、学会として初めて候補者を推薦し、大阪が大勝利した参議院選挙のあとの、新たな戦いの歴史を描くこととなった。
 私は、真剣に口述に情熱を傾けた。たまたま高熱が出たり、辛いことがあったが、断じて真実を後世に書き残すのだと決意して、口述を続けた。
 「真実より強いものはない。真実を持てる者は、勝利者である。同志が待っている。さあ、続けよう!」
 "最初の読者"である担当の記者に、私は言った。
 「間違ったところがあったら、何回でも私は直すよ。だから、君の気のついたことは、厳しく指摘してくれ給え。それが、私と共に戦う君の責任だよ!」
 記者は、深く頷いた。その時の彼の姿を、今もって、私は忘れない。
 名前も人柄も、その清々しい正義感と気力の漲る姿を、私は忘れていない。
4  『新・人間革命』も、まったく同じ決意であった。
 私には、書かねばならない使命と責任がある。後輩に真実を伝えねばならない。
 それが先輩の責務であるからだ。
 皆様ご存じの通り、ここまで私が小説『新・人間革命』に綴ってきた、第三代会長になってからの十年間、わが学会は太陽が昇りゆく勢いで、連戦連勝であった。
 それは、みな、迫害の烈風のなか、信心の無数の勝利の利剣を持った、わが同志の勇敢なる戦いのお陰である。
 そこに、諸天善神が総力をあげて、敵を倒し、道を開き、勝利へ勝利へと、導いてくれたのである。
 つまり、正しき信心からきた「妙法の秘術」の結果であった。
 末法とは、「闘諍言訟」の時代といわれる。要するに、「言論戦の時代」である。
 日蓮大聖人は、正法を行じ抜いた勇者と、迫害した人間の勝敗を綴り残されながら、こう仰せである。
 「うただ・きなばこそ未来の人は智ありけりとは・しり候はんずれ
 「真実」を明確に書き残すことが、未来の人びとの明鏡となる。
 真実は、語らなければ残らない。沈黙は闇を増すだけだ。
 ゆえに私も、書くべきことは全部、書き残す責任がある。また、書き残す決心は深まっていた。
5  我らは、幾たびとなく戦い、勝った。負けたことは、一度たりともない。
 諸天善神は、連続勝利の我らの戦いを見つめている。天より、大地より、大勝利の我らの行列を祝賀している。そして我らに向かって、「善哉、善哉」「喝采、喝采」と、天の歌、天の舞を贈ってくれる。私たちの人生の結晶は、並外れて貴重な歴史を綴り、美しい生命と輝きわたるにちがいない。
 ある哲学者が、笑って語った。
 「人間は、嫉みの動物だ。人間は、やっかみの動物だ。人間は、怨みと羨ましさに狂い叫んでいく動物だ」
 勝利者に迫害があるのは、当然だ。それが、永遠の優勝の証なのだ。
 ゆえに、我らは、愉快な人生を、勝利の人生を、飾り残しゆくのみだ。

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