Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

恩師の峻厳な日曜講義 我らは尊貴な「地涌の菩薩」

2003.7.15 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
1  「ほんとうの教育とは、教訓をあたえることではなく、訓練させることにある」
 これは、フランスの思想家ルソーが教育小説『エミール』に記した有名な言葉である。(『エミール』上、今野一雄訳、岩波文庫)
 過日、市ヶ谷ピルでの思い出を綴ったところ、読者の皆様から、戸田先生との触れ合いをもっと教えてほしいとの声を多くいただいた。
 また、この市ヶ谷ビルのある地域で、邪悪を許さぬ正義の声を轟かせてこられた新宿常勝区の皆様からも、意気軒昂の報告を頂戴した。
 今回も、若き日に、私が師から受けた珠玉の”訓練”について、さらに思い起こすままに書き残しておきたい。
2  それは、一九五〇年(昭和二十五年)の秋のことである。
 戸田先生の事業が破綻し、厳しい清算事務が続いていた。先生は、その責任を誠実に果たしながら、必死に活路を開こうとされていた。
 私もまた、師をお護りするために、一心不乱に仕事に打ち込む日々であった。
 そのなかで先生は、毎週日曜日に、数人の弟子をご自宅に呼ばれ、御書の特別講義を開始されたのである。
 夜学を休学していた私に対し、師は日曜日になると、ご自宅で個人教授をしてくださっていた。「戸田大学」である。秋からの御書の講義も、その講座の一つとなったのである。
 「戸田大学」は、ある時は一対一で、また、数名のメンバーと共に、断続的に続けられた。その間、先生は、私に”正義の大指導者学”ともいうべき、万般の学問を授けてくださったのである。
 日曜だけでは時間が足りなくなり、会社の始業前に早朝講義が行われるようになったことは、以前、この随筆でも紹介させていただいた。
 そうした私への訓練の根幹に置かれたのが、末法の民衆救済の一書たる「御書」のけんさ鑽であった。土台がしっかりしていなければ、すべて砂上の楼閣となってしまうからだ。
3  日曜講義では、皆、大きな座卓を囲んで座り、先生のお話を伺った。
 私たちが研鑽した御書は、松野殿関連の御消息文や「生死一大事血脈抄」「草木成仏口決」「一生成仏抄」、難解な「総勘文抄」「当体義抄」等であった。
 弟子が御文を拝読している時は、先生は眼鏡を外したお顔を御書に近づけ、しきりに頷いておられる。まだ創価学会版の『御書全集』はできておらず、いわゆる霊艮閣版の御書であった。
 「よし、そこまで!」──区切りのよい所で、先生は、要文を中心に、自在に講義してくださるのである。
 私は、師のすぐ側で、一言も聴き漏らすまいと、全神経を集中した。
 時には、御文の解釈について、「このように拝してもよろしいでしょうか」と質問させていただいた。
 講義が遅くなると、夕飯をご馳走になったり、先生が、自らお茶を点ててくださったこともある。師の真心が体に熱く染み込んでいった。
4  日曜講義の開講にあたって、戸田先生は、ご自身の苦境を見下ろされるかのように、厳然と言われた。
 「何よりも大事なことは、大聖人御遺命の広宣流布である。一日も遅らせてはならない。わが創価学こそ、その御遺命を達成する唯一の団体なのだ!」
 最悪の時であっても、いな最悪の状態だからこそ、広宣流布達成のため、弟子を育成し、次の時代の布石をされる大決心であられた。
 広宣流布は即、全世界の救済であり、永遠の平和の到来を意味している。
 師の深くして厳しき真情が痛く、そして激しく、若き私の胸を幾たびとなく打った。
 また真剣な講義の節々に、何度も遺言の如く言われた。
 「今、言っておきたい」
 「教えておきたい」
 日蓮大聖人も、あの佐渡流罪という大難のなかで、仏法を永遠ならしめようと、命がけで戦われた。まさに先生の講義は、その蓮祖の御精神を、深く、また深く残さんがための遺言の講義であられた。
 そして、誇り高き学会員の重大な使命を徹底して、これまた深く教えてくださった。
 「学会員は皆、偉大な使命をもって生まれた。怠惰や臆病な人間などは、いてはならない。広宣流布のために戦う地涌の菩薩であるからだ」
 先生は、学会員の仏法上の高貴な位を、「地涌の菩薩」であると、幾たびとなく断言された。
 御書には「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」と仰せだ。「同意」とは、三類の強敵が競い起ころうとも、恐れなく、不退転で広宣流布を断行するという誓願である。いかなる苦悩を抱えていても、勇気を奮い起こし、縁する人ごとに尊き法を弘めゆく学会員こそ、大聖人の直弟子であり、厳然とした分身なのである。
 経文通りに、悪口罵詈され迫害されながら、妙法流布に生き抜いている、この事実、その信念の人生に勝る尊貴な姿は、どの世界にも絶対にない。
 現実の生活がいかに困難を極めても、地涌の菩薩の使命を果たしゆく限り、必ず、また必ず、打開できる。これが仏法だ。必ず、高々と勝利の旗を翻すことができる。これが真実の信心だ。
 我らは地涌の菩薩なり──この久遠元初の原点を、戸田先生は、私たちに思い出させようとするかのように、真剣に厳しく、また慈愛を込めて説いてくださったのである。
 直弟子である私は、この師の大恩を絶対に忘れなかった。
 地涌の菩薩の使命を果たすために、全生命を賭して広宣流布に戦い、全学会の指揮をとってきた。そして勝った。先生へのご報恩の一端は、実現したのだ。
5  一九五一年(昭和二十六年)の立春のころであったろうか。
 「総勘文抄」の講義が始まった。
 「一切の法は皆是れ仏法なりと知りぬれば教訓す可き善知識も入る可らず……」
 この御文に入ると、先生は、「大事だ、大事だ」と叫ぶように言われ、通釈される語気も強められた。
 ──一切の法は皆これ仏法であると知ったならば、教訓してくれる善知識も必要ない。思うままに思い、言うままに言い、為すままに為し、振る舞うままに振る舞うその所作は皆、仏の御心と和合し一体であるので、過失も、障害もなく、まったく自由自在の身となる。これを自行というのである。
 「どうだ。この御文がわかるか……」
 先生は、眼光爛々と、慈愛の瞳をもって私を見つめ、包んでくださった。
 「今の私の心境も、まったくこの通りだ。私には広宣流布しかない。私は立つぞ! 誰がなんと言おうが、恐れるものか! もう、何ものにも邪魔させるものか!」
 五体に電流が走った。心の底から歓喜が突き上げた。
 「立つぞ!」
 私は、そのお言葉を、戸田先生が、仏意仏勅の使命のままに、創価学会の会長として立たれるとの、甚深の決意として聞いたのである。
 先生が「仏法、必ず王法に勝れり」との確証を得たと述懐されたのも、そのころのことであった。
 そして一九五一年の三月に入ると、先生を苦しめ抜いた事業の清算問題も、一気に解決に向かっていったのである。
6  五月の三日、弟子たちの待ちに待った瞬間が遂に来た。
 戸田先生は鉄鎖を断ち切った師子王の如く第二代会長に就任され、広宣流布の新たな大回転が始まったのだ。
 日曜講義は多忙のうちに中断したが、師弟の「戸田大学」は、やがて市ヶ谷ビルでの早朝講義となり、未来を見つめて、営々と続けられていったのである。

1
1