Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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仏法は勝負 人生は戦い 勝利が使命! 君よ立て!

2003.6.7 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
1  六月の六日は、初代会長・牧口常三郎先生のご生誕の日である。
 この日を記念して、一文を綴った。
 笑う者は勝手に笑え。
 批判する者は勝手に批判するがよい。
 我らは正義の中の正義の行動だ。妙法の広宣流布に立ち上がった尊き同志である。
 日蓮大聖人が、そして諸天善神が、未来永劫にわたり、讃え護ってくださることは絶対に間違いない。
 誇り高く立ち上がれ! 無限の勇気を出して、人生を楽しく歩め! 負けるな!
 勝利は幸福であり、敗北は不幸である。
 妙法は、人法一箇の大法であり、その法に合致した創価の精神と行動は、永遠の勝利のための大道である。
 ゆえに君よ、名誉と誇りをもって勝ちゆけ! 満足の一日一日を飾るのだ!
2   三世まで
    勝利 勝利の
      創価城
 晴れわたる昭和三十五年の五月の三日、第三代会長の就任の朝に詠んだ句である。
 脇書に「全会員の誓願たる広宣流布のために」と記して、現在も、学会本部の執務室に留めてある。
 「永遠に勝利の大道を!」――これが、三十二歳の若き会長となった時に、自らに課した使命であり、責任であった。わが歩みし人生の道に、一点の悔いもない。
 学会は精神で勝ち、言論で勝った。思想で勝ち、文化で勝った。社会で勝ち、世界で勝った。そして教育で勝ち、人材で勝った。
 今、新世紀を担う若き弟子たちが立ち上がっている。男女青年部、白蓮グループ、学生部においても、また未来部でも、新進気鋭のリーダーが陸続と登用された。私は、限りない期待を込め、一首を贈った。
  素晴らしき
    創価の二世の
      君たちが
    勝利が使命と
      断固と立ちゆけ
 いよいよ本格的に、人類の宝である創価学会の一切を、青年部に託す時代に入った。
 その後継の証とは何か? 「勝利」の二字である。
3  大聖人は、仏法の正義を立証する基準として、「文証」「理証」「現証」と言われた。
 ことに、第三の「現証」を最も重んじられ、「いかなる証拠も現証には及ばない」(御書1468ページ、趣意)と仰せである。「三障四魔」「三類の強敵」のあらゆる迫害を恐れず、「勝った!」という実証を打ち立てることが、破邪顕正の最大の証拠になるのだ。
 「仏法と申すは勝負をさきとし」とは、永遠に轟く蓮祖の師子吼であられる。
 先師・牧口先生は、この「仏法は勝負」の御文を拝され、「これこそ宗教の生命というべきもの」と断言された。
 師・戸田先生も、「世法は評判、国法は正邪、そして仏法は勝負」と喝破された。
 蓮祖も、また初代、二代の会長も、「闘諍言訟」の末法にあって、「わが弟子よ、断じて勝て!」と叫ばれているのだ。
4  古来、”戦いは万物の王”(ギリシャの哲学者ヘラクレイトス)等といわれる通り、多くの賢人が「人生は戦いなり」と結論してきた。
 前進は美しい。戦うことは美しい。
 戦いである以上、勝つことは人生の根本命題である。
 邪悪は不幸の根源だ。それに負けては幸福になれない。自分を不幸にし、周囲も不幸にする。しかも放置すれば、ますます増長する。
 だからこそ、邪悪とは戦い、勝たねばならない。仏法では、「慈無くしていつわり親しむは是れ彼が怨なり能く糾治せんは是れ護法の声聞真の我が弟子なり彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」と説く。
 悪を打ち破った分だけ、善は勢いを増す。正義が輝く。この攻防戦が人生の戦いなのだ。
 釈尊も、弟子に「勝て!」と教えた。なかんずく「自分自身に勝て!」と教えた。
 「戦場において百万人に勝つとしても、唯だ一つの自己に克つ者こそ、実に最上の勝利者である」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波文庫)
 仏を「勝者」とも、「戦いに打ち勝った者」ともいう意義は、あまりにも深い。
 誰人であれ、今日は今日の戦いがある。
 朝起きるのも戦いである。あと五分、勉強しようというのも戦いである。
 「策ではない、まず真剣に祈ろう!」と御本尊に向かうことも戦いだ。「祈ったら行動だ!」と、雨空を突いて決然と飛び出すことも、人間革命の戦いなのである。
5  万有流転――。
 この宇宙は、すべてが動いている。
 我らの地球も、自転しながら、秒速三十キロで太陽の周りを公転し続けている。
 その太陽系も、天の川銀河の星の渦巻きと共に、秒速二百二十キロという猛スピードで公転し、二億五千万年かけて銀河を一周する。
 ゆえに、我らは皆、地球と一緒に、宇宙空間の途方もない距離を旅しているのだ。そのロマンを、私は、世界的な宇宙飛行士・セレブロフ博士と語り合ってきた。
 ともあれ、人生もまた、正しき生命の軌道を、たゆむ心なく前進することが、勝利の法則といってよい。学会活動は、その完壁なリズムに則っている。
 いうなれば「人間革命」は自転であり、「広宣流布」は公転である。
 妙法を弘め、立正安国を進めゆく学会の組織は、御書に寸分違わぬ和合僧である。
 この学会と共に、広布の旅に生きゆく人生には、人法一箇の蓮祖の大生命が赫々と輝きわたるのだ。
 御書には、仏典を引いて、「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」と説かれている。偉大な「法」の光に照らされて、「人」も輝く。
 「法」を中心とせず、「自分」を中心として、仏意仏勅の学会に敵対することは、幸福の正道から永劫に外れてしまうことである。
 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず
 学会を軽賤した邪道の輩が、例外なく悲惨な敗北の末路をたどっていることは、周知の事実だ。
6  戦には「時」がある。歴史の流れを決する勝負時がある。
 五十年前(一九五三年)の年頭、私は、男子部の第一部隊長の任命を受けた。二十五歳、今の"ヤング男子部"の年代だ。
 あの恩師の七十五万世帯の弘教の誓願より二年――学会は、広宣流布の加速度的な前進を必要としていた。
 この時、師が、私たち男子部に示された目標は、年末までに各部隊一千人への拡大であった。当時、わが第一部隊は三百三十七人。つまり三倍増への出発である。
 わが師のもとに雲集せよ、若き戦士よ! 躍り出よ、地涌の大人材よ!
 私は真剣に祈りに祈り、戦闘を開始した。折伏を進めるなかで、私と心を一つに戦ってくれる十人の勇将を、さらに百人のリーダーを育てることに心血を注いだ。戦う人材の布陣と流れさえできれば、その先に千人の連帯は見えてくるからだ。
 わが部員の多くは、今の江東・墨田・江戸川方面に居住していた。私は自分が縁した同志を励まし、励まし、また励まし続けた。会合も、個人指導も、御書講義も、一回一回が真剣勝負だった。疲れて、ペンを握ることさえ辛い夜もあった。だが、必死に書いた激励の手紙ほど、同志は奮い立ってくれた。
 勝利は突然やってくるものではない。
 日々の、懸命な「小勝利」の積み重ねの上に「大勝利」があるのだ。
 五十年前の六月、私は日記に、「何事も、戦い抜く者が、最後の勝利者なり」と記した。
 年末の総会に、私たちは、堂々、一千名を超える人材大結集を成し遂げた。この熱と力の勝利が、今の青年部をつくり、広宣流布の常勝の土台となったのだ。
7  「勝負を試みれば、人の真価が分かるもの」とは、ギリシャの大詩人ピンダロスの言葉である。(『祝勝歌集/断片選』内田次信訳、京都大学学術出版会)
 勝つことは幸福だ。
 勝つことは愉快だ。
 勝つことは、わが生命に、「自分は苦難に負けない!」という、永遠不滅の金字塔を築くことである。
 本年の一月二日の朝、堂々たる勝利の姿の富士を仰ぎつつ、私は詠んだ。
  晴れ晴れと
    今日も 今年も
      勝ちゆかむ
    偉大な創価の
      同志の力よ
 わが弟子たちよ、最愛の後継ぎの青年たちよ!
 勝って、勝って、勝ちまくれ!

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