Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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勇気と信念の中央区 日本中の希望の星と輝け

2003.4.24 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
1  「私の今までの生涯には晴れた日も曇った日もあった。けれども、すべてはけっきょく私のためになったのである」(『わが生涯の物語』大畑末吉訳、岩波文庫)
 多事多難の人生を経た童話作家・詩人アンデルセンが、自伝に記した結論である。私も好きな言葉の一つだ。
 苦痛の獄中生活を経験した民主主義の大闘争家であるチェコのハベル前大統領とは、私も親しく語り合った。十一年前(一九九二年)の春――四月二十四日、元赤坂の迎賓館でのことである。
 この懐かしきハベル前大統領は簡潔に言い放った。
 「希望」とは、「成功が保証されているから」ではなく、「良いことだからそのために努力する、われわれの能力の尺度なのです」。(『ハヴェル自伝』佐々木和子訳、岩波書店)
 まったく、その通りだ。人生とは、絶えざる前進であり、常に何ものかを踏み越えゆく戦闘だからだ。
 そのために、自分自身の胸中に、自分自身のみが描いた不滅の希望の光明に向かって、進みゆかねばならない。
2  日本中に、「中央区」という区名が七カ所ある。札幌、千葉、大阪、神戸、福岡の各市、この四月に誕生した、さいたま市、そして東京である。(=二〇一一年現在、新潟市と神奈川県相模原市にも設置されている)
 「中央区」とは、いずこもその都市の政治経済の中軸であり、顔であるのだ。
 同じように広宣流布の戦線でも、「中央区」とは、「勝利の同心円」の中心点と位置づけてよいだろう。「中央区」が健在である限り、その都市の広布は盤石である。
 なかんずく、東京の中央区は、大東京の顔だけでなく、日本中に輝く“希望の星”といってよい。その象徴である、各街道の起点となった日本橋は、今年が“架橋四百年”にあたっている。
3  戦時中、戸田先生は、逮捕されるまでの一時期、茅場町方面にあった先生の会社の事務所で、学会運営の指揮をとられた。その間、わが中央区に実質的な広宣流布の“本陣”があったことは、真に嬉しい限りだ。
 牧口先生は、逮捕一カ月前にも、そこでの座談会に出席されているようだ。いな、それまでも幾度となく、足を運ばれた。その傍らには、常に厳たる戸田先生の姿があった。
 座談会では、特高警察が眼光鋭く見張っていた。中央区には、殉教を覚悟した、師弟の厳粛な魂が脈打っているのだ。
4  東京・中央区は、小さい区であるが、どこよりも頭脳鋭く、底力がある。どこよりも常に激戦の打ち続く学会の砦として、少人数で戦い抜き、守り抜いた精兵の集まりであった。
 一九五二年(昭和二十七年)の三月十六日、私は中央区内で行われた男子部の決起の班長会に出席したことが忘れられない。草創の十二支部の一つ、築地支部の方のお宅であった。
 中央区は、京橋、日本橋、室町、小網町、晴海、銀座、人形町、蛎殻町、浜町などでの会合や行事にお邪魔した、親しい天地である。
 大切な同志が働く、有名な老舗に立ち寄ったことも懐かしい。
 築地支部の支部長は、皆から信頼される愚直な人であった。無口であったが、自らの体験を語る時は学者になっていた。
 彼の合言葉は、「戸田先生と共に断じて進む。広宣流布の大難は断じて乗り越える」であった。この誠実な精神が支部を大発展させていったのである。
 彼は不思議なほど私を慕ってくれた。私と会っていると、戸田先生と会っているようだとも支部員に語っていたようだ。
 彼の通夜も告別式も、また七回忌法要にも出席させていただいた。
 ともあれ、中央区には多くの気骨の歴戦の将たる大先輩からの良き伝統が今でも光っている。
5  五年前、中央区の友から、一五三四年発刊のギリシャ語版『プラトン全集』が寄贈された。その貴重な書籍は「創価学会の重宝」にさせていただいた。
 プラトンの著作は、宗教改革の力ともなった。改革派には、人間の本質に迫るプラトンの言葉を胸に、腐敗した聖職者の権威を圧倒していった人びともいたのである。
 この全集は、彼らの声を恐れた皇帝権力との攻防戦が続くなかで発刊された。
 表紙には、宗教改革の火蓋を切ったルターや僧侶の堕落を痛罵したエラスムスらの肖像、農民たちの踊りの図柄が刻まれている。その刻印は、この書籍が、民衆を苦しめてきた狡賢き権威と戦う“言葉の弾丸”であったことを如実に物語っていた。
 プラトンは、不当判決で死刑が決まったソクラテスが、脱獄を勧めるクリトンに語った言葉を書き留めている。
 「しかし、おかしいよ、クリトン、なぜわれわれはそんなに大衆の思いなし(=推測)を気にかけるのだね」(『クリトン』山本光雄訳、『プラトン全集』1所収、角川書店)
 ソクラテスは、自身の信念に断じて揺るがない故に、誤った世人の中傷、誤解など眼中になかった。その信念に従って、悠然として死にゆこうとしていた。
 また、刑死の前の、師の姿を次のようにも記している。
 「僕にはあの方が幸福な人に見えたのです、その態度といい、その言葉といい、いかにも恐れげなく堂々と死んでいかれました」(『バイドン』村治能就訳、同全集1所収)
 その不動の信念のソクラテスは、また、獄中にあって、崇高な殉教を遂げられた牧口先生のお姿そのものにも感じられた。
 おお、中央の親しき友よ!
 我ら勇敢なる弟子もまた、正義の信念の人、広宣流布の恐れなき戦士として、永遠の歴史に名を残したいものだ。
6  私と中央区の同志との懐かしき思い出も、数多い。この小さな“希望の星”の街で、そびえ立つ城壁を創りゆく同志の努力と涙を忘れることができない。
 夕闇迫るなかを、幹部たちは、あの日この日も、わが久遠の仲間のために走りに走った。同志の数も少なく、東京中で、最も小さな区の一つであることから、組織的に下に見られることが、あまりにも悔しかった。私は、その姿を見て、何とか励ましたかった。
 自然のうちに、中央区は、一人の人材が、十人、二十人の人材を結合させてゆくような、力強い天地と変わってきた。悲しみも悔しさも去った。
 我らには、我らの使命がある。我らの天地が我らの都である。広宣流布の仏道修行の道場だ。
 中央区の同志の流れは変わった。皆が、夜となく、昼となく、新しい晴れ晴れとした心で、創価の調べを高めていった。中央には、中央の大使命があることを、彼らは誇りとしたのだ。中央区から大きな旅立ちとして、日本全土に同志が林立し始めた。
7  三年前の秋、銀座の目抜き通りの老舗の書店・教文館で開催されたブックフェアは、中央区の皆様の努力で大成功した。「世界の絵本展」や「世界の書籍展」も、いち早く中央区で開催され、大成功させていただいた。
 婦人部の方々の日頃からの粘り強い友好活動が陰にあったことに、感謝は尽きない。
 私は、折々に車で中央の大地を回り、車中から、お題目を送る時もある。
 近年、中央区の発展は目覚ましい。
 佃、月島、勝どき、豊海など、「都心回帰」と呼ばれる現象が生じ、新しいタイプの高層マンションができて、ニューヨークのマンハッタンのような地域が生まれている。
 人口が増加する一方で、社会全体にあって、人間の顔が見えなくなってきたことも、確かである。「人間の顔が見える」広場づくりが必要だ。
 わが“中央家族”は、厚い壁を打ち破りながら、温かな血の通うスクラムの模範の拡大をなしつつ、栄光と勝利の不滅の人間の城を築いてきた。
8   全世界
    見渡し指揮とる
      中央は
    何と大事な
      広布の菩薩か
 中央区は、東京広布の“希望の星”である。一人ひとりが、社会で光り、人間の心を照らしゆく巨星となってゆくのだ。
 その輝く星々に見つめられながら、鉄壁の五十三地区が民衆の砦、正義の砦、友好の砦、幸福の砦を、営々として築きゆく見事な奮闘に、日本中の同志が祝福している。
 御聖訓には、「いくさには大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵つわもの臆病なり」と仰せだ。
 勝利の星は、中央に光る使命ある勇者たちの団結から生まれる。
 満天の星が互いを照らし、微笑みを交わし合う如く、ひときわ美しい創価の大勝利の銀河を、共々に輝かせようではないか!

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