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日蓮大聖人・池田大作

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輝け創価の理想郷 滋賀の友に

2003.4.21 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

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1  わが友よ
 偉大なる わが友よ!
 今日も また朝から
 使命のままに歩みゆく。
 わが同志のために!
 滋賀の尊き勇者は歩む。
  
 今日も
 使命も深き わが友は
 あの地この地と走りゆく。
 社会のために
 広布のために
 そして病める人のために!
  
 崇高なる
 あなたの今日一日の
 戦いよ
 これこそ
 正義の人生の証だ!
  
 心優しき君は
 今日も
 生活の深傷と戦いながら
 強く脈打つ決意を持って
 勝利の人生のために
 前進しゆく尊貴な姿よ!
  
 同じ深き心を持って
 慈愛深く
 涙をこらえながら
 あの家この家と走り続ける
 美しき魂の姿よ!
  
 人びとの幸福のために
 そして わが友の
 幸福安穏のために
 幸を祈りに祈りながら
 正しく波打つ人生を歩む
 貴女の麗しき顔よ!
  
 若き君も
 そして わが父も
 深き使命を抱きながらの
 今日一日の出陣は
 賢者が立ち上がった
 英姿である。
 果てしなき
 広布の行動に走りゆく
 君の前途に
 ただただ栄光あれと
 祈りたい。
2  わが滋賀県は、東西日本を繋ぐ要路にあたり、広布の大切な要の地でもある。
 あの“瀬田の唐橋を制するものは、天下を制する”という有名な言葉が残っている。
 古代最大の戦乱と言われる六七二年の「壬申じんしんの乱」以来、幾度も、この唐橋こそが決戦の勝敗の分かれ目になったことは、有名な史実である。
 御金言に曰く。
 「此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり
 「瀬田の橋」に堂々と翻る滋賀広布の勝利の旗が、そのまま全関西の、否、全日本の広宣流布の大旗なのだ。
 この滋賀の天地で、私も折伏の戦いの歴史を、滋賀の同志と共に創りに創ってきた思い出は深い。
 かつて彦根の友に語った。それは、「強き祈り」「勇気」「忍耐」が人生勝利のカギだ。そして戦いの大原則であると。その指導を胸に刻んで、愛する滋賀の友は、今日まで悠然と戦ってこられた。そして勝利の歴史を高々と残してくださった。
3  皆が思っている。それは、滋賀ほど、大自然の美と、地の利と、古くからの文化・文芸の歴史と、豊かな未来性とが融合した理想郷はない。私も、滋賀が大好きだ。
 かつて、日本の進路に大きな影響力を発揮した彦根城にも同志と共に行った。
 その時、厚い雲を割って太陽が燦々と照り始め、同志の晴れやかな姿にも似て、ことのほか美しかった。
 信楽焼の輝きも忘れられない。滋賀の日本一の朗らかな前進と団結の祈りを、「和」の文字に込め、友に器を焼いてもらった。
 昔の小さな彦根会館には、二回お邪魔した。少人数ではあったが、この時のメンバーが地域広布の牽引力となってこられた。今でもその人たちのことを思うと、懐かしさがいっぱいである。
 一九七二年(昭和四十七年)の十一月には、滋賀県立体育館で、六千人の同志と記念撮影をした。
 多くの方々が、雪も深く、山も深く、旧習も深いなかで、「滋賀県広布」の歴史のぺージを強靱なる勝利で書き綴り、その栄光を尊く深く広めていった。ドイツの大詩人アイヒェンドルフの言葉に、こうある。
 「みんなのために、私は悩まずにはいられない。みんなのために、私は咲かずにはいられない」(ヘルマン・ヘッセ『夜の慰め』〈高橋健二訳、人文書院〉から引用)と。
 それが、滋賀の友であった。
4  一九八一年(昭和五十六年)の十一月、私が会長を辞任してから初めて、滋賀研修道場を訪問したことも忘れられない。自由勤行会には、陸続と友が訪れ、延べ二千五百人を超えた。この折、彦根、八日市で訪問させていただいた何軒かの功労者のお宅は、今もって栄え、意気軒昂であると伺い、私はことのほか嬉しかった。
 ともあれ、私の“勇退”から十年の平成元年の四月――あの滋賀研修道場を飾るチューリップの花々の、何と美しかったことか!
 勇退しても、しなくても、師弟は師弟である。それを知り抜いている滋賀の同志の皆は光り輝いていた。
 一九九五年(平成七年)十月。新しき大津の滋賀文化会館に初めてお邪魔した時の巨大な満月の微笑みと、湖水の金波は、おとぎの夢の世界であった。
 皆と握手し合った。滋賀は勝った。満月までがそれを証明して見ていると。
 あの悪辣な坊主どもの黒い権威の陰謀と戦い勝った、高島方面の誉れの友たちの美しい笑顔と涙も、決して忘れることはできない。
 卑劣な仮面の聖職者は、悪を扇動し、人の不幸を食い物にする。社会の中の体内寄生虫そのものの勢力だ。それは、淀んだ汚辱の中では蠢いても、強力な浄化作用のあるところでは、決して生きることはできない。
5  滋賀は、先にあげた彦根城をはじめ、城が多いことでも有名である。信長の安土城、秀吉の長浜城、大津城、家康の膳所(ぜぜ)城……かの“天下人”たちも、滋賀に足場を築きな、がら四方を見つめた。
 滋賀に立つと、中部も関西も、北陸また九州までも見渡す視野が広がる。事実、私はそれらの地域の代表とも、ここ滋賀で幾度となく広布の構想を語り合ったものだ。
 そしてまた、私はこの地から、京都、福井、岐阜、名古屋、北陸へと東奔西走し、愛する関西創価学園の娘や息子たちのもとへと、ひた走った。
 近年、滋賀の人口増加率は、全国トップクラスで、今後も続くと見られる。まことに未来性溢れる地域である。大学も飛躍的に増え、学生が急増した。
 牧口先生は『人生地理学』で、湖沼の美景は文人墨客を感化し、大いなる影響を青少年に与えると説いた。そして、琵琶湖に関西地方の学生が夏期に集合していることをあげ、青年を育てる大地としている。滋賀こそ、人材育成の理想的な天地なのである。
 同志も次第に水嵩を増している。創価と広布の理想郷へと、滋賀は大きく羽ばたき始めた。厳冬を越えて春の太陽が輝きゆく彦根、長浜、そして近江王者県は賑やかに前進を始めている。さらに、「心臓部」の誇り高き大津常勝県は一段と強くなった。待望の文化会館完成への歩みと共に、獅子奮迅した甲賀をはじめ、湖南太陽県も日本中が見つめている。
 今の「苦」にこそ、勝利の舞台は準備される。今の「汗」にこそ、未来は約束されている。
 四百二十の完壁なる地区の友よ、共々に幸福と勝利の「滋賀城」「琵琶湖城」と輝きゆけ!

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