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日蓮大聖人・池田大作

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誇り高き群馬の前進 勇気と執念で開け! 民衆の新時代

2003.4.14 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  中国の周恩来総理は、青年たちに叫び語った。
 「青年諸君、未来は君たちのものである。努力して前進しよう」(森下修一訳『周恩来選集』上、中国書店)
 アメリカの人権運動家キング博士も烈々と訴えた。
 「私は闘い続け、その闘いを通してわれわれは暗黒の昨日を輝かしい明日に変えることができることを、希望していくだろう」(ジェイムズ・H・コーン『夢か悪夢か・キング牧師とマルコムX』梶原寿訳、日本基督教団出版局)
 勝利するか、敗北するか。これが人生だ。
 勝利には、勇気と執念が必要である。不満と臆病は敗北に決まっている。
 とともに、今や、一部の権力者の時代は終わった。民衆の新時代が到来したのだ。
 この「民衆中心」の信念に、我らの思想があり、実践がある。ゆえに我らの戦いは正義であり、必ずや勝利すべき戦いなのである。
2  高崎藩士の家に生まれた、思想家の内村鑑三は、「余の好む人物」として、次のような人間像をあげている。(『内村鑑三全集』13、岩波書店)
 第一に「常識の人」、第二に「快活の人」、第三に「公平の人」、第四に「ノーブル(高気・高潔)なる人」、第五に「独立の人」、第六に「労働の人」であると。
 ことに「高気の人」とは、偉大なる目的のために一心不乱になれる人、「時には猛進(ダッシュ)する人」だとも言っている。
 こうした人びとは、いずこにいるか。内村は断言する。
 「余は余の好む人を最も多く平人の中に発見する」
 要するに、普通の庶民こそ、民衆こそ、最も偉大にして最も人間らしい魂の宝をもっているというのだ。ゆえに民衆が尊いのだ。
 民衆が絶対の力を持っているのだ。民衆の力が国の将来を決定するのだ。
 民衆が国家の宝だ。それを知らぬ権力者は愚昧の輩だ。
 自らも一国の宰相を務めた文豪ゲーテも言った。
 「国家の最も尊い成員は誰か? 実直な市民だ。
 どんな形ででも、市民こそはつねに最も高貴な材だ」(関泰祐訳編『人生について』社会思想研究会出版部)
 すべての為政者が心すべき箴言であろう。
3  昨年六月、私は、名門モスクワ大学から、かのゲーテも受章した「名誉教授」の称号をいただいた。同大学からは二十八年前の「名誉博士」に続く、二つ目の知性の宝冠となった。
 創価大学記念講堂で行われたその授章式には、はるばる群馬からも千五百人もの同志の方々が集われ、学生たちと共に祝福してくださった。
 日々、自他の幸福と平和のために奮闘しゆく、偉大なる市民の皆様である。
 式典の謝辞のなかで私は、モスクワ大学でも学んだ大詩人レールモントフの「誇りたかい魂は、疲れもしない」(『初期叙情詩』村井隆之訳池田健太郎・草鹿外吉編『レールモントフ選集』1所収、光和堂)等の言葉を紹介した。
 広宣流布という大理想に生き抜き、人生の勝鬨をあげるその日まで、戦って戦って、戦い抜いて、なお疲れを知らぬ高貴な魂の英雄こそは、わが嬉しき創価の同志たちのみである。
4  戦後まもなく、戸田先生は第一回の地方指導で、栃木に続いて、群馬の桐生市を訪問され、民衆の大地に妙法の種を深く植えられた。
 同じころ、桐生市にほど近い笠懸村(当時)で、日本の考古学界の通説を覆す大発見がなされようとしていた。有名な「岩宿遺跡」の発見である。
 それまでの定説では、日本最古の人類の痕跡は五、六千年前の縄文文化とされ、一万年以上前の旧石器時代の遺跡はないと考えられてきた。しかし、岩宿遺跡の発見によって、一気に旧石器時代という未知の歴史世界が開かれたのだ。
 その端緒を開いたのは、学者でも、教員でもなく、行商をしていた、貧しき一青年の相沢忠洋氏であった。(以下、相沢忠洋著『「岩宿」の発見』等を参照)
 赤城山を仰ぎながら発掘・研究に没頭するなかで、彼は一つの疑問にぶつかった。それは、ふだん歩いている切り通しの赤土の崖から見つけた、小さな「石片」のことであった。
 この赤土の層が「関東ローム層」で、数万年前から一万年前までに火山灰が堆積してできたとされる。つまり縄文時代以前の地層であり、専門家たちの発掘でも、赤土にぶつかると、「地盤が出た」と言って、それ以上掘ることをやめていたという。
 だが、相沢氏は、そこからもう一歩踏み込んだ。何も出るはずがない地層から、人工物と思しき石片が出てきた。しかも、いつもなら一緒に出るはずの土器(縄文土器)が出てこない。
 "なぜなのか……"
 彼は、来る日も来る日も、その疑問に挑み、赤土の観察調査に通い続けた。
 そして、一九四九年(昭和二十四年)、ついに槍先形をした、間違いなき"旧石器"を発掘したのである。誰もが「ない」と決めつけていた場所に、歴史を変える宝は眠っていた! 駄目だとあきらめて、掘り起こそうとしなかっただけなのだ!
 人生の戦いも、また同じである。
 不可能の壁は、どこにあるのでもない。「自分は、もうこれ以上できない」というあきらめ、「これは駄目だ」という固定観念が、自分自身の前進を止めてしまう。
 壁を打ち破り、新しい突破口を開く秘訣は何か。
 それは「夢を求める執念」と「あくなき追究」であると相沢氏は結論している。
 足下を掘れ! 勇気をもって、最後まで掘り抜け!
 御聖訓には仰せである。
 「法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず」と。
5  相沢氏の大発見までの道程には、幾多の苦難があり、敵があった。彼の情熱の結晶である研究成果を横取りし、自らの名声に利用しようとする卑劣な連中もいた。
 「行商人のやっていることなど学間ではない」と、邪魔をする輩もいた。
 彼らは、"学歴もない素人が何を言うか"と傲慢に見下し、さげすんでいた。
 だが、専門家ぶった嫉妬と傲慢の連中がなんだ!
 歴史の審判は、周囲の雑音など歯牙にもかけず、真摯に学び続け、努力を続けた相沢氏に軍配をあげた。
 わが創価学会も、「病人と貧乏人の団体」と侮蔑され、御書の通り、経文の通りに、迫害され、非難され、中傷されてきた。
 しかし、「民衆を侮蔑する浅薄な輩」と、「民衆の幸福のために献身する勇者」と、どちらが人間として正しいか。正義は明らかだ。
 ゆえに我らは、何ものをも恐れなかった。怒濤の嵐を突き抜け、決然として戦い、断固として勝った!
 この民衆の勝利の歴史は、永遠に不滅である。
6  本年六月は、私と群馬の皆様との忘れ得ぬ佳節である。
 私たちが、美しき伊香保の高原で、共に汗を流し、共に写真に納まった、記念の出会いから三十周年だ。
 また一九八六年(昭和六十一年)、国連の「国際平和年」を記念して、前橋の市民体育館で行われた青年平和文化祭は、今も私の胸に鮮やかである。
 群馬といえば、雷、空っ風、生糸、コンニャク……。ローマ字で書くと、頭文字が"K"になるものが数多い。
 あの日の文化祭でも、"群馬のK"という演目で、郷土の誇りを謳い上げてくれたことが懐かしい。
 では、今、わが群馬の同志が誇りとする"K"は何か。
 それは――
 「確信ある祈り」だ!
 「歓喜の前進」だ!
 「敢然たる行動」だ!
 そして、「広宣流布の雄々しき大闘争」だ!
 ロシアの文豪ドストエフスキーの作中人物は言う。
 「新しい世界へ、行くんだ、新しい場所へ行くんだ。後なんか振り返って見るこっちゃない!」(『カラマーゾフの兄弟』米川正夫訳、岩波文庫)
 さらに、インドの初代首相ネルーは決然と叫んだ。
 「今、われわれを招くものは未来なのだ。その未来は、安楽や休息の未来ではなく、間断のない努力の未来なのだ」(「運命と約束の日」黒田和雄訳、『ネール首相名演説集』所収、原書房)
 我らは断固、戦う! 人びとのため、社会のために。
 そこにこそ、人生の無上の幸福と歓びがあるからだ!

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