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日蓮大聖人・池田大作

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栄冠輝け 使命の同志 嵐よ越えよ! 青年の魂に恐れなし

2003.4.11 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1   富士の山
    共に仰ぎて
      勝利かな
 永遠の勝利の道を確実に築きゆく、その最大の力は青年である。
 これが、わが師・戸田先生の結論であられた。
 これからの広宣流布への闘争には、嵐の吹き荒れる幾多の山脈を越えていかねばならない。そのための先生の叱咤と訓練は猛烈であられた。耐えられずに去っていった青年も何人もいた。
 その本格的な訓練の一つとして行われたのが、広布の自覚に立ちゆく男女青年部の精鋭五千名の総本山への結集であった。
 ――今となっては、宗門は、常に総本山を大事にして戦ってきた我らを裏切った。根本が狂ってしまったことは、なんと哀れなことか。
2   風雪を
    笑い飛ばさむ
      富士の山
 その日は、一九五四年(昭和二十九年)の五月九日であった。
 晴れ晴れとして、晴天の総本山と思つていたが、豪雨に打たれ、皆がビショビショになってしまった。
 しかし、五千の若獅子は、不動の富士の如くに、誓いのままに、富士のふもとに集合した。今は日本一の、華麗な、あの音楽隊の初出場もこの時である。
 若き獅子は走り叫び、師の号令に呼応しながら活動を開始した。観念の遊戯など微塵も許されなかった。形式的な行動など、また、ごまかしなど一切できなかった。
 真実の訓練であった。真実の教育であった。
3  無事に、盛大なる儀式は終わった。日蓮仏法始まって以来の、若き広布の戦士の集まりである。
 私は、宿舎の理境坊の二階で横になっておられた先生のもとに、様々な報告のために伺った。先生は、皆が風邪をひかぬよう細心の注意を払ってくださった。
 「新聞紙をあらゆるところから集めろ」
 皆に肌着と重ねて入れさせ、風邪を防ぐためであった。
 指導者は、第一にも、第二にも、皆の体を大切にすること、無事故であることを願うべきであるとの根本を示してくださったのである。
 「青年たち皆からの意見もどんどん聞きたまえ」
 交通費の件、宿坊の件、健康状態、家庭状態を聞いてあげること、励ましてあげること……これを忘れた幹部は、本当の指導者ではない。
 「今からすぐに、『雨の中、ご苦労さま』と言いながら見送ってあげなさい」ともおっしゃった。
 それ以後、私たちは、一人ひとりの家庭状況、職場の状態、個人の願望等々、細かい点で話し合いの指導を心がけるようになった。一つ一つのギアが、がっちりはめ込まれていかなければ、完全なる大動力にはならない。
 私は先生に、心から「ありがとうございます。指導者の要諦を教えていただきました」と申し上げた。
 私は、ギリシャの詩人エウリピデスの「真実を率直に、心おきなく語れることは、すばらしいことだ」(『テーメノスの息子たち』根本英世訳、『ギリシア悲劇全集』12所収、岩波書店)との言葉を思い出す。
 この理想の姿を、戸田先生は示してくださった。同志はこうあるべきだ。師弟もこうあるべきだということを。
 それとともに、またもう一つ、善き同志のつながり、善友の交わりほど幸福なものはない。人生は一人では生きられない。善き友がいるかいないかで、善き人生が送れるかどうかが決まる。
 また、エウリピデスは、「つまらぬ人間はよろこんでつまらぬ人間と一緒になる。同類ということが人間を左右するものなのだ」(『ベレロポンテース』安村典子訳、同全集12所収)とも言っている。
4  戸田先生と私の話は続いた。いな、先生は、私を離そうとしなかった。
 ご自身も何かを語り、教えたいのであろう。また、弟子である私から様々なことを聞かれたかったようだ。
 師弟は、厳粛に向き合っていた。厳粛のうちに、言葉が話された。
 目標を持たぬ人間は、そしてまた、目標を持たぬ団体は、最後は敗れる。目標があること自体が発展の道であり、勝利への道につながるからである。
 先生は、私の心をご存じかのように口火を切られた。
 「大作、次は一万人の青年の結集をしよう!」
 即座に私は、「わかりました」と答えた。
 先生は、重ねて「今年の秋を目標に、もう一度、青年の結集をして、偉大な創価学会の底力を天下に示すのだ」と言われた。
 青年は必ず青年を呼ぶ。
 青年の結集は素晴らしきことだと、世間は驚くであろう。多くの青年が信仰しているその実像は、揺るぎない広宣流布の土台となるからだ。
 私は再び即座に答えた。
 「はい。わかりました。すべてわかりました。必ずやります」
 先生は嬉しそうであられた。弟子である私を、どこまでも信頼しきってくださる、そのお心が嬉しかった。
 私は後になって、大教育者ペスタロッチの言葉が、戸田先生と二重写しになることがあった。
 「成長する樹木の根っこにあたるもの、それは人間にとって信仰と慈愛という"心の力"である。すなわち人間とは、訓練され、教育されなければならない、神聖にして不滅の存在なのである」(The Education of Man, trnslated from German to English by Heinz and Ruth Norden, philosophical Library, Inc.)
 決してお世辞を使わぬ先生、決して褒めることをしない先生であられた。しかし、深い慈愛の先生であられた。
5  この師弟不二の決意の日から半年足らずの、十月三十一日に、晴天の秋空のもと、あの不動にして勝利の富士の姿を仰ぎながら、一万人の大結集を成し遂げた。
 「試練は私たちの生命を拡大する」とは、かのヘレン・ケラーの言葉である。(高橋和夫監修『ヘレン・ケラー 光の中へ』島田恵訳、めるくまーる)
 広宣流布とは、仏意仏勅の使命であり、人類史のロマンである。ゆえに、自ら新たな波を起こし、より高き山をめざして進むのだ。
 この偉大なる歴史の舞台となったのも、静岡であった。創価の青年たちの鍛錬と育成の舞台は、静岡の天地を離れて語ることはできなかったのである。
6   君よ立て
    君よ勝てよと
      富士の山
 ともあれ、我らの学会は、永遠に「若き学会」「青年の学会」の決意を魂とすることを忘れては絶対にならない。
 これが不老不死の妙法を抱いている証拠なのだ。若きがゆえに、前途に恐れるものはない。若きがゆえに、いかなる障害も突き破る闘魂がある。
 青年でなければ、人類史に残る大偉業は遂行できない。これは古今東西の歴史が明確に証明している通りだ。
 現在の学会も、この方程式通りに、青年の勇気と活力が原動力となり、エンジンとなり、スクリューとなり、波濤を乗り越えながら、一年ごとに大発展をしている。
 我ら青年の魂には停滞がない。そして逡巡もない。恐れなく、「前進」という二字があるだけだ。怒濤の如く勝利のための攻撃があるのみだ。
 この広布の青年たちが中核となって、今日の栄光の創価の世紀は始まったのだ。
 思えば十二年前、浜松を中心会場として、青年を先頭に全県で、学会の正義を声も限りに歌った合唱友好祭も、美事であった。幾千、幾万の男女の天使と健児の歌声は、おとぎの国まで響き渡った。
 また昨年の夏も静岡の若き友は、四千三百人の闘士が集まり、天にも轟く力強き静岡青年部の総会を開催した。
 その心意気は「勝利は我らの手で!」。我らは勝ちて、富士の如く堂々と――まさしく新世代の登場を告げゆく、嬉しき壮挙であった。
7   ただ一人
    何も恐れず
      富士の山
 本年の七月六日、牧口初代会長が、国家権力の弾圧で伊豆・下田で逮捕された法難から六十周年を迎える。
 その死身弘法の大偉業を後世に留める下田牧口記念会館も、来春のオープンをめざし、建設が始まった。
 大聖人は、駿河国の門下に送られたお手紙で、常に変わらぬ献身の姿を讃えて、こう仰せである。
 「雨ふり・かぜふき・人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ
 雨が降ろうが、風が吹こうが、誰かに悪口されようが、断固と進もう、戦おう!
 戦う皆様を、あの威風堂々の富士が見守っている!
 いな、大静岡の勇者である皆様の胸には、そして、全国のわが同志の胸には、師子王の不滅の生命が、富士の如くそびえ立っているのだ!
  嵐にも
    断固と勝利の
      君と富士

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