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日蓮大聖人・池田大作

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山形の希望の春 叫べ雄々しく! 走れ奔流の如く

2003.3.21 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

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1  「野にはまだ雪が白いが、
 水はすでに春のしらべをかなで──
 走る、眠りほけた岸を呼び起こす、
 走る、輝く、宣言する──
  
 いたるところにふれであるく。
 『春がきた、春がきた!』」(「チュッチェフ詩集」泉三太郎訳、『世界名詩集大成』12所収、平凡社)
 これは、今年で生誕二百年になるロシアの大詩人チュッチェフが、”春の水”を歌った有名な詩である。
2  山形県は、日本有数の豪雪地域の一つだ。あの月山も、蔵王も、鳥海山も、まだまだ白雪に包まれている。しかし、やがて重い雪の下から雪解け水が迸り、山形の母なる川・最上川も、勢いと水かさを増していく。
 芭蕉は、「五月雨をあつめて早し最上川」と詠んだが、それより前、春の最上川は、雪解け水を集め、奔流となって轟音を響かせながら、岩を打ち、岸辺を洗う。
 それは、山形の同志の正義の師子吼を思わせる。
 鉄の意志と忍耐で、広宣流布に戦ってきたわが同志──その善良なる庶民が「我らは勝った!」「我らは勝つのだ!」と雄叫びをあげる黄金の春がきたのだ!
 日蓮大聖人は、「夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く
 人生には、大きく変わる時が必ずある。ここが正念場という、宿命転換、人間革命の勝負時がある。
 いかなる試練があろうとも、汝自身の戦場から一歩も退いてはならない。その時を逃さず、断じて戦い、勝つことだ。
3  私が青森の東北総合研修所(現・東北研修道場)を初訪問し、「東北広布」の指揮をとっていた、一九七六年(昭和五十一年)の十月二十九日のことである。
 夜、山形の酒田で火事が起きたとの急報が入った。しかも強風に煽られ、ますます燃え広がり、一帯が火の海となっているという。
 ──死傷者はいるのか。同志は大丈夫か! 会館は無事か!
 私は、すぐに現地に救援対策本部を設置した。刻一刻と入る情報に耳を澄ませ、被災者の救援のために、こまごまと手を打っていった。行動は迅速に、かつ具体的でなければならない。
 午前零時を回っても、火勢は一向に衰えなかった。私は、皆の無事を真剣に祈り続けた。
 鎮火したのは、出火から約十一時間後の翌朝であった。幸い一般市民に死者はなかったが、被災者は三千三百人に上った。また、いち早く火災現場に飛び込んだ消防長が一人殉職された。焼失家屋は千七百棟を超える大災害となった。
 この間、同志たちはわが身も顧みず、救援活動に奔走した。男子部員らが市民の避難誘導などに走った。夜が明けると、県下はもちろん、近県の同志から、苦しんでいる人たちを放っておけないと、食料や衣類、日用品等が続々と届けられた。
 こうした救援活動の拠点となったのが、落成して十日余りの酒田会館であった。二年前の山形訪問の折、建設を約束した会館である。
 この法城の存在がどんなに皆の希望になったことか!
 「負けてなるものか、必ず変毒為薬してみせる!」
 同志の励ましのなか、五日後には、この酒田会館に被災者が集い、力強く復興に立ち上がったのである。
 学会は世界第一の励まし合いの組織である。人びとの苦悩をわが事のように同苦し、どうすれば友を勇気づけ、地域に貢献できるかを考え、真剣に祈り動く菩薩の団体だ。
 金剛不壊なる「善」の結合の集いである。この異体同心の団結は、いかなる苦難にも、悪の攻撃にも負けない。第六天の魔王をも破る最強無敵の陣列なのである。
4  山形は、あの卑劣な第一次宗門事件の渦中にも、雄々しき団結で立ち上がった。
 一九七八年(昭和五十三年)の七月、まず県合唱祭を行い、八月六日には、「置賜ふるさと祭典」が昼夜二回にわたって開催された。置賜・米沢方面は、狡猾な坊主に最も苦しめられた地域であった。
 我ら戦わん! 山形の友の不屈の心意気を生命で感じながら、私は東京の地にあって一曲の歌を完成させた。それが、この日、発表された東北の歌「青葉の誓い」である。
 そして、必死に奮闘している山形の友にと、直ちに、会場の米沢市市民文化会館に連絡したのである。山形の同志たちは、心から喜んでくださった。そして、夜の部で必ず歌おうということになったのである。
 早速、本部から歌のテープを電話で流してもらった。それを録音して五線譜に起こし、短時間で懸命に練習した。そして、夜の部のフィナーレで、師弟共戦の師子吼のごとく、「青葉の森に 誓いたる……」と、声も限りに歌ってくださったのである。
5  二、風雪越えし 我等こそ
   地涌の正義の 旗頭
   今堂々の 陣列は
   ああ東北の
      歓喜の友々よ
 歓喜の涙、涙、また涙。
 これが、東北の天地に轟き渡った、初めての「青葉の誓い」の歌声であった。
6  ギリシャの劇詩人エウリピデスいわく、「無数の苦難があってこそ素晴らしいことは生まれる」(「アルケラーオス」根本英世訳、『ギリシア悲劇全集』12所収、岩波書店)
 一九八三年(昭和五十八年)の四月、私は新潟から山形に向かった。前回の訪問から、無量の歴史を刻印した九年間を重ねていた。
 川は青く澄み、木々は緑に輝き、山に残雪が白く光る。そして、レンギョウ、ユキヤナギ、スイセン、桜……列車の窓に映る北国の山河は、爛漫の春を迎え、喜びに沸き立っているように思えた。わが山形の同志のごとくに。
 皆様方も覚えてくださっているだろう。庶民の大英雄が喜び集った、二十年前のあの県総会を──。
 私は仏法の「桜梅桃李」の原理に触れ、ここに民主主義の真髄があると訴えた。
 桜は桜として、梅は梅として、自らの使命がある。人間にも、かけがえのない個性があり、尊い使命がある。
 だがそれは、漫然と生きていたのではわからない。自身の課題と向き合い、人間革命を願って戦うなかに、宿命即使命の昇華があるのだ。
 さらに、民衆一人ひとりが社会建設の主人公となっていかなければ、民主主義は形式にすぎない。そこに、民衆を強くする、偉大な宗教が要請されるゆえんもある。
 どこまでも、民衆あっての民主主義社会である。民衆を侮蔑し、民衆の信仰を迫害するような権力者は、民主主義への冒涜であり、天に唾する狂態に等しい。
 ともあれ、特権階級ぶった一部の人間が、民衆を睥睨してふんぞり返る、古い時代はもはや必要ない。社会で必死に生き抜く庶民が一番偉いという、「人間の理想郷」を創らねばならない。
 東北有縁の文豪・魯迅は、”暗き時代に本気で生きたければ叫べ”と言った。
 「何よりもまず、思いきってしゃべり、笑い、泣き、怒り、罵り、闘い、このいまわしい場所から、いまわしい時代を撃退すべきである」(「思いつくままに」竹内好訳、『魯迅文集』3所収、筑摩書房)
 そうだ! 思いきって叫ぶのだ。その凛々たる正義の声が、悪を撃退し、希望の新時代の扉を開け放つ。
 叫べ、叫べ、正義の山形の同志よ! 日本第一の民衆の「幸福王国」たれ! 愛する我らの大山形よ!

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