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日蓮大聖人・池田大作

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青年の旗・青森 師子よ立て! 師子よ吼えよ!

2003.1.23 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  紀元一、二世紀に活躍した古代ローマの哲人エピクテトスは、弟子に語った。
 「突然、逞しい牡牛や立派な人間ができあがるわけもなく、人は冬の厳しい鍛練に服して、力を養わなければならない」(『エピクテートス語録抄』斎藤忍随訳、『世界人生論全集』3所収、筑摩書房)
2  嬉しいことに、この二月、東北の青森の天地で、第五回アジア冬季競技大会が盛大に開催される。過去最多の二十八カ国・地域から、アジアの未来を担う青年たちが、白雪の舞いゆく青森の大舞台へ、にぎやかに集い来る予定という。
 青森の「青」──それは、青年の「青」でもある。
 この青年交流から、新しきアジアの友情が広がりゆくことを期待してやまない。
 思えば百年前、少壮の地理学者だった牧口初代会長は、地中海に臨む半島から興起したギリシャ・ローマ文明等を考究し、「半島」の一特質として”新文明の起点なり”と指摘されていた。(『人生地理学』上、『牧口常三郎全集』1所収、第三文明社、参照)
 では、北東アジアが世界の注視を集める今、新たな時代創造の”起点”は、いずこに求められるであろうか。
 昨年、「東奥日報」への寄稿でも、少々綴らせていただいたが、私は、本州北端の半島たる青森の天地こそ、その一つであり、北東アジアのキーストーン(要石)であると思っている。「地方発」で、北東アジアの国々──ロシアや中園、韓国と、積極的に友情を結んでこられた青森県の皆様の努力と先見性に、深く敬意を表したい。
3  昨年の十二月から、八戸・東京を結び、東北新幹線「はやて」が走り始めた。
 その出発の日、青森の同志が「『はやて』で真っ先に来ました!」と、学会本部に見えたと伺った。意気軒昂な先駆の足音が聞こえてくるようで、私は嬉しかった。
 八戸から南部一帯にかけては、古来、「名馬の産地」として名高い。
 諸説あるが、『源平盛衰記』によれば、あの京の宇治川で先陣を争った佐々木高綱の名馬「生唼いけずき」なども、青森の産と伝えられる駿馬である。
 駿馬の如く、疾風の如く、吹雪を突き抜け、栄光の先陣を切ってみせる! これは、青森の天地で戦う、わが同志の自負といってよいだろう。
4  青森にとって、冷夏や長雨、「やませ」(夏に吹く冷たい北東の風)との戦いは宿命的なものであった。
 一九七一年(昭和四十六年)の六月、私が青森を訪問した時も、冷害がひどかった。稲や日本一を誇るリンゴの花も、時ならぬ霜に傷めつけられていた。
 青森は、いわば「大悪」との戦いの渦中であった。
 六月十三日、青森市内の青森山田高校での記念撮影会の席上、私はマイクを握り、友に訴えた。
 ”仏法には「三変土田」の原理がある。必ず今の逆境を克服していけることを信じていただきたい!”
 法華経には「仏が国土を三度変じて浄土とした」と説かれる。国土さえも変わることを明確に教えているのだ。
 私は、苦難に直面した青森の同志が、雄々しく立ち上がってほしかった。
5  仏法は「変革の哲学」であり、「逆転の思想」である。
 蓮祖は、厳然と仰せだ。
 「大悪をこれば大善きたる
 それは無責任な憶測でも、希望的観測でもない。大悪という試練の溶鉱炉に鍛えられてこそ、大善の鋼鉄を打ち出すことができるのだ。
 だから嘆いてはならない、むしろ舞を舞うが如く、喜び勇んでいくのだ!
 誰が見ても、大変だと思うような悪条件がある。だが、一人がそれを破れば、状況は一変する。その人の勝利は、同様の苦悩をもつ万人の希望となり、勇気となる。
 仏法では「願兼於業(願、業を兼ぬ)」と説く。菩薩は、苦悩の衆生を救うために、自ら願って濁世に生まれてきたというのである。
 戸田先生はよく、我々は、あえて貧乏や病気の姿をして、妙法の偉大さを証明していくのだと言われた。
 重苦しい宿命も、必ず勝ってみせると誓った時、それは尊き使命に変わるのだ。苦難の時こそ、広宣流布の好機である。労苦の場所こそ、人間革命の戦場である。
 自身の「一念の変革」こそ、わが郷土を麗しき楽土に変えゆく根本条件だ。悪条件と思われたことも、見方が変われば好条件になる事例は少なくない。
 北国の苦労もある。だが、北国ならではの善さがある。青森で行う冬季アジア大会にしても、どんなに東京が逆立ちしてもできないものだ。
 ともあれ、哲人エマソンの言葉は深く、真実である。
 「私たちがおかす最初の誤りは、環境が人間によろとびをあたえると思いこむことだ。ところが実は、人間が環境によろこびをあたえているのである」(『幻想』小泉一郎訳、『エマソン選集』3所収、日本教文社)
6  「先生! 八戸にも来てください!」
 青森の記念撮影会の折、場内に響いた真剣な声が、私の胸を離れなかった。
 翌十四日は、宮城への移動日である。当初の予定にはなかったが、私は決断した。
 行こう、八戸へ!
 八戸会館(当時)に到着したのは、正午前だった。午後一時半過ぎの列車で仙台に向かわなければならない。
 十年ぶりの私の来訪を耳にした会員が、時間とともに、後から後からやって来た。
 狭い会館であった。仕切りの戸は開け放たれ、壁際には人が何人も立っていた。最後は、二百五十人にも膨れ上がっていたようである。
 私は「無形の一念の変革が有形の変革を生む」と語り、八戸の同志に訴えた。
 ──どんな些細なことでもよい、一人ひとりが「倍の戦い」「倍の功徳の実証」に挑戦を!
 一念は見えない。しかし、明確な「挑戦の目標」「拡大の目標」を心に定め、決然と立ち上がる時、必ず「壁」は破れる。汝自身の革命の炎は赤々と燃え上がるのだ。
 私は、頷く同志の笑顔に、勝利を確信しながら、車中の人となったのであった。
7  幸い、わが青森の友は、あの日を発火点として、栄光の歴史を重ねてきてくださった。
 下北半島は、巨大なマサカリの形に見える。それは、いかなる悪も許さない、正義の斧であろうか。
 さらに津軽半島と力を合わせ、陸奥湾から大海原に向かって口を開け、咆哮しているようにも見える。それは、平和への師子吼であろうか。
 我らの青森は本州の「頭」である。ならば、全知全能をふりしぼって、祈りに祈り、動きに動き抜くことだ。
 師子よ、立て!
 師子よ、吼えよ!
 力の限り、正義のマサカリを振るうのだ!
 「大善」の旭日は高々と昇り、「大勝利」の旗は、青年の天地・青森の大空に堂々と翻ったのだ。

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