Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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星空との対話 宇宙に学べ 内なる宇宙を開け

2003.1.21 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

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1  仏法は、無辺広大なる大宇宙を説いている。
 生命の不可思議の実相をもって、三世永遠にわたる法則を説いている。
 ゆえに、御聖訓には、「仏法と申すは道理なり」と仰せである。
 胸に衝撃を与えるこの一節は、若き日の私の全身を釘付けにした。仏法は浮世離れしたおとぎ話ではなく、現実の上に働く法理だ。
 仏法には、生活の在り方、人生の進む方向、人間と自然との不二なる関連性が示されている。そしてまた、全世界の有情非情すべてにわたり、巨大なるものも微細なるものも余さずとらえられ、説き明かされている。
 さらに、瞬間瞬間、千変万化してやまぬ心像を、一心の生命を、「十界互具」「一念三千」と明確に説きあらわし、その生命を幸福へ、そして平和へと向かわせる根本の軌道が明快に示されている。
 「我即宇宙なり」この一言に、万般の法理と意義深き現在と未来への正確なる軌道が明かされている。
2  「宇宙がなんであるかを知らぬ者は、自分がどこにいるかを知らない」(『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫)とは、ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウスの洞察であった。
 確かに、悠久・無辺の宇宙という視座から、初めて明瞭に見えてくるものがある。
 現在、私が月刊誌「潮」誌上で対談をしているロシアの宇宙飛行士セレブロフ氏も、遥かな宇宙空聞に出て、自分が「地球の子」であることを強く感じたという。
 ロシア人とか、日本人とかでなく、もっと深い帰属意識──それは「地球市民意識」ともいえようか。
 氏は五十八歳だが、心身ともに若々しい。やや青みがかった瞳が、宇宙空聞に浮かぶ地球のように澄んでいる。四回の宇宙飛行、十回の船外活動を経験した宇宙時代のパイオニアであり、その貴重な体験から、地球は人類共通の家という「宇宙の哲学」を発信してとられた。
 新しき「平和の哲学」は、こうした宇宙的視野をもつべきだと、私は思う。
3  冬の夜空は、澄んだ冷気に磨かれ、瞬く星々もひときわ美しい。
 少年時代、海苔製造業だたわが家の朝は早かった。
 最盛期は冬。まだ星のきらめく夜明け前から仕事を手伝った。羽田沖の空が白むにつれ、一つまた一つと星座が消えていく大宇宙の運行は、実に幻想的であった。
 かつて、作家の井上靖氏が私との往復書簡に書かれた、忘れ得ぬ一節がある。
 ──ああ、いかに感歎しても感歎しきれぬものは、天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律。(『四季の雁書』、全集第17巻収録)
 旧制高校時代、友人から聞いた哲学者カントの言葉だったといわれた。私が戸田先生に薫陶された若き日々を振り返った書簡への返書のなかで、井上氏が青年期の記憶のままに綴ってくださった。
 師に出会う前、私は悩める青春の旅人であった。正しき人生の羅針盤を求めていた私に、戸田先生の指針は北極星のごとき道標となった。
 師から私への個人教授である「戸田大学」で、ガモフの科学書を教材に「天文学」を論じられたことも、あまりにも懐かしい
 戸田大学の講義は、先生のご自宅だけでなく、会社でも毎朝、行われるようになった。私以外にも、まず五、六人の青年が受講を許され、必ず参加した。
 「これからは天文学の教育に力を入れるべきである。学校でも社会でも天文学を学ぶことで、平和を愛する心を培うことができるのだ」
 恩師は、将来の夢を語られるような口調であった。
4  東京の創価学園にとって、原点の日ともいえる第二回栄光祭(一九六九年七月十七日)は、月面着陸をめざしてアポロ十一号が打ち上げられた翌日であった。私は、グラウンドに集った学園生に、人類が月に立つことを願っていると語った。「なぜなら宇宙時代が早まれば、戦争がなくなるからである!」
 当時、ある寄稿でも書いたが、私は、この壮挙を見つめる何億もの人びとが、一時であれ、「地球人」という共通感情を持ち得たことは、国家の相克を超える視点を開くはずだと確信していた。
 そして学園生と二〇〇一年に再会することを固く誓い合った。その約束は、見事に果たされた。
 ともあれ、私は、偏狭な対立など時代遅れにしてしまうような、宇宙的な視野に立った、二十一世紀の人材が、新しき世界市民が、わが学舎から陸続と巣立ってほしかったのである。
 栄光祭の三日後に行われた本部幹部会で、私は関西学園の設立構想を発表した。
 アポロ十一号のアームストロング船長が、月面の「静かの海」に世紀の一歩を刻んだのは、その翌日であった。
5  関西創価学園が設立された大阪府交野市には、夜空を連想させる地名も多い。
 星田。天野川。月の輪の滝……詩情をかきたてるこの天地から、学園生は「大宇宙への窓」を開いてきた。
 NASA(アメリカ航空宇宙局)の教育プログラム「アースカム」への同校の参加は、天文学教育を期待した戸田先生の夢の実現である。私は本当に嬉しかった。いな、驚いた。
 国際宇宙ステーションに搭載したデジタルカメラを遠隔操作して、地球を撮影する。プログラムに参加して、昨年で五回目となった。
 若き学園生の心に変化も生まれた。「宇宙からの映像を見ていると、自分の悩みが小さく思えてきた」
 悩みがなくなったわけではない。大空から悠然と眺めるがごとく、自分を見つめる視点をつかんだのであろう。
 苦悩にとらわれ、下を向いて歩むまい。苦悩の遥か上を毅然と闊歩しゆくのだ!
 彼らは、宇宙からの映像の中に、正しき「青春の軌道」を発見したのであろう。
 関西学園に勤務している、私の息子の尊弘も、無類の星好きである。
 少年時代、天文部に入っていた彼は、真冬の寒い二月……狭い庭で、頭から毛布をかぶり、午前二時からとか、三時からとか、望遠鏡で夜空をのぞいていた。その天文学の博学には、実は私たち夫婦も驚いた。今は、宇宙から学ぶ学園生のお手伝いができることを誇りに
 している。
 わが創価教育は、宇宙を身近に感じ、宇宙から学ぶ教育でありたい。
 一九七五年(昭和五十年)の七月、創価大学の滝山祭の折に、世界初の人工衛星スプートニク一号や月面車が展示された。
 二カ月前にソ連(当時)を訪問した私へのご厚意により、特別に貸与されたのである。
 私は、ロビーに飾られた人工衛星を見ながら、理工系の学部があれば、一段と意義が深まることを感じた。今や創価大学には工学部も開設された。また、学園出身者の中には、天文学を研究する博士も誕生している。
6  これまで私は、セレブロフ博士をはじめ、多くの宇宙飛行士、天文学者とも対談してきた。
 史上初の女性宇宙飛行士テレシコワさん。「スカイラプ計画」のカー博士。天文学と仏教を巡り、私と対談集を発刊したウイツクラマシンゲ博士。「定常宇宙論」のホイル博士。ウィルソン山天文台の所長のジャストロウ博士。地球外生命の可能性を探ったセーガン博士……。
 どの方々も最先端の科学者であり、しかも、深い哲学的・宗教的な次元の思索を重ねておられた。
 「宇宙に始まりと終わりはあるのか」「生命とは何か」「人間はどこから来て、どこへ行くのか」「宇宙と人間を貫く法則は何か」等々。
 ”外なる宇宙”を探究したアインシュタイン博士は、心という”内なる宇宙”の無限に思い至り、深遠なる心への畏敬を「宇宙的宗教感情」と表現した。そして、博士は、戦乱の止まぬ地上では、平和の闘土であった。
 大宇宙のロマンは、生命の無上の尊厳性に目を開かせるゆえに、人間を侮蔑し、矮小化する悪と、断固と格闘することを呼びかけてやまない。
 蓮祖は「所詮・万法は己心に収まりて」「日月・衆星も己心にあり」と仰せだ。我即宇宙であり、宇宙即我である。人は決して自分を卑下してはならない。偉大なる宇宙を抱いているからだ!
 宇宙をも包む一念の開花が、わが生命を最高度に輝かせる。これを「人間革命」というのだ!
 さあ、今日も戦い進もう。皓々たる月天子と語り、満天の星を仰ぎながら──。

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