Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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平和と幸福の使者・婦人部 微笑みの国 タイの思想家

2002.12.17 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  微笑みの国タイの思想家ワーターカーンは言った。
 「心に慈悲を湧き起こせば、その瞬間に、恐れはなくなる。その人は、豊かな心の力、智慧の力、そして、”我に正義あり”との確信で、戦うことができる」
2  ──私は、長い憩いから、ある決意をもって、そっと立ち上がった。
 長い間、行く目的のない私は、眠りから覚めることを忘れていた。しかし今は、明るい未来へとの電光を浴びて、勇気ある新しき第一歩を踏み出したのだ。
 私は太陽に照らされ、路上を歩きながら、勝利を決意した。月光の輝きに包まれながら、勝利を決意した。
 渦巻く社会の霧の中で、私の明るい勇気ある血は燃え、不動の青春の心をもって、生き抜く決意が固まった。私の魂は、永遠の光を放ち始めたのだ──
 これが、わが偉大な婦人部の皆様の心境であろう。
3  あのデンマークの作家アンデルセンは、邪悪に対して、毅然と書き記している。
 「正義と真理は、勝つにちがいない、いや、勝たなければならない」(『ふたりの兄弟』大畑末吉訳、『完訳アンデルセン童話集』5所収、岩波文庫)
 正義は、断じて勝たねばならない。勝ってこそ正義である。
 正義と邪悪との闘争が、人間社会の幾千年に続く闘争であった。
 現在も少しも変わりはない。全世界の動向を見ても、その実態は明確である。
 正義のために、あらゆる迫害を受けた人びとは、偉い人間だ。死力を尽くして戦い抜いた。犠牲的精神の人は、模範の人生であり、私はその人たちを尊敬する。そしてまた讃えたい。
 陰険にして邪悪で、勝ち誇った権力者など辟易する。
 ことで、いわれなき冤罪事件に陥れられた、ある夫妻の戦いを書いておきたい。
 それは、史上有名な「ドレフュス事件」である。
 一八九四年の十月、ユダヤ人で、フランス陸軍の大尉であったドレフュスは、軍事機密を外国に漏洩したというスパイ容疑で逮捕される。全く身に覚えのない、事実無根の冤罪だった。
 当時の社会には、ユダヤ人への差別・偏見があり、ユダヤ人が国家支配をもくろんでいる等の喧伝もあった。
 「私は潔白だ!」。ドレフュスが無実を叫んでも、耳を傾ける者はいない。軍法会議は「国家反逆罪」で彼を終身流刑に処してしまう。
 ドレフュス三十五歳。彼には愛する妻と、かわいい盛りの二人の幼子がいた。だが、酷烈な運命は、唐突に幸福な暮らしを破壊したのだ。
 突然の悲運に、リュシー夫人の驚愕はいかばかりだったろうか。しかし、彼女は、悲嘆の涙を気丈に拭い、囚われの夫に書き送る。(以下、引用は『ドレフュス獄中記』〈竹村猛訳、中央大学出版局〉から)
 「あらんかぎりの力を出して、闘ってくださいませ。
 そうして、真犯人を見つけだすまで、闘ってくださいませ。そうして、真犯人を見つけだすまで、ごいっしょに闘いましょう」
 「もし正義があるなら(中略)真実が明かるみに出ずにすむこと、なんか、許されるはずはございません」
4  ドレフュスが送られたのは、南米ギアナ沖の悪魔島と呼ばれる監獄島であった。四六時中、監視され、食べ物は劣悪であり、炎熱が体力を奪った。そして孤独……。
 「死者は幸福なるか在」
 鉄石の意志をもてる彼にして、身悶えせずにはいられなかった。
 牢獄の過酷さは、入った者でなければわからない。戸田先生も、「普通なら一週間だってもたないよ」と、よく言われていたものだ。
 ドレフュスには、かろうじて許されている妻からの手紙──それも二カ月、三カ月も遅れて届く検閲された手紙が一纏の希望であった。
 「私はあなたの苦しみを理解し、それを共にしております」「強い意志といっぱいの気力をもって、私たちはあらゆる困難に打ち勝ってまいりましょう」
 ドレフュスも、絶叫するかのように妻に書く。
 「精一杯の力で、常にお前の耳にとどいているはずのこの声で、お前に繰り返して言いたい言葉は、勇気だ、勇気あるのみだ」
 彼は戸外に出ることも禁じられ、足に鉄鎖をかけられた。それでも必死に耐え、自らを鼓舞し続けた。
 「わずかでも力が残っている限り、汝の死刑執行人たちの前に立ち、崇高な魂によって生きている姿を見せてやらなければならないのだ」と。
 夫人も祖国にあって、夫の名誉回復に奔走し抜いた。夫婦が心を一つにしての必死の戦いであった。
5  戦時中、あの権力の弾圧により、牧口先生、戸田先生以外の幹部は、ことごとく退転していった。
 それは、まず夫人が負けてしまった。面会に行き、信心をやめて早く牢から出るように掌に書いて見せた者もいた。その家族の情に流され、退転していったのである。
 まさに、「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」と仰せの敗残の姿であった。
 戸田先生は、この煮え湯を飲まされたような体験から、「教学がないから負けてしまった」「だから女性の信心が大事なのだ!」と、常におっしゃっていたのである。
6  その後、ドレフュスの無罪を信じる、心ある人びとの救援活動も挫折しそうになり、世間の関心も薄れ始めていた。
 その暗雲を切り裂き、正義の声を上げたのが、本年九月に没後百年を迎えた文豪エミール・ゾラであった。
 一八九八年の一月、彼は、「オーロール(夜明け)」紙に「私は弾劾する!」という公開状を発表。事件の真実を覆い隠してきた輩を、名指しで責め抜いた。
 これが反撃の峰火となり、ドレフュスの再審を求める世論が高まっていったことは、有名な史実である。
7  ドレフュスが、フランスに戻され、生きて夫人に再会できたのは一八九九年の七月。悪夢の逮捕から五年近くになっていた。
 彼は特赦によって自由の身となるが、正義を証明するための戦いは続いた。
 「私以外の他の人が犯した憎むべき罪をこの私のものとみなすフランス人が一人でもいる限り、私の心は安まることがない」──忌まわしき不正の傷跡が、跡形なく消え去るまで、決然と戦うと!
 彼が天下晴れて無罪判決を勝ち取ったのは、帰国から七年後のことであった。
 正義を信じ、互いを愛し、尊敬しあった夫妻は、おぞましき冤罪に勝ったのだ!
 ともあれ、迫害は正義の証明である。
 だが、汚名を着せられたままでは、正義は歴史の泥沼に沈んでしまう。
 ゆえに正義は、負けるわけにはいかない。勝ってこそ、悪党どもを悠然と見下ろし、正義の王者として立つことができるのである。
8  日蓮大聖人は、「をとこのしわざはのちからなり」と仰せだ。
 婦人部が元気だからこそ、壮年も負けじと頑張れる。
 ”二十世紀の奇跡”と言われた、戦後の創価学会の勝利は、わが敬愛する婦人部の皆様の勝利であった。
 来る日も来る日も、愛する家族のため、さらに悩める友のために、誰よりも一生懸命に走り抜いてきた母。
 厳しい不況のなか、夫を励ましながら、崩れぬ福運の城を築かむと、一家の幸福へ、聡明に指揮をとる母。
 あらゆる宿命の嵐にも、諸天も揺さぶる勢いで祈りに祈り、動きに動き、人生の戦闘を繰り広げてきた母。
 平凡のようでも、常に笑顔をふりまきながら、わが周囲から、わが地域から、希望の波を広げゆく尊い母。
 母の勝利が、平和と栄光の勝利である。
 本年も、婦人部の健気なる戦いありてこそ、我らは赫々たる民衆の凱歌で飾ることができた。
 私は万感の感謝と最敬礼をもって、婦人部の皆様方に御礼申し上げたい。
  わが同志とも
    幸せ薫れや
      無事であれ
    祈り 祈りて
      一年 過ぎたり

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