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日蓮大聖人・池田大作

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創価の楽雄・音楽隊 轟け! 正義の曲 勇気の行進

2002.11.22 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

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1  あの響きは天まで動かし、人びとの嘆きをば心から砕きぬ。
 そして、若き帝王のごとく、平和への暁に向かって、文化と芸術の花開く大道を、誉れも高く諸天から祝福されながら、勝利の光り立つ魂は勝ち躍っていた。
 人の世の、嫉妬の荒れ狂う、怒りの掻き曇る彼方をめざして、君は喜びを撒き散らしながら、永遠に勝利の続きゆく光彩の大道を今日も進む。
 君の指揮とる、魂まで揺り動かしてゆく妙なる大音楽は、遠く、はるか遠くまで、淋しい人にも、苦しい人にも、そして悲しい人にも、怒りの人にも、生き抜く正義の願いが燃えゆくように、胸に響き渡る。
 ある時は、優しい笑みを贈ってくれる。
 ある時は、怒涛のごとき勇気と決意を贈ってくれる。
 ある時は、心を洗い、歓喜を贈ってくれる。
 また、ある時は、宿命の日々を断ち切りながら、心許した人と語り合う心、優しい涙を贈ってくれた。
 そして、傷ついた私に微笑しながら、闘争と勝利への決意と試練に耐える心を贈ってくれる。
2  今、私たちは世界の広宣流布へ、人類の願望しゆく極致の正義の大法を勇み広げている。その先頭に立って、人びとの魂に炎の点火をさせゆく勇敢なる使命の楽団こそ──わが音楽隊の諸君である。
 毎月の本部幹部会、そして、多くの祝賀の会合では、全員が音楽隊の出番を楽しみにしている。
 指揮者のタクトが一閃すると、規則正しい歓喜と決意を振動させながら、その響きは、私たちの全身を旋回し、前後して、希望の高まりがうねるように快活に燃えあがっていく感がする。
 あの「ああ紅の……」の歌の演奏を聴くと、黒雲を破って、大空の心に太陽が昇るようだと讃えた著名人がいた。
 あの「母」の調べが流れると、静穏の彼方に微笑む母の姿が誰もの険に浮かぶ。
 私自身、音楽隊の演奏で、「皆と共に」の心情のままに、今回の”本幹”のごとく、学会歌の指揮をとらせていただいたことも数多い。
 この音楽隊の名演奏とともに、絶妙な魂と魂を昇華させながら、広布の若き英雄たちは、情熱と決意を到達の一点に盛り上げていった。
 本年の十一月三日(文化の日)には、創価グロリア吹奏楽団が、大阪で開催された全日本吹奏楽コンクールの全国大会で、見事に三度目の金賞に輝いた。
3  一九五四年(昭和二十九年)、私が音楽隊の結成を進言すると、幹部たちは「音楽が広宣流布に何の関係があるのか」等々、口を揃えて反対した。
 一人、戸田先生だけが励ましてくださった。
 「大作がやるんだったら、やりたまえ!」
 我らの”広布の楽雄”音楽隊は、いわば戸田先生と私が創立者である。
 最初は楽器も自前で揃わず、借り集めなければならなかった。結成直後の初出演の行事は本山であったが、あいにくの雨。しかし、皆、意気軒昂に演奏し抜いた。
 ただ借りた楽器を濡らして、少々、途方に暮れる一幕もあったようだ。私は早速、自力で工面し、楽器を買って贈った。
 揃いの制服も、なかった。蝶ネクタイを着け、膝から下は白い脚半を巻いて行進した。
 皆、真剣であった。広宣流布という使命を誇りとしていたからだ。
 ともあれ私は、時代とともに、音楽隊の必要性は、ますます大事になることを信じていた。
4  今もって、私が忘れられないのは、一九五七年(昭和三十二年)の七月十七日のことである。
 私は、大阪拘置所に囚われていた。新たな民衆勢力の台頭を恐れた権力は、四月に大阪で行われた参院補欠選挙の最高責任者であった私を、無実の選挙違反容疑で、逮捕・勾留したのである。
 師と学会を守らんとの孤独な獄中闘争は、すでに二週間に及んでいた。
 この日の朝、堂島川を挟んだ対岸の中之島から、懐かしき学会歌の力強き曲が、辺りを打ち破るごとく聞こえ始めた。
 東京から夜行で大阪に駆けつけた音楽隊の有志、十数名による怒りの演奏であった。
 その気迫に押されるがごとく鉄の扉が聞き、私が釈放されたのは、ちょうど正午のことだった。
 私は直ちに伊丹空港に向かった。夕方に予定されていた抗議集会「大阪大会」に出席される、戸田先生をお迎えするためである。
 空港に到着されるや、戸田先生は、音楽隊の来阪について、語気鋭く聞かれた。
 「来ているか!」
 民衆が邪悪と戦うために、勇壮な音楽が欠かせないことを師は見抜かれていたのだ。
 正義によって立て!
 ここに、わが音楽隊の誇り高き永遠の使命もある。
5  一九七八年(昭和五十三年)の天も晴れわたる五月五日を、私は忘れることはできない。
 この日、この時、全国の凛々しき音楽隊の代表たちが、皆の憧れの創価大学の広々としたグラウンドに、初めて一堂に会したのであった。
 歴史的な第一回音楽隊総会である。第一次の宗門事件の嵐が、学会の撹乱を狙って、荒れ狂っていた頃である。その黒雲を破るがごとく、若き楽雄らは「我らの正義の師子吼を聴け!」と、勇壮にして威風堂々の曲をはじめとして、皆が一段と決意を深め歓喜しゆく学会歌を轟かせてくれたのであった。
 「あまりにも偉大なる光景を私は見た。学会は強い。学会は伸びる」とは、来賓の声であった。
 総会の最後に、短い挨拶をした私は、そのままグラウンドに下り、音楽隊員の人波のなかを進んだ。彼らは握手を求め、また、私の胸に飛び込んできた。制帽の下からのぞく、汗と涙と土ぼとりで黒くなった顔が、まぶしかった。
 会長職を退く一年前のことである。
 苦難の時こそ、青年を育てる。嵐の時代こそ、狭い大人ではなく、若い力を信じるしかない。これが、私の率直な思いだった。
 こうして第三代の会長として飾った最後の「5・3記念行事」が、音楽隊総会となったのである。
6  時代が音楽をつくるのか。音楽が時代をつくるのか。
 フランス革命は、素人音楽家の青年将校が一晩で書き上げた「ラ・マルセイエーズ」とともにあった。
 米国では、「ウィ・シャル・オーバーカム」の歌声が、キング博士の率いる公民権運動に加わった人びとを一つに結びつけた。
 御書には「音の哀楽を以て国の盛衰を知る」と引かれている。
 今日ほど、不安と無気力の哀音を破り、生命力に満ちた音律を広げる、文化の旗手が求められている時代はないだろう。
 法華経には、妙音菩薩の行くところ、百千の天の音楽が鳴り響くと説かれる。まさに荘厳華麗なパレードだ。
 信仰は目に見えない。だからこそ、信仰で得た喜びや境涯を、人びとにわかるように表現しなければならない。音楽や芸術は、まさにその表現であり、妙音菩薩の壮麗な音楽は、信仰の歓喜から発するものといってよい。
 マーチングバンドの全国大会で、音楽隊の創価ルネサンスバンガードが六度の日本一の栄冠に輝いたように、わが音楽隊は名実共に日本第一の力量となった。
 音楽隊の勝利こそ、文化の勝利であり、信仰の偉大さの証明にも通じるのだ。
7  華やかな舞台の陰には、必ず人知れぬ努力がある。
 練習会場の確保も大変だ。がらんとした夜の工場や、寒風が吹きさらす河川敷の場合が多かった。
 仕事や学業を終えたあと、また学会活動の合間を縫いながら、「一人欠けても楽団の本当の音は出なくなる」と、息せき切って駆けつけるあの友との友。
 小柄な体が隠れてしまうほど大きな楽器を運ぶ、中等部の隊員の姿も見えた。そんなメンバーに、兄のごとく勉強を教える男子部の隊員もいた。帰宅が遅くならないように、先輩が気を使った。
 音符は一つだけでは曲にならない。長短、高低、多彩な音符が組み合わさり、そこに名曲が生まれる。
 楽雄諸君は、同志と励まし合いながら、常に最高の鍛錬と友情の名曲を作っているのだ!
 かつて私が音楽隊に与えた課題曲の一つにタイケ作曲「旧友」がある。君たちこそ、永久に信仰と音楽で結ばれた「旧友」である意義を訴えたかったのだ。
 そして創価の同志を、世界の国と国、人と人とを、音楽の力で「旧友」のごとく永遠に結んでくれ給え!
 革命詩人バイロンが歌った出陣の合図が聞こえる。
 「鼓手よ、鼓手よ! 遠くより轟ききたれば
 勇士の胸は躍り、戦いの時は迫りて(中略)
 みなその轟きに起ち上る」(『バイロン詩集』阿部知二訳、彌生書房)
 さあ、新しき人生は、新しき出発をしよう!
 絢欄たる民衆文化を開く、創価の人間主義の遠征へ!

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