Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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読書の力 善き活字文化が「人間」を育む

2002.10.19 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  先日の日曜の夜、久方ぶりにわが家で、息子の博正と尊弘と、じっくり語り合った。
 教育問題をはじめ、アメリカの景気の問題、中東問題、日本の政治の問題等々、疲れを知らず、意見を交換し合ったその側で、妻は、ある時は微笑みながら、ある時は真剣に、じっと見守っていた。
 時間があれば、私は思いつくままの箴言を手元の書籍に綴り、わが広宣流布の尊き同志へ贈るのが、常である。その一言が、わが友の何らかの心の糧になればと願ってのことだ。
 良き座右の銘を持った人生は強い。また「一切の法は皆是れ仏法なり」である。世界の哲人の英知は、それぞれに仏法に通じているからだ。
 ちょうど、『新・人間革命』第十一巻が出来上がったので、贈言を挟んで「創立の日」の記念として、友に差し上げようと、手に取った。
 その時に、関西創価学園で執務している尊弘が、「そういえば、第十一巻の垂れ幕が、なにわ筋の有名な大阪屋で大きく掲げられていましたよ」と報告してくれた。
 すると、読書家の博正も、「いや、東京・新宿の紀伊国屋書店と神田の三省堂書店でも、大きな垂れ幕が掛かっていました。全国でも、神奈川の島森書店、愛媛の紀伊園屋書店、岩手の東山堂書店などに垂れ幕やのぼりが掲げられていると聞きましたよ」と。
 私自身の本のことはともかく、出版文化、活字文化は、いよいよ重要性を増している。その復興は、私の悲顕である。このテーマをめぐって、わが家の語らいは、さらに続いた。
2  思えば、すでに三十年前(一九七三年)、歴史学者のトインビー博士との対話でも、活字文化の意義を論じ合った。博士は、良書を何よりの宝とされていた方である。
 イギリス紳士として洗練された振る舞いの博士であられたが、年季の入ったズボンは幾分、丈も短くなっておられた。
3  4  5  6  しかし、「今、持っている服で、余生は十分、間に合うと思います。服は古着でも、本をもっと買いたいという心境です」と笑いながら語られていた。その大学者の尊貴な顔が、今もって偲ばれる。
 私が最初にお会いした時、博士は八十三歳。ラテン語の「ラポレムス(さあ、仕事を続けよう)」をモットーに、生き生きと読書に励み、学び抜いておられたのである
 対談のなかで、博士と私は、深く懸念した。
 ──テレビ文化の台頭の一方で活字文化が衰退してしまえば、人間は深い思索や考察を怠り、利那的、衝動的な傾向に陥らざるを得ない。
 それでは、時代の急速な流れに翻弄され、創造的な精神性が失われる。そこに、大衆操作の危険性も生ずるのではないか、等と。
 私との二年越しの対談を終えた明くる年、博士は病に伏された意識は、はっきりとは戻らなかったようである。
 しかし、博士の奥様からいただいた手紙には、こう記されてあった。
 「夫は病床にあってもなお、本を手にしておりました。本当に読めているのか、どうか、わかりませんが、そのぺ─ジをめくっていたのです」
 私の心を電撃のように打った一節である。かくも壮絶な学究の一念が、博士の全生命を突き動かしていたのだ。私は合掌した。
 その博士が生涯にわたる探究の総決算として魂魄を留めてくださったのが、私との対談集である。今や、二十四言語で出版され、世界の知性と指導者層から愛読されている。

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