Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「女性の世紀」の主役 平和を創る 創価の母の大行進

2002.10.17 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  これは、仏典に書かれている話である。(『勝鬘経』)
 ──インドの舎衛国の波斯匿王と末利夫人が、他国に嫁いでいった最愛の娘のことで話し合った。釈尊に帰依した王夫妻は、娘にも、ぜひ仏法を勧めたいと思ったのである。
 「あの子は聡明だし、仏の教えを聞けば、すぐに理解するだろう。よい機会に手紙を送ろうと思うが……」
 王が言うと、間髪入れず、妃は答えた。
 「今まさにその時です!」
 すぐ行動すべきである、というのだ。娘は、直ちに届けられた父母の手紙を読み、素直に仏法の信仰を始めた。それが有名な勝鬘夫人である。
 ともあれ、時宜をはかって娘に手紙を出そうという慎重派の父。「いつかでなく、今すぐに」と行動派の母……。どこか、今日の壮年部と婦人部の絶妙のコンビネーションを見るようである。
 仏弟子となった勝鬘夫人は、一切衆生を救わんと誓願を立てるが、わが世界第一の婦人部の皆様も、「あの人を幸せにしたい」「この悩める友を救いたい」と、祈りに祈り、慈愛の大菩薩のごとく走り抜いてくださっている。その誠実一路の行動力は、誰人もかなわない。
2  本年、婦人部と女子部が、麗しき”婦女一体”のスクラムで企画・推進した「平和の文化と女性」展が、信濃町の創価世界女性会館を最初として、大阪、札幌に巡回され、大きな反響を呼んでいる。
 今月の下旬には、”平和原点の地”広島に場所を移し、開幕する予定である。
 「平和の文化」は、「戦争の文化」に対する言葉だ。それは、概略的にいえば、非暴力や対話、協調、寛容、希望、内発性、生命尊重などの価値観を重んじる生き方となるだろうか。
 ドイツの有名な詩人であるへルダーリンは、わが兄弟をこう励まして叫んだ。
 「お前の努力とお前の戦いは、お前の精神をますます強固にし、ますます柔軟にしていく」(「弟へ」小鳥純郎訳、『へんダーリン全集』4所収、河出書房新社)
 平和の花を爛漫と咲かせる大地は、自分の足元にある。ゆえに日々の現実世界のなかから、「平和の文化」は芽生え、育まれていくものだ。その最も貴重な教育者こそ女性なのである。
3  あの忌まわしき戦争の末期、空襲による延焼を防ぐために、父親が一家の幸福のために全財産をつぎ込んでつくり上げたわが家も、強制的に壊されることになった。
 ところが、移転先の静かな大田区西馬込(現在の地名)の新居も、米軍の焼夷弾で焼かれてしまった。ようやく引っ越し作業も終わり、明日から新生活を始める前夜のことである。
 十七歳の私は、弟とともに、火の中から無我夢中で長持ちを運び出したが、翌朝、焼け跡で開けてみると、出てきたのは雛人形であった。
 皆が意気消沈したその時、母が明るい口調で言った。
 「この、お雛様が飾れるような家に、きっと住めるようになるよ!」
 それは、一生涯、忘れることのできない、明日への確かな希望を語った母の一言である。私にとって、いかなる哲学書よりも、胸中に平和の光をともすものであった。
 まさに、「諦めなどという言葉は自分には無縁である」(『人間の大地』下、押川典昭訳、『プラムディヤ選集』3所収、めこん)と言った、インドネシアを代表する著名な作家プラムディヤの名言を思い出すのである。
 このことは、一家の長男である私の長兄が戦死したとの公報を受け取った時、悲しみに震えていた母の小さな背中の記憶とともに、絶対に忘れることはできない。あの悲惨な戦争の罪悪とともに、生涯、胸の奥から消え去ることはない。
 母の按燃たる振る舞いが、すべてのわが家の難局を乗り越えさせた。
 かの偉大なへルダーリンが力強くうたい上げたごとく、「真の苦痛はひとを鼓舞する」(『ヒューペリオン』手塚富雄訳、『へルダーリン全集』3所収、河出書房新社)のである。
 私の心に「平和の文化」の原形を育んでくれたのは、まぎれもなく母であった。
 そして、わが師・戸田先生との出会いと仏法の信仰が、私の平和への熱願を、不動の哲学にしたのである。
 日蓮仏法は教える。一個の人間における一念の変革から、人生も、地域も、社会も、世界も、善の方向へ変えていけるのだと。
 平和の第一歩は、平和が可能だという確信である。
 その信念に燃えた偉大なピースメーカー(平和を創造する人)の先駆者であり、「女性の世紀」の主役こそ、わが創価の母たちであると心から讃えたい。
4  戸田先生はある時、私たち青年に、”文化とは知恵の知識化、形体化である”と語られたことがあった。さらに、身近な例として、「赤ん坊のオシメなんか、立派な文化です」と言われた。目から鱗が落ちるようなその感動は忘れられない。
 また先生は、私に「生命を慈しむ知恵が一番大事だ」と言われた。
 こんな話がある。(以下、ツヴェタン・トドロフ『極限に面して──強制収容所考』宇京頼三訳、法政大学出版局、参照)
 旧ソ連の独裁者スターリン時代に、権力から”囚人”の烙印を押された人たちを収容所へ運ぶ列車での出来事だ。
 女性用の車両で、乳飲み子を抱えた一人の母親が困り果てていた。
 赤ん坊のオシメが全部汚れてしまったのだ。兵士の監視のもと、洗面所に行くために許された短い時間だけでは、とても洗いきれない。誰かに手伝ってもらおうにも、自由に会話もできない。
 やっと洗面所に入れる時間が来た。
 母親は一人、オシメを持って行き、洗濯の途中でそのまま置いて出る。それを見て次の女性が入る。さらに別の女性……やがて母親の手元に、すっかりきれいになったオシメが戻ってきた。
 冷酷なる権力の監視をすり抜け、幼い生命を守り抜かんとする、女性たちの見事なる連携プレーであった
 尊き生命を脅かす、愚劣な悪に負けない! したたかな知恵と勇気と団結で戦う!
 なんと偉大な母たちよ!
5  先月、私は、米国モアハウス大学・キング国際チャペルのローレンス・カーター所長、さらにノーベル親族会会長のマイケル・ノーベル博士と相次いでお会いした。
 この両氏が、わがSGIを知り、深く理解されるようになったのは、いずれも婦人部員の対話からであった。真剣と誠実の対話が、確かな友情をつくり、広げる。
 過日、連載が完結した、アメリカの女性の未来学者へンダーソン博士と私の対談は、多くの反響をいただいた。なかでも、婦人部、女子部の皆様方は、毎回、「女性が正義の声をあげる大切さを実感しました」等々、深い共感を寄せてくださった。
 私自身、語り合うほどに、博士が広げてこられた世界的なネットワークに驚いたものである。ゴルバチョフ氏、カズンズ氏、サロー博士、ぺッチェイ博士など、私と共通の知友も数多い。
 そのへンーソン博士が「行動する未来学者」となった契機は、あまりにもひどい大気汚染から、わが子の健康を守るために立ち上がったことであった。
 最初は無視された。だが、負けなかった。素人が何を言うかと心ない批判もされた。すると、専門家以上の勉強で冷笑をはね返した。
 粘り強い草の根の行動を重ねるなかで、同じ危惧を抱きながら孤立していた人びとの間にまで、加速度的に共感が広がり、社会を動かす民衆の連帯の大波となっていったのである。
 博士は、その成功の秘けつを、こう語っていた。
 ──まず身近な人たちに語りかけ、小単位のグループを充実させていくこと。そして、問題の解決まで、決してあきらめることなく、語り続けていくこと。
 との方程式こそ、創価の女性の連帯であり、慈愛と正義の光を放ちながら、地域の天地を潤し、地球を包み始めたのだ。
 イギリスの劇作家シェークスピアは、作中の王女にこう語らせている。
 「名誉を求める心が忌まわしい罪を犯してしまうのだわ、名声とか、称賛とか、うわべだけのもののために私たちが心の働きすべてを傾けてしまうときに」(『恋の骨折り煩』小田島雄志訳、『シェイクスピア全集』6所収、白水社)
 しかし、至高の生命と幸福の哲学を持った私たちは、何も恐れない。迷わない。揺るがない。この正しき平和の道を、まっしぐらに進む!
6  いかなる戦乱や苦難の嵐にも、命を張って子どもを守ってきた母。家族や隣人を温かく包んできた女性。
 この健気にして尊き母たちがいなければ、人類の前途は真っ暗闇だ。
 すべての人びとが「お母さん、万歳!」と心から感謝できる時代──それこそ、万人が願う、真の平和の世紀ではないかと、私は思う。

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