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日蓮大聖人・池田大作

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気高き心の白蓮グループ 栄光あれ! 広布と友情の青春

2002.9.25 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  百年ほど前、新しき世紀の門口に立って、一人の乙女が生き生きと叫んだ。
 「このような時代に──旧時代から新時代へ転換する革新の時代に──生まれ合わせたわたしたちは、なんて仕合わせな、なんて生甲斐のある運命を担ったものでしょう!」(『光は暗黒を越えて』早坂四郎訳、河出書房)
 これは、インドネシアの”民族意識の母”と敬愛されるカルティニの言葉である。
 彼女は二十代にして、旧習の厚い壁と戦いながら、女性の幸福と解放のため、民族の自立のため、その主体者たる女性の教育に生命を注いだ。彼女の生涯は、多くの若い女性への励ましである。
2  二十一世紀の女性リーダーと育ちゆく、わが「白蓮グループ」の皆様の活躍は、まことにめざましい。
 今日も、われらの宝城へ、三々五々、にぎやかに集い来り、また散りゆく、その偉大な庶民の行進を迎えてくれるのが、美しく、若々しき大切な”白蓮”の皆様であられる。
 さわやかなその声! 清らかなその笑顔! てきぱきとしたその機転の動作!
 清楚なグリーンのユニホームを見れば、皆が心から安心する。その姿は、皆の心を如何ませてくれる。
 「広宣流布の大切な会合を絶対、無事故で!」と、深く、尊き祈りを胸に湛え、来る日も来る日も、多くの同志に希望の心を与えゆく責任感に燃えて、あの見事な大成功の指揮をとりゆく、雄々しき貴女よ。
 「今、私がいる任務の場所を必ず守り通す!」と、晴れやかな盛大な拍手もほとんど聞こえなくとも、落ち着いた姿勢で、一人立って、その場で頑張り抜く皆様方よ。
 大勢の友が会合を終え、皆が帰ったあと、黙々と、決して休む暇もなく、広宣流布の会座を浄めてくれる神々しきこ女たちよ。
 この暗く濁りきった社会にあって、素直な心で友のために献身する、わが”白蓮”の姉妹の青春は、あまりにも尊く、あまりにも美しく、立派である。
 虚栄と愚かは不幸である。懸命に人のために尽くすことは幸福である。
 皆様の姿に接すると、「心こそ大切なれ」との、日蓮大聖人の仰せが、その通りだ、その通りだと、生命で実感できる。
 「如蓮華在水(蓮華の水に在るが如し)」との経文を、目の当たりに見る思いがするのは、私一人ではあるまい。
 泥沼にあって、しかも汚れることなく清らかに咲く花、それが白蓮華である。しかも、この経文は、末法広宣流布の大使命を託された、「地涌の菩薩」の尊貴なる英姿を形容した、毅然たる言葉である。
 まさに”妙法の娘”であり”師子王の娘”である、広宣流布の宝の存在こそ、わが白蓮グループなのだ。
3  いかに時代が過ぎ去っても──、そして幾世紀が歩み進んでいっても、今日の”白蓮”の皆様の、清くして凛々しきその姿は、語り継がれ、無数の人びとの心から消えないにちがいない。
 あのフランスを救ったこ女ジャンヌ・ダルクを彷彿させるからだ。
 彼女は、十五世紀に、有名なイギリスとフランスの”百年戦争”のさなか、彗星のように歴史の舞台に登場し、活躍したヒロインである。
 平和な安穏の時代の舞台よりも、むしろ激動の暗黒の時代にこそ、その不幸の闇を破らんがために、偉大な人は周期的に現れてくるようだ。多くの権威の王冠や肩書は落ちて、希望の朝が復活し、新しい仲間の時代が到来するのだ。
 ──故郷の村で、素顔のジヤンヌは、どんな娘だったのだろうか。(以下、レジーヌ・ベルヌー編著『ジャンヌ・ダルク復権裁判』〈高山一彦訳、白水社〉から引用・参照)
 生まれたころから彼女を知っている村人は証言する。
 「同じ年ごろの娘たちの模範となるようなよく働く娘でした」
 幼友だちも言う。
 「気だてがよく、飾り気のない、優しい娘でした」
 病人や貧しい人たちの世話もした。信仰心があっく、よく祈っていた。そのことで、同世代の娘たちから、からかわれることもあったようだ。
 村人たちは口々に語った。
 ”ジヤンヌは、すすんで祈り、すすんで家畜の世話をし、すすんで糸を紡いだ”
 すすんで! この自発的な心持ちこそ、ジャンヌの特質であると、著名な研究者は鋭く指摘していた。
 すすんで! その心のままに生きた乙女は、ついには、戦乱に苦しむフランスの民衆のために、すすんで立ち上がったのだ!
 思えば、懐かしき恩師である戸田先生が、総本山にあって、「3・16」の儀式をはじめ最後の広宣流布の指揮をとられたのは、一九五八年(昭和三十三年)三月のことであった。
 この時、女子部の有志が、自発的に案内や清掃などをするグループを作り、奮闘してくれた。それまでも登山会で清掃はしていたが、この健気な活躍が、女子部の新たな人材育成の核に発展していったのである。
 ”師の心を一段と深めながら生き抜く私たちは、天国に行くよりも大事な使命がある! 広宣流布に戦いゆく魂の、不滅の確かなる証を残すのだ!”
 皆のため、広布のために、すすんで立ち上がった「自発の心」──これこそが”白蓮”の淵源なのである。
4  このあまりにも健気なメンバーに、私が「白蓮グループ」の名前を贈り、新出発したのは、一九六六年(昭和四十一年)の七月八日のことであった。
 さらに一九七四年(昭和四十九年)に新体制になり、”白蓮”の友は、新たな使命に燃えて、全学会の広宣流布の会合運営を懸命に担ってくださった
 他の女性たちが、鈍い目をもって、はかない評論家のごとく、学会の偉大さを知らず、右往左往している時に、”白蓮”の彼女たちは、明確なる青春の勝利の解答を残してみせると叫んだ。
 一九七九年(昭和五十四年)の晩秋、私は代表の方々と語り合った。私は”白蓮”の使命と活躍に、心から感謝していた。全学会の幹部も同じ心である。
 これからの大事な人生であるから、何よりも健康第一をお願いしたいと、万感の激励を贈った。
 私には、この大切な娘たちを守る責務がある。
 歴史は必ず正義の審判を下すであろう。
 清純なる魂の”白蓮”は、信徒蔑視の宗門の外護など汚らわしいと、痛烈に吹き払っていった。
 あの卑しき、なんの確信もなき退転者と宗門が学会乗っ取りを画策した、嫉妬の”窃盗行為”などに威嚇されても、乙女たちは動揺の片鱗すら見せなかった。
 彼女たちは、信仰と共に、希望と共に、確信と共に、徴笑みながら大いなる目標に立って、この世のためと人類のために一生を捧げるのだと、強力な信心の炎を燃やした。
5  ところで、フランスの哲学者アランは、乙女ジヤンヌが多くの人びとの心を動かし、味方にしていったのは、すべて真剣な対話、説得によるものであったとし、こう評した。
 「意志の奇跡」(『信仰について』松浪信三郎訳、角川文庫)──。
 まっすぐな瞳で、必ずやり遂げると決心した、乙女の心ほど強いものはない。
 ジヤンヌの姿に接した貴族は、後に「自分にもこんな良い娘があったらなあと思った」(前掲『ジャンヌ・ダルク復権裁判』)と述懐した。
 わが”白蓮”も、あの地、この地で、麗々しく、さわやかな笑顔の応対によって、どれほど多くの味方をつくってくださっていることか!
 会館に来た方々が、なんとすばらしいお嬢さん方かと、感嘆し、賞讃しておられる。
 文豪ゲーテは、”挨拶の仕方で、一人ひとりの教育がわかる”(『ヴィルヘルム・マイスターの週歴時代』山崎章甫訳、岩波文庫、参照)と言った。
 自らを教育し、鍛えなければならない。
 すべてが安易へ、わがままへ、無責任へ流れがちな、狂気じみた現代である。多くの若者が、感情の移ろうままに、濁流に溺れる浅はかな時代である。
 気ままな人生は楽しそうに見えるが、そこに充実しきった勝利の人生と幸福はない。
 苦労と訓練がないと、人間は、自分自身を完成することはできない。幸福を勝ち取れないものだ。風雪を受けた人間は、不敗である。
 これは、古今の歴史を見ても事実であろう。
 結婚することが幸福ではない。自分自身が幸福になる土台をつくることだ。夢と現実は、天地雲泥の違いがあるのだ。
 その意味で、”白蓮”の皆様は、一生涯の幸福の、金剛不壊なる土台を厳然とつくっていると、深く深く確信していただきたい。
 本年、二十一世紀第二期生のメンバーは、二千世帯を超える弘教の拡大を成し遂げたと伺った。
 「ひとりの人を助けたとき、内心の幸福は何ものにも比べることはできません」(前掲『光は暗黒を越えて』早坂四郎訳、河出書房)──これも、偉大な哲学者のごとき、若き女性カルティニの言葉である。
 ともあれ、”白蓮”の皆様方は、その源流のころから四十余年の長きにわたって、よく頑張ってくれた。私たちは感謝する。本当に嬉しい。
6  今や、母娘二代の”白蓮”育ちの方も大勢おられる。
 蓮祖は、「女子おなごは門をひら」と仰せである。
 ”白蓮”育ちの貴女たちの勝利こそが、「広宣流布」即「世界平和」の金の道を、永遠に開いているのだ。
 おお、”白蓮”の姉妹たちよ! 妙法のジヤンヌ・ダルクとして、これからも、わが身を大切にしながら、正義の旗を掲げながら、「平和」と「友情」のスクラムの先頭に立って愉快に生き抜いてほしいのだ!

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