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日蓮大聖人・池田大作

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わが共戦の同志・多宝会 偉大なる常楽我浄の人生

2002.9.7 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

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1  「大将軍の心が弱ければ、それに従う者もふがいない。弓が弱ければ、絃もゆるい。風がゆるければ、波も小さいのは自然の道理である」(御書一一三五ページ、通解)
 これは、日蓮大聖人が、四条金吾夫人である日眼女に贈られた御書の一節である。
 わが「多宝会」の皆様方は、いうなれば、心強き「人生の大将軍」の立場におられる方々である。
2  広布の功績多き、創価の大先輩であられる「多宝会」は、年配の同志の方々のグループとして、一九八八年(昭和六十三年)の十一月に、まず九州で結成された。
 引き続き、東京では「宝寿会」、関西では「錦宝会」が発足し、全国各地にも「多宝会」が拡大されていったのである。
 「多宝会」の皆様方は、広宣流布という大偉業に、人生の険しき幾山河を越えながら、激しい法戦を展開してくださった。よく戦い抜いてくださった。
 皆様方は、学会の基礎を、そして世界広布の基盤を築かれた尊い方々であるのだ。
 昨年発表の統計によると、日本の六十五歳以上の人口は二千二百万人余りに上り、これは総人口の一七・三パーセントになると、新聞に載っていた。七十歳以上の人口も、およそ一二パーセントである。
 高齢者の方々が、希望をもち、安心して暮らせる人間尊重社会を、いかに建設していくか。ここに、二十一世紀の重大な課題があることは、誰人も知悉していることだ。
 私たちの目的は、「広宣流布」という三世永遠にわたる「人類」と「世界」の、平和と幸福を建設していくことにある。
 人びとの幸福に尽くすことこそが、政治家であれ、学者であれ、数多の著名人であれ、唯一最高の目標であるはずだ。その深遠なる目的を忘れ、自己の低い目的に酔い、虚飾に流されている有名人のいかに多いことか。
3  「多宝会」の名には、いうまでもなく、法華経見宝塔品に説かれる「多宝如来」の意義が込められている。
 法華経には、こうある。
 ──大地より涌出し、虚空に浮かぶ宝塔の中から、忽然と大音声が轟きわたる。
 「善き哉、善き哉。釈迦牟尼世尊」「説きたまう所の如きは、皆な是れ真実なり」(法華経三七三ページ)と。
 この厳たる声の主が、多宝如来である。過去世に菩薩行を修めていた時、成道の後、いずこの天地であれ、法華経の会座に、わが宝塔が涌現し、その大法の真実を証明すると誓願した仏のことである。
 現在の私どもが、この法理を捉えれば、「自分自身の声で、妙法蓮華経の宇宙の大法則を叫びきる」ことだ。すなわち、「自分自身の全生命をもって、信心の偉大さを、この現実社会に証明してみせる」という決意のことだ。
 事実として、そのような妙法蓮華経の尊き厳然たる「証明者」が、広宣流布の時には、必ずあの地、この地にと現れる。
 その経文通りの「証明者」が「多宝会」の皆様方であるのは、当然のことだ。
 多くの方々に読まれる「聖教新聞」の記事の一つに、五面の”体験のぺージ”のコラム「庶民の王者」がある。これまでに、百五十人を超える方々が紹介され、その大半が「多宝会」の、高く、そして深く人生を生き抜かれた尊き皆様方である。
 どの方々も、この妙法の大法の信心を、三十年、四十年と貫かれ、長き風雪の年輪を重ねた偉大なる風格が漂い、「人生に、われ勝てり!」との誇り高き笑顔が、また実にすばらしい。
 さりげない一言一言にも、「仏法は正しい!」「学会は正しい!」との、揺るぎない大確信が光っている。その威風も堂々たる、この実像の姿こそ、「妙法の多宝の証明」の意義であるといってよい。
4  現実の世界に生きている限り、誰人といえども「生」「老」「病」「死」の厳しき因果の理
 そとに、苦しみがあり、悩み、悲しみが実在する。
 。その解決のために、無数の宗教家法は避けることはできない。そこに、苦しみがあり、悩み、悲しみが実在する。
 しかし、苦悩即不幸では、何のための人生であるのか。その解決のために、無数の宗教家や哲学者が苦しみ、悩み葛藤してきたのが、この世界の歴史的事実である。
 しかし、日蓮大聖人は、このように明確に仰せになっておられる。
 「生老病死という四相をもって、私たちの一身の塔を荘厳するのである。生老病死において、私たちが南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、そのまま、常楽我浄の四徳の芳香を放っているのである」(御書七四〇ページ、通解)と。
 なんと明快な、なんと爽快な、そして、なんと深遠な生命の喜びを涌出する解答であろうか。
 「多宝会」の皆様方には、宿命の嵐と戦い、苦難に打ち勝ってきた、御本尊への絶対の確信の宝がある。いかなる迫害も恐れず、広宣流布に生き抜いた”学会魂”という宝がある。
 要するに、信心に一切、無駄はない。
 村中を折伏に歩き、塩をまかれ、罵声を浴びながら、「絶対に幸福になれる信心だ!」と宣言したあの友。片道の電車賃だけで友人を訪ね、信心するとの返事に、学会歌を口ずさみ、意気揚々と、長い長い道のりを歩いて帰ったあの婦人。
 反逆の輩に踊らされ、学会誹謗の限りを尽くす邪悪な坊主どもを、「今に見よ! 学会の正義は必ずはっきりする!」と一喝した、あの正義の老雄……。
 満天にきらめく星々のごとく、大法戦に戦い抜かれた尊き皆様方の胸中の大空には、不滅の黄金の思い出が、限りなく、美しく輝いている。
 この勝利の生命こそ、仏法に説く、真実の「宝塔」である。
5  チェコの哲人政治家として有名なマサリクが、ある時に語った「長寿のための処方箋」は、実に含蓄深い。
 その一部を紹介すると、「暴飲暴食をしないこと、道徳的に生きること、筋肉と心臓と頭脳を働かすこと、配慮すべきものをもつこと、目的をもつこと」「生き生きとした関心を失わないこと」(カレル・チャベック『マサリクとの『対話』石川達夫訳、成文社)などであった。
 彼は、こう自戒して言う。
 「おまえの時間が流れているうちに、為せ、働け」(同前)
 八十五歳まで十七年聞にわたり、大統領として活躍した人の知恵の言葉だ。
 これらは、わが同志の皆様には、全く納得の道理であろう。
 もちろん、生命の幸福は生きる時間の長短で決まるものではない。生き生きと「今を生き抜くことが、何よりも大切であろう。
 そのうえでなお、法華経に「長寿にして衆生を度せん」(法華経五〇五ページ)と説かれるように、長寿であることは、それだけ多くの人びとと対話をしながら、その多くの人びとを励ましていけるのである。
 私は、この八月二十四日、十九歳で入信して、ちょうど満五十五年になった。
 ともかく、真実一路、ただただ「師弟不二の道」「広宣流布の道」一筋に生き抜き、戦い抜いてきた。結核に苛まされ、医者からは「三十歳まで生きられない」と言われた体であった。
 そのために、師である戸田先生にご心配もかけた。泣いて、「俺の命をお前にやる!」とまで言ってくださった師匠であった。
 「更賜寿命」──御仏意はあまりにも深い。
 生きて、生きて、生き抜いたからこそ、世界広宣流布の大道を開くことができた。
 偉大な師匠を全世界に宣揚することができた。
 今世に賜った、わが生命の時間を、これからも、同志のため、広宣流布のために使っていく決心である。
 「多宝会」の皆様方が無数の労苦の山を乗り越えて築いてくださった学会である。多宝の証明の方がいる限り、学会は永遠に盤石である。
 七十三歳で殉教された牧口初代会長は、晩年、口ぐせのように「われわれ青年は」と言われていた。
 その若々しい心を、我らの宝冠として、勇敢なる人生とわが使命の総仕上げを成し遂げていきたいものだ。

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