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日蓮大聖人・池田大作

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信心の巌窟王 人間は苦難によって強くなる

2002.7.24 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  今日、七月二十四日で、ちょうど”生誕二百周年”の、フランスの作家がいる。
 『三銃士』等の名作で有名な大デュマである。
 一方、ユゴーも同じ一八〇二年の二月二十六日生まれであり、フランスはわずか五カ月違いで、二人の文豪を生んだわけである。
 デュマは「自分以外の人物でなりたい人物は?」という設問に、「ユゴー」と書いたといわれる(ジャン・ド・ラマーズ『デュマ』泉田武二訳、評論社)。二人の交友は、大変深かった。
 現在、パリ郊外のユゴー文学記念館では、「ユゴーとデュマ展」も開催中である
 青年時代、私は、この三大巨匠を愛読した。
 ことにデュマの傑作『モンテ・クリスト伯』──『巌窟王』は、我らの師・戸田先生の膝下で読み、学んだことが忘れられない。
2  物語は一八一五年のフランスを舞台に始まる。ナポレオン一世の”百日天下”前後の騒然たる時代であった。(以下、『モンテ・クりスト伯』1・2、山内義雄訳、『世界文学金集〈第二期〉』4・5所収、河出書房、参照)
 航海士のエドモン・ダンテスは、正直で疑うことを知らない好青年である航海の腕もよく、次の船長にと期待され、恋人とも結婚が決まっていた。
 ところが、幸福な未来へ船出する矢先、十九歳の彼は、突如、「ナポレオン派のスパイ」の重罪人として投獄される。彼への嫉妬に狂った仲間の裏切り、そして彼を取り調べた検事代理の、保身と悪意の仕業であった……。
 戸田先生は、私たち青年に言われた。
 「デュマは、ここで若々しい生命に向かって、一つの人生の嵐を吹きかけ、生きるか死ぬかの思いをさせた。
 肉体的にも精神的にも、人生の苦しみを味わったものが強くなる。ゆえに偉大なる青年は安逸を求めるな」
 まさに、「艱難に勝る教育なし」である。あらゆる機会をとらえ、青年たちを育み、鍛えに鍛えてくださる師であった。
 デュマは、ダンテスに、こう語らせている。
 ”人は雄々しく不幸に立ち向かうことから、立派な強い人間となる。こうして不幸は転じて幸運となるのだ”
3  天国から地獄へ。身に覚えなき冤罪でダンテスが囚われたのが、イフ島の監獄(シャトー・ディフ)であった。
 私も以前、南仏マルセイユの丘に立ち、青い海に浮かぶ、との小島を望んだ
 ダンテスは、やがて、絶望の暗闇で出会った老神父ファリアと、師弟とも父子ともいうべき不滅の絆を結び、そして万般の教養を授けられていった。しかし、その老いたる神父は、モンテ・クリスト島の隠し財宝をダンテスに託し、息絶えてしまった。
 だが、ダンテスは負けなかった。彼は再び一人で生き抜き、決然として新しき戦闘を開始していった。決して、絶望の閣の彼方に逆戻りすることはなかった。
 ”おれは、死ぬわけにはいかない。おれは、最後まで戦うのだ”
 彼は新たなる生命を燃やし続ける決心を固める。
 それは、彼の脳裏から一時も離れない、あの悪蝶な連中への復讐であった。そして、悪人どもを絶滅し、不滅の恩義に報いるべき大切な友人たちを、思い浮かべていた。
 「善人への思返し」──凝結すれば、この一点に、人間が人間らしく生きゆくための信義の道があるからだ
 そして、彼ダンテスは、師の遺体と入れ替わり、間一髪、イフ島の牢獄を脱出するのである。
4  一九四五年(昭和二十年)の一月八日、戸田第二代会長は、師である牧口初代会長の獄死を知らされた不二の弟子は、冷たい独房で泣いた。悲憤に悶えながら泣いた。そして、ただ一人、誓った。
 「よし、今に見ろ! 先生が正しいか、正しくないか、おれが断じて証明してみせる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、先生にご恩返ししょう」
 あのダンテスは、闇牢の無念を晴らすために、”復讐の鬼”と化した。
 一方、戸田城聖先生は、広宣流布の使命に命を捧げ、万人に幸福をもたらす”信心の巌窟王”となって、一九四五年(昭和二十年)の七月三日、生きて獄門を出られたのであった。
 後年、妙悟空の筆名で書かれた小説『人間革命』で、戸田先生は、ご自身の分身の主人公を「巌九十翁」──「巌窟王」と命名された。
 先生は、師の獄死に話が及ぶと、涙を浮かべ、激昂されるのが常であった。
 「日本の国家主義は、牧口先生を殺した。殺したのだ。おれは必ず仇を討つ! 絶対に、牧口先生を死に至らしめた連中に鉄槌を下す!」
 怒涛が烈しく吠えるようなあの叫びは、今も、私の胸から消えない。
 戸田先生の怒りは、決して私怨ではなかった。あの軍国主義の時代に、信教の自由を貫き、人びとの幸福に尽くした師匠を迫害した、権力の魔性への激怒であった。
5  実に十四年ぶりに自由の身となり、老神父から譲られた財宝を手にしたダンテスは、やがてモンテ・クリスト伯と名乗って、颯爽とパリの社交界に登場する。
 彼を苦しめた悪人たちは、それぞれ地位も財産も築き、社会の名士となっていた。
 虚栄の偽善者の仮面を剥ぎ取れ! ダンテスは無尽蔵の富と知略で、悪人たちへの仇討ちを開始する。最後の一人を倒すまで、復讐の決意は消えない。
 戸田先生もまた、一瞬たりとも、師を獄死に至らしめた敵を忘れられなかった。
 「かたきをしらねば・かたきにたぼらかされ候ぞ」と、蓮祖大聖人は厳しく誠められている。
 本来、仏法には、血塗られた復讐はない。生命は尊極であり、たとえ悪人たりとも、命を奪うことは許されない。また悪業の法罰は、必ず悪人自身が受けるからだ。
 だが、悪は暴かねばならない。断固たる怒りをもって、徹底して追い詰め、打ち砕かねばならない。悪を容認すれば、さらに多くの人びとが苦悩の辛酸をなめなければならないからだ。中途半端な戦いでは、邪悪をますます増長させていくだけである。
 「瞋恚しんには善悪に通ずる者なり」とは御聖訓の一節だ。
 大悪と戦う正義の怒りは、大善を生むことになる。極悪と戦えば、極善になるのだ。
 そして、善人の勝利、善の繁栄こそが、邪悪への最大の復讐となるのである。
6  ダンテスは、ある青年に強く語っている。
 ”私に命を与えてくれた人と、私に智慧を与えてくれた人が、いついかなる時も、私の心の中にいるのです”
 胸中で、生みの親と語り、師匠と対話しながら、生き抜いてきたというのである。
 ともあれ、師と共に生きる人生ほど崇高なものはない。
 かつて戸田先生は、師匠・牧口初代会長に語りかけるように、こう言われた。
 「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」
 私も、師・戸田先生の出獄から十二年後(一九五七年)、全く同じ七月三日に、無実の罪で逮捕され、入獄した。
 世法、国法を犯したゆえではない。なれば法華経ゆえの受難でなくて何であろう。
 ”信心の巌窟王”の師に、私も弟子として連なり、獄中に師子のごとく戦い抜くことができた。信心の境涯においては、「喜悦はかりなし」と言い切ることができる。
 初代、二代、三代にわたる”信心の巌窟王”の闘魂!
 わが弟子たちは、その王者の信心の宝を断じて受け継いでいくべきだ。
7  幾たびも投獄されながら、不屈の人権闘争を貫いたキング博士は叫んだ。
 「もしも、飛べないなら、走れ。もしも、走れないなら、歩け。もしも、歩けないなら、いかなることをしてでも、前に進み続けよ」(米・ワシントン大学のホームページから)
 生きて、生きて、生き抜く限り、必ず希望はある。
 動いて、動いて、前に進む限り、必ず道は開ける。
 いかなる苦難の嵐があろうとも、我ら”創価の巌窟王”に敗北の二字はない。
 日蓮仏法とは、永遠不滅の希望の太陽を輝かす、人間勝利の信仰であるからだ。

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