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日蓮大聖人・池田大作

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創価大学 創立の心 永遠に「学生のための大学」たれ

2002.5.3 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
2  かつて、インドの詩聖タゴールは語った。
 「大学とは、生きた細胞の核のように、国民の精神という創造的な生命の中心なのである」(「インド文化の中心」亀井よし子・松山俊太郎訳、『タゴール著作集』9所収、第三文明社)──この「国民の精神」は、”世界が祖国”の意義から、「世界市民の精神」ということもできようか。
 では、この大学の「生命の中心」は何か。
 明確に言い遺しておくが、それは「学生」にほかならない。
 私は、創価大学の設立構想の段階から、”大学は学生のためにあるべきだ”と、繰り返し訴えてきた。
 「教授と学生との関係は、相互に対峙する関係ではなく、ともに学問の道を歩む同志として、あえていえば、先輩と後輩といった、あくまでも民主的な関係でなくてはならない」「学内の運営に関しても、学生参加の原則を実現し、理想的な学園共同体にしていきたい」
 大学紛争に揺れていた時代であった。それだけに私は、一日も早く、真の学問・教育の場を出発させたかった。そこで、創価大学の開学を急いでもらい、予定より二年も早め、七一年(昭和四十六年)四月にスタートしたのである。
3  創価大学の記念すべき第一回の入学式に、私は行ってあげられなかった。
 理想こそ高けれど、まだ何も伝統のない新しい大学に、建設の情熱に燃えて集ってくれた一期生たちには、寂しい思いをさせてしまった。
 私自身も辛かった。
 あの日、私は、創価大学が教職員の団結と責任のもとに一期生を迎え、自立した運営で出発してほしいと、祈るような思いで見守っていた。
 ただ、残念なことに、教員のなかに、創立者は金を出してくれればよい、大学のことに口は出さないでもらいたいという声があったことも事実である
4  その後、一期生の間では、”なぜ創立者が大学に来ないのか””どうすれば迎えられるのか”という声が、次第に高まっていった。
 「先生が創立した大学だから、我々は来たんだ! 先生が見えない大学なら、受験などしなかった」
 目に涙をにじませ、真剣に語り合う学生の姿が多かった。この年の八月、学生部の代表と懇談した時、創価大学の学生が、必死の表情で訴えてきた。
 「先生! 創価大学に来てください!」
 「何があるんだい」
 一瞬、口ごもった彼は、意を決したように答えた。
 「秋に大学祭があります」
 「わかった。学生の招待ならば、私は行くよ」
 ──実際は、この時、大学祭のことは何も決まっておらず、私との話がきっかけで開催に向けて動き出したというのが真相のようである。
 私は、喜び勇んで第一回の創大祭に参加した。これが、開学の年に出席した、唯一の大学行事であった。
 若き知性の説明に耳を傾けながら、すべての展示を見せていただいた。三時間以上かけて各教室を回り、足は棒のようになったが、皆の満足そうな笑顔を見ると、疲れも吹き飛ぶ思いがした。
5  翌年(一九七三年)も、私は学生の招きに応じ、夏には寮生主催の第一回滝山祭、秋には第二回創大祭に足を運んだ。
 体育館で行われた創大祭の記念フェスティバルで、私は強く語った。
 「一期生、二期生の諸君は、どうか自分たちがこの大学の創立者であると自覚をし、本気になってもらいたい!」
 開学が早まったことで集い得た、不思議な使命の学生たちである。一人残らず「大学建設の主役」の誇りをもってほしかった。
 「若き創立者たれ!」──これが、後世に脈々と伝えるべき創価大学の精神だ。
 私のスピーチのあと、できたばかりの「学生歌」が発表された。歌が一応の完成をみたのは、この日の明け方近くであったようだ。
 その歌を、即席の合唱団が披露してくれた。
 一、二年生だけで学生数も少ないうえ、展示に模擬店にと、一人が二役も三役も担っていたため、なかなか合唱団員は集まらなかった。国家試験をめざして猛勉強中のメンバーまで駆り出して、やっと結成できたという。
 彼らの力強い歌声を聴いたあと、私は、その場で、直したらもっとよくなると思われる歌調の案を語った。
 「白蝶一色」を「白蝶あそこに」、さらに「青嵐はげしく虚空に吹いて」を「青嵐はげしく天空吹いて」とするなど、数カ所に手を入れた。
 最終的には学生たちに検討を、お願いしたが、彼らは喜んで採用してくれた。
 創価大学の学生歌は、私と”若き創立者”たちの、大学建設に燃える情熱が一つになって完成したのだ。
 今年は、それから三十年という佳節となる。
6  「学生のための大学」は、世界の一流大学の趨勢といえよう。
 私が、これまで対話をしてきた世界の知性も、共通して「学生中心」の視点をもっておられた。
 ロシアのモスクワ大学では、サドーブニチィ総長の指揮のもと、優秀な人材を発掘するために、教員で手分けして国中を走り回り、モスクワ大学への受験をアドバイスしているという。「二十一世紀のロシア」を担い、「世界の平和」を託せる人材を、なんとしても集めるのだという懸命な姿に、私は心打たれた。
 インドのプルバンチャル大学のパタンジャリ副総長は、事前の約束がなくとも、学生には、いつでも副総長室のドアを開けていると言われた。
 「副総長としての時聞は、学生のための時間だと思っています。ほかの何よりも最優先すべきは学生です」
 「教育は学生本位であるべきです」
 全く、その通りだ。
 私も、学生を守り、育てるために命をかけてきた。
 時には、玉の汗を流しながら、また時には、体調を崩していても、学生のなかに飛び込んで対話を重ねてきた。
 学生が成長するのなら倒れても本望だと思った。
 それが、「教育者」の信念であるべきではないか!
 それが、「学生中心」の創価大学における、教職員のあるべき姿ではないか!
 三日聞にわたった、第二回滝山祭では、灼熱の太陽が照りつけるなか、全身汗まみれになって学生たちを激励し続けながら、こう語ったことを覚えている。
 「私は学生の味方です。徹底的に動き、徹底的に激励に走る。この五体が、たとえ動かなくなろうとも、私は学生を守るために働きます」
 これが、今も変わらぬ、そして生涯変わらぬ、創立者の心情である

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