Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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新会員の友を全力で育成 幸福の道 広布の道を共々に

2002.4.23 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  めぐりくる春の、その花びらは美しい。
 人間の歴史には、厳寒のごとく虐げられた、苦痛の歴史があまりにも多い。
 しかし、春の勝利は、忍耐強く待つことである。
 そういえば、二百年ほど前のドイツの著名な学者が言った言葉がある。
 その大意は、自分自身を根本的に改善していくことによってのみ、そこに新しい光が、自分自身の生存の上に、また使命の上にさし登ることができる――というものであったと記憶している。
2  ともあれ、その彼、フィヒテは、心の改善のみが真の知恵をつくりあげると訴えたのである。
 これは、私たちの叫ぶ人間革命、精神革命の大道を歩む正しさを証明し、励ましてくれる言葉ととれるであろう。
 フィヒテは、カント、ヘーゲルとともに、ドイツ観念論を代表する哲学者であり、べルリン大学の学長も務めた教育者であった。
 大変な苦労人である。
 紐織り職人の子として生まれ(一七六二年)、青年時代は貧困と不遇のなか、学問の道で身を立てんとして努力を続けた。
 大哲学者カントが、フィヒテ青年の論文を高く評価し、出版を援助したことから、世に知られるようになる。
 さらに大文豪ゲーテの推挙も受けてイェーナ大学に職を得ると、精力的に講義を行い、聴衆を魅了する、活力ある教師として活躍していく。
 青年を励まし、活躍の道を開くことが大事である。
 しかし、新しい力の台頭に圧迫もつきものだ。
 フィヒテは、厳格な道徳的信念ゆえに聖職者たちから敵視され、妥協を拒否したため、イェーナ大学を去ることを余儀なくされている。
 だが、真金はどこまでも真金である。彼の真骨頂は、祖国の危機において、真の輝きを現した。
 ベルリンがナポレオンの占領下に置かれた時、フィヒテは連続講演を行い、命を狙われる危険にも属せず、”新しい教育こそが祖国を救う″と訴え、失意の国民を鼓舞したのである。
 それが有名な『ドイツ国民に告ぐ』であった。
 そのなかの烈々たる彼の言葉を、わが同志に贈りたい。
 「私たちは精神を屈服させてはならない。さればこそ私たちはとりわけ精神を、しかも堅実な精神を養はなければならないのだ」(小野浩訳、角川文庫)
3  毎日、私のもとには、全国の同志の皆様から、「対話が実りました」「友人が入会しました」等々、喜びに弾む声が多く寄せられている。
 誠実と友情が織りなす、決意と歓喜の物語を伺うたび、私の胸は熱くなる。
 五十七歳で入信された牧口初代会長は、その心境を述懐して言われた。
 「言語に絶する歓喜を以て殆ど六十年の生活法を一新するに至った」(「創価教育学体系概要」、『牧口常三郎全集』8所収)
 信仰とは、まさに、新たな人生の出発である。
 私は、新入会の皆様方に、「おめでとうございます! 共々に、最高に幸福な人生を築いていきましょう!」と、心から祝福を申し上げたい。
4  「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり
 これは、私が十九歳で信心してより、深く胸に刻んできた一節である。
 今年で入信五十五年――。この間に、私は、それこそ何十万、何百万人という方々の人生を見守ってきた。
 その結論として、この御文通りに、まじめに信心を貫いた人は、必ず幸福になっていると断言しておきたい。
 日蓮仏法は「一生成仏」の大法である。必ずこの世で、必ずこの一生で、絶対の幸福境涯を築いていける。
 「信仰」を待ったということは、生命の心田に「仏種」をまき、勝利の「善苗」を植えたのである。
 あとは、それを育み、いかなる嵐にも揺るがぬ「大樹の自分自身」をつくり上げねばならない。
 大事なことは、「持続」である。何があっても、信心を貫き、学会と共に、同志と共に生き抜くことだ。
 御聖訓には、「仏になる道は善知識に勝るものはない」(御書一四六八ページ、通解)と明言されている。
 この「善知識」、すなわち 「善き友」にあたるものが、創価学会の組織であり、信心の先輩・同志である。
 今日、偉大な庶民の賢者として活躍している先輩たちも皆、学会のなかで、「信心の基本」を教わり、「正しい人生」を知ったのである。
 「聡明な、みのりゆたかな友人と共に暮せば、この人生は二倍にも十倍にもなるものだ」(『エマソン選集』3、小泉一郎訳、日本教文社)とは、アメリカの哲人エマソンの名言だ。
5  草創期の学会では、「タテ線」といって、布教した人の人間関係をたどり、各地に組織がつくられていた。
 私も、よく存じ上げているが、北海道・釧路のあるご夫妻は、昭和三十年代に約五年間、日本列島を縦断して、熊本まで、何度も通われた。列車を乗り継ぎ、片道二千七百キロにも及ぶ長旅である。
 入信間もなく転勤で故郷・熊本に戻った、地区員を激励するためであった。
 釧路のご夫妻は、地区部長、地区担当員として、二、三カ月に一度、交代で熊本を訪れては、信心指導を重ね、共々に弘教に走った。
 やがて福岡や大分にも同志が生まれ、約二百世帯に拡大すると、熊本のご夫妻を中心者として、誇らかに釧路中央地区「九州班」が結成されるのである。
 一人を大切にし、思いやる「真心」に距離は関係ない。直接、行ける、行けないではなく、友の成長を祈る一念がある限り、励ます知恵は無限に湧くものだ。
 ともあれ、相手の幸せを祈っての折伏である。入会そのものは、三世永遠の幸福への入り口といえる。
 先輩の皆様は、かつて自分が面倒をみてもらったように、新入会の方々のよき相談相手となり、自立した信仰者として自行化他の実践に励めるよう、温かく育成していっていただきたい。
6  何事も「最初が肝心」であり、「基本が大事」である。
 スポーツなどでも、最初は基本動作を何度も繰り返し、徹底して体に覚え込ませることから始める。
 基本をいい加減にして、一流になった選手は一人もいないだろう。
 いわんや、信心は、永遠の幸福への大道である。当然基本を正しく身につけることは絶対に不可欠である。
 その信心の基本が、「信・行・学」の実践だ。
 蓮祖は「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」と仰せである。
 御聖訓には、人生にとって、果てしなく晴れやかな勝利と栄光の大道が明確に示されている。この永遠の幸福の道は、広宣流布への「行動」以外にない。
 私たちは、過去の謗法の罪と苦痛とを残らず吹き飛ばし、今こそ、幸福な青春の誓いのごとく、久遠の使命を燃やしながら、悠然たる勝利の楽園に向かって進みゆくのだ。人生の宿命の偉大なる転換を成し遂げながら、新しき不変の幸福へと生活の転機をつくりゆくのだ。
 その根本的な変革がなけれぼ、いかに安楽な休息をとっても、そこには本当の幸福はないのである。
7  わが友よ、愚かな道にしがみつき、怒り苦しみゆく人生であってはならない。
 目標をもたぬ人生はわびしい。やがて、暗闇に入っていくにちがいない。
 断じて地獄の声にだまされてはならない。自らにも、人びとにも喜びを与えゆく人生であれ!
 苦しみを与え合う不幸な人生には、断じてなるな!
 私たちは、今日も、新しき生き生きとした道を歩みゆくのだ。そして新しい友を、新しい兄弟たちを呼びながら、共に力を讃え合いながら、不滅の太陽の光に包まれながら歩むのだ。
 ひとたび、わが胸中に築いた「心の財」は、自分で崩さぬかぎり、誰びとにも壊されはしない。
8  ナチスの迫害のなか『アンネの日記』を残した、アンネ・フランクは書いた。
 「どんな富も失われることがありえます。けれども、心の幸福は、いっときおおいかくされることはあっても、いつかはきっと よみがえってくるはずです」(『アンネの日記』深町真理子訳、文藝春秋)
 ともあれ、先輩の皆様方は、自らの姿で広布に生きる喜びを示しながら、新会員の友を触発し、仲良く進んでいただきたいのである。
 その根本は、”後輩を自分以上の人材に″と祈る慈愛であり、励ましの心である。
9  あの「熱原の法難」では、農民信徒の神四郎、弥五郎、弥六郎の三人の兄弟が、信仰を貫いて殉教した。
 この”広布の鑑″と讃えられる三烈士は、前年に信心を始めたばかりであった。
 信心は年数ではなく、「心」で決まる。”立派な人は常に初年兵の気持ちを失わない″と、ゲーテの言葉にあった。
 さあ、新入会の友を心から励ましながら、そして、先輩はその瑞々しい息吹に学びながら、共々に新出発だ!

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