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日蓮大聖人・池田大作

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新社会人の友に贈る 信用は宝 君よ職場の勝利者たれ

2002.3.29 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
2  新社会人の皆さんに、まず肝に銘じていただきたいことは、「信用こそ力」「信用こそ宝」という一点である。
 今の日本の混乱や迷走を見ても、その根底には、「信用の失墜」という問題がある。政治家しかり、官僚しかり、企業しかりである。
 また、いかに優秀な人であっても、社会のルールを無視したり、おろそかにしては、誰からも信用されない。
 信用という土台があって、初めて、自分の力量も存分に発揮していけるのだ。
 新社会人として、その信用を築くための基本の第一は、”朝に勝つ”ことだ。
 戸田先生は、遅刻には、ことのほか、厳しかった。それは、皆に、日々、リズム正しい健康な生活を確立させるための、厳愛でもあったと思う。
 「一日の出発に当たって、生き生きと清新な気持ちと決意にみなぎっている職場は、発展する」
 「責任者が遅刻したり、多くの社員がだらしなく遅刻を重ねるような職場は、必ず問題を起こし、衰微する」と、先生はよく語られていた。
 特に、新入社員には、「誰よりも早く出勤するぐらいの気概と懸命さを持て」と、厳格に教えておられた。
 私も、先生の会社に勤め始めたころ、毎朝、始業時間の三十分前には出勤し、職場を清掃し、元気いっぱいの挨拶で先輩たちを迎えたものである。
 前夜の学会活動が、どんなに深夜に及んだとしても、戸田先生は、遅刻の理由として認めなかった。「それは、信心利用だ!」と、一喝されたのである。
3  また、第二には、「正確な報告」「緊密な連絡」が大事である。これらは、職場という生命体を支える神経系統といえようか。
 仕事は”情報戦の舞台である。情報が正確か、あいまいか、いいかげんか、嘘か、それが勝負を左右する。
 その職場で、大切な情報の共有化がなされているかどうかも、仕事を遂行していくうえで不可欠である。
 連絡・報告に私情を交えたり、針小棒大な言い方をするのは、判断を狂わせる可能性がある。わが師は、そういう癖のある人には厳しかった。
 先生は、良い報告であれ、悪い報告であれ、迅速・正確な情報を大事にされた。
 そして、報告や話には「要・略・広」の三つがあるのだと教えられた。
 つまり、至急の時は要点を、時間が許されるのなら概略を、さらに説明の必要があれば広く、詳細に──ということである。
 ともあれ、仕事上の情報には、大きな責任がともなうことを、新社会人の皆さんは、絶対に忘れてはならない。
4  戸田先生は、よく「信用できない人間像」について語られた。参考として、さらに幾つか紹介しておきたい。
 「会社にしばしば遅刻する人」「無断欠勤をする人」「退社時間があいまいで、退社時間前から、どこかへ消えてしまう人」
 「金銭的にルーズな人」「生活態度が不真面目な人」。
 さらに、「口がうまい人」「変な、お世辞を使う人」「言葉が真実性を帯びていない人」等である。
 私は、今まで多くの人物を見てきたが、まさに先生のご指摘の通りであった。生活が乱れ、人生を踏み外していった人間は、必ず、こうした傾向性をもっていた。
5  では、いかなる人が信用できるのか──。
 「何事であれ、十年問、変わらずやり切った人間は信用できる」
 これが、戸田先生の持論であった。
 私も、社会に巣立つ友には必ず、「まず十年間、辛抱しながら忍耐強く、基礎を築きなさい」と励ましてきた。
 希望に燃えて就職しても、初めから好きな仕事ができるとはかぎらない。世間の冷たさ、理不尽な現実に愕然としたり、こんなはずではなかった」と苦しむことも少なくないかもしれない。また、上司や同僚との人間関係に悩むこともあろう。
 だからといって、仕事のイロハも覚えないうちに、「自分に合わない」と安易に辞めてしまっては、自分の本当の適性や実力もわからないし、現実の社会を生き抜くこともできない。
 鉄鋼王といわれたカーネギーが、電報配達をしていたころ、仕事は、事務所の掃除から始まった。
 彼は、電報配達の仕事に誇りをもち、この掃除にも真面目に励んだ。
 さらに、好奇心と積極性を発揮し、見よう見まねで通信技術を覚えていった。
 やがて彼は、電信局の通信技手に採用され、一歩、また一歩と、自分の可能性を拡大していったのだ。
 彼は、その下積み時代の事務室を、「若い人にとってすばらしい訓練の場」(『鉄鋼王カーネギー自伝』坂西志保訳、角川文庫)と呼んだ。
 生き生きと脈打つ、この向上心は、百年以上の歳月を超えて、今日の青年にも学ぶところは大きいであろう。
 それは、仕事をお仕着せの義務ではなく、自分の権利としていくチャレンジ精神だ。
 だからこそ、辛い下積みの仕事も、すべて、自己教育と自己飛躍の好機にすることができたqのである。
 「働くことが楽しみなら、暮しはすばらしくなる! 働くことが義務になったら、奴隷ぐらしだよ!」(『どん底』野崎韶夫訳、『世界文学全集』44所収、筑摩書房)とは、ロシアの作家ゴーキリーの名言だ。
 戸田先生も、月給分だけ働けばよいとか、文句を言われない程度にすればよいという受け身的な態度を、最も嫌われた。
 青年であるならば、失敗を恐れず、わが権利として主体的に取り組むことだ。それでこそ、仕事は最高に価値ある人間錬磨の道場となる。
 私自身も、青春の日より、この人生の道を、決然と踏破してきた。
 ともあれ、御書に「みやづか仕官いを法華経とをぼしめせ」と仰せの如く、我らの「信心」は即「生活」である。
 文豪ゲーテは言った。
 「よろとびをもって仕事をし、なしとげた仕事をよろとべる者は幸福である」(「経験と人生」岩崎英二郎訳『ゲーテ全集』13所収、潮出版社)
 またオランダの哲学者スピノザの言葉には、こうある。
 「幸福、真の幸福は、善行それ自身である」(トルストイの『一日一章 人生読本〈10~12月〉』原久一郎訳、社会思想社)
 若き友よ! 今、自分のいる場所で、断じて信頼を勝ち取るのだ!
 諸君が職場に巻き起こす新風で、この社会を明るく活性化させるのだ!
 「職場の勝利者たれ! 人生の勝利者たれ!」と、私は祈り、待っている。

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