Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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未来部育成の聖業 正義の師子の心を赫々と伝えよ

2002.3.22 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

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2  今月、そして四月は、将来のため最も大切な未来部の「希望月間」である。
 未来部が大事だ。これで将来は決まる。
 学会創立百周年を迎える二〇三〇年を担い、世界広布の中核となるのは、まさに今の未来部であることは、まぎれもなき事実である。
 その後継の人材の育成に奮闘してくださる「二十一世紀使命会」の皆様、壮年・婦人部の「育成部長」の皆様、さらに、学生部の「進学推進部」の皆様に、私は心から感謝を捧げたい。
3  未来を担う”後継の子どもたち”を大切にする──それは、遠く釈尊に遡る、尊き仏法の伝統精神であった。(以下、『仏弟子の告白』〈中村元訳、岩波文庫〉を参照)
 実際、釈尊の弟子のなかには、わずか七歳ほどで門弟となった人もいる。
 当時は、今と違って学校制度のない時代であった。釈尊の弟子になること自体、”最高の人間教育の学舎”に入るに等しかったといえるであろう。
 ある日、一人の子どもが大きい湖から、清らかな水を運んでいた。
 その姿を見つめていた釈尊は、高弟の舎利弗に、声をかけた。
 「水瓶を手に、こちらにやってくる子をごらん! 心がよく安定しているよ」
 「振る舞いも見事じゃないか」
 かよわき七歳のその子どもは、わが耳に聞こえてきた、この師の励ましを胸に刻みつけ、生涯、忘れることはなかった。
 また、別の子どもは、釈尊の質問を受けた時、物怖じすることなく、はっきりと答えた。
 釈尊は嬉しそうに言った。
 「今日からは、私に会いたいと思う時は、いつでも会いにおいで!」
 釈尊は、たとえ幼くても、修行を共にする子どもを、一個の人格として尊重し、温かい言葉で激励していったのである。
 この師弟の交流を原点として、子どもたちは成長し、使命を知り、そして深き人生を生き抜く決意をもち始めていったのである。
4  そしてまた、日蓮大聖人の門下で、”未来部”の出身ともいうべき方に、有名な南条時光がいる。
 時光は、幼くして父親を亡くした。この時、大聖人は、鎌倉から墓参に来られ、家族を励ましてくださった。時光七歳のことである。その後、身延に入山された大聖人のもとに、時光が馳せ参じた時、彼は十六歳の若武者となっていた。
 ちょうど今の高等部員の年齢である。その立派な後継の姿を、どれほど蓮祖が喜ばれたことか!
 そして大聖人は、この翌年には、御自身の名代として、日興上人を南条家の激励に派遣された。これを機に、時光は、十歳以上年長の日興上人を兄のごとく慕い、信心の薫陶を受けていったのである。
 ことに日興上人は、時光が地頭をしていた富士方面で、布教の先頭に立たれた。その闘魂の姿は、時光の信心の模範となったにちがいない。
 こうして、少年時代より、大聖人、日興上人と深き縁を結んだ時光は、あの熱原法難をはじめ、数々の激しき苦難を乗り越えながら、広宣流布のための基盤を築き、残していである。
 今、全世界の平和のためには、”二十一世紀の後継である若き南条時光”が、無数に躍り出なければならない。
 それが、御聖訓の御指南であるからだ。
 どうか、先輩たちよ、わが後輩を頼む。
 君の後輩を成長させるには、まず、自分自身が雄々しく前進することだ。勇敢に、課題に挑戦することだ。
 その弛みなき向上の一念を忘れないでいただきたい。
5  思えば、わが家の息子たちは未来部のころ、私が文京の支部長代理を務めた関係もあり、大変、文京の皆様の、お世話になった。
 会合がある時には、長男が弟たちを連れ、大田の小林町の自宅から文京まで、喜々として通っっていったのである。
 「子どもは学会の庭で育てていく」というのが、戸田先生から教えられた、わが家の方針であったからだ。
 とくに、子どもの方向性は、母親によって決まる。母親の信心と、慈愛の声は強い。
 息子たちは、会合に参加しては、皆と勤行し、御書の一節を持読し、時には先輩に促されて、決意などを述べたりもしたようだ。そして、青年部の担当者が語ってくれる「生命とは」「使命とは」「生きる意義とは」等の指導を聞くなかで、学会員として、また人間としての最高最大の誇りと自覚をもっていったのである。
 息子たちは、今でも当時のことを、幕の上がった劇を見るが如く、ありありと、懐かしそうに語っている。
 家庭で、親が子どもに信心の基本を教えることは、当然大切である。
 しかし、学会の組織の温かさや、すばらしさは実際に会合に出たり、先輩や同志と触れ合うなかで、わかっていくものだ。
 そこへつなげるのは、母親の責任である。
 母親の見栄や虚栄ではなく、真実の人生の勝利の誉れ高き人間を創り上げるためには、絶対に「仏法の道」即「平和・文化・教育の道」を歩ませていくべきだ。
 虚栄の母親は必ず、後になって、子どものために苦しむ。私は、たくさんの例を見ている。
 これは、確信をもって申し上げたい遺言の一つだ。
 とくに、全会員から支えられている本部職員、そしてまた、社会的地位を与えられた同志は、わが学会に対して、一層の御恩返しをする決心を守り、一家をあげて戦っていくべきだ。
 これが、「人生の道理」であり、「報恩の道」であることを忘れてはならない。
6  私も、青年部の時代から、会合や会員のお宅に伺った折など、常に”未来部”のメンバーに声をかけることを、心がけてきた。
 親が学会活動で不在がちな家庭の子どもさんには、「いつも、お留守番ありがとう」と語り、中学生や高校生には、「しっかり勉強して、何ものにも負けない自分自身を創るんだよ」等々と励ましてきた。
 その場かぎりではない。
 ひとたび縁を結んだ後継の友は、十年、二十年と、見守ってきた。
 高等部も、中等部も、少年部も、広宣流布の未来を見据え、全部、私が結成した。
 その出身者が、今や国内はもとより、世界中で活躍しておられる。
 文豪ゲーテが言っている。
 「私たちが持って生れた素質の芽生えは、ふだんから手塩にかけていないと、たくましくはならない」(エッカーマン『ゲーテとの対話』下、山下議訳、岩波文庫)
 私もまた、大切な宝である未来部のメンバーを一人でも多く、自ら励まし育てていきたい。
 だからこそ、高等部、中等部の皆さんのために、『青春対話』『希望対話』の連載に精魂を傾けた。少年少女部のために、数多くの創作物語も書いてきた。
 これからも、書き綴っていく決心である。
7  「悪はすべて弱さから生まれる」「強くすれば善良になる」(『エミール』上、今野一雄訳、岩波文庫)
 これは、有名在ルソーの教育小説『エミール』の洞察であった。
 深い暗聞に覆われた時代を変革するためには、強き正義の師子を育てていく以外にない。
 有名な「聖人御難事」には、「師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」と仰せである。
 私は、昨年、「二十一世紀使命会」の気高き友に、「創価後継の太陽たれ」との言葉を贈った。
 この方々こそが、「師子王の心」を、新世紀の若き世代へ、赫々と伝えゆく「勇気の太陽」であるからだ。

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