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日蓮大聖人・池田大作

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「3.16」の大精神 「創価の世紀」を君よ 勝ち抜け!

2002.3.13 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  民衆詩人ホイットマンは、深遠なる眼で歌った。
 「私は過去が偉大であったこと、そして未来が偉大であることを知っている、
 そして両者は不思議にも現在の時間の中で結び合っていることを知っている」(常田四郎訳編『草の葉 抄訳詩集』1、旺文社)
 彼は不朽の詩集『草の葉』のなかに、民衆の偉大さ、人間の尊厳を歌い上げて、百十年前の三月に逝いた。
 「過去」と「未来」と「現在」と――詩人が言う通り、この三つの「時」を偉大ならしめる焦点は、一にかかって「現在」のこの瞬間にある。
 「今」という、かけがえのないこの時こそ、三世を勝ちゆく儀式の時なのだ。
 あの不滅の「3・16」も、「勝利の未来」を開く大儀式であった。初代、二代の会長が築いた栄光史を、永遠なる未来史へと結びつける、不思議な瞬間であった。
2  「広宣流布の記念式典」が行われた一九五八年(昭和三十三年)の三月十六日は、日曜であった。師・戸田城聖先生を求め、早朝、勇んで富士の麓へ集い来た男女青年部は、その数六千人に上った。
 開催が決まったのは急であったが、誰もが勝って迎えた充実感に輝いていた。
 この七年前、師が第二代会長になられた時、青年部はまったく微弱であった。
 それが、会員七十五万世帯達成の見事なる推進力となり、宗教界の王者・創価学会の中核に育った。そして、いよいよ新たな遠征への出陣なりと、熱血に燃えて師のもとに馳せ参じたのである。
 勝利を誓ったならば、必ず勝利の結果を出す。これが、学会青年の闘魂である。
 弘教七十五万世帯は、師弟の誓願であった。それを実現するのが弟子の使命であり、勝利の結実をもって、初めて後継者たりうるのだ。
 もし師弟の誓願が達成できていなければ、「3・16」の式典――あの後継の大儀式は完成されなかった。
 創価学会の師弟が、永遠に継承しゆくものは、「常勝の魂」である。青年部諸君は、この甚深の意義を生命に刻んでもらいたい。
3  私は青年時代、七十五万世帯の大業を断行するために、すべてをなげうち、死身弘法の激戦を重ねた。
 五十年前の蒲田を第一歩として、文京、札幌、大阪、山口、葛飾……と、ただひたすら、わが師の願業成就の日を見つめて戦い抜いた。
 病弱な私にとって、それは死魔との闘争でもあった。
 胸を病み、常に、微熱にもさいなまれた。医師からは、「三十歳まで生きられない」とまで言われた。
 しかし、私の心は決まっていた。いかなる立場であれ、師匠のもとで、広宣流布に命を捧げる決心であった。そのために死期が早まったとて、なんの悔いもなかった。
 ただ一つ、師弟不二の真の弟子の模範を、後世永遠に残したかったのである。
 戸田先生は、私が胸に秘めた覚悟を見抜かれていた。
 「お前は死のうとしている。俺に、命をくれようとしている。それは困る。お前は生き抜け。断じて生き抜け! 俺の命と交換するんだ」
 私が、今日まで生死の境をくぐり、激戦を勝ち越えてこられたのは、すべて師匠からいただいた、この尊き命のお陰と確信する。
 先生が分け与えてくださった命の時間である。一瞬、一秒たりとも、決して無駄にはできなかった。
 何があろうとも、私が先生のご構想を実現する! わが生命の炎が燃え尽きる、その瞬間まで戦い抜く!
 これが、私の生涯の使命と決めている。
 「教訓によって善に導くことは難かしい。が実例を示せば容易である」(『一日一章 人生読本〈10~12月〉』原久一郎訳、社会思想社)とは、ローマの哲人セネカの名言である。
 ともあれ、一人立つ、私の必死の姿が、同じ志を抱き、同じ師を戴く、青年同志の心を打ち、偉業達成への執念は燃え上がった。
 この青年の快進撃は、全国へと広がり、戸田先生の会長就任七年目の十二月、見事、七十五万の願業は成就されたのである。
4  「3・16」のあの日、予定されていた、時の首相の参列は見送られた。それでも青年たちは、師と共にあって意気軒昂であった。
 先生は、「大きすぎる」と叱咤された車駕にも、お乗りくださった。衰弱された師のために、弟子が真心で作った乗り物であった。
 その車駕の上から、愛する青年たちへ視線を注ぐ先生の姿が、私の瞼に焼き付いて、今も離れない。
 戸田先生のお顔は満足げな様子であった。
 白雪の不死の山、秀峰富士が大儀式を見守っていた。
 しかし、先生の今世の命は終末に近づいていた。
 私は一人、嵐を胸奥に感じながら、一心不乱に行事の一切を取り仕切った。
 大半の弟子は、師匠の死のことなど考えも及ばず、先生の姿に触れて喜んでいた。
 先生は、体は弱りながらも、「創価学会は宗教界の王者なり」と宣言された如く、心奥には師子奮迅の大力が横溢しておられた。
 「広宣流布の大闘争心」という正義の印綬が、師から弟子へ、寸分違わず、伝持されゆくことを確信されていたのである。
 時あたかも、新たな生命が輝き出す春であった。
 「死の終った瞬間に生命は現れる。
 凡ては向上し、何にも滅びるものはない。
 死ぬということは世人の想像と異なり、もっと幸福なものだ」(『世界の詩27 ホイットマン詩集』白鳥省吾訳、彌生書房)
 これは、かの詩人ホイットマンの言葉である。
 戸田先生も、後継の青年を前に、絶対の幸福境涯のなか、最期の日々を過ごされたと、私は信ずる。
5  師亡きあと、今日まで生き抜いた私は、十倍、百倍、千倍の大闘争で、創価の勝利の大輪を、あの地、この地に、咲かせゆく責務がある。
 師匠が示された広布の大道を、地球の隅々にまで開き、広げていく使命がある。
 この世界を包み、伸びゆく正義の大道を、今度は新世紀の青年部が走り抜くことを、私は念願してやまない。
 イタリアの革命家マッツィーニは言った。
 「われわれに必要なもの、民衆に必要なもの、われわれの時代が沈湎しているこの利己と懐疑と否定の泥沼から脱出すべき血路を見出さんがために欲し求めているところのもの、――それは信仰だ」(前掲『一日一章 人生読本〈10~12月〉』)
 若き君たちよ、「信心の英雄」として、鋼の如く自身を鍛え抜くのだ!
 〝広布の模擬試験″から、四十四年。今や試験的段階は完全に終わった。
 「創価の世紀」の、広布の本舞台が始まったのだ。私には、青年部、未来部の諸君を頼みにするしかない。
 蓮祖は、広宣流布のために戦う弟子を、「法華経の命を継ぐ人」なりと、その勝利と栄光を懸命に祈られた。
 私の思いも、まったく同じである。「広宣流布の魂のバトン」を受け継ぐのは、君たちしかいないのだ。
 わが命の分身たる弟子たちよ、生きて生きて、生き抜き、勝ち抜け!
 最強にして、極善の青年城の構築を、断固、頼む! 

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