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日蓮大聖人・池田大作

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栄光の大関西五十年 永遠なれ 常勝の師弟城

2002.2.24 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

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1  「宗教を持たない人間、すなわち、宇宙に対する何らかの態度を持たない人間などというものは、心臓を持たない人間と同じく、まったくあり得ない存在である。
 人間は自分の身内に心臓が存在することを知らずにいられる。が、心臓を欠ける場合と同じく、宗教を欠ける場合にもまた、人間は存在し得ないのだ」(『一日一章 人生読本〈1~3月〉』原久一郎訳、社会思想社)
 世界の大文豪トルストイのとの言葉は、今日の人類に対する厳しきメッセージであると、私は思っている。
 若き目、私は決意した。
 わが関西から、無数の「信心の王者」「広宣流布の闘士」の大人材を輩出するのだ!
 そのために、私は、関西にあって、「御書」を根本に、徹底して、民衆を救う仏法の真髄を訴え抜いた。
 あの歴史に残る、一九五六年(昭和三十一年)の「大阪の大法戦」は誠に懐かしい。
 ことに、早朝の御書講義を機軸として、すべての戦いに勝利し、不可能を可能にする信心の指針が、日蓮仏法にあることを説いていった。
 同志にとって、仏法とは、宿命をも使命に変える「宿命転換の哲学」であった。
 自分が変われば世界が変わることを教える「人間革命の哲学」であった。
 虐げられ続けた民衆が、厳然と立ち上がり、自分自身の、この世の深くして偉大な使命に目覚めたのであった。
 さらに、仏法は、社会に赫々と正義を打ち立てゆく「立正安国の哲学」であった。
 関西の友は、この哲学の実践に走りに走ったのだ。
 誰かが病気と聞けば、飛んで行き、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」との御文を引いて、病魔に負けるなと激励する。
 仕事で悩む人がいれば、「みやづか仕官いを法華経とをぼしめせ」と、信心即生活の真剣勝負を訴える。
 ”今が正念場”という人がいれば、「ひとえに思い切るべし」と腹を決めさせる……。
 似非インテリの、知ったかぶりの教学ではない。
 関西の同志は、この仏法の哲学を血肉とし、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」と、骨身に叩き込んできたのである。
 「すごい信心や!」
 「本気で戦いまっせ!」
 無名の、偉大なる力を持つ庶民たちの、この確信と喜びが、爆発的な自発能動の行動を生んだ。
 「行学の二道」が絶妙に相まって、正法正義の信心の大歓喜の渦が巻き起こった。
 関西の勝利は、その歓喜の力から築き上げられた。そしてまた、それは歴史を動かす瞬間となった。
 この勇気と忍耐の行動のなかに、無限の力の信心の眼は磨かれ、私と共に、いかなる迫害にも揺るがぬ同志の団結が生まれていった。
 あの大阪事件──一九五七年(昭和三十二年)の七月三日、私が無実の選挙違反の容疑で逮捕・勾留された冤罪事件でも、関西は微動だにしなかった。
 権力の魔性は、正義の拡大を恐れ、ありもしない「世間の失」を作り、迫害する。
 関西の同志は、その事件の本質を鋭く見抜き、口々に決意を新たにしていた。
 文豪ユゴーの信念の通り、権力がしばしば民衆を欺くことを、そして「裏切ることは悪である」(「小人ナポレオン」本間武彦訳、『ユーゴー全集』10所収、ユーゴー全集刊行会)と喝破した箴言を、彼らは本然的に知り抜いていた。
 「御書にも『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る』とあるのは、これなんやな。負けられへんな!」
 「『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』やで。今こそ勇気や、戦う時や!」
 そこには、「長い物には巻かれろ」といった、あの庶民の処世術とはまったく異質の、強靭な我が生命の力と大宇宙の力とが合体呼吸しゆく、大哲学の鼓動が高まっていったのである。
2  私が大阪拘置所を出所したのは、七月十七日であった
 私は、その日、勇み立って、中之島の大公会堂での”勝利大会”で、関西の同志と共に喜び、新たなる決意を誓い合った。
 そこに駆け付けてくださった方々の、誠実なる真正の同志の振る舞いを、私は永久に忘れない。
 その真心に対して、一生涯かけて御恩返しをしたいと、感謝し、決意している。
3  大阪事件の勝負は、法廷に移った。
 しかし、国家権力が相手の戦いである。状況は、極めて厳しかった。
 勝利のご報告もできぬまま恩師は亡くなり、やがて私は第三代会長に就いた。
 判決の一年ほど前、担当の弁護士たちは、「あなたは有罪です。そのつもりでいてください」と言い放った。
 有罪となれば、当然、会長の辞任を余儀なくされ、学会に大きな傷を残してしまう。師の正義を、仏法の正義を守り抜くには、断じて勝利する以外にない。
 孤立無援を感じつつ、私は師に誓うかのように言った。
 「私は潔白です。絶対に無罪を勝ち取ってみせます!」
 私は、法廷でも、私を陥れようとした検察側の嘘をば、厳しく打ち破った。
 一人の検事が見てきたように言い出した。
 ──被告が拘置所を出所する日、学会員が検察庁の廊下が真っ黒になるほど大勢押し寄せた。それを、被告が一言命令したら、あっという間に解散した、云々。
 驚くべき事実無根の作り話である。
 では、私が命令したというのは、どの場所か。何人ぐらいの人がいたのか。
 虚言というものは、いつも、もっともらしく言い放っても、そこには具体性が欠け、つじつまが合わなくなり、最後は、その嘘が暴かれてしまうものだ。
 私の質問に検事が口ごもってしまった。私は言った。
 「それは錯覚か、それとも嘘ではありませんか!」
 真実こそ最大の武器だ。
 正義の声こそ、邪悪を打ち破る宝剣だ。
4  今も、陰険な日顕一派らがデマを流し、また、彼らと結託した輩が雑誌等に担造記事を書いている。
 妬みに狂って、私を陥れようとする陰謀であることは、誰が見ても明らかだ。
 ともあれ、ある高名な法曹家が言われた。
 事件は、「いつ」「どこで」「誰が」という証拠の鉄則が大事なのである。
 「その時聞は、何月何日、何時なのか」
 「どういう場所なのか」
 「いったい、誰が見たのか」
 この根本の原則が、まったく抽象的かつ暖昧で、具体的に書かれていない。どこから見ても作り話であることは明確である、と。
 大聖人は「報思抄」で、邪な坊主らの悪辣な嘘に対して、「何れの月・何れの日・何れの夜の何れの時に」という客観的な証拠を示せないものは、ことごとく大妄語であると、痛烈に破折なされている。
5  四十年前の一九六二年(昭和三十七年)の一月二十五日。
 第八十四回となる公判が、判決の日であった。
 私に対する判決の主文を読む裁判長の声が、静まりかえった法廷に響いた。
 「……池田大作は無罪!」
 勝った! 正義の旗は晴れやかに翻った。
 「裁判長は必ずわかってくれるはずだ」との、戸田先生の確信の通りとなった。
 師弟の勝利、わが同志との共戦の勝利であった。
 思えば、あの四年半の間、公判のために幾たびも、幾たびも関西に足を運んだ。
 師が最後の陣頭指揮をとられていた一九五八年(昭和三十三年)の三月にも、断腸の思いで出廷しなければならなかった。
 しかし、私は、この魔性との攻防戦のなかで、時間をこじ開けては、友の激励に心血を注ぎ続けた。
 広宣流布の途上に、おいて、難が競い起こるは、御聖訓に照らして必定である。
 釈尊も難を受けた。
 天台も難を受けた。
 大聖人の大難は御存じの通りだ。
 ゆえに、受難こそ誉れであり、受難の地こそ仏国土として光り輝くのだ。
 これが、広宣流布の真の使命者の証なのである。
 ともあれ、仏法は勝負だ。
 断じて勝つことが、関西の魂だ
 ああ、常勝の大関西!
 ここに、師弟の正義の大城あり!
 ここに、民衆勝利の永遠の都あり!
 栄光燦たる、大関西五十年の大叙事詩は、千年、万年後までも謳われ、そして物語となって語り継がれていくであろう。
6  「諸国民の生活における主要にして最大の変化は、彼らの信仰の変化である」(前掲『一日一章 人生読本〈1~3月〉』)
 この言葉もまた、二十一世紀の人間たちに遺言の如く贈られた、トルストイのメッセージである。

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