Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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模範の天地・静岡 富士の如く 烈風に厳たり

2002.1.24 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

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1  「富士のごとく悠然と!」
 ゴルバチョフ元ソ連大統領との対談でも、大いに語り合った人生観である。
 いかなる烈耐にあっても、富士のごとく悠然と、「不動の自己」をもって、信じ合える友と一緒に生き抜くことだ。
 モスクワの氏のオフィスの賓客室には、私が撮った富士の写真が、友情の象徴として掛けられている。
 牧口初代会長も、富士の大らかさを愛しておられた。
 若き日の大著『人生地理学』では、惜しみなく四面に美景を広げ、遠く離れた人びとの心にも荘厳な感動を贈る山の力に、着目されていた。
 ところで、この『人生地理学』においては、特別の聖地への参詣を必要とするような宗教には、疑問が投げかけられている。
 「発達した人民は、必ずしも宗教の起源地、その他の霊地を参詣せずとも、内心の信仰によって、その宗教心を満足させることができる」
 まったく納得のいく論理である。
 日蓮仏法では「我らが居住して、この妙法を修行する場所は、いずこであっても、常寂光の都となるであろう」(御書一三四三ページ、通解)と説かれている。
 妙法とは、誰でも、いつでも、どこでも、差別なく平等に体得できる、開かれた永遠普遍の生命の法理である。
 閉ざされた一山寺の愚昧な坊主が、独り占めできるようなものであるわけがない。
 私と対談集を発刊した、オックスフォード大学のウィルソン博士(国際宗教社会学会の元会長)も指摘された。
 ”特定の場所に行かねばならぬという宗教は、世界宗教にはなりえない。すべての国の人びとが、自分の生活の場で実践できる宗教でなければ、世界宗教とはいえない”と言っておられる。
 今、時来りて、大聖人が、一閻浮提広宣流布への大道を広々と開いてくださった。
 時代錯誤の宗門の鉄鎖から解き放たれて、この十年、創価学会は、百十五から百八十の国や地域へ、仏教史上、未聞の大発展を成し遂げた。
 思えば牧口先生が、弾圧の魔手が迫るなか、最後に足を運ばれたのは、静岡であった。国家神道に迎合し、神札を受けた大謗法の法主を呵責し、さらにまた、蓮祖の法難の伊豆の天地へ、富士を仰ぎながら、折伏に向かわれたのである。
 これが、我ら創価の誉れの師父であられた。
2  本年は、創価学会が『日蓮大聖人御書全集』を発刊してから五十年の節目である。
 駿河国(静岡県中央部)に住む門下に与えられた「三沢抄」に、次のように示されている。
 広宣流布が進展すると、第六天の魔王は眷属に命令する。
 「各々の能力にしたがって、法華経の行者を悩ましてみよ。それで駄目だったならば、彼の弟子檀那や国土の人びとの心に入り込み、脅してみよ」(御書一四八七ページ、趣意)
 さらに「魔王自身が国主の身と心に入り込んで脅してみれば、どうして信心を止めさせられないことがあろう」(御書一四八八ページ、趣意)と謀議を巡らすというのだ。
 特に静岡は、大聖人の在世から、その法戦場であった。この地は、北条一族の直轄地でもあり、蓮祖への憎悪や怨嫉が渦巻いていたのである。
 その渦中にある在家の門下の身を案ずるゆえに、大聖人さえ立ち寄ることを控えざるをえなかたのが、なかんずく、富士地方の一帯であった。
 大聖人を敵視する悪逆の坊主どもが多くいたからだ。
 その最も激戦の地で戦う若き南条時光には、反逆の輩を弾呵されながら、こう仰せである。
 「日蓮の弟子の少輔房といい、能登房といい、また、名越の尼などという者どもは、欲深く、心は臆病で、愚痴でありながら、しかも智者と名乗っていた連中であった。そして、事が起こった時に、機会を得て多くの人を退転させたのである。
 殿(南条時光)までも攻め落とされるならば、駿河の国で少々信じているような者も、また信じようと思っている人も、皆、法華経を捨てるであろう」(御書一五三九ページ、趣意)
 今でいえば、学会を退転した不知恩の幹部、誇り高き議員として育ててもらった大恩をば忘れ、愚劣にも偉くなったと錯覚して退転反逆した政治家どもと同じ方程式だ。
 わが師・戸田会長は、「佐渡御書」の講義で断言なされた。
 ──釈尊に敵対した六師外道どもは大聖人在世に大悪僧となり、その末流の極悪の坊主どもが、日蓮正宗の中に出現するであろう。
 その予見通りになった。日顕一派の狂態ぶりを見れば明瞭なことだ。
 戸田会長は、今日を見通していた。まったく正しい先見の指導者であった。
 「追撃の手を緩めるな!」とは、先生の最後の遺言である。
3  思知らずの坊主ども、不知恩の元政治家ども、そして元幹部どもなどに、崇高な学会を乱されてたまるものか。
 断じて、これらの凶悪な天魔の連中に騙されてはならない。断じて、裏切り者に誑かされてはならない。卑怯な反逆者たちに臆してはならない。
 我らの世界一の和合僧の学会から、そうした輩を叩き出すのだ。真っ向から教訓し、断固として増上慢を破っていき給え。
 ──これが思師の厳命であった。
 本年も、わが静岡の同志は「模範の天地へ! 広布驀進の静岡!」をスローガンに掲げ、大前進を続けている。
 富土宮をはじめ、破邪顕正の言論戦もめざましい。「聖教新聞」の拡大も見事である。
 「模範の天地」には、常に活発な対話の座談会がある。
 一九六八年(昭和四十三年)九月の本部幹部会で、私は”戦う座談会”こそ、学会の伝統であることを再確認した。
 そして、私自身が真っ先に参加したのが、他ならぬ静岡の富士宮の座談会であった。
 十月十二日、会場を提供してくださっている地区部長に厚く御礼を述べ、納屋を改造した。約三十畳の部屋にお邪魔した。百人ほどの参加者の熱気が満ちていた。
 家族が信心に反対しているという女性から質問があった。
 私も入会当初は反対されたが、今では御本尊の力によって、家族の皆が福運に包まれて、生き生きとした人生を送っていると語り、一人が信心に奮い立てば、全家族を救うことができると断言した。
 名古屋からも、一人の壮年の新来者が見えていた。
 「宗教とは、わかりやすく言えば、何でしょうか?」
 私は、質問に感謝しながら、お答えした。
 「一口で言えば、『生活の根本法』です。宗教は、その信仰を持っている人の生活や行動に現れる法則です。
 ゆえに充実した人生を歩むために、福運を積みゆく人生を勝ち取るために、絶対に人間として必要な大法則の宗教を持つべきです。
 ともあれ、キリストも、マホメットも、そして釈尊等も、人類の幸福の実現のために、立ち上がったのではないでしょうか」
 頬を紅潮させた、この壮年を含め、六人の方が入会されたと記憶する。
4  一九八〇年(昭和五十五年)春の四月、中国作家協会の巴金先生を、青年と共に、熱海の静岡研修道場に、お迎えした。
 以来、上海のご自宅にもお招きいただくなど、対話は四回に及んだ。文化大革命の十年間の顛難も伺った。
 正義なればこそ、先生は悪逆の「四人組」によって文芸界から追放された。何千枚もの誹謗の大字報(壁新聞)を書き立てられ、最愛の夫人を死に追いやられたのである。
 その一切を、先生は「真理は常に悪に勝つ」と、巌窟王のごとく耐え抜かれた。
 野蛮が文明を征服するような大災厄を、絶対に次世代に持ち越してはならないからだ。
 そして、完壁に勝たれた。
 「私は四人組』の滅亡を見届けた。うそをでっち上げ、うそで人をだまし、うそで自分自身までだましたが、ついに、うそがあばかれ、全国人民に唾棄されるところまで見届けた」(「十年一夢」石上韶訳、『真話集』所収、筑摩書房)
 この巴金先生の魂の獅子吼を、大切な静岡の青年部に贈りたい。
 「青春は無限に美しい」
 「私は信じる──一切の封建制の害毒はすべて若者の手で徹底的に反撃消滅されるに違いない! と」(『無題集』石上韶訳、筑摩書房)とも、巴金先生は力強く綴られた。

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