Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

春呼ぶ岡山の躍進 正義の勝利へ勇者は立ちたり

2001.1.21 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  仏法は「宇宙究極の法」である。
 ゆえに、その信心は「最極の正義」であり、「賢者の大道」である。
 そしてまた「金剛の勇気」であり、「和楽の根源」である。
 ゆえに、大仏法の信心のある人は「生命の宝冠」を勝ち取った人生となる。
 いわゆる、その道の学問の専門家であっても、この深遠な大仏法を探究するという次元にあっては、誰人も初歩である。
 有名な学者が、社会的に偉いという錯覚から、未だ究めていない仏法を下に見たり、何もわからずに、秀才ぶった浅薄な非難をすることは、根本的に誤りである。
 自身の学び究めた道は、その道として尊い。だが、永遠不滅の大法であり、人間学の真髄ともいえる仏法を学ぶ心は、初心者としての謙虚な求道の精神がなければならない。
 仏法は道理である。ゆえに仏法を知ろうとせず、倣慢にその道理に反することは、愚人であり、増上慢である。その人は、根本的な人間としての偉さは、一つもないことになるだろう。
2  それは、今から四十年前の春のことであった。
 中国の各県は炎のごとく燃えていた。
 「連続日本一の折伏、万歳!」
 四月、そして、さらに五月と、中国の総支部は、広宣流布の全国制覇を成し遂げたのである。三百万世帯の実現をめざして、前進そして躍進を続けるわが創価学会の、大飛躍となる歴史であった。
 そのドラマの発火点こそ、わが決意の炎が燃え立つ岡山であった。
 一九六二年(昭和三十七年)の春来る三月、私は大好きであった、遁かなる岡山の小さな城(会館)で「種種御振舞御書」を講義し、仏法の正義を訴えた。
 「千秋の人生、万歳! そして、千秋の人生もまた、万歳!」との思いを込めて、真剣に日蓮大聖人の御書を訴え続けた。
 「正しい仏法に生き、正しい仏法を弘め、自分も永遠の幸福という人生の目的に生き、人びとをも救いきっていく学会活動に生きることが、最高に幸せな人生です」
 皆様も真剣に聞いてくださり、私も真剣であった。そして終わりに、片手をあげながら、私は「戦いましょう!」と叫んだ。すると、わが岡山の友らからも、一斉に「戦いましょう! 勝ちましょう!」と、元気な芦が跳ね返ってきた。
 当時、私は三十四歳。そして、会長就任二周年が目前であった
 皆が生き生きとしていた。こんなにすばらしい人間の集いが、世界のどこにあろうかと思わせる春であった。
 「やります! 断じて戦います! 一度、口にしたことは、絶対にやり遂げます」と、岡山の人びとは、瞳を輝かせながら、決然と言い切っておられた。
 広布大業の波は、日本中、あの地との地で、盛大な広がりであった。私は嬉しかった。
 否、宗祖・大聖人のお喜びはいかばかりか。
 そして、その仏法の広宣流布に殉教なされた牧口先生、また、戸田先生のお喜びも、目に浮かぶようであった。
 師も喜び、弟子も喜ぶ。ここに「師弟不二」があるからだ。
 以来、岡山を先頭に、中国全県の勇気ある同志は、火の玉となって、勝利へ拡大の怒涛の前進を、堂々と開始したのであった。
 猛烈に……真剣であった総支部長(初代岡山支部長)も、忘れることはできない。
3  本年の一月二十日には、六十九町村(香川の直島町を含む)の代表者が集まられた。その数、千三百人!──。
 そして「岡山旭日町村サミット」が盛大に開催された
 この有名在地域広布のサミットは、今回で六回目となったのである。
 とれを、毎年、前進の年輪としながら、わが町、わが村の繁栄のために智慧を出しながら、力強く基盤を築き上げてきたのであった。この堅実在努力が次第に実を結び、わが地域を守らんとする真心の献身は、大いなる希望となり、勝利の華を咲かせていくにちがいない。
 今では、上斎原村、東粟倉村、中和村、勝田町、直島町、西粟倉村、神郷町、湯原町、加茂村、大原村など多くの町村で、実に見事なる地域広布の実証が示されている。
 「広布のモデルは岡山にあり!」と、私は叫びたい。
4  地域の広宣流布を推進するうえで、第一に重要なことは、いつも常識を重んずることだ。
 隣近所を、絶対に大切にすることだ。
 そして自分の魂は、「我こそが、この自身の生き抜く大事な地域の広宣流布の全責任を担い、主役となって戦ってみせる!」との決意に立つことだ。
 いつまでも、人に頼る心では、自身の向上も、戦いの勝利も栄光も、絶対につかめない。
 「一人立つ」ことだ。
 「一人立つ」ことは、「千人万人を立たせる」ことだ。
 一人立つ「一念」こそが、一切の勝利の根源となり、宝になり、そして武器になることを忘れてはならない。
 今日まで、折伏戦も、広布の戦いも、どこの地域にあっても、最初から楽々と進んできたことは、決してなかった。
 むしろ、旧習の厚い壁に阻まれ、非難中傷の飛礫を浴びてきた所ばかりである。
 そこで、あきらめるか、執念をもって勝利への道を、耐えながら戦い歩みゆくかだ。やはり、分かれ道は、自分自身の「一念」だ。
 いかなる社会の事業もまた同じだ。
 また、一口に「地域広布」と言っても、都会、農村、漁村、山間部など、その環境はさまざまである。
 大聖人は、「国をるべし・国に随つて人の心不定なり」と仰せである。
 それぞれの地域の個性と複雑性をよく認識して、どうすれば、その地域の人びとの「平和」と「幸福」と「友情」に貢献していけるかを第一義としていくべきだ。
5  岡山からは、陰険で愚劣な反逆者も出た。
 戸田先生は、よく言われた。
 「学会は清浄な世界である。これが仏法の世界であり、心の世界だ。
 広布破壊の反逆者は叩き出せ!」と
 尊極の世界を撹乱しようとする悪党に対しては、先生は、烈火のごとく厳しく戦われた。
 その極悪の魂を叩き伏せるごとく、容赦なく弾呵された。
 そして常に、皆に、「裏切り者、不知恩の者と戦うのが、仏法の慈悲だ。
 わが学会は、宇宙最極の和楽の世界である。
 決して、魔に崩されてはならない。
 厳然と、わが崇高なる学会に、一人たりとも魔を寄せ付けるな!
 これは、私の厳格なる遺言である」と語られた。
 牧口先生も言われた。
 「悪と戦い抜くことは、善である。悪と戦わぬ善はない」
 これが、学会精神であり、岡山の闘魂である。
6  信心は「英知の利剣」であり、「平和の大道」であり、「無上の幸福学」であることを忘れまい。さらにまた、信心は「正義の太陽」であり、「忍耐の大力」であり、「智慧の宝蔵」であることを忘れまい。
 信心は、水遠に「精神の宝」であり、「人間の光源」である。そしてまた「生命の翼」である。広布に進む、勇気ある同志の勝利」と「栄光」を、今日も、私は真剣に祈りたい。

1
1