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日蓮大聖人・池田大作

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先駆こそ九州の誉れ 広布誓願に進め! 栄光の旗

2002.1.17 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

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1  「今日、肝心なのは何か? 戦うことです。明日、肝心なのは何か? 勝利することです」(『言行録』稲垣直樹訳、『ヴイクトル・ユゴー文学館』9所収、潮出版社)
 これは、二月に、生誕二百周年を迎えるフランスの文豪ユゴーの言葉である。
 広宣流布の道も、わが人生の道もまた、連続闘争である。そして、連続勝利によってのみ開かれ、荘厳されていくのである。
 その果敢なる闘争によって、二十一世紀の主役である青年部を先頭に、弘教日本の大九州城が、今、我らの眼前に堂々と出現したのである。
 本年、「対話拡大の年」は、わが師・戸田先生が初めて九州の天地に、その巨歩の歴史を印されてから、満五十年となる。
 一九五くやめ二年(昭和二十七年)八月十九日、先生は、終戦後、初めての本格的な夏季地方折伏のために、九州・福岡の八女に飛んだ。
 この八月、私は、大阪の地で、先生と共に戦わせていただいた。
 引き続き先生は、飛行機で、同行の幹部と九州に向かわれたのである。
 何度も、先生は、「大阪を頼むよ」「大阪を頼むよ」とご機嫌よく言われていた。
 福岡の八女は、初代会長・牧口先生が、九州広布の原点を刻んだ、縁深き天地である。
 しかし、あの戦争の時の弾圧で、組織は多大な打撃を受けた。
 さらに、第二代会長・戸田先生が八女を訪問する前年には、宗門の陰険な画策によって、この地の広布の若芽は、無残にも踏みつけられてしまった。
 それは戦時中、学会を陥れた首謀者の小笠原某という坊主が、九州に現れ、またも邪義を弄して正義の学会員を苦しめたのだ。
 こうした性懲りもない悪事に怒り、青年部が悪僧を糾弾したのが、有名な”狸祭り事件”である。
 坊主という絶対の権力で、純粋な信徒を見下し、翻弄する、あの化け物のごとき虚像に対して、私たちは、青年として、断じて許すことはできなかった。
2  五十年前のあの夏、九州広布の原点の地に立つ、戸田先生の胸中には、極悪の魔性を断破する決意の炎が、赤々と燃え上がっていた。
 ”九州よ、断じて、正義と立ち上がれ! 義の剣をもって戦い抜け! 断じて負けるな! 何ものをも恐れるな!”と。
 師匠を迎える九州の同志も意気盛んであった。この八女の地は、いまだ三十世帯ほどの勢力であったが、皆が意気軒昂に戸田会長を迎えた。
 戸田先生を講師に行う講演会の開催を知らせるビラには、確信と決意の文字が躍っていた。
 「来れ! 人生問題に迷う人びとよ」
 「知れ! 百発百中の実証証明あり」
 「掴め! 祈りとして叶わざるの仏法あり」
 皆のビラまきの奮戦の功もあって、対話と弘教の炎は大いに燃え広がり、この夏、五十数世帯の同志が誕生した。
 九州は見事に立ち上がった。真剣に立ち上がった。
 翌年の三月にも、戸田先生は九州の指導に走った。
 拡大戦に勝利の確証をつかんだ弟子たちの健闘を讃え、ここで、九州に初めての支部旗が授与された。
 それは”火の国”の先駆者である同志たちが、敢然とあらゆる非難中傷を乗り越えて、大法流布の旗を高らかに掲げながら、永遠の勝利の誓いを込めて、新出発した瞬間であった。
3  さらに戸田先生は、今から四十五年前の一九五七年(昭和三十二年)の十月、九州総支部結成大会で”九州男児よろしく頼む!”と遺言した。
 そして、”東洋の広布を頼む”とまで、九州の同志に託された。
 まさに九州の使命は「先駆」である。
 大聖人は仰せである。
 「妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり
 広宣流布の大誓願を起として一人立たれた、蓮祖のこの戦いこそが、「先駆」の源流であった。
 日蓮仏法は、広宣流布の宗教であり、仏法である。御書は、単に自分の幸福のみを願うような利己的で、閉鎖的な教典では絶対にない。
 自行と化他にわたる峻厳なる行動を説き、自他共の幸福を、さらに社会と世界に、平和と繁栄を実現するための、生きた力強き人間主義、平和主義の大宗教なのである。
 そして大聖人が志向され、命じられた広宣流布への実践のなかにのみ、自分自身の境涯革命ができ、人間革命ができるというのだ。すなわち、仏になることができると断言なされたのだ。
 ともあれ、ここにのみ、人間のもつ、不幸という業の宿命の転換があり、唯一にして絶対的な幸福の法道が開けるというのだ。
4  ゆえに、戸田先生は、第二代会長の就任の折に、七十五万世帯の達成という誓願を、決意深く立てられた。
 それは、命をなげうっての仏への誓いの宣言であった。
 当時の学会員は約三千人。皆、七十五万世帯という数に驚くばかりで、誰も本気にはしなかった。
 なぜか、この重大発表は、「聖教新聞」にさえも報道されなかった。
 実現できなければ戸田先生の恥と考えてのことか。だが、それこそが、機関紙として歴史的な恥辱となったのである。
 この時の編集長は、組織で九州の担当にもつき、戸田先生の一番弟子であるかのように振る舞いながら、後年、無残にも退転し、学会に反逆していった石田某である。
 結局、彼は、利口面しながら、日蓮仏法の本義も、戸田先生の御決意も、全くわからなかったのだ。
 先生は、会長就任から問もないある日、私を抱きしめるようにして言われた。
 「君さえいればよい! 君が頑張ってくれればよい!」
 師弟共に、熱い涙が光っていた。
 私は、この七十五万世帯は、全生命を賭けて、自分が成し遂げると決意した。
 ”もし、成就できなければ、先生は「嘘つき」と、永遠に言われる。
 師匠に汚名を着せることは断じてできない”
 それは、弟子として、師を裏切り、仏法を裏切り、自分自身を裏切りゆく畜生にも似た忘恩の人間として終わってしまうからだ。
 若き”伸一!は、決然と立ち上がった。
 意気地なしの先輩にも、利口ぶった、学問ありげな連中にも、そしてまた、社会的地位のある戸田先生の弟子たちにもいっさい構わず、超然とした決意で、師弟不二の戦いを断行していった。
 師の広宣流布の大誓願を分かち持ち、勝って、勝って、勝ち抜いていくなかに、仏法の真実の師弟がある。
5  また、九州には、純粋な皆の力で国会議員にまでなりながら、反逆し、同志を苦しめ抜いた元議員もいた。
 戸田先生がおられれば、嘘をつき、わがまま放題の悪事をした議員を、烈火のごとく「この恩知らず! 畜生め!」と言って、問責されたであろう。
 また、その怒りは、生涯にわたって消えることはなかったであろう。
 正義の人は、悪に対して、あまりにも厳しき戦いをするゆえに、この正義はいや増して光る。
 ともあれ、仏法とは、難即悟達である。
 ベートーベンが、「第九」で高らかに謡いあげたY[苦悩を突き抜けて歓喜に至る」との至高の魂も、この仏法の深き真理に通じている。
 挑戦のなかにこそ、前進がある。
 苦闘のなかにここそ、成長がある。
 不屈の闘争のなかにこそ、人間としての勝利の真髄が光る。
 ゆえに正義は、悪とは断じて妥協してはならない。断じて戦い勝たねばならない。
 その先駆の「栄光の旗」を、その勝利の不滅の歴史を輝かせ継承しゆくのが、永遠に九州の大使命であると、私は、深く信じてやまない。
6  二十一世紀の新しき建設は、堂々と開始された。
 ユゴーは綴っている。
 「三つの問題がここにある──
 何うぃ建設するか。
 何処に建設するか。
 我ら等は答える──
 民衆を建設するのである。
 進歩のうちに建設するのである。
 光明に依って建設するのである」(『シェイクスピーア』本間武彦訳、『ユーゴー全集』12所収、ユーゴー全集刊行会)
 我らは、我らの光輝満つ人間主義の新世紀を建設する。その前人未到の大業こそが、我らの”誉れの使命”であるからだ。

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