Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

新世紀の理想郷・岩手 心も天地も日本第一!

2002.1.15 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  「本物の一人の青年が立ち上がれば、広宣流布は必ずできる!」
 戸田先生の忘れ得ぬ言葉である。
 私は十九歳で、信仰の道に身を投じた。
 戸田先生の青年への訓練は峻厳であった。それは、若人へ託す心が大きい証左であった。
 私も今、師と同じ心である。青年にすべてを託す。との思いで戦っている。
2  この新しい「青年創価学会」──その歴史を、先頭で切り開くのが、岩手の友である。
 昨年十二月、「平和の理想郷(イーハトーブ)へ、完勝の大前進!」をテーマに、青年文化総会が行われた。
 県都・盛岡市の会場には、青年部の精鋭二千七百人が集った。
 それぞれの使命の舞台で勝利した”正義の若き英雄”たちである。皆、喜々として、広宣の拡大の決意に沸いていた。
 二十一世紀の岩手の大勝利を決定する、後継の尊き儀式となった。
 完勝」──それは、負けない自分を鍛え上げようとする心から生まれる。すべての責務を担い、すべてをやり切る王者の異名である。
 今ここに、決然と、若き師子吼は轟き、本年の七月十四日「岩手の日」一二十周年を祝賀する「岩手大勝利年間」の火蓋は切られた。
 そして今日(一月十四日)、晴ればれと新春の出発の歴史的な幹部会となる。
 さあ、岩手の同志よ!
 本年一年も、一緒に、厳として微笑を浮かべ、胸を張り、信仰の英雄として断固と勝ちゆけ!
 岩手の未来は、大盤石である。
 ──一九七二年(昭和四十七年)七月、東北地方は、局地的な豪雨に見舞われた。
 その時、山形にいた私は、甚大な被害を受けた秋田の激励に向かい、救援の手を打った後で、岩手に駆けつけた。
 どんなことがあっても、私たちは負けない!──皆の心意気を天も知ってか、朝から降り続いていた雨はやみ、記念撮影が始まるころには雲が切れ、友の横顔を、太陽の光が包みこむように美しく照らしていた。
 私は、「常に十年、二十年先への希望と夢を保ちつつ、自己の運命、そして地域を力強く開拓しゆく人生であり、岩手であってほしい」と念願し、訴えた。
 この日、この時から、岩手の広宣流布の大前進が始まったのだ。
3  寒風に澄みわたる天高き青空を仰げば、わが険には、あの日の健気な岩手の友の顔が生き生きと浮かんでくる。
 そして私の耳には、純朴な皆様の、堅固な決意の声が、そして勝ち抜いていく笑い声が聞こえてくる。
 それは、わが学会が迫害の吹雪に立ち向かっていた渦中の、一九七九年(昭和五十四年)の一月十一日のことであった。
 私は、六年半ぶりに岩手の水沢へ入った。
 この日、新しき文化会館で代表幹部会を開いたが、歓喜の波動は、またたく間に全県に広がっていった。
 翌十二日、我らが岩手の同志は、水沢の駅から会館へと、後から後から集って来られた。
 岩手は巨大である。県として日本最大の面積は約一万五千平方キロメートル。その広大さが、いかに偉大であるかが、明瞭にわかる。
 この大地のあの町、この村から、林檎のように頬を紅潮させながら、若き生命の友が白い息を弾ませながら、意気揚々と駆けつけてくださった。
 「当如敬仏(当に仏を敬うが如くすべし)」(法華経六七七ページ)の経文のごとく、私は、この方々こそ、仏なり菩薩なりと、合掌する思いで迎えた。
 正午前から、幾たびも、幾たびも自由勤行会を開き、岩手の全同志の健康と、地域の大発展を祈りに祈った。
 その晩、開かれた新春記念幹部会では、私の提案で、参加者の皆様が次から次へ登壇し、とうとう十人も挨拶してくださった。支部長さんも、ブロック長さん、ブロック担当員さんも、若き俊英の青年部もおられた。
 よく寡黙と評される東北の方々だが、この時は、誰もが喜びの声、決意の声、正義の声を、生き生きと叫びあげていた。
 私は思った──そうだ! 語るのだ! 思う存分、叫ぶのだ!「声仏事を為す」である。これが、岩手の新しき世紀の夜明けだ!
 夜の九時を過ぎても、なお人波は絶えなかった。
 私は、皆様と共にカメラに納まり、唱題をし、そして合間にピアノの演奏もした。
 一つ一つが、黄金の歴史である。共戦の歴史である。生命の勝利の旅路であった。
4  東北の同志の歩みは決して目立つことはなかった。しかし、粘り強い東北人の性格そのものにも似て、大地に足を踏みしめるがごとく、着実に、堅実に広布は推進されてきた。
 法華経の名訳で知られる鳩摩羅什は、「此の経典東北に縁有り汝慎んで伝弘せよ」との師の厳命を、生涯かけて実践した。インドの「東北」──師弟がめざした、その二字の内に、わが日本の東北が入ることは間違いない。
 東北の健気な友は、夏の暑さにも負けず、冬の地吹雪も乗り越え、広宣流布に縁深き東北の大地の弘教に全魂を傾けてくださった。私は南無して讃えに讃え、仰ぎ見る思いである。
 「人間革命の歌」が誕生した時、私が「吹雪に胸はりいざや征け」の歌調に込めたのは、北国の方々へのおさえがたい讃辞であったことを、今、告白しておきたい。
 「東北は、人材の城で立て!」──これは師の戸田先生の遺言である。
 一九五四年(昭和二十九年)、草木は萌ゆる四月の終わりだった。
 私は師と共に青葉城祉に立っていた。
 眼下には仙台の街並み。名将・伊達政宗の往時を偲ぶように、苔むした石垣を見て師は言われた。
 「創価学会は人材をもって城を築いていくのだ」と。
 永遠の遺訓ともいえるこの指針を、わが東北の愛する友は、美事に現実のものとしてくださった。
 見よ! 宝塔のごとく林立する東北の人材城を! 岩手の人材の山並みを!
 万代の広布の礎を築くために、愛する岩手の大地に、あの広大にして荘厳な、東北で二番目となる大墓地公園が、本年、いよいよ江刺市に誕生する。(二〇〇二年九月、「みちのく池田記念墓地公園」として開園)
 県の中南部に位置するこの地は、北は北上、西は水沢、東は遠野等に接し、かつて奥州藤原氏が三代の繁栄を築き上げた源流の地域である。
 墓地公園は、新しき永遠の栄華へ、東北広布へ共々に歩んだ友が名を連ね、”生死不二の誓い”を留める天地となった。
 無数の同志がこの忘れ得ぬ天地を訪れるたびに、平和と安穏のたたずまいに心弾ませ、懐かしき久遠の同志との契りを胸に、新たな使命の旅立ちを印すにちがいない。
 我ら三世の同志は、妙法の黄金の光に包まれて、生死、生死と福徳の大道に、晴ればれと「衆生所遊楽」の旅路に生きゆくのだ。
 なんと晴れがましい生命であり、生涯であるか。それを記念する”メモリアルパーク”がついに完成する。
 二十一世紀は東北、なかんずく「岩手の世紀」と、顔を紅潮させる皆様の躍動が、嬉しくてならない。
 日本第一の広大な県の悠久の天地は、世界第一のすばらしいイーハトープ(理想郷)でる。「日高見の国」と謳われた岩手の山河は、人を鍛え、豊かにする
 陸奥の大動脈・北上の久遠の流れが、不擦の歩みを教えたのか。
 蒼天に濠と聾える八幡平の雄峰が、不屈の衿持を鍛えたのか。
 そしてまた、太平洋の波浪が寄せ来る三陸の絶景が、世界の心を開いたのか。
 歴史上の逸材も、皆様方の故郷から限りなく輩出している。
 おお、妙法の逸材も、大河の流れのごとく、岩手の大道に続きゆくにちがいない。幸福への前進、平和への行進は、いよいよ力強く勢いを増していくだろう。
 花巻の農民詩人・宮沢賢治は、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(「農民芸術概論綱要」、『宮沢賢治全集』10所収、筑摩書房)とも詠った。
 自分たちの幸せが、私たちの目的ではない。友の笑顔こそが、私たちの勲章である。
 「立正安国論」には、厳然と記されている。「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」と。
 この日蓮大聖人の仰せ通りに、私が敬愛する岩手の同志は、昼となく夜となく、平和のために、無私の奔走をされている。
 その尊い日々の精進に、私は再び合掌し、心からの大拍手を贈りたい。
 諸天善神も、また、同じことだろう。
 大好きな岩手の友よ!
 頼もしい岩手の友よ!
 新しい東北を、世界の東北を、絢爛、燦然と後世の歴史の上に輝かせていくのは、皆様方、岩手の使命であることを、どうか、誇りとしていただきたいのだ。
 ──一月十四日、信濃町の学会本部にて。

1
1