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日蓮大聖人・池田大作

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不滅の”精鋭十万”の大総会 世紀の空に翻れ「勝利」の旗

2001.11.11 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

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1  「青年が夢を抱く時、新しい歴史は生まれる。自らの手で未開拓の大地に恵みの種を蒔くことは、青年の特権だ」
 これは、南米アルゼンチンの知性ホセ・インへニエロスの青春論の一節である。
2  「創立の月」である今月、わが弟子である男子部が猛然と戦っている。
 11・5「男子部の日」から、破竹の前進で、11.18「創立記念日」へ──これが若師子のリズムであり、そのまま明年の連続勝利への助走となるのだ。
 その「部の日」の淵源となったのは、忘れもせぬ、四十年前の一九六一年(昭和三十六年)の十一月五日であった。
 この日、夜来の雨もあがり、晴れわたる秋空に包まれながら、十万人の創価の革命児が、威風も堂々と、東京・国立競技場に集った。
 これこそ、”精鋭十万”の結集として、広宣流布の歴史に永遠に輝く「第十四男子部総会」である。
 私が、第三代会長に就任してより一年半。亡き師への誓願を果たす大舞台となった。
 午前九時四十五分に開会。わが音楽隊の勇壮なファンファーレが轟きわたると、スタンドを埋めた青年が見つめるなか、凱旋将軍のごとく万余の若武者が入場行進した。
 懐かしき同志!
 あの日、君はいた!
 あの時、私もいた!
 十万の若き顔は、濁世の闇を払う正義の光に輝き、あまりにも神々しかった。
 その英雄たちを、墨痕鮮やかな「勝利」の文字が、スタンドの上から見守っていた。
3  十万人の大結集が正式に発表されたのは、との半年前の五月の三日であった。
 以来、九州、中部、関西、北海道、中園、東北と、方面別の青年部総会が相次ぎ開催され、私も、すべての総会に勇んで出席した。
 真っ先に戦陣を切ってくれたのは、やはり先駆の九州であり、全男子部員のじつに七割強が集っての総会であった。
 いずこも未曾有の大結集となり、総計は十一万五千人。地方だけで、早くも目標を実現したのである。
 さらに男子部は、十一月までに十万人の部員増を達成。じつに二十五万から三十五万へと、大飛躍したのだ。
 勝利の前進、また前進!
 「男子部結成十周年」を飾りゆく怒涛の攻勢は、止まることを知らなかった。
4  わが師・戸田先生は、一九五四年(昭和二十九年)の秋、「大白蓮華」に「青年よ国士たれ」(国土訓)を寄せて、訴えられた。
 「青年よ、一人立て!
 二人は必ず立たん、
 三人はまた続くであろう。
 かくして、固に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」
 「国土」とは少々、大時代的な表現かもしれない。
 しかし、先生が意味されたのは、「現実社会から遊離した宗教屋には絶対なるな!」「国家、世界に大いに貢献しゆく指導者と育ちゆけ!」との、熱き深き期待であった。
 有名な中国の史書『漢書』の一節には、「常に奮いて身を顧みず、以て国家の急に殉ぜんとす……国士の風有り」とある。
 この時、青年部の室長だった私は、先生にお誓いした。
 ”必ず、十万の青年を結集いたします! どうか、見ていてください”
 当時、まだ男子部は一万人を超えたばかり。十万人を大結集するなど、夢物語であったといってよい。
 しかし、師匠が心から信頼し、待っていてくださる。
 そう思うと、私の闘魂は、いよいよ燃え上がった。
 御書に「弟子が法華経を弘める功徳は、必ず師匠の身に帰す」(九〇〇ページ、趣意)と示されている通り、広宣流布の拡大こそ、師への真誠の報恩となるからだ。
 青年の魂とは何か。
 偉大な目標に挑む気概だ。
 自ら求めて、新たな戦いを起こす覇気と行動力だ。
 ”我は一人立つ! 心ある同志よ、勇んで続き給え!”
 私は、北海道、大阪、山口など、広布の戦野を駆け回り、愛する青年たちと共に、拡大の先頭に立った。
5  戸田先生の宣言より七年。すでに先生は逝去しておられたが、不二の師弟が悲願とした”精鋭十万”の結集は、遂に現実となった。
 完全勝利の「11.5」は、男子部の永遠の旗印として、歴史に翻ったのだ!
 それは、私にとって、青年部の室長としての使命の成就でもあった。
 「結集」とは、仏教では伝統的に「結集」と読み、釈尊の滅後、遺弟が仏の教えを編纂したことをいう。
 それは、ただ言葉を集めるのではない。弟子が一所に集い、仏法の真髄を寸分違わず、「百年・千年・乃至末法の一切衆生」へ、伝え残しゆかんとする厳粛なる儀式であった。
 わが十万の若人も、戸田先生亡きあと、遺命たる「広宣流布の遂行」を誓願して、一堂に会したのである。まことに甚深の意義ある「大結集」であった。
 壮年も、婦人も、荘厳なる青年の大スクラムに瞠目し、心底、感嘆し、奮い立った。
 「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」との経文通り、この日、国立競技場に集った深遠な使命の十万の友は、それぞれに青春と人生の人間革命の勝利の因を刻んだ。
 そして晴ればれと、一生涯の友情と団結を深めながら、広宣流布の大遠征へ出発したのである。
6  二十一世紀も、この勝利の方程式は同じである。
 わが直系の青年部よ! 君が戦うその場所が、本有常住の常寂光土である。ゆえに、そこで責任を果たし、若き力を大結集しゆくのだ。
 この秋も、各地で、はつらつと”青年文化総会”が行われている。
 北海道から始まり、愛知の豊橋、山口、福井、青森の青年部も、見事なる新世紀の拡大の歴史を残した。私は心から讃えたい。
 さらに今後、茨城をはじめ、滋賀でも、九州でも、岩手でも、そして香川でも、”青年文化総会”が予定されている。大成功を皆で祈りたい。
 今こそ、壮大なる万里の長城のごとく、全世界を結ぶ、青年と青年の鉄壁なる「平和と正義の長城」を築きゆくチャンスである。
 ドイツの作家へッセは、青年に訴えた。
 「君たちが、新たな、あらしをはらむ、わきたつ時に生まれたのは、一体不幸だろうか。それは君たちの幸福ではないか」(『若き人々へ』高橋健二訳、人文書院)
 幾百万の若き創価の団結の英姿に、民衆は安堵し、世界の知性は喝采を贈っている。
 とともに、倣慢な、保身のみの権力者たちは恐れ、自分の栄華の終末に震え上がるにちがいない。
 ともあれ、新世紀は青年のものだ。いな、その舞台を、自らの力戦で勝ち取るのだ。
 日蓮大聖人は、「がうじやう強盛はがみ切歯をしてたゆむ心なかれ」と仰せである。
 一日一日が戦場だ。
 地道な忍耐強い活動こそが我らの闘争だ。
 ゆえに、諸君よ!
 座談会の原動力たれ!
 聖教拡大の推進力たれ!
 対話と折伏の若武者たれ!
 戦い、また戦いの連続のなかで、自分自身を訓練し、鋼のごとく鍛え上げるのだ。
 「わが地域には、こんなすばらしい青年がいる!」
 この信頼と賞讃こそ、変わることなき”真の偉人”の勲章である。
7  戸田先生は、最後の誕生日を迎えるにあたって、遺言のごとく、一千万の揺るぎなき平和勢力の大結集への夢を、私に語られた。
 この師の遠大なる大願を、私は、わが青年部の陣列と共に、そしてまた、青年部出身の同志と共に、戦う青年の魂をもてる全同志と共に、断固として完遂していく決心である。

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