Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「新世紀の歌」と東北 勇気と忍耐で開けり 黄金時代

2001.10.17 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  大聖人の御書の一節に、「心の一法より国土世間も出来する事なり」という有名な御聖訓がある。
 これは、「心という一法から、国土の違いも現れ出る」という意味の仰せである。
2  それは、四十年前の一九六一年(昭和三十六年)の晩秋、十一月二十日のことであった。
 私は、仙台の榴ヶ岡に完成した、質素な鉄骨木造建ての”東北本部”の落成式に出席していた。
 その式典の終わりに、若々しい東北健児たちが立ち上がり、新しい歌を合唱してくれたのである。
3  一、ひらけゆく大空に
       舞う若鷲……
 皆の心が、無限の大空に広がっていくような、雄大な歌であった。
 はつらったる同志の、堂々として清らかな歌声は、二度、三度と、会場に響き渡った。
 三、師子王の雄叫びは
       大地をゆるがす
   広宣流布の大進軍
   破邪顕正の剣もて
   築かん われら新世紀
 「いい歌だね」──私は、快哉を叫ぶ思いで、「全国の同志たちと歌おう!」と提案した。皆も大喜びであった。
 さらに落成式のあと、この歌を「新世紀の歌」と命名させていただいたのである。
4  私は、「新世紀の歌」が大好きであった。東北の同志が作ってくれたことが、無性に嬉しかった。
 わが東北は、多くの苦難の道のりをも、雄々しき歌声とともに、今こそ、新しき世紀の夜明けなりと、威風堂々、出陣したのである。
 ──思えば、東北の広宣流布の激しき歴史は、悪戦苦闘の連続であった。
 草創期、同志が、縁故をたどって折伏に行くと、玄関先で、水や塩を撒かれた。
 「この仏法は、必ず幸せになる!」と、諄々と語っても、唾を吐く形相で、常に悪口罵詈され、追い返されたものだ。
 創価学会に入ったとたん、”村八分”の迫害を受けた人も少なくなかった。
 しかし、信仰と使命に目覚めた庶民の英雄たちは、決して挫けなかった。
 大雪が降っても、「よし、これなら、みんな家にいるはずだ!」と、勇んで折伏に飛び出した。
 吹雪に遭い、皆で一本の綱を握ったり、互いの体を縄などで数珠つなぎにして進んだ”雪中行軍”もあった。
 あの「新世紀の歌」を口ずさみながら、雪明かりだけの暗い夜道を、たどり歩いた日も多くあった。
 フランスの啓蒙思想家ルソーは、「古い誤謬と根ぶかい偏見とを打ちこわさなければ」(『人間不平等起原論』本田喜代治・平岡昇訳、岩波文庫)と願った。
 また、「活動的な生活の激動の中でなければ君は安息をとり戻せない」とも書いている。
5  この東北の天地は、保守的といわれる風土であった。
 そのゆえか、偏見や無理解の壁は、ほかの地方よりも、厚く固かった。
 いくら布教に挑んでも、挑んでも、歳月だけが空しく過ぎていくばかりで……、唇を噛んだ人たちも多くいた。
 誠実一路な皆様方の崇高など苦労を思うと、当時、ただただ合掌し、題目を送り続けるのが、私の任務であった。
 どうすれば、地域に正義を打ち立て、信頼と友情の花園を広げていけるのか。
 策ではない。根本は祈りである。忍耐強い行動である。
 そして自らが、郷土を愛し、友人たちの幸福を願ってやまぬ、人間主義の第一人者として立つ以外にない。
 問うべきは、環境でなく、自分自身の心だ。
 十回話しても友人が理解しないからと、諦める人がいる。
 だが、十一回ではどうなのか。二十回、五十回ではどうなのか。
 岩に爪を立てて、崖を登るような挑戦の厳しさ。試されているのは、実は自分の執念の方ではないだろうか。
 雪どけ水が堰を切ったように溢れ、大地を潤す春が必ず来る。その瞬間まで、粘り強く、辛抱強く、挑戦し続けた人が、断固たる栄光の勝利者なのだ。
 我らの蓮祖は生涯、非難と迫害の嵐を生き抜かれた。幾たびとなく、命を狙われた。
 しかし、「日蓮一度もしりぞく心なし」、「いまだこりず候」と言い切られた。
 この御精神を最も受け継ぐ使命の信者こそ、粘り強き東北の同志の方々であった。
 四十年前(一九六一年)の夏、私は、東北の愛する青年たちに、「広宣流布の総仕上げは諸君の手で!」と託した。
 いよいよ、その輝かしき大舞台は始まった。
 二十一世紀は、東北が広布拡大の突破口を開くのだ! 一番、苦労してきた東北が、勝利の模範、全世界の同志の希望になるのだ!
6  山一つ、岬一つ越えれば、人の気性も、伝統も違う。
 人の心のヒダに分け入るのと同じように、地域の実情に即して、きめ細かく励ましを送りたい。
 使命に燃ゆる、智慧と勇敢なる「一人」が立てば、地域は変わるのだ。
 そのために、東北で「町村地域指導長」制が設けられたのは、私が寒風をついて東北指導に走った一九七九年(昭和五十四年)の一月のことであった。
 それは、現在、東北全三百三十七町村に及ぶ「町村広布会議」の先駆となっている。
 あれから二十余年──宮城の七ケ宿町、宮崎町、秋田の東成瀬村、仙北町、山形の朝日町、白鷹町、福島の櫓枝岐村、舘岩村、岩手の野田村、沢内村、青森の岩崎村、三厩村など、大東北の各地に、信頼の花々が満開となって薫りそよいでいる。
 大事なわが人生……この確固たる信念と哲学をもち、生き生きと活動する同志のご一家の姿が、どれほど地域の希望になっていくことか!
 「積善の家には必ず余慶有り」とは、中国の箴言である。
 善根を積み重ねた家には、必ず、その子孫にまでも、福運が及ぶという意義である。
7  ちょうど七年前(一九九四年)、私の「五十回目の東北訪問」の折のことである。
 宮城の友が、米俵や果物など五十種類もの大地の実りを届けられ、会館に飾ってくださったことが、嬉しく懐かしい。この真心の荘厳な贈り物を、皆で分け合い、皆で語りながら食した思い出は、三世まで忘れることはできないだろう。
 また、郊外を車で走ると、色づき始めた稲穂も、風を受けて黄金に波打っていた。
 これこそ、東北の広宣流布の土台を成した、黄金の幸福長者の陣列に、私には見えた。そして涙が溢れた。
 東北は勇気で勝った!
 東北は忍耐で勝った!
 東北は誠実で勝ったのだ!
 東北広布の先駆者であり、開拓者であられた先輩たちのご多幸とご長寿を、私は、心からご祈念申し上げたい。
8  マハトマ・ガンジーは語った。
 「どんな頑固な心持でも、どんなひどい無智でも、根強く悪意なき忍耐の太陽の前では、消え去らねばならない」(/エルベール編『ガーンディー聖書』蒲穆訳、岩波文庫)
 さあ、我らの新世紀だ! 自分自身の歴史を創るのだ!
 この、わが愛する郷土から、広宣流布という、平和と正義への大いなる太陽を、勇敢に、大胆に輝かせていくことだ。
 ともあれ、民衆の笑顔が輝く、東北の黄金時代が始まった。

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