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日蓮大聖人・池田大作

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広宣流布の新布陣 さあ前進! また前進!! 皆の先頭を行く名将たれ

2001.10.4 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

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2  創価学会の組織は、「広宣流布」という全人類の平和と全世界の人びとの幸福を築きゆく生命体であり、行動体である。
 これほどの偉大な使命をもつ組織は、永遠にない。
 この崇高なる法戦には、休日はない。多くの激戦の山々を越え、常に勇猛精進し抜いていく、勇敢なる前進の仏の軍勢だ。今再びの大前進を開始するためには、新たな活力と決意がみなぎる「布陣」が必要だ。
 男子部も、男女学生部も、男女の未来部も、新リーダーのもと、はつらつと新鮮なスタートを切った。
 「女性の世紀」を先駆する婦人部も、女子部も、さっそうと笑顔の行進を開始した。
 副理事長慨が敷かれ、また方面、総県、県、区等にも多くの新しき指導者が誕生した。
 現在、さらに本部、支部、地区など、第一線の組織にも、充実の人事が進められている。
 この時に、大事なことは、「団結」の二字である。
 詩聖タゴールが、「人は、仲間とよく力を合わすことができないときには、ほんとうの能力を失うものです
 」(「協調」森本達雄訳、『タゴール著作集』8所収、第三文明社)と指摘したように、団結なくして勝利はありえないからだ。
 心を合わせることだ!
 祈りを合わせることだ!
 力を合わせ抜くことだ!
 もちろん、役職によって、表舞台に登場する人、陰で戦う人など、担うべき役割はさまざまであろう。
 しかし、皆が、尊き地涌の戦士である。会長も、ブロック長も、広宣流布に生き抜く平等な「一兵卒」である。
 そのうえで、学会の役職は「責任職」である。「広布拡大」を自らの使命と定め、強敵と戦い、同志を守り抜く、勇者の紋章なのである。
 ゆえに、役職を受け、その責任を遂行する学会活動は、汝自身の人問革命を成しゆく尊貴な仏道修行となるのだ。
3  それは、西神田の旧学会本部の会長室であった。
 ──当時の学会本部には、きちんとした会長室などなかった。しかし、私は、戸田先生が常に指揮をとられていた場所を、「会長室」と呼んでいたのである。
 「大作、蒲田の支部幹事になって、いよいよ始めてくれないか」
 一九五二年(昭和二十七年)の一月、戸田先生は、折伏の少ない毎月の成果の現状を見ながら、「そろそろ大作を出すか」と、私を蒲田支部の支部幹事に任命された。
 先生が第二代会長に就任されて約九カ月。この間、折伏の拡大は、師の思いに反して、遅々としていた。いな、停滞していたといってよい。
 今こそ壁を破れ! 勝利の突破口を開け! 私は、先生のご期待を、わが使命とし、猛然と決起した。
 「任命から三カ月が勝負」である。戦いは、スタートダッシュの勢いで決まる。
 怒涛の前進を誓い合った出発の会合は、大田の鵜の木の集会所であったと記憶する。
 そこで私は、第一線のリーダーの皆さんに、まず具体的な目標を訴えていった
 「組で二世帯の折伏を!」
 戦いの第一歩は、明確な目標を決めることだ
 目標が漠然としていては、誰もが”自分の挑戦課題”として受け止めることができない。ゆえに結局は、真剣に、なれないものである。
 また、目標を押しつけてはいけない。皆が「よし、やろう!」と納得できるようにすべきである。
 それには、中心者自身が、自分の責任で、たとえ一人になっても、掲げた目標は断じて達成するとの、決意を定めることだ。その決定した心に燃え盛る情熱の炎が、皆の胸に、広布に戦う心を燃え上がらせていくのである。
4  当時は、「支部──地区──班──組」という組織の体制が整備されたばかりであった。「組」は最前線、今の「ブロック」である。
 最前線のリーダーに自信と責任感を──それが戸田先生のお心であり、私も、ここに学会が飛躍する焦点があると確信していた。
 支部の百人近い組長全員が主役に! 皆が勝利者に!
 一人が百歩前進するよりも、百人が一歩前進を!
 私は、一つの「組」も落とさない決心で、一人一人が功徳を実感できるようにと、祈り、支部内を縦横無尽に走り回った。
 新しい人材を見つけ、新しい力を結集する。そこに勝利のカギがあるからだ。
 組織というと、人の顔が見えない大きな機構をイメージしがちだが、学会の組織は、あくまで「人」である。
 班や地区の幹部など、あらゆる幹部が「組」に入った。
 座談会も、「組」なら顔が見える。指導も、「膝詰めの対話」なら、各人の悩み等に的確にこたえていける。
 そのなかで発心した一人一人が、雄々しく弘教に立ち上がっていったのである。
5  ともあれ、号令だけでは、誰も動かない。いわんや、人間は感情の動物だともいわれる。
 嫌々ながらでは、本当の力など出るはずもない。
 まして、支部幹事とはいえ、私は二十四歳の青年にすぎなかった。どうすれば、皆が本気になって総決起してくれるのか。
 それは、全責任を担った、若き私の行動だ。自らの必死の汗だ。そして結果だ。その姿に、同志は喝采を送り、信頼を寄せてくれるのだ。
 わが姿を見よ! わが戦いを、しかと見てくれ!
 青年らしく、戸田門下生らしく、私は決然と立ち上がった。そして奮闘した。
 御聖訓には、「例には他を引くべからず」とも仰せである。他人ではなく、自身の戦う姿が共感と納得を生むのだ。支部幹事の私と、支部長とは、よく連携を取り合い、戸田先生の構想実現へ、心を合わせていった。
 支部幹事は、「副役職」である。支部長と同じ目的観、同じ理想に立ち、支部長を補佐するのが役目である。
 「支部長を支え、必ず日本一の支部に!」
 私は、支部幹事の模範をつくろうと戦い抜いた。
 「位置が人を高尚にせず、人が位置を有名にす」とは、西洋古代の箴言である。
 役職が、人を輝かすのでは断じてない。人が、役職を光り輝かせるのだ。
 役職によって自分が輝くと考えるのは、”権威主義”である。「虎の威を借る狐」の生き方であり、結局は、役職の価値を下落させることになる。
 一カ月後、この二月の戦いの結果が発表された。
 わが蒲田支部は、二百一世帯の堂々の第一位!
 当時、一カ月で百世帯を超える折伏もできない支部が、ほとんどであった。その限界を悠々と突破して、大勝利を飾ったのである。つまり「組二世帯」という前代未聞の折伏を達成したのだ。
 皆が唖然とした。
 いかなる苦難の山々を越えようが、勝てば、いっさいは歓喜と充足に変わる。
 皆の顔が、それはそれは紅潮し、喜び勇んでいたなかには、躍り上がっている組長もいた。その姿が、何よりも、私は嬉しかった。
 ──来年五十周年となる「二月闘争」のことは、これまでも語ってきたが、大事な歴史であり、再度綴らせていただいた。
6  「活動することが人間の第一の使命」(『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』中、山崎章甫訳、岩波文庫)と、文豪ゲーテは言った。
 さあ、行動開始だ! わが広宣流布の尊き名将たちよ!
 完勝で飾った二十一世紀の第一ページに続き、汝自身の新たな前進と栄光の功徳の歴史を、堂々と書き続けていってくれ給え!

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