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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカ創価大学の入学式 新世紀の希望の宝 第一期生

2001.8.29 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

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1  「清朗な心と偉大な目的をいだいて仕事をすれば、時代はつねにそのひとのものになります」(「アメリカの学者」酒本雅之訳、『エマソン論文集』上所収、岩波文庫)
 今、新たな出発の朝を迎えた若き友に、私は、このアメリカの哲人エマソンの言葉を捧げたい。
 八月二十四日、アメリカ創価大学で、私が楽しみにし、世界の同志が待ちに待っていた第一回の入学式が晴ればれと行われた。
 嬉しい。本当に嬉しい。
 「栄光の第一期生」として入学したのは、世界十八カ国から、米国内では十八州から選び抜かれた、百二十人の優秀なる学徒たちだった。
 未来は君たちのものだ。
 未来の建設は、君たちの腕のなかにあるのだ。
 私は、過去の権威の世界に決別し、新たな価値の創造に目覚めて集い来た、この地上に光り輝く、学生たち一人ひとりと、固く握手をしながら、心から「おめでとう!」「頑張れ!」と叫びたい気持ちである。
2  歴史的な入学式の当日は、優しい霧が晴れると、まばゆいばかりの青空がキャンパスを包んだと伺った。
 思えば、あの意義深き五月三日の開学の日も、カリフォルニアの大地は、透き通るほどの雲一つない快晴であった。
 これこそ、諸天も歓喜に舞い踊った姿にちがいない。
 私は多忙のため、残念ながら、開学式も、また今回の儀式にも、出席できなかった。
 しかし、時差の関係で、日本は一足早く、その当日を迎えることから、私は、この光輝ある式典の大成功を真剣に祈り続けた。
 入学式には、七十を超える国々から祝電が届けられた。
 また、開学式にも、アメリカ合衆国大統領のメッセージが寄せられたのをはじめ、やはり数多くの祝賀の伝言や電報も頂戴した。
 まさに、世界の熱い熱い期待を受けてのスタートであった。
 開学の折、世界的な物理学者でノーベル平和賞受賞者である、現在九十二歳のロートブラット博士が、「あなたの夢がかないましたね」と、温かい言葉を贈ってくださったことが忘れられない。
 「創価教育」の最高学府の建設は、牧口先生、戸田先生の限りなき夢であり、お二人の心を受け継いだ私の夢でもあった。
 そして、やがては海外にも大学を創りたいというのが、三十年前(一九七一年)、八王子に創価大学が開学した時からの悲願でもあった。
 いや、さらに記憶をたどれば、その三年前に、小平に創価学園を創ったころからの私の胸の奥には、この不二の弟子の決意が常に血潮となって燃えたぎり、時を待っていたのである。
 今、三代にわたる栄光の教育草命の第一歩の夢を実現した。私の感慨は無量である。
3  過日は、世界的な一流紙である「ニューヨーク・タイムズ」が、第一面と十三面に、「極東(日本)が生んだ新しい西海岸の大学」(二〇〇一年七月二十五日付)と、大きくSUAを紹介した。
 さらに、世界最大級の通信社であるAP通信も、SUAを紹介する記事を配信し、これを全米約四十紙が報道したという。
 それは、この二十一世紀のために、いかなる高等教育が必要なのか、多くの人びとが真剣に注視している証左でもあろう。
 豊かな自然に抱かれたキャンパスは、三方を谷に囲まれた丘の上にあり、入学式が行われた体育館から、南西に向かって、緩やかに高くなっている。
 西側の小高い山を一つ越えれば、向こうは青く輝く太平洋が限りなく広がっている。
 ある地元紙は、わがSUAを「丘の上(ヒルトップ)の大学」と航観していた。
 「丘の上」とは、理想の高みをめざしゆく、努力と向上の意義であるともいえよう。
 大学の中枢ともいうべき建物が、本部棟「ファウンダーズ・ホール」である。お気づきのように、名称は「ファウンダーズ・ホール」と複数形になっている。直訳すれば、「創立者たち」である。
 それは、先師牧口先生、恩師戸田先生の創価教育の理想に続いた私と共に、今日に至るまで、陰に陽に尽力してくださったすべての方々を顕彰するためであると、私は思っている。
 sUAは、民衆立の大学であり、民衆のための大学だ。建学に汗を流された一人ひとりが皆、sUAとして、大学の建設に、壮大な自己の偉大な創立者なのである。
 そして、親愛なる新入生諸君もまた、”若き創立者”として、大学の建設に、英知と情熱を燃やしていただきたい。
4  これから講義等が行われることになる教室棟は、「ボーリング夫妻棟」「ガンジー夫妻棟」と命名されている。
 いうまでもなく、ノーベル化学賞・平和賞を受賞した大科学者ライナス・ポーリング博士とエパ・へレン夫人、そして、インドの非暴力の戦士マハトマ・ガンジーとカストゥールパ夫人のことである。
 五月にオープニングの儀式を行った「ポーリング夫妻棟」に続き、入学式の前日には、「ガンジー夫妻棟」が、令孫のアルン・ガンジー博士夫妻の出席のもと、オープンした。
 いずれも仏教徒でも、日本人でもない方々のお名前を冠したことに、驚いた人もおられるようだ。
 しかし、わがSUAの基本理念からすれば、むしろ当然のことであった。
 我らは、偏狭なイデオロギーの呪縛を断ち切り、豊かな「多様性」を尊ぶ。人種、民族、文化等の「差異」を尊敬しながら、人間のため、民衆のため、生命の尊厳のために尽くしたい。
 悲惨と苦悩が渦巻く、この世界にあって、不幸の根源を断つために戦う人間主義者であるならば、その精神の闘争を受け継ぎ、魂と魂のスクラムを組んで進みたい。
 その意味で、二十世紀を代表する、東西の「人道と平和の巨人」のお名前を頂戴したことは、平和連帯の世界市民の育成をめざす、雄々しき我らの誓いなのである。
5  偉大なボーリング博士も、学生時代、決して恵まれた環境にあったわけではない。
 経済苦から、ようやく入学したオレゴン農科大学(現在のオレゴン州立大学)でも、学費と生活費を稼ぐために、休学したこともあった。
 それでも学業を続けられたのは、若き天才の開花を願う担当教授らの支援があったからである。大学側の、そうした温かい激励に、博士は深く感謝されていたそうだ。(ブックハウス編『ライナス・ポーリング』田中容子訳、コスモス・ジャパン・インターナショナル、参照)
 わがSUAも、どこまでも「学生が中心」だ。学生を大事にしてこそ、未来を大事にすることになるからだ。
 最優秀のポーリング博士は、名門の大学院にも進むことができた。しかし、新設間もないカリフォルニア工科大学(CIT)を選択する
 ノーベル化学賞をはじめ、大科学者としての博士の栄冠はまた、同大学の栄光となっていったのである。
 SUAの第一期生も、当然、他大学への進学の道もあったにちがいない。それをあえて「新しい大学」の建設に馳せ参じてくれたのだ!
 私は、先駆者の諸君に感謝する。そして必ずや、SUAの卒業生の中から、あらゆる分野の指導者が誕生することを信じている。
6  第一回入学式へのメッセージでは、私は、詩聖タゴールの学園に言及したが、マハトマ・ガンジーもまた、植民地支配からの「教育の独立」をめざして、学園を創立したことは、あまりにも有名だ。
 その一つが、一九二〇年、グジャラート州の・アーメダバードに創立された「グジャラート・ディヤピータ(グジャラート学園)」である。
 「新しい魂」を創るのだ、「新しいインド」を創造するために!
 文豪ロマン・ロランは、その重大な意義を喝破して、「(ガンジーは)新しい人間作る者である」(「マハトマ・ガンジー」宮本正清訳、『ロマン・ロラン全集』14所収、みすず書房)と評した。
 わがSUAも、「新しい人間」を創りたい。真実の地球文明のパイオニアを誕生させたい!
 かの”グガンジーの大学”の学生たちは、インドの独立運動の歴史に輝く「塩の行進」(一九三〇年)の時、師匠の先遣隊として村々を回って、情報を収集するなど、行進の成功のために、重要在任務を遂行したという。
 その翌年、ガンジーは学園を訪れて、こう賞讃した。
 「この戦い(塩の行進)の歴史が書き残される時には、わが学園が闘争に果たした貢献は特筆大書されるだろう。全世界も、諸君が成し遂げた栄光の偉業を誇りに思うであろう」(J.B. Kripalani, Gandhi his Life and Thought, Publications Division Ministry of Information and Broadcasting Goverment of India)
 わが命であるアメリカ創価大学の、希望と情熱に燃えたすばらしき諸君の先駆の行進も、必ずや、歴史に燦然と輝きわたっていくと、私は深く確信している。
7  「いとしい友よ」と、民衆詩人ホイットマンは、「ある生徒」に呼びかけた。
 「きょうすぐにでも始めたまえ、
 度胸、実在、自尊、確信、飛躍めざしてわが身を鍛えることを、
 君自身の『人格』を不動のものとし、世に広めるまでは休んではならぬ」(「秋の小川」、『草の葉』下所収、酒本雅之訳、岩波文庫)
 第一期生の友よ! 君たちの成長、勝利、栄光を、皆が見つめている。この真新しき世紀は、君たちの快活な前進とともにあるだろう。

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