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日蓮大聖人・池田大作

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世紀を先駆する九州・福岡 「火の国」に燃え上がれ 正義の闘魂

2001.7.16 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  それは、新しき世紀を開きゆく、夜明けの勝負の二十年であった。
 健気な、そして雄々しき我らが九州の友は、この激動の二十年を、勝利の輝く広宣流布の大山をめざして、前へ前へと、真剣に戦い前進してきた。
 そして、九州は勝った。
 大九州は、見事に勝った。
 その九州の正義の広宣の総本山は、福岡である。
 福岡の王者の風格は、連戦連勝の雄大なる威風を持っている。
 その福岡県に続いて、広布の名将と共に戦う、大分県も、熊本県も、さまざまなが苦難の山を乗り越えて、敵の魔軍を下した。
 さらに佐賀県も、長崎県も、宮崎県も、鹿児島県も、颯爽と、そして痛快なる勝ち戦を、歴史に残し、飾っていった。
 大九州は、私と共に、断固として勝ったのだ
2  二十年前の一九八一年(昭和五十六年)、私は、今再び、広宣流布の崇高なる炎を燃やすために、自ら”火の玉”となって走り始めた。
 十一月に四国、関西、中部を回り、年末には、深い決心をもって、大九州へと向かったのである。
 私が会長を辞任してから、この二年半というもの、学会と私に対して、数限りない悪口罵詈の集中砲火が浴びせられた。
 そして、大切な同志たちは、横暴なる坊主らに奴隷のごとく額ずくことを強いられ、自由も、希望も、笑いさえも奪われるような、暗い悔しい時代であった。
 こんなことが許されてたまるか!
 今こそ攻撃に出る時だ!
 人間の尊厳を踏みにじる、卑劣な宗教的権威への反転攻勢に、私は断固として立ち上がった。
 十二月八日に九州入りして以来、私は、満天下に正義の創価学会の勝鬨を轟かせながら、大分、そして熊本を駆け巡った。
 さらに十四日には、福岡の久留米市と八女市、筑後市まで足を運んだのである。
3  八女の天地は、初代会長が不滅の足跡を残された、「九州広布の源流の地」といってよいだろう。
 その日、私は、八女会館を訪問したあと、初代の八女の支部長であった婦人のお宅に伺った。
 一九三九年(昭和十四年)の春、牧口先生が訪れ、折伏された人である。
 彼女が入信を決意すると、先生は、その翌日には、「早速、実践に移らねば」と言われ、彼女とその夫を連れて、長崎の雲仙方面に弘教に向かわれた。
 「折伏こそ、宗教の生命です!」
 その時、先生が厳然と教えられた言葉は、火の国・九州に燃えゆく、広宣流布の発火点となった。
 実践第一だ。行動第一だ。正義と勇気の実践こそが、われわれ仏法者の生命線だ。
 先師は、それを身をもって示されたのである。
4  牧口先生は翌年も、福岡や久留米、八女、雲仙を回られ、さらに島原、荒尾、熊本を経由して大分県の別府へと、布教の駒を進められた。
 八女には、新たに数人の同志が誕生しており、牧口先生を囲み、近隣の友も交えての座談会が行われた。
 先生は、皆がわかりやすいようにと、小さな黒板に、チョークで御書の一節などを書きながら説明された。
 さらに、「難」の一文字を板書され、その横に、「正法の証拠」と書き添えられた。
 手に力を入れ過ぎてか、チョークがポキッと折れてしまったという。
 先生は、まさに全精魂を込めて、九州の友に信仰の真髄を教えようとされていた。
 法華経にいわく。
 「如来の現に在すすら猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや」(法華経三六二ページ)
 御書にいわく。
 「末法に入つて法華経の行者有る可し其の時の大難・在世に超過せん
 「難」即「正法の証拠」であり、正義の証明なのである。
5  さらに一九四一年(昭和十六年)の十一月にも、牧口先生は、七十歳の高齢を押して、九州に向かわれた。
 これが、生涯最後の訪問となった。この時に、初の九州総会が、福岡県の二日市で開かれたのである。
 日米開戦の一カ月ほど前、暗黒の戦雲が重く垂れ込めていた時期でもあった。
 しかも、この年の三月、悪名高い「治安維持法」の二度目の”改悪”が行われ、国家による思想統制が一段と強化されていったのである。
 その第七条では、新たに、国体の「否定」──つまり天皇を中心とする国家体制を認めない考えを流布する目的で結社を組織した者や、その指導者も、処罰の対象とすることを定めていた。
 それは、国家をどう考えるかなどの、人間の心の領域にまで国家権力が介入し、個人の精神をも国が支配しようとするものであった。
 この条項は、信教の自由を奪い去り、宗教団体や宗教者を弾圧するための法的根拠となった。事実、二年後には、牧口先生、戸田先生が、この治安維持法違反の容疑で投獄されるのである。
 嵐は、近づいていた。
 総会の直前、一人の会員が血相を変えて、牧口先生に報告した。
 「大変です。特高刑事が三人も来ています!」
 先生は一言、「なに大丈夫だよ」と諭され、悠然と総会の会場に入られた。
 総会は、特高刑事の監視下に始まった。学会に難癖をつけようとして、怒鳴り、騒ぐ輩までいた。
 しかし、先生は、圧迫や雑音など歯牙にもかけず、国家神道の誤りを堂々と破折し、正義を叫ばれたのである。
 国家権力の脅迫が何だ!
 正しき妙法流布の行動に、怖いものは何もなし!
 「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず
 蓮祖の厳たる師子吼の通り、牧口先生は、信教の自由の旗を高く、また高く掲げて、権力という魔物に、真っ向から立ち向かい、戦いを挑んだ。
 これが学会魂である。九州の友は、陰険なる権力と戦い抜いた”創価の父”の勇姿を、断じて忘れてはならない。
6  不思議にも、牧口先生の最後の九州訪問から満四十年を経た、その時、私は福岡・八女の天地に立っていた。
 私は、初代会長のご尊顔を胸に浮かべ、深く決意した。
 ──いかなる迫害に遭おうとも、私は、断固、広宣流布の指揮をとる。人間の自由を奪おうとする、ありとあらゆる悪魔と戦う! 民衆の幸福と正義の勝利のために!
 次いで私たちは、筑後市内にあるすばらしき個人会館へ移動し、懇談会をもった。
 私は、地元の筑後方面の方々をはじめ、そこに集いし福岡の指導者に訴えた。
 「リーダーは、巌のごとき信念で、『絶対に勝つ』という一念をもて!」
 戦いは甘くない。戦う格好だけの、遊び半分の心で、勝てるわけがない。
 スペインの作家セルバンテスは、有名な『ドン・キホーテ』で書いている。
 「戦さにかかわる一切の事柄は、ひたすら汗を流し、精根をかたむけ、死力をつくさないでは、しょせん実現はおぼつかない」(『セルバンティス』1、会田由訳、『世界古典文学全集』39所収、筑摩書房)
 いわんや、我らがなさんとするのは、正義と平和の永遠の都を築きゆく、広宣流布という高邁な大闘争だ!
 ゆえに、勇気ある先駆の九州の健児は、皆、真剣である。皆、懸命である。
 だから、歓喜がわき、知恵がわく。無敵の団結が、あらゆる怪物の障魔を打ち破ることができるのだ。
7  ともあれ、わが福岡はアジア大交流の希望の玄関だ。
 ここには、アジア侵略という蛮行を犯した日本の軍国主義と、生命をかけて戦われた牧口先生の魂がある。
 さあ新たな心の交流を! 新たな友情を!
 そして、途絶えることなき信頼の大いなる流れを!
 待ちに待った「アジア青年平和文化総会」も、いよいよこの秋に開催される。十万人の友による、楽聖ベートーベンの「第九」の大合唱だ。
 彼は書いている。
 「行なわれるべくして、まだ行なわれないままになっている、偉大な行為の先達となれ」(セイヤー『ベートーヴェンの生涯』上、大築邦雄訳、昔楽之友社)
 偉大な先駆の九州よ!
 新世紀の冒頭より、完勝に先駆する王者の福岡よ!
 勇気と執念を燃やし、総力をあげ、大勝利の波を日本中に与えてくれ給え!
 信念の先駆の九州よ!
 燃えよ、燃えよ、燃え上がれ! わが「火の国」の正義の勇者たちよ!
 二十一世紀の夢に見た大民衆の大勝利をよろしく頼む!

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